見渡す限り色鮮やかな花が咲き乱れている花畑で、
「アハハ〜。お〜い、待てよ〜コイツゥ〜。」
などと聞いてる方が恥ずかしいことこの上ない台詞を吐きながら、
見ているほうが退いてしまうこと間違いないような幸せ丸出しのややキモい笑顔で、
サングラスに赤いジャケットの青年―近衛貴之は走っていた。
彼は鬼の剣技の使い手であり、青にしてすみれのオーマネームを持つ歴戦の戦士なのだが、
そんなことはひとっ・・・(ナレーションが溜めてます)・・・っかけらも感じさせない。
いかにも馬鹿丸出しの様子で走っている近衛のやや前方には、
「ウフフ・・・。隆之さ〜ん、早く〜。」
同じくとても幸せそうに笑いながら走っている長い黒髪の女性の姿があった。
バレッタで髪をまとめていて、膝丈の明るい色のワンピースがよく似合っている。
走る動作に合わせて、スカートの裾がヒラヒラ揺れる。
このまま前方から突風が吹けば、彼女の後ろにいる近衛はイイ物を見られ・・・ゲフンゲフン!!
ちなみに“貴之”なのに“隆之”と表記したことに関しては、
裏設定に忠実にしたまでで間違いではないのであしからず。
・・・ったく、ややこしいことだ。
しかし、ナレーションがぼやいたり咳き込んでいる間でも、
2人は幸せそうに追いかけっこを楽しんでいた。
すると追いかけられている女性が、
「隆之さ〜ん。もしわたくしを捕まえられたら、キスして差し上げますよ〜〜〜。」
と言ってきた!!
「な・・・なにぃぃぃ!!」
そしてその言葉は近衛の心に強い衝撃を与えた。
(そ、そんな・・・!付き合い始めてから何年も経ってるのに、
未だに恥ずかしがって自分からはなかなかキスしてくれないアイツが・・・!
アイツからキスだってぇ・・・!!
そりゃあ・・・そりゃあもう・・・ぜってぇ捕まえるしかねえじゃん!!)
女性から受けた衝撃を処理し、目を光らせて決意を固めた近衛は、
「よぉ〜〜し、捕まえちゃうぞ〜〜〜!」
心の中ではギラギラとした目をしていることを悟らせずこのまま楽しい追いかけっこが続くように、
あくまでも先程までと同じく幸せ丸出しな笑顔をしながら言った。
そしてそのまま走る速度を上げようとする。
・・・が、
「ウフフ〜。ほ〜ら、捕まえてご覧なさ〜〜い。」
―ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!
その前に女性はありえないくらい速度をアップさせた。
昔のアニメや漫画みたいに、足が渦巻きか雲になっているくらいに。
「は・・・はぁっ!?」
あまりに急な展開に、近衛はビックリして間抜けな声を出してしまった。
ほんの数秒前までは手を伸ばせば掴めるくらいの距離にいたのに、
今はもう、50メートルは離されてしまっている。
しかし、魅力的なご褒美が待っている以上、ここで諦めるわけにはいかなかった。
「待てぇぇ〜〜!!」
たかがお花畑での恋人同士の追いかけっこなのに大人気ないかもしれないが、
本気を出させてもらうしかない。
幸い脚の速さには自信がある近衛だったが、
「ウフフフ〜。アハハハハ〜。」
走っても走っても女性には追いつかなかった。
むしろ段々距離が離れていっている気がする。
それにも関わらず楽しげな声は途切れることなく聞こえてくるから性質が悪い。
「ぐぅっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・!」
ずっと全速力で走っている近衛は息が上がってきてしまった。
速度も段々遅くなっていく。
やがてついには女性の姿は地平線の向こうに消えてしまった。
「そ・・・そんな・・・。」
女性を見失ってしまったショックに、近衛の脚は止まってしまう。
そのくせしっかりと、
「オ〜ホッホッホッホッホッホ〜!!」
高笑いだけは地平線の向こうから届いてきた。
それを聞いた近衛はやるせなくなり、叫んだ。
「みおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――
このもやを切り裂いて〜Lonely Night〜
――ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・あ?」
気がつくと近衛は、天井を見上げていた。
そして起き上がって辺りを見回すと、
そこはカーテン越しの月明かりに照らされた、ふみこ邸の自分用に与えられた客室であり、
自分が今いるのはベッドの中。
ようするに彼は、
「夢かぁぁ・・・・。」
そう、夢を見ていたのだ。
「しかし、なんつー夢を・・・。」
最初は愛する恋人との微笑ましい追いかけっこだったのに、あのオチはあんまりだ。
時計を見て現在の時刻を確認してみる。
――“AM 3:13”
まだまだ真夜中である。
先程の絶叫で隣りの客室にいるメイを起こしてはいないかどうか、
そちら側の壁に耳を当てて探ってみるが、
「・・・・・・。」
特にこれといって物音がしないので、
メイの耳にはそれほど絶叫が入らず、起こしてしまうようなこともなかったのであろう。
それに安堵してベッドに戻り、寝る体勢になるが、
「・・・チッ。」
すっかり目が冴えてしまい、眠る気になれない。
しかも夢の中とはいえ恋人と共に楽しく過ごせていたのに、起きてしまったのは悔やまれる。
「はぁ・・・。」
深い深いため息を吐いて、日を遡って考えてみると・・・、
「・・・まだ3日しか経ってねぇし・・・。」
この世界に来て・・・いや、彼女から離れてそのくらいの日数しか経っていないのに我ながら呆れ返る。
まだ3日しか経っていないのに、夢にまで見るほどか?
それでも夢で見た彼女の笑顔を思い出すと、
「・・・だぁ〜もぉ、くそ〜・・・。」
今すぐにでも会いたくてたまらなくなる。
ホームシックにも程があるだろう?と我ながら思ったりもするのだが、
事実だから仕方がない。
ベッドの上でうめきながらも彼女の顔が脳裏をかすめ、やがて、
『捕まえられたら、キスして差し上げますよ』
とまで言ってきた。
そしてそのまま『キス』という言葉だけが彼女の声で何度も響き渡り、
「だぁぁぁぁぁっ・・・!!」
近衛の心にトドメを刺していく。
ベッドの上で頭を抱えて転げ回っていた。
この状態があんまり続くと、近衛は気が滅入って壊れてしまう!
そうなっては困るとばかりに、近衛はベッドサイドへと手を伸ばした。
そして目的の物を掴むと、
「・・・フ〜ッ。」
中からタバコを1本取り出し、火を付けて吸い始めた。
――コン、コン。
それから時が流れて朝になり、大分日が高くなった頃扉を叩く音が聞こえたので、
「はい。」
近衛が返事をする。
ちなみにあれから寝付くまでに時間がかかってしまったので、寝不足気味なのだが、
そんなことは微塵も感じさせない。
すると、
「小夜です。お部屋の掃除に参りました。入れていただいてよろしいでしょうか?」
この家のメイドである、結城小夜の声が返ってきた。
「ああ、うん。・・・どうぞ。」
見られて困る物はないかどうかとりあえず辺りを1回見回してから、近衛は小夜に入室の許可を出した。
すると小夜は、
「失礼致します。」
と礼儀正しく言って入ってきた。
そしてすぐさま、
「・・・ん?」
違和感に気付いた。
そのまま何かを探すように辺りを見回すと、
「あ・・・たばこ、ですね?」
火の付いたタバコを咥えている近衛に目を留めた。
「ああ・・・うん。臭ってた?」
そう答えながら近衛はタバコを灰皿に押し付けて火を消した。
「はい。普段とは違う臭いがしましたので。・・・あれ?」
小夜は話し掛けながら近付き、そして近衛がたった今揉み消したばかりの吸殻に目が行く。
「このたばこ・・・まだ随分と長いです。よかったのですか?」
小夜の脳裏に記憶している喫煙者―探偵の日向玄乃丈は確か、もう少し短くなるまで吸っていたと思う。
光太郎と共に探偵事務所を起こし、そして禁煙をし始めるまではそれこそ持てる限界まで大事そうに吸っていた。
だから小夜の脳には、“タバコはある程度までの長さになるまで吸うもの”としてインプットされている。
なので不思議に思ったのだ。
すると近衛は何でもないとでも言うように手をヒラヒラさせると、
「いいのいいの。
タバコは女性と子供の前では吸うもんじゃないからね。」
と言って笑顔で説明した。
説明を聞くと小夜は今度は不思議そうに首をかしげ、
「そうなのですか?」
と訊ね返す。
その可愛らしい仕草に近衛は頬を緩めると、
「そう。
良くないものが入ってるから体が完成しきっていない子供には成長に悪影響を与えてしまうし、
女性がタバコを吸い過ぎてると、元気な赤ちゃんが産まれなくなってしまう可能性が上がる。
直接吸っていなくても煙を吸っているだけでも影響はあるから、
タバコを吸う人間は時と場所と相手を考えて吸わないとね。」
俗世に疎い小夜のために丁寧に説明してあげた。
その説明を聞くと小夜はいたく感心し、
「そうなのですか!
それでは近衛さんは、私の身を案じてタバコを消したのですね!」
と言って感心し、目を輝かせている。
その様を見て近衛は照れ臭くなり、
「ま、まあ・・・そうだね。そうとも言うかな。」
と言って、照れ隠しに窓を開けて換気をする。
その際に入ってきた空気が小夜の髪を数本浮かび上がらせる。
それを見た近衛は何かを企み、
「それにね、タバコは色んなところに匂いを残すから・・・、」
小夜の髪を一房持ち上げると、
「せっかくの小夜ちゃんの髪のいい匂いを消しちゃうと困るからね♪」
と言って、小夜の髪を自らの髪に近づけて香りを楽しむ。
その瞬間は何が起きているのかわからなかった小夜だが、
「ふっ、ふふふ・・・不潔です!!」
事の重大さに気付いた小夜は、強烈な右ビンタを放った。
「あたぁ・・・!やっぱりいいビンタを持っていることで・・・。」
小夜のビンタを左頬に受けた近衛は、頬を抑えて痛みに耐えていた。
・・・若干、嬉しそうなのが引っかかるが。
しかし、その理由について分析する余裕がない小夜は、
「い、一体何をなさるんですか貴方は!!」
真っ赤な顔で怒鳴り始めた。
「いやぁ、そこに綺麗な髪があったからね。」
近衛は笑いながら説明するが、それでは言い訳にはならない。
全く反省していなさそうな近衛に対し、小夜はさらに言葉を重ねる。
「だからといって、女性の髪をむやみやたらに・・・その・・・えっと、
に、匂いを嗅ぐとはどういうことですかっ!!」
「いやぁ、ついつい。」
「“つい”、じゃありません!大体、貴方はこの前も喫茶店で・・・、」
怒りに震えている小夜の声を聞きながら、
(あー・・・こういうやり取りしてると、アイツを思い出すなぁ・・・。
アイツの声聞いてないなぁ・・・元気かなぁ・・・。)
と、元の世界に置いてきた彼女のことを思い出した。
そして、彼女の姿をそのまま目の前の小夜に重ねる。
彼女と小夜に似ているところがあるのだろうか?
次第に目の前の小夜が、彼女そのものに見えてきて・・・。
「・・・やばい。」
「・・・は?
何がその・・・“やばい”のですか?」
ヘラヘラした笑みを急に収めて真剣な表情でそう呟いた近衛に、
小夜は怒るのをやめて、心配そうに訊ねた。
するとその小夜の心配そうな表情を見て、
「・・・はっ!」
我に帰り、慌てて言葉を繋げる。
「あ〜、いや〜、全然何でもないよ!
ただ、ちょっと、いたずらし過ぎたな〜と思ったりね、うん!」
近衛のしどろもどろな物言いに、小夜は今度は困ったように首をかしげ、
「そ、そうなのですか?
わかってくださったのなら、結構です・・・よくわかりませんが。」
「う、うん!許してくれたのならよかった!!
ごめんね〜、本当に!!」
「はあ・・・。」
何で急に近衛の態度が変わったのか不思議でならなかったが、
謝ってくれたのでとりあえずは良しとする。
しかし、いつものスマートな感じの謝り方ではないのがやはり気にはなるが、
「じゃ、じゃあ俺、小夜ちゃんの仕事の邪魔をするのもなんだから出かけてくるよ!
お掃除ありがとう、よろしくね!!」
と言って、そそくさと逃げるようにしてその当人が部屋から出て行ってしまったので、
真相の追究が出来なくなってしまった。
なので代わりに、
「い、いってらっしゃいませ・・・。」
と、部屋から出て行ってしまって届くわけもないのだが、いちおう見送りの言葉をかけた。
ふみこ邸の敷地内から出た近衛は、
「あ〜・・・やばかった・・・。」
と言って、ようやく一息ついた。
「だってなぁ・・・あんなに似てるんだもんなぁ・・・アイツに。」
そう。
小夜と自らの恋人を重ねて見てしまった近衛は、
欲望に駆られて彼女ではなく小夜を抱きしめてしまう所だったのだ。
小夜と彼の恋人はそうなるくらいに似ているのかもしれないが、本当にやったら大問題である。
「危ない危ない。未遂に終わって本当によかった・・・と。」
一息ついでに一服したい。
一服して、煙と共にアイツの姿も消さなくては・・・。
そう思いジャケットの胸ポケットを探るが、
「あちゃ〜・・・。」
そこに入っていたタバコの箱の中に、タバコは1本も入っていなかった。
そういえば、先程小夜の目の前で消してしまったのが最後の1本だった気がする。
「俺としたことが・・・。」
別にタバコには大して思い入れがないのだが、いざ吸おうと思ったときにないととても残念である。
手にしたタバコの箱をくしゃっと握りつぶし、新しく買うべきかどうか考えていると、
「あれ、貴之さんじゃん!どったの?」
背後から元気の良い少年声が聞こえてきた。
振り返ると・・・、
「やあ。おはよう、光太郎。」
この世界に来て知り合いになった探偵コンビの片割れ―玖珂光太郎の姿があった。
「へぇ〜。貴之さんもタバコ吸うんだな〜。」
傍らを歩く光太郎が感心したように言ってきた。
近衛は特に予定がなかったので、探偵事務所に行くという光太郎を見送りがてら散歩をすることにした。
そして、そのついでに光太郎にタバコ屋の場所を案内してもらう。
ついさっき切らしたタバコは近衛の好みのものではないのだが、
以前欲したときに売っていたのはそれぐらいしかなかったので仕方なくそれを選んだ。
近衛好みのものはどうやら自販機では売っていないらしいので、あとはタバコ屋を当たってみるしかない。
「何?吸ってみたいかい?
でも、二十歳を越えるまではダメだぞ。」
近衛はこちらを見上げている光太郎にやんわりと注意をした。
すると光太郎はムッとして、
「わーかってるよ!
若いうちから吸ってたら背が伸びなくなるし、何より健康に良くねぇ!
ただ、意外だなって思っただけだよ。」
「え?何で?」
光太郎の言葉を聞いて、近衛は目を丸くして尋ねた。
それに対して光太郎は、自分が浮かべた疑問に自信がないのか少し言いよどみながら答える。
「あ〜・・・なんつーか、ただの勘なんだけどさ。
“吸わなきゃ生きてけない!”っていうほどタバコ好きって感じはしないし、
すぐ近くにメイちゃんがいるのに遠慮なく吸ったりしそうにないな〜って。
おっさんも“子供の前で吸えるか”っつってタバコやめたからさ、
貴之さんも同じようなこと考えてそうだな〜って・・・。
・・・まぁ、あくまでもなんとなくで、勘でしかないんだけどさ。」
「へぇ〜。なるほどねぇ・・・。」
光太郎の答えを聞きながら近衛は感心していた。
光太郎は他人をよく見ている。
こうまで勤勉で観察力に優れている様子を見ていると、ついでに1つ知恵を授けてやりたくなる。
「光太郎はよく観察できているな。
確かに俺はヘビースモーカーではないし、女性や子供の前では吸わない。
では、そんな俺がタバコを欲しているのは何故でしょう?」
近衛に問い掛けられ、光太郎は答えを出そうと頭を捻るが、
「・・・すまねぇ、わからない。」
しばらくしても答えが見つからず、降参した。
「ははは。別にわからなくても謝る必要はないよ。」
光太郎の素直な様子に微笑ましくなり、思わず笑みがこぼれた。
そして今度は種明かしをしてやる。
「実はね、俺ホームシックみたいで、事あるごとに元の世界に置いてきた彼女の顔が浮かんできてね。
それを紛らわすためにタバコに手を出したのさ。」
「ええ〜っ!
近衛さんがホームシック・・・ってそれより、タバコで気を紛らわすって、
それで紛れるのかぁ〜?」
近衛の言葉に、光太郎は目を見開いて驚いた。
先程と変わらない素直なリアクションに、近衛の口元から再び笑みがこぼれる。
「あ〜、そうだなぁ、結局は人それぞれだけど、
タバコには一種の麻薬がほんの僅かだけど含まれてるから、それが気分転換させてくれるし、
香りも強いから、無理矢理にでもこっちの世界に意識を引き戻してくれそうだからね、それで。
彼女の前ではタバコを吸いたいとは思わないから、
吸いたがっているのは彼女がいないからだよ、うん。」
近衛の説明が終わると、光太郎は眉間にしわを寄せて渋い顔になった。
「う〜ん・・・俺はタバコを吸ったことがないからよくわからないが、そういう理由もあるんだな、うん。」
「まぁ、無理にわかる必要もないさ。
吸わずに済むならそれに越した事はない。」
「確かに、そりゃあそうだわな・・・っと、ここだ。
この店なら色々置いてあるし、おばちゃんも親切だぜ!」
光太郎が示す店を見てみると、店内中には所狭しとタバコの箱が置いてあり、
種類も自販機とは比べ物にならないほど充実している。
「なるほど、確かに目的のもが見つかりそうだ。
ありがとう。恩に着るよ、少年。」
近衛は満足気に礼を述べた。
光太郎は近衛の礼の言葉をにこやかに受け止め、
「良いってことよ!
その代わり、吸いすぎないようにな。気晴らし用の話し相手には、いつでもなるからさ。」
と、しっかりと釘を刺してきた。
近衛もまた、それをしっかりと受け止める。
「わかってるよ。メイに見つかると色々うるさいし・・・。
あ、光太郎、メイには内緒で頼むな、きっと止められるから。」
「はいよ、了解!じゃ、俺はこれで。」
2つ返事で即答すると、光太郎は元気に手を振ってこの場を後にした。
「ああ!サンキューな!」
近衛も元気に手を振りかえすと、身を翻して店の戸を開けた。
それから十数分ほどして、
「ありがとねぇ〜。」
お店のおばちゃんの声を背に受けながら、近衛はタバコ屋から出てきた。
目的のタバコがめでたく見つかり、カートンで買うべきか迷ったが、
あまり吸いすぎて常習性がつくのはよくない。
だから、2箱だけ購入してスラックスと胸のポケットに1箱ずつ入れた。
時間はまだまだ昼を少し過ぎた頃で、相変わらず本日は特に予定がない。
「なら・・・。
せっかくだから散歩がてら情報収集といきますかね。」
こういった何もないときに何となく仕入れた情報が意外なところで役に立ったりする。
何でもないと思うような小さな情報でも、無駄にはならないのだ。
呟いて次の行動を定めた近衛は人が多い方―とりあえず、大久保駅に向かって歩き出した。
大久保駅前。
東京市庁のお膝元、新宿駅の隣りにあるここは、
昼間だと言うのに巨大なパチンコ屋のネオンが眩しく輝く。
反対側の駅口は古いアパートや小さな飲食店が並ぶ静かなところなのに、
建物1つ隔てただけでこの違いようだ。
近衛は巨大なネオンを物珍しそうに見上げた。
(うわ、随分と派手だねぇ・・・。
俺たちの世界はちょっと前までドンパチやってたから、
こんな馬鹿でかいネオンなんて作ってる余裕なかったのに。)
見上げるネオンは派手なだけでセンスがない。
これなら、彼女と共に見上げた星空の方が圧倒的に綺麗だ。
(いや・・・、本当に綺麗だったのは・・・。)
本当に綺麗だったのは。
星空を見上げて、子供のように無邪気に笑っている愛しい彼女。
正直、彼女の顔に見惚れるばかりで、星空なんて大して見ていない。
(未央・・・。)
「・・・と、いかんいかん。」
こんな派手なだけのネオンごときで、離れた世界にいる彼女を思い出して寂しくなり、
またホームシックになりそうになっていた。
より鮮明に浮かび上がろうとする彼女の顔を、近衛は先程買ったばかりのタバコに火を付け、
一息吸い込むことで打ち消そうとする。
「・・・悪くないな。」
彼女と付き合い始めてからタバコは吸わなくなっていたので、近衛がこのタバコを味わうのは数年ぶりだ。
彼女の顔を打ち消したその味は、思いの外美味く感じた。
「さて。気分も変わったところで、情報収集情報収集。」
タバコを1本吸って気分転換を図った近衛は、そのタバコの火を揉み消して携帯灰皿に入れると、
近くを歩く女子高生の集団に声をかけた。
突然見知らぬ男に声をかけたられたため、女子高生達は警戒していたが、
あくまでも紳士的な接し方をしてくる近衛と二言三言交わすうちに、打ち解けてきたようだ。
そして、見てくれもよく対応も大人な近衛に必要以上の興味を持とうとしている者もいた。
しかし近衛は心に決めた女性がいるので、その少女の意を察しながらもきちんと対応し、
少女達から話を聞くと手を振って穏便に別れを告げた。
「ふう・・・最近の娘は進んでいることで。」
近衛が話した女子高生達は化粧もずいぶんと大人びていて、
身に付けているアクセサリー類にはブランド物もいくつかあった。
それに何より、あの年頃独自の初々しさというか、純朴な感じがない。
「・・・いや、違うか。アイツがウブ過ぎただけ・・・か。」
そう、違う。
あちらの世界にもつい先程の女子高生みたいなのがいないわけではないし、
そもそも近衛の判断基準が少女の頃の―付き合い始めた頃の彼女になっていたのだ。
あのときの彼女は男に免疫がなくて、肩に手を置いただけでも身を硬くしていた。
化粧っ気なんてなかったし、男を知らないというか純朴そのものだった。
純粋な彼女に合わせていてはなかなか2人の距離は縮まらなかったが、
何かある度に大きな反応を示してくれるのがとても楽しかった。
2人で色々な経験を重ねていって、すっかり大人の女性になった今の彼女に何の文句はないが、
あの少女だった頃が少し懐かしくなってくる。
「・・・って、おいおいおいおい・・・。」
そこで近衛はまた彼女との思い出に囚われて動けなくなりそうになっているのに気付いた。
こんなにすぐにタバコの力を借りなければならなくなっている自分に呆れながらも、
2本目のタバコに火を付ける。
深く吐き出した紫煙は彼女の少女時代の姿を包み隠した。
「さぁ、いくぞ。近衛貴之。」
近衛は元の世界の本当の名前ではなく、あえてこちらの世界での仮の名前で自らに呼びかけると、
新たな情報提供者を求めて歩き出した。
今度はあちこちに足を運ぶ女子高生ではなく、いつも同じ場所で働いている社会人に聞いてみることにした。
近くにあったCDショップに入り、カウンターにいた壮年の男性に尋ねてみる。
そのとき店内には、売れっ子アイドルのノリの良い恋愛ソングが流れていた。
いや、ノリの良いというか、ノリと言葉遊びしかない感じでストーリー性もへったくれもない。
(まぁ、こういう歌が必要な人もいるだろうしな・・・。)
そんな感想を持ちながらも壮年の男性と言葉を交わす。
この男性からは目ぼしい情報を得られなかったので、今度は他の店員に声をかけようと店内を巡る。
その間にも例の恋愛ソングは耳に届くが、
(そんなことで幸せになれたら苦労しねーよ。)
恋愛ソングの歌詞の内容の酷さに思わず毒づいてしまう。
全く、自分が今の彼女と出会うまでにどれくらい苦労したのか、少しは考えたことがないのかこの作詞者は。
国語の成績悪かっただろう、絶対!
歌う方も歌う方だ!ちょっとくらいは歌詞の意味を膨らませて歌えよ!
つーか、1番おかしいのは発売元だ。
こんな曲を世に送り出すなよ、考えろ大馬鹿が!!
(恋愛なんてなぁ・・・そんなに簡単じゃねえんだよ!!)
近衛は愛する彼女との出会いから今日までを思い出していた。
出会った頃は顔を見るたびに何故か酷くむかついて、悪意の込もった言葉を投げかけては何度も後悔したし、
その気持ちの理由がわかった後は、何と言って自分の気持ちを伝えれはいいのか悩みに悩んだ。
彼女を戦場へ送る度に泣きたくなったこともあったし、
敵に囲まれ窮地に陥ってしまった彼女を、命令無視をしてまで助けに行ったこともある。
全精神力を用いて彼女に告白し恋人同士になったらなったで、
冷やかすのに命をかけたような集団に何度もデートを邪魔されたり、
喧嘩をしては何日も口を聞いてくれなかったこともあったり。
今は今で世界を守るために、彼女を置いてこんな遠い所まで来なくてはならなくなっている。
ホークシックになってしまっている俺のことも考えろチクショウ!
(あ・・・。)
そのとき、たまたま手に取ったCDケースにヒビが入ってしまっているのに気がついた。
つい熱くなって、持つ手に力を込めてしまったのだ。
しかもそのCDのタイトルは“演劇に役立つ!効果音全集A 学校・楽器の音”。
(つ、使わねぇ・・・。)
しかし、わざとではなかったとはいえ、壊してしまったものは責任を取って購入しなくては申し訳ない。
(まぁ・・・図書館かどっかで引き取ってくれればいいか・・・。)
そう心の中で呟き、近衛はそのCDを持ったままカウンターに向かった。
そして、少し肩をしょげらせながら店を出て、
「ちょっと頭冷やそう・・・。」
3本目のタバコに火をつけた。
鼻腔をくすぐる深い香りは、ささくれた近衛の心を紛らわせてくれた。
3本目を咥えながら今度はどうしようかボーッとしながら考えていると、
「・・・っと。」
スラックスのポケットに入れていた携帯電話がブルブルと震え出した。
取り出して開いてみると、そこには“七城メイ”と表示されていた。
話の邪魔になるので火を付けたばかりの3本目を揉み消して携帯灰皿に入れ、
そのまま携帯電話を耳に当てると、
「はい、こちら貴之。どうした、メイ?」
電話の向こうの相手に呼びかけた。
『あ、貴ちゃん?
あのね、これから探偵さん達の事務所で、光太郎お兄ちゃんのお友達の送別会をやるんだって。
大勢で見送ってあげたいから、私と貴ちゃんも来てくれって。』
「光太郎の友達が・・・?」
(まさか・・・例の奴じゃないだろうな?)
こちらの世界に来る前、友人のニーギ・ゴージャスブルーから聞いていた人物の情報が頭を過ぎる。
光太郎のためならば自らが所属する組織すら平気で裏切るような人物だが、
散々自分と自分達の世界を苦しめてきた組織の一員であることには違いない。
そんな人物がどこかに行くのを、わざわざ見送ってやる必要はない。
だが、
(考えすぎかな?まぁ、光太郎の前では悪さしないようだから、いいか。)
会ったこともない人物の情報だけを鵜呑みにして、嫌悪するなんて自分らしくもない。
とりあえず、会ってみてから考えることにした。
「わかった、今すぐふみこ邸に戻るよ。
そうだなー、お土産にシャンパンとケーキでも買っていくよ。
せっかくだから丸いケーキを皆で囲もうか!」
すると電話の向こうでは、
『わ〜い!丸いケーキは初めてです〜♪』
ケーキ1つで大喜びする少女の声が聞こえた。
『それじゃあ、楽しみにしてるね!』
「ああ、それじゃ。」
嬉しそうな少女の声を聞いてから近衛は携帯電話を切り、駅前のケーキ屋へ歩き出した。
そしてふと思う。
(離れた場所でもこんなに綺麗に会話できるなんて、こっちの世界は便利だねぇ。)
近衛がいた世界の携帯電話はこちらの世界ほど普及しておらず、しかも値段は1台で10万円はする。
だから離れた相手と会話をするなら公衆電話か無線が基本だが、
公衆電話は数が少なくて場所によっては破壊されていることもあるし、
無線は雑音交じりで、ここまでクリアには聞こえない。
(こっちとあっちを繋ぐ電話なんてあったりすればな・・・。)
せめて声だけでも聞こえたら、自分のホームシックもいくらかマシになっているのだろうか。
(・・・いや、声だけで姿が見えないっていうのも、それはそれで健康に悪そうだ。)
そんな取り止めのない思考になり、またしても近衛は彼女の顔を思い出した。
そしてまた、どうしようもない自分に嫌になりながらも、近衛は4本目のタバコを口に咥えた。
その後探偵事務所で行った送別会で知り合った皆と騒ぎ、その間は寂しさも落ち着いていた。
メイには匂いで喫煙がバレはしないか心配だったが、なんとかバレずに済んだようだった。
しかし、その夜・・・。
「・・・ん?」
近衛はただ白いだけで何もない場所にいた。
そして目の前には、
「隆之さん。」
胴着姿の、付き合い始めたばかりの頃の彼女の姿があった。
すぐに夢だとわかったが、せっかくの彼女の再会をこのまま終わらせたくはない。
「何、未央?」
そのまま彼女との会話を楽しむことにした。
すると愛しい彼女―未央は眉間にしわを寄せ、ムッとした表情になると、
「隆之さん、貴方はわたくしと同じ未成年でしょう?タバコを吸ってはいけません!」
「えっ・・・?」
未央に言われて近衛が自らの姿を確かめると、自分は学兵の制服を着ていた。
自分を睨みつける青い瞳に映るのも、もれなく自分がまだ若かった頃の姿だ。
そういえば昔、そんな会話もしたな。
そしてこの後自分が言ったことは・・・、
「そうだな・・・体にも悪いし、未央の髪に臭いが移るのも嫌だからやめるよ。
でも、口寂しくて我慢できなくなるとまた吸っちゃうだろうから、代わりに・・・。」
「代わりに?」
「キスさせて。そうしたら口寂しいのなくなるだろうから。」
すると彼女は頬を真っ赤にし、その後は・・・。
「って・・・おいおいおいおい・・・。
何でそこで目が覚めるんだよ、俺は〜〜〜〜!!」
残念ながら、1番良い所で目が覚めてしまった。
その後どんな展開になったかはもちろん良く覚えているが、できれば再現させて欲しかった。
「あ〜・・・くそ〜。」
悪態をつきながら頭をガシガシとかき回し、ベッドサイドに置いてあるタバコの箱を取ろうとする。
しかし、
「・・・あ。」
タバコの箱は空だった。
続いて灰皿を見ると、結構な量の吸殻が目に付く。
客室に帰った後結局また何本か吸ってしまい、今日1日だけ(正確には半日くらい?)で、
1箱空にしてしまったのだ。
灰皿の脇にはまだシェリンクが破られていない新品の1箱がある。
その箱を取ろうとし手を伸ばすが、
“隆之さん、タバコを吸ってはいけません!”
先程夢の中で言われた言葉が耳に甦ってきた。
それを聞いて1度手が戻るが・・・、
「・・・無理だ。」
そう呟くと再び手を伸ばし、タバコの箱を取った。
そしてシェリンクを破って封を切り、1本取り出し口に咥えて火を付ける。
「フゥ〜・・・。」
深く息を吐くと、白い煙が宙に漂った。
その煙を見ながら改めて思う。
今の自分は心身ともに二十歳以上だ。
だから喫煙を咎められるようなことはない。
それでも彼女と自分の健康のために喫煙はやめていたのだが・・・、
「無理だよ、お前さんの姿を忘れるなんて。
こんなものの力を借りてじゃないと、どうにもならないさ・・・。」
彼女の姿を思い出してホームシックにかかるなんて、なんて健康に悪いことか。
これ以上にこの症状が悪化してしまうのなら、自分は寂しくて気が狂う。
そうなるくらいなら禁煙の約束を破るくらい、仕方がないと思う。
彼女の元に帰ったとき、タバコ臭いと咎められるのだろうが、
「お前さんが俺をホームシックにさせるからだそ。責任とってどうにかしなさい!」
そんな一方的な文句で自分を正当化させた。
そして目の前に広がる白いもやの向こうから、彼女が自らの手を引っ張って、
この白い世界から一刻も早く連れ出してくれないかと、心の底から願った。
〜〜終〜〜
この話はポルノグラフィティの「ヒトリノ夜」を聞いてから浮かんできました。
どうも最近、ポルノの曲で話を作るのがマイブームみたいです。
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