滝川陽平には不思議に思うことがあった。
幻獣達に追われて熊本から撤退し、遠い下関の地で待機を命じられて2月ほどが経ったとき。
戦友でありクラスメートの壬生屋未央が戦闘で負った傷が癒え、退院してしばらく経った頃のことだ。
つい数時間前、滝川は整備員の森に買出しを頼まれ、司令代理の瀬戸口と共に近くの商店街へ行った。
森は東京の整備学校へ行った事務官の加藤の代わりに帳簿を預かっている。
その森と恋人同士である自分は、こうした雑用を頼まれることが多いのだ。
“待機”といっても、今は幻獣が出てこない自然休戦期であるため特にやることがなく暇をしていたので、
頼まれることは全く苦ではない。
そのせいか、買出しは何だかあっという間に終わってしまった感じがする。
しかし、そう感じる理由はそれだけではないのだ――。
「――あぁっ!!」
大きな紙袋を抱えて歩いていると、前方に熊本時代に見た顔を見つけた。
だからといって、親しい相手ではなくむしろその逆。
壬生屋の前の学校のクラスメート達だ。
彼らは全員が全員素行が悪く、その上体系が良いというかゴツい。
見る者を圧倒させる風貌なので、今も偶然近くを通りがかった親子が彼らを避けるように早足で歩いていく。
滝川が熊本にいた頃、彼らがこういった商店街でたむろしているのを何度も見かけた。
どうも彼らは壬生屋とクラスメートだったときに彼らの仲間が手酷い怪我を負わされたとかで、
そのときの借りを返そうとして壬生屋と出くわすのを待っているらしい。
・・・手酷い怪我、というのも壬生屋が狼藉を働かされそうになったが故に返り討ちにしたためなので、
逆恨みもいいところだが、女にやられたというのがよほどショックだったのだろう。
壬生屋が転校した後でも気が晴れずに、わざわざケンカを売りに来ていたのだ。
ちなみにそれは、目の前にいる彼らだけでなくさらに前の学校とさらにその前と・・・まあつまりいっぱいいる。
壬生屋が毎度毎度違う制服の男達にケンカを売られて買っているところを見ることも少なくなかったのだ。
でもまさか、熊本から遠く離れた下関の地でも執拗にケンカを売りに来るとは思わなかった!
そして今自分の隣にいるのは壬生屋の恋人である瀬戸口。
彼らがそのことを知っていて、それで瀬戸口に因縁を付けられるのはマズい。
ケンカ・・・いやいや武道の達人である壬生屋がいないのに、
この素行の悪い男達にケンカを売られて無事でいられるかどうか・・・。
知らぬ間に滝川の足がすくみ、奥歯がカチカチとなった。
「どうした、滝川?」
そんな滝川の様子が気になり、瀬戸口が滝川の顔を覗き込んだ。
その響きの良い声はやはりこの商店街の中でも響きが良い。
思いの外大きく聞こえたその声に焦り、
「しー!瀬戸口さん、静かに!」
人差し指を口の前に持ってきて、小声だが必死になって瀬戸口に静かにするように言う。
しかし、
「は?急にどうしたんだよ?」
瀬戸口はその気持ちを汲んでくれない。
声量はさっきと変わらなかった。
それどころか焦りのためにより大きな声で聞こえてしまい、滝川はさらにパニくる。
パニくったので、
「あ、ああああ、あそ、あそこに!熊本時代に壬生屋にいちゃもんつけてた奴らがいるんですよ!!」
滝川本人の声がつい大きくなってしまった。
言ってしまってからそのことに気づき、滝川が大慌てで口を塞ぎながら青い顔になる。
「ふむ。」
とか言いながら瀬戸口が男達を見るのと、
「あぁ?」
とか言いながら男達がこちらを振り向くのがほぼ同時だった。
互いの顔を見つめあう瀬戸口と男達。
(ああ!ヤッベェ・・・!!ぜってーからまれる〜〜!!)
と、滝川は心の中で頭を抱えて右往左往するのだが、
「ひ・・・、」
その怯えを含んだ声は滝川でも瀬戸口でもなく、
「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!」
素行の悪い男達の声だった。
「へ・・・?」
その声に我に返った滝川が呆然として男達を見ると、
男達は瀬戸口から背を向けて蜘蛛の子を散らすように我先へと逃げていくのだった。
絶対に絡まれると思った。戦争中とは違う意味で命の危険を感じた。
しかし実際にはそうならず、素行の悪い男達は何故か怯えて逃げていった。
男達はまるで瀬戸口に恐れをなしたように見えて。
一体どういうことなのだか本人に尋ねてみたのだが、
『さぁ?腹でも痛くなったんじゃないか?』と流されてしまったので、
男達を見たという報告も含めてこの件の元凶である壬生屋に尋ねてみるのだった。
グラウンド土手でトラックを走る学兵達を見下ろしながら並んで座る。
滝川が商店街での出来事を話すと、
「あら、そんなことがあったんですか。」
意外や意外、困ったように笑うだけだった。
てっきり眉間に皺を寄せ“またあの方達ですか・・・”とでも言うかのような表情になるかと思ったのだが。
壬生屋本人がのほほんとした様子でちっとも危機感を感じていないようなので、
「そんなことって・・・。
壬生屋、あいつらはまだお前を狙ってるってことだぜ。
病み上がりなんだから、用心しないと危ねぇんじゃねぇの?」
と言って忠告するのだが、
「大丈夫ですよ。
そのようなことがあったのなら、もう彼らがわたくしを狙うようなことはありません。」
壬生屋は滝川を安心させるように微笑むだけだった。
「だけどさぁ・・・。」
それでも釈然とせず、滝川は口を開くが何と言えばいいのかわからずに困りだす。
頭をひねり出してどうにかなけなしの知恵を出そうとしている滝川がおかしくて、
つい笑ってしまいそうになるのを堪えると、
「滝川君、心配してくださってありがとうございます。」
ここまで自分を心配してくれる戦友に心からの礼を告げた。
そして、何故心配要らないのか説明することにする。
「何故心配要らないのか、今からご説明致します。
でも・・・本人があまり口外して欲しくなさそうなので、言いふらさないように。」
「ああ、わかった。新井木みたいに噂話になんてしねぇよ。」
滝川が壬生屋の忠告に頷くと、壬生屋は語りだした。
それは一週間前、瀬戸口と散歩に出たときのことだった。
壬生屋本人の怪我は回復したので『なんでもないですから!』と言うのだが、
退院後の壬生屋を気遣う瀬戸口からの強い要望であまり遠出をせずに
駐屯所から歩いて10分程度の公園まで来てみたところ、
「うわっ!」
「!!」
瀬戸口が、背後から突然現れた素行の悪い男に羽交い絞めにされる。
壬生屋が辺りを見回すと、同じく素行の笑い男達が自分達を囲んでいる。
羽交い絞めにしている男と囲んでいる男達を合わせて、だいたい20人くらいか。
「おっとっと、おいおい。引っ張るなよ。」
「うるせぇ、てめえは黙ってろ!」
羽交い絞めにされた瀬戸口はずるずると引きずられ、壬生屋を取り囲んでいる円の中から出される。
壬生屋が静かにその光景を見送っていると、
「よお、久しぶりだなぁ。」
壬生屋達を囲んでる男達の中から、リーダーと思われる男が1歩踏み出してきた。
着ている制服の乱れはもちろんのこと顔つきからにじみ出る雰囲気まで、他の男達よりもずっと素行が悪い。
壬生屋はリーダーを含めた男達全員に見覚えがあった。
5121に配属される何校か前の学校で、自分に狼藉を働こうとしたので返り討ちにしてやった者達だ。
リーダーの男は下卑た笑いを浮かべるとポケットからナイフを取り出し、
「てめぇにやられた子分の傷、ようやく回復したようでなぁ・・・。
てめぇに直接借りを返さねぇと気がすまねぇって言うから、全員連れてきてやったぜ、ヒヒヒヒヒ・・・。
今日はてめぇがヤラれる番だなぁ・・・おい!」
リーダーの男が品の無い声で前フリを言い、合図を出すと、
「っしゃあ!!」
「くっくっく・・・。」
「あの時の痛み、忘れてねぇぞ!!」
壬生屋を取り囲んでいる男達は数人が何かを叫んだりしながら、武器を取り出して臨戦態勢に入った。
ナイフ、バット、鎖・・・。
学兵とはいえここまで素行の悪いのに銃を支給するような隊がいないようでよかったが、女1人に随分本気すぎないか?
いや、壬生屋未央は壬生屋流暗殺術の使い手。
かつて返り討ちにされて痛い目にあった彼らには、これくらいの準備がなければ勝機が見出せないことがわかっている。
流石の壬生屋でも、こんな素行が悪くて屈強な男達に囲まれたら流石に恐怖を覚えるかと思いきや、
「貴方達、まだ懲りてなかったのですね・・・。」
恐怖どころか緊張もしておらず、型を構えることすらせずにあきれたような声で言った。
そんな余裕綽々の様子にイラッときた誰かが、
「スカしたツラしやがって・・・!
おいアマ!そっから一歩でも動いたらこの色男がどうなっても知らねぇぞ!」
と叫びながら円から離れ、瀬戸口の喉元にナイフをちらつかせる。
しかし、それでも壬生屋は慌てた様子も怒りも露わにするようなこともなく、
「・・・だそうですよ、瀬戸口さん。」
「そうみたいだな、壬生屋。」
羽交い絞めにされたままの瀬戸口となんだか呑気な口調で話していた。
その口調と態度に男達は自分達が完全になめられていると悟り、怒りに震える。
鎖が揺れてチャリチャリと音を立てていたり、バットをガンッと地面に叩きつけたりしていた。
もう今にも飛び出して壬生屋に襲いかかりそうだ。
同じく怒りが収まらないリーダーの、
「構うことねぇ!!おめぇら全員、やっちまえーーーー!!!」
という大きな掛け声と、
壬生屋と瀬戸口の、
「とりあえず、わたくしはどうしたらいいですか?」
「とりあえず、あいつらに言われたとおりそこでじっとしてて。すぐに迎えに行くよ。」
という相変わらず緊張感の欠片も無い会話が同時に放たれた。
そしてそれからすぐに、
「「「「「「「「「おおーーーーっっっ!!!!」」」」」」」」」
男達が雄たけびを上げて壬生屋に襲いかかった!!
男達は壬生屋めがけて武器を振り下ろした。
執念で強化されしっかりと定められた狙いは完璧だった。
攻撃された壬生屋はただじゃ済まないだろう。
男達は、そこに壬生屋が傷つき倒れこんでいるところを想像した。
だがしかし、
「い?」
「あ?」
「・・・へ?」
そこに壬生屋の姿は見えなかった。
馬鹿な、確かに全員で全周囲を囲み退路などなかったはず・・・!
「ど、どこいきやがった!!」
壬生屋がどこに行ったかがわからずに、男達が辺りを見渡す。
すると、
「ちょっ・・・おお、降ろしてください!」
男達から離れたところ、公園の隅の方で壬生屋のうろたえたような声が聞こえた。
全員がバッと大急ぎでそちらを振り向くと、
「はいはい、わかりましたよお姫様。」
公園の隅に置かれた土管の上に瀬戸口が壬生屋をお姫様抱っこしながら立っており、
照れて真っ赤になっている壬生屋を優雅な動作で土管に座らせているところだった。
「お前さんをお姫様抱っこするのは、俺の係なんだけどなぁ。」
「ふ、不潔です!」
「え〜・・・壬生屋は嫌なの?」
「えっ!いえ、その・・・そうじゃないですけど。」
呆気にとられた男達があんぐりと口を開けながら壬生屋と瀬戸口が恋人同士の会話をしている様を見ている。
その脳裏に“何で?”という疑問を浮かべていると、
「う、うう・・・。」
背後から呻き声が聞こえた。
またも男達がバッと勢いよく後ろを振り向くと、
「ち、ちくしょ・・・う・・・。」
なんと、つい数十秒前まで瀬戸口を羽交い絞めにしていたはずの男が地面に転がり込んでいた。
両腕を押さえながら苦しんでいる。
見ると、両肘の関節がだらりとしていた。
「・・・はぁ!?」
「な、なななななんだぁ?」
「どうなってやがんだ、おい!」
誰もその光景を見ていないのでわかりようがないが、
実は彼は瀬戸口に両腕を引っ張られ、瀬戸口の背後から宙を飛ぶように頭上を通って前へと投げ飛ばされて、
そのまま背中から地面に叩きつけられ、そのときの衝撃で拘束を解いてしまったのだ。
そして瀬戸口はそのまますぐに壬生屋の元へ駆け寄り円から脱出させた。
さらに羽交い絞めにしていた男から少し離れた所では、
瀬戸口の喉元にナイフをちらつかせていた男が腹を押さえてうずくまっている。
そんなことを一瞬で出来るなんて人間業ではない。
武道の達人の壬生屋ならいざ知らず、あんな軽薄そうな色男にそんなことが出来るなんて信じられない。
叩きつけられた男の両腕がだらりとしているのは引っ張られた際に間接が外れてしまったからなのだが、
見ようによっては折られたようにも見えてしまう。
男達の中に“こいつヤベェ・・・!”という恐怖の心が生まれるが、
「てめぇら怯むんじゃねぇっ!借りを返すんだろうが!!」
「「「「「「「「「お、おおっっっ!!!」」」」」」」」」
リーダーの気合の入った号令を聞いて闘争心が復活した。
「こうなったら、野郎も痛い目に遭わしてやる・・・っ!!」
「今から泣いて謝ってもゆるさねぇからな!!」
「どりゃああああああっっ!!」
リーダーを含め全員が2人目掛けて駆け出した。
すると瀬戸口は、
「あーらら、退く気は全然ないみたいだねぇ。残念。」
口元に好戦的な笑みを浮かべると、壬生屋から距離を取るように数歩歩いた。
男達を迎え撃つつもりらしい。
(見逃す気もないくせに・・・。)
壬生屋は“どうせこうなるんでしょうね・・・”と、円に取り囲まれた時点で思っていた予測が的中して、
やれやれと何かを諦めた風なため息を吐く。
瀬戸口が拳を鳴らして解しなら位置に着いたのを見やると、戦闘が始まる前に、
「瀬戸口さん、手加減を忘れないでくださいね。あまり重傷者を出さないように。」
どれだけ効果があるかわからないが、いちおう釘を刺しておく。
すると瀬戸口は、
「はいは〜い♪わかってるよー。」
という軽い口調で返事をする。
その答えを聞いて、
(本当にわかってるんだか・・・。)
壬生屋は先程諦めた何か――男達の無事を再び完全に諦めた。
「でぃああああああっっ!!」
「うるぁぁぁっ!!」
「だーーーーーっ!!」
壬生屋を護るように立ちふさがる瀬戸口に、男達が精一杯の気合を込めてぶつかって来る。
突き出されるナイフ、振り下ろされるバット、唸る鎖―。
その場から動くことはせず、それら全てを紙一重に避けると、
「悪いな、そのくらい止まって見えるんだ。」
こちらへ向かってきた何人目かの耳元でささやくように言うと、
「ごふぁっ!」
すれ違いざまに鳩尾に拳を叩き込んだ。
急所に大打撃を受けた男Aはその場に崩れ落ちる。
男Aはそのまま気が遠くなり、これから数時間意識が戻ることはなかった。
瀬戸口はそのまま前に進む勢いを活かしながら、
「か・・・はっ・・・!」
男Aの後ろにいた男Bの手を掴んで投げ飛ばし、背中から落下させた。
受身が取れなかったようで(もしくは取らせてもらえなかった)、口から泡を吹いて気を失っている。
この一瞬のうちに男2人を戦闘不能にした瀬戸口であったが、
「ち、ちくしょーーー!!」
「てめえ!!」
「うおおおおお!!」
仲間をやられてさらに気合が入った男達は、やめときゃいいのに瀬戸口に向かって突っ込んでくる。
それを見て瀬戸口は、
(そうこなくっちゃな・・・。)
内心でほくそ笑むと、
「来いよ・・・!全員まとめてかかってきな!」
男達を煽るように強く言い放った。
「うらぁ!」「このやろ!」「死ねぇっ!」「おおおっ!」「じぃああぁぁっ!」「はっ!!!」
「よいしょっと♪」
ドゴッ!ガキッ!ピューッ!ゴン!メリメリ!バコッ!ベリッ!ガシャーーン!!
「うわーっ!」「ちっ・・・!」「まだまだ・・・。」「や、るじゃねぇか・・・。」「て、てめぇっ!」「くそが・・・。」
「まだ向かってくるの?元気だねぇ・・・ほっ!」
バコッ!ゴトリ。メリッ!ビキビキ!ヒュウウウ・・・。ドフッ!ポーン。
「・・・ぐふっ。」「う、うう・・・。」「痛てぇよ・・・。」「ゆ、許して・・・!」「ごめ・・・な、さ。」「・・・。」
「えー何?聞こえないなぁ。」
ドカカカカカカカッ!ボキッ。ガリガリッ!ギュンッッ!ズドォーーーン!!!
瀬戸口が舞い、男達が宙を飛び、絶叫が聞こえ――。
戦闘開始から10分と経たずに、
「やれやれ・・・これじゃあ、若宮の戦闘訓練の方がハードだな。」
瀬戸口は20人はいた男達を全員きれいに“片付けた”。
こんな馬鹿騒ぎのために公園を汚しては近隣の皆様に迷惑なので、
男達は一箇所に折り重ねるようにまとめて、男達が落とした武器は戦闘中に拾って公園のゴミ箱に投げていた。
木製バットを燃えるごみ、鎖やナイフを燃えないごみに分けて入れているところが心憎い。
だがしかし!ゴミ問題が叫ばれる昨今、分別は大事である!
汗すらかいていない瀬戸口はそれこそ“お掃除完了!”とでもいうかのように手をパンパンと叩いて埃を払っていた。
その音を受けたのか、折り重なっていた山の頂上から、リーダーの男が転がり落ちた。
「う・・・うぅ・・・。」
流石はリーダー。
体の造りが丈夫なのか、彼だけはまだ意識を失っていないようだ。
ずっと成り行きを見守っていた壬生屋は土管に降ろしていた腰を上げると、
「瀬戸口さーん!帰りますよー!」
まるで何でもないかのように瀬戸口を呼び寄せる。
それを聞いて瀬戸口は、
「おう!今行く〜♪」
それこそ本当に何でもないかのように壬生屋の元へ歩み出す。
ゆったりと歩きながら、リーダーの横を通過しようとする。
さっさと行ってくれと、リーダーは内心で泣きそうになっていたが、
「おっとと・・・。」
リーダーの真横へと来たとき、瀬戸口がよろめいた。
バランスを崩して足先を地面に突く。
大の字になって倒れているリーダーの股下数センチのところに!!
遠近感のせいで未央には足が下ろされた具体的な位置までは見えなかったが、リーダーの背筋が一瞬のうちに凍った。
「大丈夫ですか?瀬戸口さん。」
遠くから、心配そうに声をかけてくる壬生屋の声が聞こえる。
瀬戸口は、
「大丈夫〜!虫を踏みそうになったから避けただけー!」
とのどかな口調で言って返事をした。
そのまま歩き去ろうとしたが、瀬戸口の口が微かに動いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「―――っっっっっっ!!!!!」
壬生屋には何か話していたかすらわからないほど小さな声で、
しかしリーダーの心の底の底にまでしっかり通るように放たれた言葉は確実にリーダーを恐怖のどん底に突き落とした。
朦朧としていた意識が一気にクリアになり、顔色が真っ青になる。
瀬戸口は横目で冷たく見下ろしてそれを確認すると、
「さあ、帰ろうかお姫様♪」
壬生屋の元へ駆け寄っていった。
先程瀬戸口の足が突いた箇所が、地割れでも起こしたかのようにひび割れているのは気のせいだろうか?
瀬戸口が壬生屋の隣りにつくと、そのまま2人で並んで歩き去っていった。
「瀬戸口さん、ちゃんと手加減しないと駄目じゃないですか!」
「えー、ちゃんとしたよ。足使わずに手だけで攻撃したし。」
「・・・何人か、明らかに骨折している方がいましたが。」
「いやそれは、何人か俺を無視してお前さんに攻撃しようとしてたから・・・つい。」
「もう!相手に障害が残ったらどうするんですか!?」
「そこはほら・・・俺もヒビ程度で済むように力抜いてたし、最近の医者は優秀だから・・・ね?」
「まぁ・・・やってしまったものは仕方が無いですけど、次からは気をつけてくださいね。」
「はーい!」
・・・仲睦まじく物騒な会話をしながら去っていく2人の影が、真っ赤な夕日に溶けていった。
「・・・というわけです。こんなことが退院した直後からもう何度も。」
「うわー・・・。」
壬生屋が語った瀬戸口の武勇伝を聞き、滝川は感心して息を漏らす。
「瀬戸口さんって、そんなに強かったんだ・・・。」
「ご本人は“荒事は好きじゃないから”とおっしゃってますが、本気で戦ったらわたくし以上かもしれません。」
それを聞いて滝川の感嘆はさらに深くなる。
「すっげぇ・・・!
あ、じゃあ、さっき絡まれなかったのは・・・。」
そこで滝川はふと気づく。
壬生屋がその答えを継いだ。
「瀬戸口さんを恐れたから、ですね。」
「なるほどなぁ、納得したよ、うんうん。」
男達に絡まれなかった理由に納得した滝川。
そういえば、熊本にいた頃は商店街で男達の姿を見かけるたびに道を変えたり隠れてやり過ごしたりしていたっけ。
男達が瀬戸口と壬生屋を恐れて商店街をたむろするのが減ったから、買い物が早く済むようになったのだと感じた。
しかし、それと同時に別の疑問が浮かぶ。
「戦うのは瀬戸口さんだけ?壬生屋は何もしないで見てるだけなのか?」
そりゃあ、病み上がりなのはあるだろうけど・・・と付け足して尋ねてみる。
すると壬生屋は困ったように苦笑して、
「それはわたくしだって最初は、
“これはわたくしの蒔いた種ですからわたくし1人で片付けます!”って言ったのですけど、
“いいや!惚れた女を護るのは男の仕事だ!”っておっしゃって・・・。
でも流石に瀬戸口さんお1人に戦わせるわけにも参りませんからわたくしも戦ったのですが、
そうしたらわたくしに攻撃が及ぶまいとして、より相手に容赦がなくなってしまうのですよ。
だから、かえってわたくしが何もしない方が重傷者の数が少なくなります。
・・・そ、それでその、わたくしのために戦う瀬戸口さんの背中を見て思ったのですが、
えと、その背中が一段と逞しく見えて・・・殿方に護られるというのも良いものですね・・・はい。」
そして最後は真っ赤になって照れたように言った。
滝川はそれを見逃さずに、
「おっ♪壬生屋〜、それってノロケ〜♪」
壬生屋をからかう。
「ち、違います!もう!!
コホン・・・まあ、それはそうと。
あくまでも瀬戸口さんご本人は荒事は避けて飄々としていたいようなので、この話は他の方にはご内密に。」
からかわれた壬生屋は咳払いをして誤魔化し、滝川に釘を刺した。
刺された滝川は、
「確かに瀬戸口さんにバイオレンスな雰囲気は似合わないもんな。わかった。誰にも言わねぇ。」
と言って約束した。
「ありがとうございます。お願いしますね。」
それを聞き、壬生屋はにこやかに礼を言った。
不思議に思っていた謎が解け、滝川は壬生屋と別れて恋人が働いているハンガーへと向かう。
「それにしても瀬戸口さん、まるでプリンセスを護るナイトみたいだな〜〜。」
確かに、姫に襲い掛かる不届き者を軽々と捌いていけたらかっこいい。
そして壬生屋から聞いた瀬戸口の台詞を思い出す。
「惚れた女を護るのは男の仕事、か・・・。」
それならば、自分は愛しい彼女を護るためにどこまで戦えるだろう。
彼女は壬生屋と違って武術どころかスポーツも全然駄目だ。
瀬戸口ほどにはなれないにしても、何かあったら俺が護るしかない。
「・・・よし!」
滝川は進行方向を変えてグラウンドへと降りていった。
トラックではまだ若宮が学兵らをしごいている。
そして彼女を夕飯に誘うまでにはまだ時間がある。
マイフェアレディを迎えに行く前に、彼女を護れるジェントルに少しでも近づけるよう鍛えてもらおうと思った。
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一方その頃。
商店街で瀬戸口と出くわしたリーダー格の男の脳裏に、恐ろしい声が甦っていた。
「ナイフなんぞ持ち出して、あいつに何をするつもりだったんだ?
今度俺達の前に現れたら、今度こそぶち抜いて使い物にならなくしてやるからな。」
思い出して、ただそれだけで背中に嫌な汗が流れる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!!」
傍らにいる子分達が呆然とこちらを見上げるのにも関わらず、リーダー格の男はただ恐怖に叫ぶのであった。
終。