3月14日、夕方。
「ほらよ、バレンタインのお礼。」
「わぁ〜!ありがとう、光太郎先輩!」
そこは光太郎の母校の校門前。
光太郎は後輩の女子生徒にホワイトデーのプレゼントを渡した。
それはデパートの特設コーナーにあるような綺麗なラッピングで包まれた高めのものではなく、
年がら年中売っているお菓子を百円均一のラッピング袋に詰めただけの安上がりなもの。
探偵事務所なのに猫探しばかりをやっていてお金がないので、
ホワイトデーのお返しはこれで精一杯だ。
・・・どうにか、安上がりであることがバレなければ良いのだが。
何故、高校を中退した光太郎が今更母校の前でホワイトデーのプレゼントを渡しているかというと、
この後輩はちょっと前に猫探しを頼みにH&K探偵事務所にやってきたれっきとした依頼人で、
その彼女が猫を見つけてくれたお礼、ということでバレンタインデーチョコをくれたのだ。
残念ながら市販の物で手作りではなかったが。
ちなみに、少ないながらも別途でちゃんと依頼料はいただいた。お仕事だもの。
「中身何?とぉぜん、3倍返しですよね〜。」
後輩の少女が袋を覗きながら聞いてくる。
「何でそうなるんだよ。売ってるの買ってきただけだろうが、お前がくれたのは。」
「ええ〜っ!?“ホワイトデーは3倍返し”は世界の常識ですよぉ。
てか先輩だって、売ってるのをバラして安い袋に入れただけじゃないですかぁ〜。」
(ギクッ!)
光太郎は心の中だけで両肩を跳ね上げた。
残念、バッチリばれてましたね♪
というか、ついでに言えばそんな世界の常識あってたまるか!
絶対的に男が不利だろうっ!
しかし、そんなナレーションの叫びを無視して、物語は進む。
「しょ、しょうがねぇだろ〜、うちの事務所、貧乏なんだから。」
光太郎は痛い所を突かれたが、
それでも相手に当たらずに気恥ずかしそうに頬を掻きながら正直に言った。
ここで変に虚勢を張らずに素直に己の未熟さを認めるところが光太郎の良いところである。
後輩の少女もそれがわかっているので、
「わかってますよっ。わざわざ届けていただき、とっても感謝です☆」
これ以上問い詰めずに、ありがたくプレゼントをいただくことにする。
そして、何気なく問いかけた。
「そういえば、彼女さん達にもお返し、ちゃんとあげましたか?」
「ああ!・・・って・・・・へ?」
うっかり元気に返事をしてしまった光太郎は、やっぱり言われた意味がよくわからなくて聞き返す。
「“へ?”じゃないですよぉ、もう!」
わかっていなかった光太郎に対し呆れ顔になった後輩の少女は、
お馬鹿な光太郎にもわかるようにきちんと説明する。
「去年の学園祭の時に、たっくさんの女の人に囲まれて見に来てくれましたよねぇ。
その中に彼女がいるって、学校中の噂ですよ!」
「はぁぁ〜?」
去年の学園祭。
確かに光太郎はたっくさんの女の人と来ていた。
小夜に月子にふみこ。
そして、事件の捜査でこちらの世界にやってきていた少女、メイ。
その中に光太郎の彼女がいるという噂らしいのだが、実際にはその中に恋仲となっているのはいない。
・・・光太郎がそう思っていないだけで、熱烈なアタックをされたりささやかに見つめられてはいるが・・・。
とにかく、何はなくとも、その噂は事実無根なのだ。
「違うって!あいつらは仕事上の仲間であって、彼女じゃない。」
「ええ〜っ!違うんですか〜!!
光太郎先輩、モテモテだって聞きましたよ〜?
その人達にバレンタインデープレゼント、ちゃんと貰ったんですよねぇ?」
流れていた噂が事実でないと知ったためか、後輩の少女は大きなリアクションで驚いた。
そして、真実とは何かを探るために質問をぶつける。
「あ、ああ、もらったよ。
あ〜、でも、その中の1人は元のせか・・・住んでる所に帰ったから、あとの3人に。」
「ってことは、その3人は先輩に気があるってことじゃないですか〜。
うっわ〜、てことは先輩、その女の人達の気持ちを知りつつも手玉に取ってるってこと?
きゃー!女の敵〜!!」
後輩の少女は何でそんなに想像をエスカレートさせたのか。
放課後で人通りが比較的多い校門の前で両頬に手を当てて騒ぐ。
「ばっ、ばばばば、馬鹿やろっ!そんなに騒ぐなっ!!」
これ以上下手に騒がれて変な噂が広まっては、行かなくなった高校の中だけで流れる話とはいえ、気分が悪い。
光太郎は必死に声を上げて、後輩の少女の暴走を一先ず止める。
「え〜、だって本当の話じゃないですかぁ〜。
ちなみに先輩、ちゃんとお礼渡しました?
貰いっぱなしの、“俺様モテるから、貰ってとーぜん!”なんて思ってるんじゃないですよねぇ?」
「あったりまえだろ!ちゃんと渡してき・・・、」
自信満々に言おうとして、光太郎は時を止めた。
朝、探偵の仕事に行く前にふみこの屋敷に寄り、お礼を渡した。
ちなみにその時、
『ふぅん・・・子供っぽくて典雅に欠ける品ね。でもま、貰っておきましょう。』
とダメ出しされたのをしっかり覚えている。
昼、仕事の合間に月子の病室に行って渡した。
ちなみにその時、
『わぁ・・・ありがとう!でもコウ、これバナナ味のチョコレート・・・こんな時もやっぱりバナナなのね!』
と笑われたのをしっかりと覚えている。
あとは・・・、
「・・・あ。」
ここで光太郎は、あともう1人に渡した記憶がないことを思い出す。
「“あ”って、もしかして渡し忘れていた人でもいるんですかぁ〜?」
後輩の少女は、突然言葉を切って何かを思い出した光太郎の胸中を見抜き、見事に指摘する。
ナイス、女の勘。
「えー・・・あぅ・・・うん。」
後輩の少女にズバリと指摘された光太郎は、大人しく首を縦に振った。
その様子を見た後輩の少女の呆れは、最大値に達した。
ため息が出る。
「っはあ〜・・・ったく、光太郎先輩は本っっっっっっっ当にそういうところ甘いし、鈍いんだから・・・。
・・・私だって、いっつもアピールしてたのに・・・。」
「何か言ったか?」
光太郎は後輩の少女の後半の台詞がよく聞き取れなかったので素直に聞き返した。
後輩の少女はぼやいた内容がなんでもないことだという風に、
ごく自然に話を元に戻す。
「なんでもありません、こっちの話です。
で、光太郎先輩?渡し忘れている人の分のプレゼント、ちゃんと用意はしてるんでしょうね?」
「それはある!
あるけどただ、行くのを忘れてただけだ。」
光太郎が右肩に掛けているリュックサック。
確かにその中に1つ、ラッピング済みのお菓子が入っている。
「なら、さっさと渡しに行ってあげてください。
その人、きっと待ってますよ?」
「そうか?意外と忘れたたり・・・。」
「んなわけない!先輩、乙女心がわからなすぎです!!
その人だって、先輩にあげるためにどれだけ勇気が要ったか考えたことあります?」
後輩の少女はとことん鈍チンな光太郎に対し、まるで自分のことのように必死になる。
その言葉を聞いて、光太郎はバレンタインの深夜のことを思い出した。
渡し忘れた人物は、時間がなくて固まりきらなかったチョコレートを雪玉の中に入れて走って持ってきた。
手は冷たくて霜焼けになっていたのに、そんなのを気にしない様子で一生懸命に声を掛けてきた。
そんな相手にホワイトデーのプレゼントを渡し忘れるなど、失礼もいいところだ。
それに、もしこの日のことを知っていて光太郎が渡しに来るのを待っているなら、
今ごろ気になって目の前の仕事に手がつかず、どんな失態をやらかしているかわかったもんじゃない。
なら、早く行って安心させてやらなければ!
「・・・悪い、俺、急用が出来たから行くよ!」
一刻も早く相手のところへ行くために、後輩の少女に別れを告げる。
そして返事も聞かずに走り出した。
後輩の少女は光太郎に自分と渡し忘れた相手の気持ちが伝わったとわかり、
笑顔で見送ることにする。
遠ざかっていく光太郎の背に、声をかけた。
「了解でーす!さっさと行ってあげてくださーい!」
「おーう!」
後輩の少女の声を受け、光太郎は一度走りながら振り返って、片手を上げると、
あとはもう、振り返らずに突き進む。
後輩の少女はそんな遠ざかっていく光太郎の背中を見ながら、
仕事の関係とはいえ、近くにいられるという相手のことをうらやましく思った。
しかし、ここで光太郎の行く手を阻むものが現れる!
光太郎が住宅街の細い路地に入り込んだときだった。
そいつは物陰からのそりと現れた。
「ん・・・にゃあああごぉ・・・。」
そいつは光太郎の進路を阻むように、道の真ん中に4本足で立ちふさがる。
「ん?なんだ、このデブ猫・・・。エサが欲しいのか?
悪い。今ちょっと急いでるから、また今度な!」
と、光太郎は丁重に断りを入れてそのデブ猫の横を通ろうとした。
しかし、
「なぁぁ〜。」
デブ猫はその巨体には似合わない俊敏さでその身を光太郎の前に移動させた。
そして光太郎を通せんぼ。
「お前なぁ・・・。
だから急いでるんだって!」
そう言って反対側から通ろうとするが、
「ぶにゃっ!」
デブ猫は再び移動し通せんぼ。
どうやら、エサをくれるまで通す気はないらしい。
彼のような野良猫がこの都会で生き残るためには、
こういった努力と根性と知恵が必要なのだ。
「・・・ったく。」
そのデブ猫の執念に観念した光太郎は、
リュックサックを開け、中に入っている煮干の袋を取り出そうとする。
しかし、その時!
「ぶ・・・にゃあああ!」
突然デブ猫が襲い掛かってきた!
そして中に入っていた煮干の袋ではなく、
「あっ!おいこの野郎!返せよっ!!」
あろうことかラッピングされたお菓子の袋を奪い、そのまま路地の先へと走リ去る。
「ちっくしょう・・・!
それは小夜たんのなのに・・・!
待てコラ〜〜〜〜!!!」
光太郎は渡し忘れた相手―小夜にあげるホワイトデープレゼントを取り返すために、
デブ猫の後を追った。
このデブ猫、走る速度は見た目からの期待通りあまり速くない。
お蔭で見失う危険性はなさそうだ。
しかし・・・、
「お、おおお、おい・・・。
こんな所渡れって言うのかよ・・・。」
彼はドブ川の上に掛かっている排水溝の上を、
何の苦もない顔でその短い尻尾を揺らしながら歩く。
この何とも狭い道を選ぶ辺りは猫らしい。
だが、それを追う光太郎は人間。
こんな幅の狭い排水溝、乗って渡るのは困難極まりない。
しかし、人が渡れる橋まで行って迂回してくる頃には確実にこのデブ猫の姿はここにはないだろう。
ならば仕方がない。
この排水溝を渡るほかないだろう。
「よ・・・っと。
・・・なんとか、乗れるみたいだな・・・。」
柵を乗り越え、排水溝に両足をつけ全身を乗せた。
排水溝はギシギシとなったが、折れることはなさそうだ。
だったらあとはデブ猫が遠くへ行ってしまう前に、
このアンバランス極まりない一本橋を渡り切るだけ。
光太郎の卓抜された運動神経の甲斐もあり、なんとか真ん中まで無事に進む事ができた。
あと半分。
だが、ここでアクシデントが発生する。否、呼んでもないのにやって来る!
「HAHAHAHAHAHA!
せか〜い忍者、ロジャ〜・・・サスーケ!!参上でゴザルよ!!
おやぁ?何をやってるでゴザルか?光太郎?」
世界忍者、否、USAバカことロジャー・サスケは何の力を借りてそうなっているのか、
昔のドラマで見たような巨大な凧に乗って上空を浮いている。
その巨大凧がここまでやって来るのに、ある程度の強い風を起こす必要があったのだろう。
その風に光太郎はバランスを失い、足が排水溝から離れてしまった。
しかし、ここは光太郎、卓抜された運動神経の持ち主。
なんとか両手両足で排水溝に抱きつくような形になり、落下を回避した。
その様はわかりやすく言えば、小学生のときにやった鉄棒運動で最も簡単な技の1つ、
“ブタの丸焼き”を思い出させる。
それを思い出したロジャーは萌えっ子路線を狙っているつもりなのか、
可愛らしく右人差し指を顎に当て、小首を傾げて訊ねる。
「・・・本当に何をやってるでゴザルか、光太郎?
ポークのオールファイヤーなら、他の場所でやった方がいいでゴザルよ?」
「ポークのオールファ・・・馬鹿野郎!
こんなところでブタの丸焼きなんかやるか!!
お前が起こした風のおかげでバランス崩したんだよっ!!」
能天気なロジャーに腹が立ち、光太郎は怒鳴る。
それに結構、この体勢はキツイ。
手が滑って落ちてしまうそうだ。
その様子をようやく察したロジャーは、
「トウ!」
凧から排水溝の上に飛び降りる。
その時の振動で、光太郎は落ちそうになり、本当に寿命が縮まった気がした。
「アイヤ、それは失礼したでゴザル。
ならば、拙者が手を貸すでゴザル。
・・・ほらコウ、手を。」
「ああ、サンキュ・・・。」
光太郎はロジャーが差し出した手を取り、引っ張り上げてもらう。
ロジャーとしても足場が悪いはずだが、そこは腐っても世界忍者。
光太郎にも退けを取らない運動神経で危なげなく光太郎を排水溝の上に戻す。
「はぁ・・・はぁ・・・助かった。」
「大丈夫でゴザルか?」
「ああ、なんとかな・・・ありがとな、ロイ。」
全ての元凶はロジャーなのだが、そんなことには気にせずに光太郎は引っ張り上げてくれた礼を言った。
それを聞いて、光太郎大好き人間(←危ない)のロジャーは汚いドブ川の上の排水溝の上でテレまくる。
「いやぁ〜、拙者は何もしてないでゴザルよ〜。
拙者はただ、コウとの熱〜い友情に応えて、」
「んじゃあ、もう、俺行くから。
あんまり常識はずれなことはすんなよ。
いい加減周りから浮くぞ。」
「そんな褒めなくても・・・って、ええっ!?」
ロジャーが独りで勝手にテレまくってる間、
光太郎は排水溝の上を歩いていた。
ロジャーがそのことに気づいて光太郎を方を向いた時にはもう、
光太郎は柵を越えてデブ猫の走り去った方へと走っていた。
置いてかれて、ロジャーショーーック!!
「オーマイガーッ!!
カムバック、カムバック光太郎〜〜〜!」
ショックのあまり言葉がオール英語になったロジャーは完全に自分の立ち位置を忘れていた。
慌てて追いかけようとして、
「NO〜〜〜〜〜!!!」
案の定、排水溝から落ちてドブ川へとダイブ。
3月の中旬だしそんなに深くないので、風邪はひかないだろうが、汚れに汚れてしまった。
下着まで冷たい。
こんな状態では光太郎に会いに行って、抱きつくなどできるはずもない。
「嗚呼・・・バレンタインのお返しに僕からの愛をあげようと思ったのに・・・。
これでは台無しだ・・・。」
嘘付け!
光太郎、お前にチョコなんかやってないから!
つーかお前は何をやる気だ、何を。
うちのサイトをBL系にするな!!(←byサイト主。)
「いいじゃないか・・・。
それが僕の生きがいなんだから。」
世界忍者のロジャーが、世界を越えてサイト主に反論した。
しかし、その声には明らかに元気がない。
それはそうだ、こんなナリでは光太郎には会いに行くわけには行かない。
行くにはまず、風呂に入ってその合間に衣装を洗濯し、乾かして着替えないと・・・。
それには、まず結構な時間がかかるなぁ・・・。
下手すりゃ、日付変わっちゃうかも?
「はぁ・・・作者め。」
ロジャーは自らの悲運を作者に対して八つ当たり的にぼやくと、
なんの原理が働いてそうなっているのかよくわからないが、
風に流されていったはずの巨大凧を呼び出し、飛び乗る。
そして、上空から大粒の涙と汚い泥を落としながら去っていった。
どうにか光太郎はデブ猫に追いついた。
・・・追いついたはいいが・・・。
(ちょっ・・・ちょっと待てよ、こんなところ通るのかよ・・・。)
そこは大久保駅の裏にある、少し寂れた住宅街。
どういうわけかここにはその・・・なんだ、多くの小規模ラブホテルが細々と営業している。
人ならそういうわけにもいかないが、猫ならば関係ない。
デブ猫はその敷地内を堂々を通っていく。
ならば、光太郎はどうすればいいのだろう?
デブ猫の後を追わなければ小夜へのホワイトデープレゼントは取り戻せないし、
かといって、ラブホテルの敷地内に入るのは精神的には容易ではない。
でも、かといって取り戻せないと・・・。
でもでも、かといって入るのは・・・・。
でもでもでも、かといって・・・。
(あーもう、どうすりゃいいんだよ、俺は〜〜!!)
光太郎はデブ猫が入っていったラブホテルの前で頭を抱えて唸る。
その光景は、端から見ればかなり困った問題だろう。
幸い、日が暮れた直後でまだこのホテル街は賑わっておらず、人通りが多くない事が唯一の救いだが、
早く退散しないと警察を呼ばれてしまうだろう。
その時、悩みに悩んでいてそんな問題にも気づけない光太郎の頭上から、
「どうしたのかしら、この少年は。」
大人の女性の声が聞こえてきた。
光太郎が上を向くとそこには、
「ふみこたん!!」
ほうきに乗った魔女、萩ふみこがいた。
ふみこはほうきから地上に降り立つと、光太郎の顔を面白そうにまじまじと見つめる。
「ふぅ・・・ん。
光太郎も、とうとうそういうことに興味が出るようになったのねぇ・・・。」
「は?」
光太郎はふみこの意味深な笑みと言葉がわからず、ぽかんと口を開ける。
その光太郎が知るわけがないか、実はふみこは光太郎を未来の旦那とすべく、
実は夜の生活についての訓練も行いたいと密かに思っている。
いつもそれとなく誘ってはいるのだが、
“ふみこたん。そんな薄着だと、風邪ひくぜ?”と、
上着をかけられる始末なのである。
だから、ふみこにとっては光太郎がラブホテルの前で興味深げにしているのは、
大変な進歩の証として非常に嬉しいわけである。
「でもこんな安っぽい店ではダメね。
というか、愛の交歓をするのにわざわざ金を払って場所を借りるっていう発想自体、典雅ではないわ。
光太郎、その気があるなら今すぐに屋敷の、」
「悪い、ふみこたん!ほうきに乗っけてくれ!」
「あ、ちょっと!」
ふみこが制止を掛ける前に光太郎がほうきに手を取る。
「俺が追いかけている猫がこの中に入っていったんだ。
俺は式神がいないから空飛べないけど、
ふみこたんがほうきに乗せてくれたら上から探せるからさ・・・頼むよ。」
霊能者ではない光太郎は、式神―ザサエさんと融合し光太郎の式神となった小夜がいないと空を飛ぶ事が出来ない。
そしてふみこは正真正銘本物の魔女なので、光太郎をほうきに乗せて飛ぶことなど容易い。
光太郎に頭を下げられたふみこは光太郎がラブホテルの前で唸っていた真の理由を知り、
一気に興ざめする。
「残念だけどお断りするわ。
仕事で追っているんでしょうけど、仕事なら自分の力でどうにかなさい。
それに、貴方の運動神経なら屋根に飛び乗って追いかけるくらいできるでしょう?」
「―あ。そうか。」
それに気づき、光太郎は右掌に左拳をぽん、と置く。
そしてほうきを返し、一気に気が楽になったと言わんばかりに笑顔になる。
「いや〜、ありがとふみこたん!いい事に気づかせてくれて。」
「別に礼には及ばないわ。
・・・でも、そうね・・・。
この借りは今度、体で払ってもらうことにするわ。」
ふみこはもうすでに屋根に飛び移っている光太郎を見上げて、とんでもないことを言った。
光太郎をその言葉を、
「わかった!屋敷の模様替えかなんかで人手が必要なときは、遠慮なく言ってくれよな!」
と、笑顔で快諾するとデブ猫を追って走り出した。
・・・やっぱり、わかってない。
ふみこは浅くため息を吐くと、実に優雅にほうきに腰掛けた。
彼女としては、こんな寂れて典雅さの欠片もないところにこれ以上の長居はしたくなかった。
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一方その頃。
「はぁ・・・。」
バイト先のコンビニで結城小夜は深いため息を吐いていた。
「あれぇ?どしたの、小夜ちゃん?」
それをレジにいた同僚の女性が目敏く発見し、声をかけた。
ため息を吐いていたのを見つけられた小夜は、大変慌てて、
「あ、あの、いえ!な、なんでもありません!」
と言って否定した。
「そう・・・?ならいいんだけど・・・。
・・・そういえば小夜ちゃん、今日がなんの日か覚えてる?」
「えっ!?」
同僚の女性の追及が終わったかと安堵しかけたが、
巧妙にフェイントされ訊ね返された小夜は思わず声を裏返す。
聡い同僚にとっては、この反応で十分だった。
「覚えてるよぇ・・・。
第一、ホワイトデーについて色々教えたのは私だし。
小夜ちゃん、相手からホワイトデーのプレゼントをまだ貰ってなくて、
すっごく気になってるんでしょう?」
「あ、あううう・・・。」
小夜はこの女性何者だ?と思った。
そう思えるくらい、彼女の予想は的確なのだ。
そう、この女性はただ者ではない!
何故なら・・・。
と、色々作者は言いたいがこれ以上は秘密なので言わない。
その女性は、今度は落ち着かせるように微笑んで訊ねる。
「・・・そのあげた相手に、今日会った?」
小夜は同僚の声を聞いて、とつとつと事情を説明し始めた。
「・・・いいえ。今日は早番だったので会う暇がありませんでした。」
「ライバルは・・・貰ったのかな?」
「おそらく・・・。
1人は毎日お見舞いに行っている義理の妹さんなので今日に限って寄らないということはないですし、
もう1人はわざわざもらいに行くのも躊躇しないような方ですから・・・。」
当然のことだが、ロジャーは数に入っていなかった。
そんな事実を全く知らず、話は続く。
「んで、相手にも小夜ちゃんにも仕事があるから、今まで渡される暇がなかったと・・・。
じゃあさ、小夜ちゃんもバイトが終わったら貰いに行けば?」
「そ、そんな!
そんなはしたない真似、できません!!」
小夜は両手をぶんぶん振って遠慮する。
「え〜、ライバルさんの中にだって、わざわざもらいに行っちゃうような人がいるんでしょ〜?
なら、小夜ちゃんもそのくらいずうずうしくやっちゃってもいいんじゃない。
それに小夜ちゃん、がんばってバレンタインチョコ作ったんでしょう?
だったら、あっちにも返す義務はちゃんとあって、
小夜ちゃんにも貰う権利があるんだからさぁ。
貰いに行っても道理は立つでしょう。」
同僚の女性は小夜にもっと積極的になるように促す。
しかし当の小夜は、
「いえ、それでもできません・・・。
だってあの人は、私の気持ちに応えられないから
“ほわいとでー”の“ぷれぜんと”を用意していないのかもしれないではないですか。
もしそうなのだとしたら・・・私・・・。」
と言って、俯いてしまった。
「ん〜・・・そんなことはないと思うけどなぁ・・・。」
同僚の女性はどうにかフォローするべく言葉を探す。
「いえ、いいんです。
それならばきっと、あの人にとって私はそれだけの存在とわかって、
大人しく身を退くことができるのですから。
だから・・・もう、いいのです・・・。」
「小夜ちゃん・・・。」
「・・・すみません。
私、ごみを捨ててきますね。」
「あ、ちょっ・・・!」
俯き、涙に濡れた声になった小夜はごみ捨てに行くために裏へと引っ込んでしまった。
この時間、レジに入れるのは同僚の女性1人なので、
彼女は小夜の後を追えない。
“お客様は神様です”とは全然まったく欠片も思っていないが、
仲間第一で職務に忠実な彼女は、そこから離れずにただ伸ばした腕を下ろすだけだった。
(くっそ〜・・・相手の男、今度店に来たら拳で殴る・・・!)
そして胸中で不穏なこと思っていた。
その頃、光太郎はボロボロになりながらもデブ猫のすぐ背後に来ていた。
あれから藪の中を通ったり、高い所へ行ったり、まあ大変な目にあったが、
当のデブ猫は目的地に着いたらしく、そこから一歩も動く気配はない。
何かの建物の入り口で、そわそわとドアを見上げている。
それでも念のため足音を殺し、そろりそろりと近付き・・・、
「捕まえた〜〜〜!!!」
「きゃああああ!」
デブ猫を後ろから抱き上げた光太郎は、それと同時に聞こえた女の悲鳴に驚く。
まさか、このデブ猫の声ではあるまい。
後ろから追っていたのだから知っているが、このデブ猫は正真正銘、オス猫だ。
ならば・・・一体何?
その謎は、
「あ・・・こ、光太郎さん?」
悲鳴を上げた声の主が光太郎の名を呼んだことでわかった。
「あ、あれ?
小夜たん、なんでここに?」
「なんでって・・・ここは私の“あるばいと”先の裏口です。
ごみを捨てようと扉を開けたら急に貴方がいて、とても驚きました。」
そう言われて光太郎は辺りを見回した。
周りの景色を見てみると、確かにそこには見覚えがあった。
「あ〜・・・そういえば、そうだな。
全然気づかなかった・・・。」
デブ猫を追っていて、辺りを観察する余裕が全くなかった。
一方、小夜は光太郎の風体に気づけるほどには余裕が戻ってきた。
「そういえば光太郎さんは一体どうしたのですか?
そんな格好で、裏口にいるなんて・・・。」
訊ねられた光太郎は、気恥ずかしそうに事情を説明する。
「あー、それがさ、あんたにホワイトデーのプレゼントを届けようとしたら、
この猫に取られちまって。
それで追っていたら、いつの間にかここに着いたんだ。」
「まあ!その猫、賞味期限切れのおにぎりやお弁当とか、店の余り物をよく食べに来るんです。
そういえばもう、この子が来る時間でしたね・・・。
いつもこの時間に来るんですよ。昼も来ていました。」
「へぇー、なるほど。
それでこんなにデブなわけか・・・。」
「ぶにゃあああ。」
抱えられていたデブ猫が小夜が持つごみ袋からのエサの匂いに耐え切れず、
光太郎の腕から飛び降りた。
その際、くわえていたお菓子の袋を光太郎の腕の中に残していく。
見てみると特に傷や汚れはなく、食べる分にも問題なさそうだ。
「はいはい。今あげますよ。」
デブ猫に催促されて、小夜は弁当を差し出した。
デブ猫はそれを無心でがっつく。
「まだたくさんありますから、慌てないでいいですからね。」
小夜はそう言って優しげに微笑み、デブ猫の背を撫でた。
光太郎はそんな小夜の慈愛に満ちた表情を見て、知らず知らずのうちに顔が赤くなった。
それを振り払うというか、ごまかすように、
「ほ、ほら!これ・・・。
バレンタインのお返しだ。」
と言ってお菓子の袋を差し出した。
差し出された小夜は、
「えっ・・・ああ、はい!
あ、ありがとうございます・・・。」
勢いよく立ち上がり、礼を言った。
(良かった・・・。)
小夜は、この日ずっと待ち望んでいたそれを手にし、気づかないうちにとても幸せそうな顔になる。
気になって気になって、昼間やってきた足元にいるデブ猫にまで愚痴をこぼしてしまったっけ。
気になっていた時は随分気が重かったが、貰えた今はとても軽く感じる。
そんな小夜の顔を見て、光太郎はとても恥ずかしく思った。
だって自分は、金がないからと随分安く済ませたし、渡すのを忘れていた。
かといって、こんな幸せそうな笑顔の前にそれを告げることは、とても酷いことだと思った。
(ごめん、小夜たん・・・!
来年もチャンスがあるなら、もっと良いもの渡すから。
それに、絶対に忘れないから!)
光太郎が胸中でそう誓っていると、
「あ、あの、光太郎さん・・・!」
小夜が顔を赤らめながら何かを決意した目で声を掛けてきた。
「わ、私の“あるばいと”、ちょうど終わる時間なんです。
そ、そのあの・・・よよよ、よろしかったら共に歩いて帰っても構いませんか?」
“小夜ちゃんももっとずうずうしくやってもいい。”
先ほど同僚の女性に言われたのをふと思い出して、やってみようと思った。
だって自分は相手が渡してくるまで待っていたから、その分、まだしばらく一緒にいてもいいはずだ。
小夜としてはとても勇気が要る行為で、受けてくれるか否かが怖いがそれでも負けずに言ってみた。
そんな真っ直ぐに見つめてくる小夜に、光太郎は勝てるはずもなく、
「あ、ああ・・・。いいぜ、そのくらいなら。」
と、照れて顔を赤らめて返事をした。
耳まで熱いのがわかるので、今が夜で本当に良かったと思う。
その返事に小夜は先ほどよりも一層嬉しそうな顔になり、
「本当ですか!ありがとうございます!
すぐに準備をしてきますから、待っていてくださいね!!」
と、軽い足取りで店の中へと入っていった。
その微笑みを見て、光太郎はさらに顔を熱くする。
この日に関しての引け目がまだ残っていなくはないが、
とりあえず今は自分と帰るというあまりにもささやかで簡単な願いを小夜が心から喜んでくれて、
それをとても嬉しく思った。
そして、
「もしかしたら、お前のおかげかもな。ありがとよっ。」
このシチュエーションに出会わせてくれた足元の恋のキューピットに深く感謝した。