未央のバレンタイン大作戦!


 
 2000年2月13日(日)、PM10:43。
「よく眠ってますね・・・それでは。」
壬生屋は目の前の人物が完全に寝入っているのを確認すると、
静かに気合を入れて立ち上がった。
場所は恋人の瀬戸口宅。
この部屋の家主はベッドの中、布団に包まり幸せそうな寝息を立てている。
寝ているのは別に構わないのだが、夜の生活に慣れている瀬戸口が寝入るには少し早すぎる時間である。
実はその日の昼間、彼とのデート中に壬生屋が彼の飲み物に親友から調達した
強力でかつ遅効性の睡眠薬入れたためなのだ。
なぜあの壬生屋がそんなことをするかというと、彼女にはとある作戦があるからだ。
どんな作戦かというと、それは日付が変わった次の日に待っているイベントがあればこその作戦・・・。
「初めてのバレンタインデー。だから、出来立てをプレゼント致します。
 ・・・待っててくださいね、隆之さん。」
と、いうことだ。
壬生屋はこれから彼のためのバレンタインデープレゼントのお菓子を製作するつもりなのだ。
そして出来立てをプレゼントして彼を驚かせたい。
それに、自分という恋人があるにもかかわらず、どうしてもモテてしまう瀬戸口。
女性に優しくてにこやかな瀬戸口は、好意を込めて送られた物を受け取らないなどということは出来ないのだ。
数日前から前持って、
“バレンタインの日に、俺が他の女の子からのチョコを貰っても気にしたりなんかするなよ。
 俺にはお前だけなんだからな。”
と言って来たときに訊ね返したらそう返ってきたから知っている。
彼がずっと自分の隣りにいることは十分わかっているし、わざわざ気にかけてくれたのも嬉しかった。
自分以外の女性からチョコをもらってしまい、それを断りきれないところは少し複雑だが、
それが彼の良いところでもあり愛しいところでもある。
だからといって、恋人の自分が他の女性と同列に並ぶようなことはしたくない。
ならば、どうせ皆もらわれるものならば、自分が1番最初になってしまいたい。
その誰よりも強い一途な想いが、壬生屋に今作戦を立案、実行に移らせた。
睡眠薬まで使用するのはちょっと大袈裟かもしれないし、気も退けたが、
すべては彼を驚かせ、喜ばせるため。
調理の音がどうしても出てしまうから、ちょっと仕掛けをしておかないと起きてしまうかもしれないのだ。
申し訳ないと思う心があるが、それならば良い物を作ってやろうとさらに気合を入れる。
壬生屋は自分の家からこっそり持ってきたお菓子作りの材料と器具をキッチンに並べた。
自分の家にあったものとスーパーで買い揃えたもの。
それらに欠員はなく、不足もなかった。
用意は万全である。
そして、1番なくてはならないのはこれ。
「・・・感謝致します、中村君。」
壬生屋は1冊のノートを取り出し、それを手の間に挟んで拝む。
そのノートには、油性の黒マジックでこう書かれている。
『中村直伝!ホワイトチョコと抹茶のスペシャルケーキ!!
   〜その想いを真心という名の器にのせて〜  』
ちょっと長くて煽りすぎな気がして気恥ずかしい気がするが、
その通りと言われればその通りなので否定は出来ない。
バレンタインに定番なチョコレートと、
彼が大好きな和のテイストを融合させたようなお菓子だ。
お菓子作りに慣れていない壬生屋は、1週間前に今作戦のことを中村に相談した。
するとお菓子作りの天才の彼は快く壬生屋でも簡単に、
そして瀬戸口宅のような大型のオーブンやミキサーなどの本格的な調理器具がない状態でも作れる
お菓子の作り方をすぐに教えてくれた。
彼がいなければ、今作戦は実行に移すことすら出来なかったであろう。
壬生屋は人と人の出会いの素晴らしさに感謝する。
こまめに書いてくれたので、余程のヘマをしなければ何とか出来そうだ。
「・・・よし!」
感動に浸るのはここまでにし、壬生屋は調理にとりかかった。

 まずはガナッシュを作り、バットに移し、冷蔵庫に入れて冷やす。
このガナッシュの出来がこのケーキの出来を左右する。
牛乳や生クリームを入れた鍋に砕いたホワイトチョコレートを入れる。
自分では知らぬ間に顔つきは真剣になる。
白いチョコレートは焦がしてしまったらごまかしが効かないので、目を離す暇が全くないのだ。
事細かに書かれたアドバイス通りになった瞬間、すぐにバットに移しあら熱を取る。
焦りすぎてボールを落としそうになったときは心臓が飛び出るかと思った。
冷蔵庫の蓋を閉めたとき、思わず深いため息を付いた。
 
 ガナッシュを冷やしている時にも気を抜く瞬間はない。
壬生屋は生地作りを開始する。
まずはホワイトチョコレートを溶かし始める。
ホワイトチョコレートを湯せんで溶かすのは家で練習してきたが、それでも緊張してしまう。
初めてやったときはチョコの中にお湯が入ってしまい、失敗に終わった。
その失敗も踏まえつつ、慎重に行った分上手く出来た。
色も悪くない。
「・・・やった!」
嬉しくなり、思わず呟く。
だが、その瞬間、
「・・・う〜ん・・・未央ぉ・・・。」
瀬戸口のベッドから声がした。
慌てて振り向く。
まさか、起きてしまったのか?
しかし、
「・・・ん・・・ぐぅ。」
寝返りを打って枕に抱きつく。
寝言だったようだ。
全く、人騒がせな男だ。
「もう、驚かせないでください・・・。」
と言いながらボールに視線を戻すと、あまりの光景に壬生屋は己の時間を止める。
チョコの入ったボールが傾いている!
その下のボール内のお湯との距離・・・わずか数ミリ。
あともう少しボールに目を戻すのが遅かったら、確実にジ・エンドだった・・・!
壬生屋は瀬戸口の寝言の時以上に寿命が縮む思いがした。
それからずっと、今度こそ瀬戸口が起き上がるのではないかと気が気でなかったが、
生地を紙製カップ数個に流し込み、真ん中に冷やして固めたガナッシュを入れ、
さらにその上にまた生地を入れてレンジに入れるまで、滞りなく出来た。
あとは温度と時間に気をつけて生地を焼く。
オーブンはなくても、型が大きくないのならレンジでもケーキを作る事ができる。
自分ではあまり料理を作らない瀬戸口がレンジを持っているのは幸運だった。
それから生地の焼き上がりを見守っていたい心境はあるのだが、まだやることはある。
壬生屋は祈るようにレンジを見つめると、再度キッチン台に向き直った。
そして作業に集中していたため、レンジの生地が焼きあがったことを告げる、
『ピーン♪』
という音がした時、壬生屋はさらに自らの寿命を縮めたような思いがした。
ちなみに瀬戸口は、この音に反応もせずに眠りこけていた。

 レジの、
『ピーン♪』
という音が鳴るまでの間。
壬生屋はカスタードクリームを作っていた。
さらにそこに彼が好きな抹茶の粉を入れる。
派手な様をしているのに意外に和風の味が好き。
そのギャップと自分との味の好みの共通点に、なんだか微笑ましくなってくる。
そんなことだから、
「きゃあ!」
・・・レンジの音ごときでビックリするんですよ。
全くもう、この娘は。

 レンジで加熱しながら作った抹茶カスタードクリームをひとまず横に置き、
焼きあがった生地の中心へ竹串で穴を開ける。
ここが開いてなければ、せっかく作った抹茶カスタードクリームの存在意義がなくなってしまう。
壬生屋は神に祈るような想いで中を確認する。
すると・・・、
中のガナッシュが溶けて空洞になっていた。
「やったぁ♪」
思わず大き目の声量で感激の声を上げる。
「はっ・・・!」
それに気づいて口を手で抑え、瀬戸口の方を見る。
そちらは体勢こそ先ほどとは違うが、まだ眠りの世界にいた。
再々度ほっとする。
親友から貰った睡眠薬は中々強力だ。
これで朝になっても起きなかったらと逆に心配になるが、今は目の前の作業が先決だ。
壬生屋は気を取り直し、シュークリーム用の口金(中村から借りた、ありがとう!)
を付けた絞り袋に抹茶カスタードを入れる。
そしてそれを先ほど生地に開けた穴に入れ、中身を絞り入れる。
たっぷり入れ、試しに包丁でケーキを割ってみると、
「わぁ・・・♪」
見事に生地と生地の間に、抹茶カスタードの層が出来ていた。
香りも、しっかりと抹茶だ。
見た目はOK、ならば次は味。
壬生屋は、
“美味しく出来てますように!”
という願いをかけてその割ったケーキを口に入れた。
それは・・・、
「・・・美味しい。」
作った自分で言うのもなんだが、とても美味であった。
生地は硬すぎず柔らかすぎず。
味は甘すぎず淡白すぎず。
抹茶の風味も問題なく出ている。
慎重に緊張しながら作ったというのもあるが、流石は壬生屋未央。
家事技能持ちの名は伊達ではない。
これを睡眠薬をくれた親友が作ったならば、ガナッシュ製作の段階で失敗したであろう。
そして、作り方を教えた中村も見事である。
伊達に太ってはいないし、靴下も集めていない。
・・・靴下は関係ないか。

 そして最後の仕上げ。
残りのカップケーキにも抹茶カスタードを入れ、
ケーキ自体はいちおう完成なのだが、そのままではあまりに味気ない。
バレンタインのプレゼントなのだから、ちょっとしたおしゃれも大切なのだ。
壬生屋は固まりかけていた残りのホワイトチョコレートを溶かし直し、
それぞれのケーキの上に置いたそれぞれのクッキーの型抜きの中にゆっくりと少しだけ流し入れる。
全ての型抜きにホワイトチョコレートを入れれば、後はそれが固まれば完成。
その間に壬生屋はキッチン周りを片付ける。
使用した器具を拭き、残った材料を持参したタッパーにしまうと、
今度は箱やリボンなどのラッピング用品を取り出す。
そして置いておいたカップケーキ達の様子を見ると、
型抜きの中に流したホワイトチョコレートが固まっているではないか。
形を崩さないように、細心の注意を払って型抜きを外すと、
「わぁ・・・やりました♪」
そこには綺麗な白いハートがあった。
型抜きを使って、ホワイトチョコレートをハート型に固めたのである。
残りのカップも同様に外し、その全てが綺麗なハートだった。
ガナッシュ作りから最後のホワイトチョコレートまで、本当に上手く出来た。
作る前は上手くいくかの心配もあったが、
恋する乙女の勇気の日のために神様が力をくれたからか、実に、本当に良く出来た。
だがここまでの完成度を導いたのは他でもない、壬生屋の愛情だ。
恋する乙女のパワーは、やはり無限だ。
ケーキの完成に喜びを隠せない壬生屋は、
「わたくしの想いが伝わりますように・・・。」
と言い、全てのケーキの上の白いハートに、軽く口付けしてから箱に入れた。

 箱を閉じ、リボンを結び終わってから時計を見る。
―2000年2月14日、AM2:12。
ケーキは出来た。
ラッピングも抜かりなく。
だから後は当人に渡すだけ。
しかし、起こすにはあまりに微妙な時間だった。
まだ睡眠薬の効果も切れそうもなく、瀬戸口は相変わらず安らかな顔をして眠っている。
すぐにでも食べてもらいたい気持ちはあるのだが、こればっかりは仕方がなかった。
それに・・・、
「ふぁ・・・。」
壬生屋自身も眠くなってしまった。
それもそのはず。
作り慣れていないお菓子を、失敗しないように集中し続けながら作っていたのだ。
疲れないはずはない。
バレンタインデープレゼントは大丈夫。
上手く作れたし、朝起きた時に渡せるのだからどう考えても壬生屋が1番最初だ。
今眠っても作戦の成功に違いはない。
それを確信し、安心した壬生屋は眠い目を擦りながら歯を磨いて眠る準備をすると、部屋の電気を消した。
そして瀬戸口のベッドの傍らに行くと、ちょうど瀬戸口が壁際まで転がっていて、
手前側に人1人が眠れる分のスペースが出来ている。
ちょっとどうしようかと思ったが、
「・・・がんばったから、いいですよね、隣りで眠っても・・・。」
と照れたような笑顔でそこに収まり、掛け布団を彼が寒くならない程度に引っ張って己にかけると、
彼の背中に甘えるように寄り添って目を閉じた。
そして感じる彼の温かさにため息を吐くと、そのまま眠りに落ちた。
    


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 数分後。
「・・・未央?」
瀬戸口は壬生屋を起こさないようにそっと背中を伺い、小さく声をかけてみる。
壬生屋の反応が全くなく、寝入っているのを確認すると、
瀬戸口は彼女が起きないように体の向きをそおっと変えた。
そして幸せそうに眠る壬生屋を優しく抱きしめる。
実は瀬戸口、壬生屋がガナッシュを冷蔵庫に入れた辺りからとっくに起きていた。
過去の体験から瀬戸口は、どうも睡眠薬といった類のものの免疫が出来ているようで、
最初は効きこそはしたのだが、その効果はすぐに切れてしまった。
毒薬の類ではなかったからよかったものの、一体誰が・・・と考えてみたのだが、
そんなことができる隙を与えた人物は壬生屋1人だけ。
それだったら何でまたこんな物騒なことを・・・と考えているうちに、
調理器具が扱う金属の音とホワイトチョコレートが溶ける甘い匂い。
そして、今日と明日がどういった日かを思い出して、そこで謎が解けた。
薄目でこっそり様子を窺ったら案の定だ。
自分を驚かす、そして喜ばすために頑張っていてくれているんだろうなと思うと、
嬉しさ・・・というか幸せのあまりその彼女の背中に飛び付きたくなるが、
そんなことをしたら彼女のそれまでの努力が一気に水の泡である。
だから自分は黙って狸寝入りを決め込んだ。
思いの外作業は長く続き、いつになったら眠るのかと心配したのだが、
電気が消えて、自分の背中に擦り寄ってきたときにはとても安心した。
そして同時に心臓が大きく高鳴ったが、彼女はよほど疲れたのか、ばれなかった。
それから念のため数分、狸寝入りをしたまま様子を窺っていたのだ。
目を閉じたまま彼女の頑張りを見守っていた瀬戸口は、
ようやく壬生屋を抱きしめることができて、安堵の息を漏らす。
すると、
「・・・隆・・之さん、ケーキ・・・。」
と呟きながら瀬戸口のシャツを掴む。
一瞬、起きたかな・・・と思ったが、こちらは本物の寝言だったらしい。
恋人に抱きしめられても起きないほど眠っている。
それほど彼女は頑張ったのだろう。
いや、恋人だからこそ寝ていられるのか・・・。
深く眠っている壬生屋の髪を優しく撫でると、
「ありがとう、未央。今までで1番嬉しいバレンタインだよ。」
(こりゃあ、ホワイトデーは俺も頑張らないとな・・・。)
と、優しく微笑み、彼女の額にキスを落とすと、
瀬戸口は今度は本当に眠るために目を閉じた。



〜終〜


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