ここは炭鉱の町、ナルシェ。
この町は冬になると真っ白な雪で埋め尽くされる。
もちろん今日も雪が降っている。
帝国と敵対している組織、リターナーの者数名が、
仲間である二人の青年をこの町で待っているところだ。
町外れの森の中に、一人の少女が立ち尽くしていた。
少女は緑色の髪を高い位置に一つに結い上げていて、
何の防寒着も纏わずにただ目の前の雪を見つめていた。
「白・・・・。」
少女はポツリと当たり前のことを呟くと身をかがめ、足元の雪を手にすくい、
「・・・・冷たい・・・。」
再び当たり前のことを呟くと、じっと手の上の雪を見つめ続ける。
すると突然、
「こら!」
すぐ真後ろから声をかけられた。
少女が驚き、肩を跳ね上げると手の上でなかなか溶けずに残っていた雪が落とされる。
少女が振り返るのとほぼ同時に、声の主が少女の手を掴むと、
「あんまり触ってると霜焼けになってしまうよ?」
優しいテノールで少女をたしなめ、掴んだ手を自らの手で包む。
「ほら、こんなに冷たくなってるじゃないか。
しかも、こんな寒い日に何も羽織らずに外に出たら風邪をひいてしまうよ、ティナ。」
声の主、長い金髪を青いリボンでまとめた長身の青年は
ティナのために持ってきた自分が今羽織っているのと揃いの厚手の防寒マントを
彼女に肩にかけてやる。
「ありがとう、エドガー。」
ティナは礼を言うと、エドガーにかけてもらった防寒マントの端を胸の前で掴む。
「どういたしまして。それより・・・こんなところでどうしたんだい?
心配で町中探し回ったよ?」
ティナは帝国に操られていたころ、この町の人間を何人も殺した。
町に出たらその時の報復で何かをされる危険が高い。
だからティナが単独で町を歩くことは自殺行為に近い。
今回何もなかったのも奇跡に近い。
「ごめんなさい・・・あのね、さっき家の中にいたら空から白い粒が降ってくるのを見たの。
なんだろうって思って外に出たら・・・気が付いたらここに。」
「白い粒・・・ティナ、それは『雪』っていうんだよ。」
「ゆき?」
「そう、雪。ティナは雪が降ってるところを見たのは初めてかな?」
「うん。でも・・・・。」
「でも?」
ティナはエドガーに背を向け、雪をまとった森の木々を見つめながら、
力のない声でポツポツと答える。
「この白の色、見たことある。
そのときの白は体中血で赤くなって倒れてる人達を隠していったの。」
「ティナ・・・。」
(思い出してしまったというのか?かつて帝国の兵士として人を殺めてきたことを。)
エドガーは眉間に皺を寄せてティナの後姿を、苦い思いで見ていた。
なおもティナの言葉は続く。
「まるでそこには何もないみたいに隠していく白がとても怖く見えた。
静かに、冷たく辺りを覆っていくのが・・・・・怖かったの。」
ティナが自らの肩を抱きしめる。
エドガーにはその姿がいつも以上に小さく儚く見えた。
放っておいたら消えてしまいそうな・・・。
(このままじゃいけない・・・。)
そう思ったエドガーは、
まるで自らのマントで包んで隠してしまうようにティナの肩を後ろから抱きしめた。
「・・・エドガー?」
不意に抱きしめられ、ティナはその腕から逃れようとはしないが、びくっと緊張して固まる。
不安げにエドガーの顔を窺うティナにエドガーは優しく微笑みながら、
囁くように、穏やかに言う。
「いいんだ、このままで。この方が温かいだろう?君も、俺も。」
「うん・・・・。」
こっくりと頷いたティナであったが、体から緊張は消えないままだ。
エドガーはティナが息苦しくならないよう、腕に気を配りながら話す。
「ティナ、俺はね、雪を見ると温かい気持ちになるんだ。どうしてだと思う?」
問題の答えがわからないティナは、エドガーの腕の中で素直に首を振った。
「砂漠に降る雨っていうのは滅多に降らない分、滝みたいに一気に落ちてくるんだ。
だから子供のころ、親父の視察についてきてこの町で初めて雪が降っているのを見たとき、
"なんて優しい降り方をするんだろう"って思った。」
「やさ・・・しい?」
エドガーは子供のような純粋な瞳でゆっくりと聞き返してきたティナを
温かな眼差しで見つめながら話を続ける。
「そう。そしてその日、マッシュと二人で夕方まで雪遊びをして宿へ帰ったとき親父が
"おかえり。外は寒かっただろう?"って言って俺達を抱きしめてくれたんだ。
それからずっと、雪を見るたびにその時の親父の温かさを思い出すんだ。
だから俺は、雪を見ると温かい気持ちになるんだ。」
「・・・・・・。」
(エドガーの見てる雪にはお父さんの温かさがある・・・・でも、
私の見る雪には誰かの温かさなんてない・・・。)
エドガーの話を聞いて、
今までの自分には誰も温かさをくれる人がいなかったということを
皮肉にも再確認させられてしまった。
ティナは俯いて、黙り込んでしまう。
(ティナ・・・。)
そんなティナの様子を見てエドガーは悲しい気持ちになる。
(まだだ。まだ、もっと彼女に言葉を渡さなくては。
少しでも心に温かいものが届くように・・・。)
そしてティナのために、言葉が心の底まで届くようにティナの耳元で優しく囁く。
「ねぇ、ティナ。どうか聞いて欲しい・・・・。」
そのままの姿勢でエドガーは一拍間を置いて言葉を続ける。
「ティナが見覚えのある雪は確かに冷たくて怖いものかもしれない。
でも・・誰かと一緒に見る雪はそれとは違うものであってほしい。
君さえ許してくれるのなら、
君がもう二度と雪を見て冷たさと恐ろしさを思い出さないよう、ずっと俺が側にいるから。」
その言葉が言い終わると同時に、ティナの全身から緊張が取れ、
ティナを抱きしめるエドガーの手に雫が落ちた。
その雫には雪特有の冷たさがない。
「エドガー・・・エドガー!」
雫の正体は涙だった。
涙がティナの顔に凍りつかないよう、エドガーはティナを抱きしめている手でそのまま涙を拭い、
もう一度耳元で囁く。
「いいよ、好きなだけ泣いて。俺はちゃんとここにいるから。」
その言葉を聞くと、ティナはエドガーの腕をマント越しに抱え込みずっと、長い時間泣き続けた。
― 操りの輪が外れ、自我を取り戻してからもずっと戦争の切り札としての役を
押し付けられていた。
誰かに自分の感情を受け止めてもらう余地などないに等しかった。
この時ティナが自分の感情を暴れさせたこと、
そしてそれを誰かに受け入れてもらえたことは彼女にとって大きな意味を持つ。
別の見方をすると、本当の意味で操りの輪が取れたのはこの瞬間かもしれない。 ―
「あら・・・・雪。」
一年後、世界は引き裂かれた。
仲間達と離れ離れになってしまったティナは
モブリスの村で身寄りのない子供達と共に生活していた。
ティナは雪が降ってくる空を見上げた。
雪を見て思い出されるのは、
「エドガー・・。」
エドガーの言葉、エドガーの声、エドガーの温かさ。
「うん、大丈夫。冷たくない、怖くない。」
ティナはほっと胸を撫で下ろしながら呟いた。
しかし、すぐに浮かない顔になる。
「でも・・・・貴方がここにはいないの・・・。」
(エドガー・・・・。)
ティナは両手を組み、祈るように彼の名を呼んだ。
すると、
―ずっと俺が側にいるから。―
あの時と同じ声が心の中に響いた。
その響きが甦るなら例えこの場所に彼がいなくても、あの時の彼の温かさも甦る。
(そっか。私はどこにいても、エドガーに抱きしめられてるんだ。)
ティナは明るく笑うと雪を落とす空を見ながら言う。
「あの時私の側にいてくれたことのお礼を言いたい。
貴方の言葉で私は今も負けないでいられるの。
だから・・・・絶対また会おうね、エドガー!」
ティナの声を風が運ぶ。
その風がどこまで行くかは誰にもわからない。
だけど、何も届かないことはないだろう。
穢れのない、真っ直ぐな想いを込めた言葉なのだから。