――魔王の城がなくなって1年後――
あの火事の後、焼け跡から少し離れた所に大急ぎで新設された総統官邸にて。
「よぉ!元気に職務に励んでいるかね?」
政治に関わる厳粛な場には似合わない陽気な声がして、扉が開いた。
そこは国家総統の執務室。
その部屋で今まさに職務に励んでいた部屋の主は、心底嫌そうな顔で陽気な声の主に振り向いた。
「何が“励んでいるかね?”ですか。
貴方が勝手に“総統官邸焼失ならびに国家総統行方不明の責任を取って辞職する”
なんて言い出すから、残された私が1人であの方の代わりにこの国を支えることになったのですよ?
そのことをわかっているんですか?」
「あーはいはい。わかってますよ〜。
“勝手ニ厄介事ヲ押シ付ケテ申シ訳アリマセン”。
国家総統、遠坂圭吾殿?」
「・・・なんで片言なんですか。
今は一般市民の瀬戸口君?」
「まぁまぁ、硬いこと言わないの〜。」
そう言うと瀬戸口は部屋の主の許可も得ずに、
勝手に応対用の革べりのソファーに座った。
「・・・まったく、半年振りに顔を見せに来たと思ったら・・・。
大体、一般市民である貴方がなんでこんなところにいるんですか?
身分証明がないと受付で止められるはずですが?」
「あー、それね。
今、警備部担当してる奴が厚志の代から働いてるだろ?
だから受付で呼んでもらってお願いしたら通してくれたよ。
いやー、持つべきものは一緒に苦労を共にした仕事仲間だねぇ。」
「・・・そうですか。」
「ん、なんだ?
“警備体制がなっとらん!”って、減俸にでもする気か?」
「いえ。ただ疑問に思ってただけですよ。」
「ふ〜ん。
あ、そうそう。
せっかくのお客様なのにお茶も出ないのか?」
「職務中に急に来たくせに何言ってるんですか!
はぁ・・・、今日はこれから会議だというのに・・・。」
ぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、
遠坂は内線で連絡を取り、お茶を持ってくるように言った。
そして、瀬戸口の向かいの席に腰を下ろす。
「そういえば、壬生屋さんとはどうなったんですか?」
「ああ、うん。
とりあえず中途半端だった幻視技能を最大値まで鍛えたら、
無事にあいつの姿はいつでも見られるようになったよ。
でも、見てるだけで触れないから欲求不満になりそうでさー。
だから今度本格的に山ごもりする予定。」
「欲求不満って・・・。
そんな不純な動機で修行出来るんですか・・・?
で、当の壬生屋さんは今こちらに?」
「いいや。
今日がちょうど月命日だから里帰り中。
後で迎えに行くけどお養父さんが毎月墓参りに来ててさ。
ほら、俺のせいで未央の遺体があっちに帰らなかっただろ?
申し訳ないなって思ったから、
せめてあの後明日花に返してもらった未央の指輪だけでもって届けたときに聞いたんだけど、
遺骨もなくて、魂もこっちで縛られてたのに、それでも13年前から毎月欠かさなかったんだと。
本当に、頭が下がるよな〜。」
「良いお父さんですね。
事の真相はお話したんですか?」
「・・・あー、うん、全部話した。
殴られるかな〜って、いちおう覚悟はしてたんだけど、
元々戦争で亡くなったから遺体についてはあきらめていたし、
指輪だけでも帰ってきたからいいって。
それに今、好きな男の側にいられて幸せだと言うなら、
親としてあの子に何も言うことはない・・・ってさ。」
「はぁ・・・つくづく立派な方ですね・・・。」
「本当だよ。
その上俺に対して、“たまには顔を見せに来なさい”って・・・。
俺の親じゃないけど、親孝行しなきゃバチが当たるよな。」
「でも、壬生屋さんのお父上なら、
貴方にとっては義理のお父さんなのでしょう?」
「まあね。
それでその後、未央の指輪を納骨室・・・一族の骨壷と一緒のところに入れてもらったよ。
・・・で、人に言わせてばっかりでお前さんの方はどうした?
例の彼女、完成したのかよ?」
「ああ、それは・・・。」
遠坂が言いかけたとき、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
遠坂がノックの音に応えると、
「失礼します。」
長く真っ直ぐな栗色の髪をしたスーツ姿の女性が、紅茶のポットとカップを乗せたワゴンを押して入ってきた。
「ありがとう。」
「どうも。」
遠坂と瀬戸口がお茶を入れてくれた女性に礼を言うと、
「恐れ入ります。」
女性は笑顔で返した。
そして遠坂に向き直る。
「圭吾様。会議の時間が近付いています。
それと、例の書類をまだいただいておりませんのでお急ぎくださいね。」
「えっ・・・?
あの書類は明日が期限では・・・。」
遠坂は苦笑いを浮かべながら控えめに言った。
女性はそれでも笑顔で返す。
「はい。でも、チェックする時間を考えると早い方がいいでしょう?」
「あー・・・そ、そうですね。
会議が終わった後、急いで書きます。」
「お願い致します。」
「あらぁ?国家総統様ともあろう方が、すっかり尻に敷かれてるねぇ?
で、こちらの美人な秘書さんはどなた?」
にやにや笑いながら瀬戸口が訊ねた。
遠坂は恥ずかしいやら憎らしいやらで複雑な表情になる。
「・・・尻に敷かれてるって、貴方には言われたくないですね。」
そして、そんな気持ちを振り払うように、ゴホンと1つ咳払いをして、
「この方が、“例の”彼女ですよ。」
「ええっ?」
瀬戸口は驚いて、彼女を見る。
彼女は長い髪を、サラリと言わせながら一礼した後、
「お久しぶりです、瀬戸口さん。
藤川愛華と申します。」
春の日差しのような明るい笑顔で自己紹介した。
あの頃と全く姿が変わって名前も初めて聞いたから、“久しぶり”と言われてもピンと来ない。
初めて会ったという感覚の方が正しい気がする。
「いや〜、どっちかというと初めましてって気分なんだが・・・。
まぁ、なんだその・・・久しぶり。
会えて嬉しいよ。」
戸惑いながらも立ち上がって挨拶し、握手を交わした。
そして一転して親しげな笑顔になり、
「それにしても、随分綺麗だねぇ。
これから一緒にお茶でも行かない?」
口説きおった。
「え、え〜と・・・。」
「ン、ウン!
瀬戸口、貴方には壬生屋さんがいるでしょう?」
それに対して遠坂は大きめの咳払いをし、怒ったような声で阻止する。
そんな遠坂の反応をおかしそうに見ながら瀬戸口は愛華の手を離すと、
「そりゃそうだよ〜、冗談に決まってるじゃないか。
俺は未央一筋なんだから〜♪
それにしても・・・やっぱりそういう関係なのかな?」
からかうように訊ねた。
すると遠坂は顔を赤らめて目を逸らす。
「人をからかうんじゃありません!
・・・それに、愛華さんも無理に私の側にいる必要はないのですよ?
他でもない、貴女の人生なんですから。」
遠坂が心配そうに言うと、愛華は頬を染めながらも優しく微笑みながら言った。
「いいえ。無理などしていません。
私は、私の意志でここにいるのですから。」
「愛華さん・・・。」
「ひゅーひゅー。熱いね〜、お2人さん。」
「「!!」」
2人の世界に行きかけた遠坂と愛華を、瀬戸口の無粋な冷やかしが邪魔をした。
一瞬にして我に帰った2人は、一斉に瀬戸口の方へ首を向けた。
「あ、じゃ、じゃあ私は秘書室にいますから!
お話が終わりましたらよ・・・よよ、呼んでくださいね!
か、会議の時間もお忘れなく!!」
「は、はいわかりました!すぐに終わらせます!!」
すると愛華は遠坂の返事が終わりきらないうちに真っ赤な顔で執務室を後にした。
「ぷくく・・・!!」
そんな光景を瀬戸口は口を手で抑えて笑うのを耐えながら見ている。
漏れてしまった声に反応して、遠坂は真っ赤な顔で振り向く。
「何がおかしいんですか、瀬戸口!!」
「いや〜、何も?
それじゃあ、お邪魔虫な俺は早々に退散しますかね♪」
瀬戸口は笑いを耐えながら立ち上がった。
「・・・ったく!」
面白くなさそうな顔をしながらも、遠坂は瀬戸口を見送るべく席を立った。
「いやぁ、今日はいいもの見ちゃったな〜。
あ!愛華ちゃんを写メで撮って、明日花に送れば良かった!」
「え・・・明日花さんに?」
意外な言葉を聞いて、遠坂は目を丸くした。
「それに、写メって・・・そんなに頻繁に連絡取り合ってるのですか?」
遠坂本人は多忙なこともあり、親しい者と連絡を取り合う機会はそうそう無かった。
前に明日花と電話越しに言葉を交わしたのは、明日花の母親が退院するときだったから・・・半年以上前だ。
だから驚いたのだが、訊ねられた瀬戸口はあっさりと返した。
「取ってるよ〜。
だってメモ友だもん。俺達。」
「・・・だもん、って・・・。」
とっても単純な理由に、遠坂は肩から力が抜けた。
「いつの間に・・・。」
「1年前、明日花が入院してるときに。
あの時はまだ髪が長かったな〜、うん。」
「三十路の男が女子中学生とメル友ですか・・・。」
「あっ、歳のこと言うなよ〜。
お前さんだって、もうすぐ三十路の仲間入りなくせに。
それに、明日花は中学生じゃないぞ。
今年から花の女子高生だよ。」
「あれ?そうでしたっけ?」
「そうだよ。
元気に学校通ってるってさ。
話聞いてる分だと、気になる男の子がいるみたいよ?
だからそのうちそれとな〜く恋愛相談に乗ってあげようかと。」
「瀬戸口が・・・?
変なこと教えないであげてくださいよ?」
「変なこと?
やだなぁ、そんなわけないじゃないか。
この、“愛の伝道師”と呼ばれた瀬戸口君がさ〜。」
「だから信用できないんです。」
浮かれる瀬戸口を遠坂はジト目で睨んだ。
「うわ〜、そんな目で睨むなよ〜、もう。
あとは・・・厚志がどこかで元気でやっててくれたらいいんだけどな。」
すると瀬戸口は遠くを見るような目で懐かしむように言った。
遠坂も同様に、突然別れたかつての友を思い出す。
「そうですね・・・私達は今幸せですが、
あの方も幸せであってくれないと・・・。
今も行方を追っているのですが、手がかりすら見つかっていません。」
「そうか。
ま、縁があったらまた会えるさ。
会った時に笑顔で迎えられるよう、待っててやろうぜあいつのこと。」
「そうですね。
それがあの方の友としてできる、唯一のことですから・・・。」
「ああ。」
そして2人は友を懐かしむのを止めた。
「で、そんなわけで愛華ちゃんを写メで取らせて欲しいんだけど。」
「愛華さんがいいと言うならいいですよ。
その代わり・・・送ったら画像は消してくださいね。」
「何で?」
「待ち受けでもにされたらたまったものではありませんから。」
「・・・いや、そこまでしないって・・・。」
「ならよろしい。」
そう言って遠坂はようやく納得すると、再び愛華を呼ぶべく内線を手に取った。
総統官邸を出て、郊外の道を歩いている頃。
瀬戸口の携帯が鳴った。
相手を確認して通話ボタンを押すと、元気な声が聞こえてきた。
『もしもし、瀬戸口さん?写メありがと〜♪
愛華さん・・・だっけ?すっごい美人になっちゃったね〜。』
「だろ〜?危うく惚れそうになったよ。」
『え〜。未央さんに怒られなかった?』
「それは大丈夫。あの場にはいなかったから。
それでなくても、俺は未央一筋ですって。」
『だよね〜。
瀬戸口さん、何かにつけて“俺は未央一筋”って言うし。』
「あ、俺の一途な愛を信じてくれてるね?
遠坂なんてさぁ、いかにも信用できないって目で見てくるんだも〜ん。」
『いや。それに関しては仕方がないと思う。
うん、むしろ遠坂さんの方が正しい。』
「あら、ひどい。味方だと思ったのに。
・・・それはそうと、この前の男の子とはどうなったのかな?」
『はい!?
えっ・・・ちょっ・・・何でそういうことになってるのよ!?』
「あはは、隠すな隠すな。
おにーさんは全てお見通しだよ〜。」
『・・・おじさんの間違いじゃないの?』
「あー、そういうこと言う?
せっかく意中の男の子を振り向かせる良い方法があるんだけどな〜。
教えてあげない。」
『えっ・・・?
あ、ちょっと・・・聞きたいかな?』
「ならごめんなさいは?」
『ゴメンナサイ。』
「・・・何か、片言じゃない?」
『気のせい気のせい。
で、あの・・・その方法って・・・?』
「うん、それはね・・・。」
瀬戸口は電話の相手と楽しそうに話しながら歩いていく。
その際、かつて魔王の城があったところの目の前に差し掛かるが、それに気づかずに通過する。
城があったところは瓦礫が完全に撤去され、今は空き地になっていた。
今は更地になっているそこに、風が吹き抜ける。
復活し始めたわずかな緑の草を撫でると、
新たな季節を運ぶように遠くへと旅立っていった。