週末。
壬生屋の遺髪を渡されてから数日が経った。
壬生屋の父から指定された海は電車で一時間弱かかるので、
休日の日でないと行きづらい。
昼過ぎに寮を出て、駅へと向かい、公園を横切ろうと足を踏み入れる。
しばらく歩いていると、妙にカップルの数が多いのに気がついた。
この戦時中に平和な奴らだな。
そう思ったが、よくよく考えてみると、
今日はバレンタインデーだったことを思い出す。
確か昨日、部隊の女子一同から義理チョコを貰ったっけ。
渡された直後に出撃がかかったから、お礼も貰った感動もうやむやになっていた。
鞄に入れたままで、まだ食べていなかったっけ?
そういえば、部隊外から寮へ届けられていたチョコもいつもより少なかった。
(やばいやばい、去年のクリスマスからどうも調子が悪いな。
 せっかくのバレンタインデーなのに、女の子とデートの約束もしていなかったし。)
まあ、だからこそ今日、壬生屋の遺髪を海へ流しに行けるのだが。
「ん・・・?待てよ?」
何かに気がつき、瀬戸口はウエストバッグの中から木箱を取り出した。
木箱を開け布を開くと、壬生屋の遺髪が納まっていた。
「そうだよな。今日はあんたがいたよな。
 ・・・よし。せっかくだからデートでもするか!
 嫌だなんて言うなよな、貴重な休日をあんたのために使ってやってるんだからさ。」
と、壬生屋の遺髪に声をかけた。
すると、
“なんですか、その偉そうな物言いは!
 貴方とデートなんて真っ平ごめんです!”
と、壬生屋の声が聞こえてきたような気がした。
無論、そんなわけはない。
だが、壬生屋ならそう言うだろうな絶対に、と思った。
それがなんだかおかしくて、瀬戸口は口元を吊り上げて笑った。
いたずら小僧のような、無邪気な笑みで。
瀬戸口はそのまま遺髪を布に包み直し木箱を閉じウエストバッグへ戻した。
その動作は速く、まるで次の文句が来る前に強引に連れ出すようだ。
(残念。今日は俺様に主導権があるんだよ〜♪)
くっくっく・・・。
してやったりというように笑みをこぼしながら、瀬戸口は歩を進めた。

 この公園の中にクレープの屋台があった。
並んでいる客もやはりカップルが多い。
しかし瀬戸口は一人でも気後れすることなく列に並んだ。
一人、といっても、彼にとってはクラスメートの女の子とのデートの真っ最中なのだ。
(女子どもとチョコとかクッキーなんかを食べてるのを見たし、
 わざわざ大福を買って食べてるところも見たことある。
 あいつ多分、甘い物好きだな?)
本当に彼女とこの公園に来たら、自分は何を提案するだろう?
そう考えると、このクレープ屋台が浮かんだ。
あいつクレープは好きなのかな、というのもあるし、
このクレープ屋台は美味いと評判のデートスポット。
カップルになったら、一度くらい来ても損はないだろう。
(中身は・・・何にしよう?
 イチゴか、バナナか・・・。
 この屋台の名物は自家製ブルーベリージャムだけど、
 甘党なら他のがいいだろうし・・・。)
ちなみに自分の好みは、甘さ控えめで大人の味のブルーベリーレアチーズ。
甘党ならもっと甘いの、例えば生クリームがたっぷりだとか、
チョコソースのものがいいのかもしれない。
・・・いっそ、二つ買うか?
そう思って財布の中を見てみたのだが・・・、
(・・・・・・・・・。
 ごめん、その・・・、ちょっとパス。)
仕方がない、兵士とはいえ学生なのだから金銭的な無茶はそう簡単にはできない。
瀬戸口の胸中は情けなさで溢れた。
そうしたら、
“仕方ないですよ、無理しないで。”と、壬生屋が困ったように笑った気がした。
(え〜ん、ごめんよ〜。)
と瀬戸口は心の中で壬生屋に謝ると、クレープ選びを再開した。

 無事クレープを購入すると、瀬戸口は花壇の縁に腰掛けて食べ始めた。
結局、イチゴバナナ生クリームを頼み、追加のトッピングにチョコソースをかけてもらった。
フルーツを二種使ったそのクレープは高めの値段で、追加のトッピングは別料金なのだが、
それでも二つ買うよりは安く済む。
幼い頃、祖父のお仏壇にあった大福を食べたいと母にねだったら、
“亡くなった人の代わりに食べてあげるのも供養の一つなのよ。
 ・・・って、隆之にはまだわからないか。
 でも、おじいちゃんは隆之に食べてもらった方が喜ぶわ。”
と言われ、大福をもらったことを思い出す。
あの時の大福は置かれてから時間が経っていたのか、ちょっと硬かったな・・・。
今回はクレープで、生クリーム&チョコソースで甘さのダブルパンチ。
特別甘党ではない瀬戸口には少し苦しいが、なんとか完食しようと頑張る。
(・・・こんなんでよく二つも買おうとしたよな、俺。)
どうにか食べ切り、両手を花壇の縁に置き、そのまま天を見上げる。
「ぷは〜・・・食ったぁ・・・。」
一息ついて、視線を落とすと、手元に赤い色が飛び込んできた。
そこには赤い花が咲いていた。
その花を見つめ、瀬戸口は考え込む。
「きれいだな・・・。
 壬生屋、あんたも花、好きなのかい?」
去年の春、彼女が校庭の桜を飽きずにいつまでも見つめていたのを思い出す。
すると、
“はい。好きですよ。”
と返事が来た。
そして、
“というか、あんたも≠チてなんですか、も≠チて!”
とも言ってきた。
「いやあ、あんたも女の子だよなぁ、と思って。
 ・・・なんだよ、悪い意味じゃねぇって!
 ・・・ん?」
突然瀬戸口は花を見つめて、黙り込む。
壬生屋がいたら、首を捻って不思議がっているだろう。
瀬戸口は、今度は急に立ち上がり、
「・・・そうだ!」
と、何かを思い出すと瀬戸口は公園の出口へと走って行った。

 数十分後、駅前の小物屋から、
「ありがとうございましたー。」
という、店員の声を背中に受けながら瀬戸口は出てきた。
手には小さな紙袋を持っている。
しばらく歩いて、街路樹の根元にしゃがみ、紙袋を開けた。
中には、赤いリボンが入っていた。
そのリボンは赤い絹の布で、両側先端は小さくギザギザにカットされていて、
その周辺に小さな白い花と黄色い花が花吹雪になってプリントされていた。
「これ、返事って訳じゃないけど、ラブレターのお返し。
 あんた、あの日リボンをなくしたままだったろ?
 だから貰ってやってくれ。」
壬生屋が亡くなったあの日。
彼女が髪をまとめるのにいつも使っていた赤いリボンが、いつの間にかなくなっていた。
木箱を開け、壬生屋の遺髪を見るたび、
何か足りないなと思っていて、
それが何かはわからなかったのだが、先ほど公園で赤い花を見たときに思い出した。
瀬戸口は遺髪を取り出し、先ほど買ったリボンを付けてやる。
蝶結びの長さが気に入らず、何度かやりなおしたが、
その甲斐あってか、リボンは綺麗に付けられ、壬生屋の黒く美しい髪を彩る。
リボンの輪の部分の真紅はいつもの彼女通り。
尾の部分は年頃の少女らしく、おしゃれ心を取り入れ可憐にして鮮やかに。
「どうだ?なかなか良いチョイスだろっ♪」
と、瀬戸口は実に楽しそうに笑う。
すると即座に、
“もぉ♪自分で言いますか、そんなこと!”
と、自分と同じく楽しそうに笑いながら突っ込みを入れる。
そしてしばらく笑うと、くるりと一回ターンをしてこちらを上目遣いに見上げ、
“・・・嬉しいです。ありがとう。”
と、照れて頬を赤らめながら言った。
そんな光景が目に浮かんだ瀬戸口は、勝手に一人で照れて、
「・・・どういたしまして。」
照れ隠しに横を見ながらつぶやいた。
そのときふと、空が目に付いた。
太陽の位置が西の果てに近づいてきている。
あと何時間もしないうちに夕暮れになるだろう。
それまでには海へ行かなくては。
「・・・そろそろ行くか。」
と、寂しげに呟くと、駅へと足を向けた。
歩きながら瀬戸口は、冬の日の短さを少し恨んだ。

 しばらく経って。
瀬戸口は海原を見下ろせる崖の上の展望台へ来ていた。
『母と一緒に行った海』というからには、海水浴場のことだろうと思うのだが、
そこへ行く途中でたまたま通りがかったここからの景色の美しさに心を奪われたので、ここを選んだ。
展望台はゆるやかな風が常に海へと流れていて、
海はこれから落ちてくる夕日に赤々と染められ、
まるで空と海が同じものだというように溶け合って見える。
展望台は高い崖の上にあり、海水浴場や防砂林などが大分低い所にあるので、
まるでここが天に一番近いところのように思える。
「さて、着いたぞ。壬生屋。」
それから瀬戸口はしばらく海を見つめた。
そして、ウエストバッグから木箱を取り出し、布を開き、壬生屋の遺髪を取り出した。
それを手に乗せ、リボンの尾を引っ張り、解いた。
「・・・じゃあな。」
瀬戸口は壬生屋の遺髪に別れを告げた。
その言葉を受けたのか、壬生屋の遺髪は風に乗り、海へと旅立った。
束になっていたそれは少しづつ細く、短くなり、なくなった。
最後に残っていたリボンが手を離れたとき、瀬戸口は胸が締め付けられ、目頭が熱くなった。
今日デートをしていたとき、自分はごく自然に壬生屋と笑い合い、素直に話せた。
もちろんそれは壬生屋本人がそこにいたのではなく、
ただの自分の妄想に過ぎない。
でも、本当に彼女がそこにいて、自分はとても楽しかった。
彼女が生きていた頃はいつも口喧嘩ばかりで、なんとなく避けていたが、
ようやく分かり合えたようで嬉しかった。
他の女と付き合っているときはここまで充実していなかったかもしれない。
だからこそ、彼女が生きている間に、彼女の想いに気づいてやりたかった。
彼女は死の直前まで、自分だけを真っ直ぐに想っていてくれたのに、
自分はそれまで一体、何を見てきたのだろう?
何を知っていた気でいたのだろう?
心が後悔と寂しさでいっぱいになった瀬戸口は、
「ごめんな、壬生屋。ごめん・・・!」
と、彼女の遺髪が旅立っていった海へと謝罪の言葉を送った。
(なあ、壬生屋。
 こんな時、あんたなら何て言う?
 今更もう遅いって、生きてた頃みたいに俺を叱り飛ばすか?)
瀬戸口は心の中で壬生屋に問いかけた。
しかし、返事は返ってこない。
彼女の声は聞こえなかった。
瀬戸口にはそれがとても辛くて、目に涙が浮かんでくる。
「・・・ははっ。ダメだよなぁ、俺。
 せっかくあんたに、“笑顔が一番好き”って褒めてもらったのに。」
顔を合わせれば言い合ってばかりなのに、よく笑顔なんて覚えてたな、と思う。
それだけ、自分が気づかないところで見ていてくれていたのだろう。
一体そのときの自分は、どんな笑顔だったのだろう?
笑顔・・・、笑顔・・・。
――・・・あれ?
今の俺の顔は?
「・・・そうだよな。
 あんたは俺の笑顔を気に入ってくれてたんだよな。
 なら、泣いちゃだめだよな・・・!」
彼女と別れるのは辛くて寂しいが、
それでも彼女が好きだと言ってくれた、笑顔で見送ってやりたい。
彼女が生きていた頃に出来なかった分も含めて。
彼女が遠くに行っても、決して忘れないように。
それに、別れが辛いならもっと別のことを!
瀬戸口は晴れやかな笑顔で、声の限り、海へと叫んだ。
「今日、一緒にデート出来て楽しかった!
 あの世で会ったらまたデートしような!
 それまでに俺、もっといい男になるから楽しみに待ってろよ!!」
今、ゆっくりと夕日が完全に海へと潜る。
その瞬間、彼女が振り返り、微笑んだ気がした。
とても幸せそうな、明るい笑顔だった。

 

 帰りの電車の中、瀬戸口は窓の外の夜の闇を見ていたときにふと思いついた。
そうだ、今度壬生屋の実家に行き、今日のデートのことを彼女の父に報告しよう。
そして、彼女の遺髪を海へ流す役目を与えてくれたことにお礼を言おう。
他の家族がいないって言ってたから、ちょくちょく顔を見せに行こうかな。
もしかしたら、県外の実家にいる父と同じように、
自分のことを息子のようにかわいがってくれるかもしれない。
それはないかもしれないけど、そうなったら照れるな・・・嬉しいけど!

 ― それから少年は、何かあるたびに彼女の父を尋ねるようになった。
   そのことが彼女の父にとって生きる楽しみになったのか、病魔は弱まり、生きる力が戻った。
   
   少年が青年に変わった頃、青年に看取られて彼は家族が待つ場所へ旅立った。
   青年の隣りでは一人の少女がハンカチを目に当てている。
   それまで青年が付き合ってきた女は、青年が彼女の父を度々訪ねることについて
   面白くなさそうな顔をしたり、異を唱えたりしたが、
   この少女だけは違い、青年と共に彼女の父を訪ね、共に彼女の父の良き話相手となってくれた。
   
   隣りで涙を流す少女を見て、青年は思った。
   今度はこの少女を守っていきたい、と―。                        




―  end  ―   
   



本作品は島谷ひとみの「トラキアの女」をベースに執筆しました。


ガンパレメニューへ