「それじゃ、お疲れさんです。」
善行戦闘団司令部への報告を終えた瀬戸口は、その本部がある建物から出てきた。
とっくに日付が変わりきった真夜中であるため、見上げた夜空はどこまでも黒い。
そのくせに星が見えない空に月が明々と光っている、妙に明るくて静まり返った夜だ。
昼はまだまだ残暑がきついのに、真夜中である今の風は少し冷えていて、
つい数時間前にあった戦闘での熱でさえも冷ましてしまう。
(まさか暗殺されかかるとは・・・。そこまで偉くなるつもりはなかったんだが。)
幻獣共生派による瀬戸口隆之少佐への暗殺未遂事件。
人の心を操るとして恐れられている新種の幻獣―知性体が、
彼らのリーダーであるカーミラと対等に渡り合える存在である瀬戸口を、闇に葬ろうとしていた事件だ。
しかし、瀬戸口自身の機転と彼と同じ小隊の来須、石津、江田島特別警備隊の戦闘力、
そして正体不明の協力者達によって未遂に終わった。
無事に帰ってこられたのだが、瀬戸口の心の奥底にはまだ落ち着かないものがあった。
それもそのはずである。
事件の最中瀬戸口は知性体と遭遇。
短時間とはいえ、心に深く侵入されたのだ。
遥か昔に忘れていた憎悪や悲しい別れを無理矢理思い出させられたので、正直とても気分が悪い。
事件直後は撤退作業や事後処理に追われていたため気付かなかったが、
それらから解放されて緊張が緩むと、そのときの出来事が脳裏に甦ってきたのだ。
瀬戸口暗殺を目論む者は今回の首謀者だけではないだろうから、また知性体に狙われることもあるのだろう。
その度にあの辛い過去を思い出さなければならないのかと思うと、実に嫌な気分だ。
「はぁ〜・・・。」
深いため息を吐きながらとぼとぼと歩いていると、
「瀬戸口さん!!」
「わあっ!!」
不意に建物脇から怒鳴られた。
驚いて跳ね上がった鼓動のままに声がした方へ向くと、瀬戸口は先程までの胸中とは別の意味で顔色を青くした。
「み・・・壬生屋・・・さん。」
すっかり恐縮しまくった瀬戸口は普段とは違い、“さん”付けでその声の主の名を呟いた。
“さん”付けされた声の主―壬生屋未央は、
漫画だったらこめかみに青筋マークをついていそうなくらい怖い顔をしていた。
「・・・瀬戸口さん、司令部への報告は?」
怒りを抑えたその静かな言い方が逆に怖い。
「お、終わりました・・・。」
壬生屋の怒りのオーラに押さえ込まれ、瀬戸口は正直に答えるしかなかった。
怒りのオーラのままその答えを聞き、あえて満足したように口元だけを上げて微笑むと、
「なら、今度はこちらのお話を聞いていただきますね。」
と言って瀬戸口の手を取り、そしてそれを引っ張るようにして壬生屋は歩き出した。
(そうだ・・・これが待ってたんだよ・・・。)
手をがっちりと掴まれ逃げることの許されない瀬戸口は、嫌な汗をかきながら壬生屋の後ろをついていった。
幻獣共生派による瀬戸口隆之少佐への暗殺未遂事件。
これとは別に、もう1つの重大事件が起こっていたのだ。
実はこの日、瀬戸口と壬生屋は泊りがけで旅行に行く予定だったのだ。
しかしその直前に瀬戸口は密命を下され、出動。
そして暗殺未遂事件に巻き込まれた・・・のはいいが(いや、よくないけど)、
あろうことか瀬戸口は任務で頭がいっぱいになり、壬生屋との旅行の件を忘れ去っていた。
そう、あまりにもきれいさっぱり忘れ去っていたので、
任務のために行けなくなったと伝えることすらしなかったため、
結果として壬生屋は、待ち合わせ場所で7時間も待たされたのである。
なのでそれだけでも壬生屋がどれだけ怒っているかは十分伝わってくるのだが、
あえてここは壬生屋の怒りがどれほどのものかきちんと推察しよう。
まず、壬生屋にとって交際経験があるのは瀬戸口のみである。
そして、この2人で旅行に行くのは初めて。
それすなわち、本来ならば今日は壬生屋が初めて異性と2人っきりで行く外泊だったのだ。
なので壬生屋は色々考えた。
「何を着ていきましょう・・・?普段どおりでは申し訳ないから、やはりここは久々に洋装でも・・・。
で、でもまだ戦時中だからやはり胴衣で・・・。
あ、でも旅行中も胴衣というのはさすがに瀬戸口さんがお嫌では・・・。」
「周りに小隊の人はいないから、手を繋いで歩いても・・・いや、う、腕を組んで歩いても・・・。
・・・(想像中)・・・。
・・・は、恥ずかしいです・・・。」
「そういえば瀬戸口さんと1日中2人でのんびり出来るなんて久しぶりじゃないですか!
退院してまだ日が浅いですしそれから忙しかったから、行けても近所へ散歩程度のものでしたし・・・。
な、何をすれば良いのでしょう!?
あ、あのときの大人の女性のように堂々と出来るんでしょうか・・・?」
「・・・お部屋。
2人で1つですが・・・その、よ、よよよ、よろしかったんですよね?
宿泊先を決めて手続きしたのは瀬戸口さんで、部屋を間違えてないかお聞きしたら、
“ああ、間違いないよ。2人一緒。”といつもと同じ様子でおっしゃっていましたけど、
ま、ままままま、まさ、まさかその、えーと、あの、そういうこと・・・ですか?
キャーーーーッ!不潔ですーーーーーー!!
(落ち着くまでしばらくお待ちください。)
・・・と、とりあえず、下着は新品の方がいいですよね・・・。」
とまあ、こんなことを考えていたりもした。
他にも色々あるが、要はこの日のために壬生屋がどれだけ準備と覚悟をしていたかである。
それなのに瀬戸口は任務のために行けなくなって、それを伝えることをすっかり忘れていたのである。
今は戦時中で、瀬戸口は小隊の副司令という重要な役割を担っている。
だから急な任務で行けなくなったのなら諦めるしかないが、その連絡すらないというのは一体どういうことか。
どうせ忙しくて忘れていたのだろうが、それでは自分との旅行というイベントが、
瀬戸口にとってはどうでもいいようなものであるとでも言っているかのように見えてしまう。
悲しくて泣きたい気分にもなるが、その前に湧き出てくる怒りの丈を本人にぶつけなければ気がすまないのである。
怒りのまま倉庫裏の人気がないところまで瀬戸口を引っ張ってきた壬生屋は、
そこでようやく瀬戸口の手を離した。
そして向き直り、真正面から瀬戸口を見つめる。
「まずは瀬戸口さん、わたくしが何で怒っているかわかりますね?」
「はい・・・。もちろん、わかっております・・・。」
瀬戸口は恐怖にたじたじになりながら答えた。
こんなんだったら、テロリストと腹の探り合いをしている方がマシである。
「急な任務だったそうですね。一体どんな任務だったのですか?」
7時間も待たされたのだ。
納得できる任務内容でないと困る。
「えと・・・佐世保に逃げ送れた民間人がいるって情報が入ったから、その救出に・・・。」
「民間人の救出?それは警備隊のお仕事ではないのですか?」
「それは・・・えと、善行さんが調査を兼ねて同行しろ・・・って。」
実際はその民間人を人質に取った幻獣共生派―以前瀬戸口に破れ、
その復讐に燃える共生派指導者カーミラの元側近に名指しで来るように指定されたからだ。
だが、例えそれが事実でもそんなことを言うと心配されるから死んでも言わない。
「なんだか歯切れが悪いですね。・・・もしや、わたくしに何か隠していませんか?」
壬生屋の怒りのオーラにさらされながらも、瀬戸口はなんとか事実を隠しながら言葉を繋いだが、
その様子が壬生屋の目には不審に映った。
「あー・・・うん、してる。でも悪い、それは言えない。」
流石にあんな態度じゃバレバレか。
バレてしまった以上、ここから誤魔化すのは難しいから正直に答えた。
しかし、具体的なことはやはり絶対言わない。
その1点だけは毅然とした眼差しで言ってくるので、壬生屋はこれ以上追及出来なかった。
呆れたように小さくため息を吐いてから、話題を変える。
「行けなくなったのなら連絡をしてください。わたくし、とっても待ったんですから。」
瀬戸口は壬生屋にも言えないような急な任務で旅行に行けなくなったのだ。
だが、例えそれがどんな理由でもきちんと謝罪の言葉を貰わなければ気が治まらない。
「・・・ごめんなさい。次からは絶対に同じことはしない。
今回のことを許してもらうためにするべきことがあるなら、俺はなんだってやります。」
そう言って瀬戸口は深く頭を下げた。
そして壬生屋からの声が掛かるまで、そのままの姿勢でいようとして動かない。
その様子を見ながら壬生屋は、今度は深いため息を吐いた。
(・・・もう。本当に何なんですか、今日は。)
ようやく無線で連絡が取れたとき、真っ先に怒鳴り込んで怒りをぶつけてやった。
たじたじながらではあるが、瀬戸口の謝罪の言葉もちゃんと聞いた。
だが、それでも直接会って色々言ったり、謝罪の言葉を聞かなければ気が済まなくて、
瀬戸口が戦闘団本部から出てくるまでイライラしながら待っていた。
しかし、このように言い訳もせずに誠心誠意謝られては、怒りは段々薄れていくだけだ。
何か言いたい気持ちはあるが浮かんで来ず、もやもやした気持ちをしてはいるが、
瀬戸口は任務から帰ったばかりで、その上ついさっきまで司令部への報告を行っていたのだ。
“許す”という言葉を簡単に言う気はないが、
そんな疲れた中で叱られっ放しの彼が、少し可哀想になってきた。
「・・・任務、大変ではありませんでしたか?
お体に障りはありませんか?疲れているのでしょう?」
壬生屋は膝を折り、頭を垂れている瀬戸口の顔を窺うように見上げた。
先程までの怒りが消えたわけではないが、瀬戸口の体を労わる気持ちは本物なので、
声色がガラリと変わって優しげなものになった。
「・・・!」
するとその声を耳にした瀬戸口は息を呑み、目を見張ると、
「きゃっ!」
自らを見上げる壬生屋を引っ張り、無理矢理抱き上げた。
「ちょっ・・・ちょっと!瀬戸口さんっ!!」
突然抱き上げられたことに困惑した壬生屋が抗議の声を上げるが、瀬戸口は何も言わない。
そして鍵が掛かっている倉庫の扉の取っ手を捻り壊して開けると、
そのまま壬生屋を連れて入っていった。
その倉庫は、缶詰や軍用レーションなどの保存食から米や小麦粉などの、
保冷庫に入れなくても比較的長時間持つ食材が置かれていた。
その中の一画、米の袋が積まれたところに壬生屋を下ろすと、
「・・・瀬戸口さん?」
そのまま黙って壬生屋を抱きしめ、肩に顔を埋めた。
壬生屋は突然の出来事に抗議の叫び声を上げようにも、普段とは違いずっと無口な瀬戸口の様子を前に、
静かに声をかけることしか出来なかった。
瀬戸口はその声に応えることなく、ただ壬生屋の肩に顔を埋めているままでいる。
その様がひどく弱々しく見えて、壬生屋は様子を窺うようにおずおずと両手を上げると、
瀬戸口の頭と背中をゆっくりと撫で始めた。
そうしてそのまましばらく2人とも無言でいると、不意に瀬戸口がそのままの体勢で、
「・・・ちょっとさ、かなり昔のことを思い出して。」
ようやく聞こえてきた瀬戸口の声は、張りがなく沈んだ声だった。
「昔のこと・・・?以前言ってらした、貴方を導いた女性のことですか?」
壬生屋は随分前、過去の瀬戸口にはそんな女性がいたこと聞いた。
その女性は壬生屋と似ていたらしくて瀬戸口は2人を重ねて見ていたということだが、
最終的には壬生屋自身を求めるようになったという。
それまでの瀬戸口はずっと、その女性によって過去に縛り付けられたままだったそうだ。
「ああ。そうしたら彼女を失ったときのこととか、嫌なこと全部思い出して・・・。
なんだか暗い所に一気に落とされた感じがしたんだ。
何も見えなくて、ひたすら黒い感情が浮かんできた。」
「それは・・・とても怖いですね。」
壬生屋にはそのときの瀬戸口の心情がわかる気がした。
大切な誰かを失ったときの、例えようのない深く暗い絶望。
「うん・・・本当に怖かったよ。」
まるで怖い夢を見た子供のように弱々しく呟くと、瀬戸口は壬生屋を抱く手に力を込めた。
壬生屋はそれに応じて、瀬戸口の背中と頭を自らへと引き寄せる。
瀬戸口の身に一体何があって、どのような過去を見せられたのかはわからない。
ただ、いつも自信満々で余裕綽々な瀬戸口がひたすら弱々しくなっている。
きっと、そうとう辛い目に遭ったのだと感じた。
「大丈夫。怖い夢はもう、終わりましたよ。
今は、わたくしが側に居りますよ。」
少しでも彼が感じている苦しみから救ってあげたくて。
壬生屋は瀬戸口の心にのみ届くように、耳元で小さく優しく呟いた。
「・・・うん。」
すると瀬戸口はその言葉に安堵したのか、それまで強張っていた肩の力を、少しだけ抜いた。
そして壬生屋の心に直接聞かせるように、ゆっくりと静かに語り始めた。
「自分自身が何なのかすらわからなくなりかけたときに、お前さんの声が聞こえたんだ。
撤退戦のときの、お前さんが初めて化粧したって言って戦場へ戻っていったときの。
その声を聞いたとき、この声をそのまま行かせちゃいけない、
離しちゃいけないって、一緒に生きなきゃって思ったんだ。
そうしたら俺は、暗い穴の底から壬生屋がいるこちら側の世界に戻ってこれた。
俺が助かったのは、お前さんが呼んでくれたからなんだよ。
だから・・・ありがとうな、壬生屋。本当にありがとう。
お前さんの声が聞けて、嬉しかった。・・・本当によかったよ。」
その言葉を聞いて壬生屋は、自分が待ち合わせをすっぽかされたことなどどうでもよくなった。
彼が無事に生還して、今ここにいる。
ただそれだけでいいじゃないか。
その何にも変えがたい事実のために、彼の恐怖を祓うために自分は何でもしてやろう。
「わたくしは何もしておりませんよ。
ただ・・・わたくしのことを思い出してくださって、ありがとうございます。
そしてちゃんと無事に帰ってきてくださって、ありがとうございます。
・・・瀬戸口さん、まだ怖い夢は残っていますか。
なら、わたくしが一緒にいて祓って差し上げますから、ね?
わたくしに出来ること、何でもおっしゃってください。」
すると瀬戸口は顔を上げて至近距離で壬生屋の目を見つめた。
その表情は今にも泣き出しそうに目を潤ませていたが、とても嬉しそうでもあった。
「何もいらない。でも、今夜はずっと、壬生屋の声を聞かせて。
悪い夢が襲ってこないように、ずっと。」
「はい・・・。」
僅かではあるが、やっと笑顔を見せた瀬戸口に対して微笑みかけると、
壬生屋は子供をあやすように優しく瀬戸口の額に口付けた。
そのままの体勢で長時間過ごすには少々苦しいので、今度は瀬戸口が米の袋に座り、
壬生屋はその膝の上に腰掛けて背中から抱きかかえられていた。
瀬戸口は壬生屋の声が少しでもよく聞こえるよう、彼女の頬に自らの頬を寄せている。
「今日は残念でしたけど、今度こそ旅行に行きましょうね。」
「うん・・・壬生屋となら、世界中の何処へでも行くさ。」
「フフ、楽しみですね。何を着て行きましょうか?」
「壬生屋なら、何でも似合うさ。」
「もう・・・。それでは聞いている意味がないですよ。」
「だって・・・本当のことだから。壬生屋がいるなら、どんな格好だっていい。」
そんな当人同士しか聞こえないようなささやかな声が、
悪い夢に怯えていた彼が眠るまで、ずっと続いていた。
そして眠りにつく瞬間、彼は確信した。
彼女の声が聞こえるのなら自分は何度暗い穴の底に落ちても、必ず帰ってこれると。
彼女が呼んでくれるからこそ、自分はこの世に存在できるのだと。
闇を祓う聖なる声に包まれて眠りに落ちた彼は怖い夢など見ることはなく、
その寝顔は穏やかに微笑んでいた。
〜〜終〜〜
ポルノグラフィティで瀬戸壬生第3弾(笑)今回は「ヴォイス」という曲で書きました。
第7章の瀬戸口によく合う曲です。
あと作中に出てきた米、瀬戸壬生好きの方がすごく欲しがりそう・・・。
ポルノグラフィティで瀬戸壬生第3弾(笑)今回は「ヴォイス」という曲で書きました。
第7章の瀬戸口によく合う曲です。
あと作中に出てきた米、瀬戸壬生好きの方がすごく欲しがりそう・・・。