「まさか・・・なんてことなの!!」
光の柱が消え去ると、そこは元の路地裏に戻っていた。
先ほどよりいくらかもやが薄らいだ感じがする。
「どうやら、俺の絶技が術のキャパシティを超えたらしい。」
未央のリボンを愛しそうに一瞥した後、近衛は答えた。
美代子はその赤いリボンを睨み、奥歯を噛みしめる。
「・・・どうして。どうしてシオネの誘いに乗らなかったの?」
美代子はうめく様に言った。
近衛は迷わずに返す。
「シオネはあんな酷いことをする女じゃない。
・・・それに、今は他の女に夢中でね。ホント、愛の力は偉大だよ。」
そして、幸せそうに無敵に笑う。
その様子が美代子の心を怒りで染め上げた。
「別の女に乗り換えたって言うの!?
そんなの、信じられない!そんなの、わからない!
私の想いはそんなに浅くない!!
私はそんな想いの浅い奴は絶対に許さない!!わああああっ!!!」
鬼の両手を構え、美代子が近衛に踊りかかる!
しかし、近衛は鬼の剣技の使い手であり百戦錬磨の騎士。
美代子の太刀筋などいとも簡単に見抜けるし、動きが特別速いわけでもないから余裕で避けられる。
曲がり間違っても致命傷を受ける、いや、当たってしまうことすらないだろう。
それに、
(・・・なんだ、妙だな?)
もやに閉じ込められる前に感じた威圧感が、今は全く感じられない。
殺気は逆に増しているのにそれを目の当たりにしても、心に危機感というものが生まれてこないのだ。
優れた術者を相手に戦っているというより、
自棄になった子供が八つ当たりをしてきたと言った方がしっくり来る。
美代子はいくら避けられても、挫けることなく近衛に斬りかかり続けている。
(俺、何か変なこと言ったか・・・?
まいったな・・・相手が鬼でも、お嬢さんには極力怪我させたくないんだけど。)
そこで近衛は、美代子との言葉のやり取りを思い出してみる。
(“私の想いは浅くない”って言ってたな。・・・どういうことだ?
そういえば、彼女が自殺した理由って、一体どうして?)
近衛は美代子の一撃を受け流し、背後に回る。
その時、彼女の背中に寄り添う青い光が見えた。
「ちいっ!!」
美代子が悔しそうに舌打ちをしながらこちらを振り向いたため一瞬しか見えなかったが、
その光はまるで美代子を心配しているように寄り添っていた。
(今の青い光・・・よきゆめ、だよな?何故あしきものに付いている?
あの娘は気づいてないのか・・・?
なにはともあれ、あれが手がかりみたいだ・・・!)
「たあああ!!」
近衛は向かってきた美代子の腕を取り、反転させ、背中を押し飛ばした。
その際に、彼女の背中に付いていた青い光に触れてみる。
背中を押された美代子は地面に突っ伏してしまう。
「くそお!よくもやったな!!」
さらに激昂した美代子は鬼の爪を近衛目掛けて連続で突き刺す。
近衛は美代子の怒りに満ちたセリフを無視し、片腕で美代子の突きをはじき続ける。
否、無視しようとして無視したのではない。
青い光から流れてきた情報が、近衛を愕然とさせていたのだ。
(なんてこった・・・。この娘は、俺と同じ・・・。)
―工藤美代子。
彼女は6歳の頃、子役として芸能界に飛び込んだ。
可憐な容姿に、抜きん出た演技力。
しかし、それらを持ってしても芸能界のトップアイドルに上り詰めるには10年かかった。
苦心し、挫折をくり返し何度もやめようと思った。
だがそれを乗り越えた時、ついに世間が彼女の魅力に気づいたのだ。
出演したドラマは高視聴率。出したCDは毎回トップテン入り。
美代子の女優でありアイドル生活は順風満帆。
テレビに彼女が映らない日は、一日たりともなかった。
しかし、それ以上に彼女を喜ばせる出来事があった。
それは担当マネージャーとの出会い。
彼を見たとき、美代子は一瞬で恋に落ちた。
それは彼も同じだったらしく、2人の愛の炎は一気に燃え上がる。
出会いから婚約まで、1年とかからなかった。
・・・だが、運命はここから美代子を奈落の底に突き落とす。
事の発端は、彼女の事務所の合併問題。
美代子の活躍により、勢いを付けた美代子の事務所は他の大手の事務所と合併しようとした。
しかし、その話には裏がある。
美代子の事務所は大手に裏切られ、所属タレントを大量に奪われてしまった。
残ったタレントは美代子とあと数人。
それだけの人数では事務所を続ける事などできない。
芸能界に残りたいのであれば今まで所属していた事務所を出て、
その大手の事務所に移るしかなかった。
そう、これは大手が美代子を手に入れたいがために仕掛けたどす黒い陰謀である。
だが、美代子は大手への移籍を拒否した。
どんなに弱小になってしまったとしても、そこは美代子を幼い頃から育ててきた場所なのだ。
それに、愛する人もいる。
美代子は事務所を守るため、残ったタレントが大手に移らないように、
そして引き抜かれてしまったタレントに戻るように説得し続けた。
しかし、そんな美代子の努力をあざ笑うように大手は卑劣な手段を取る。
とある深夜、美代子とマネージャーが乗っていた車にダンプカーが突っ込んだ。
マネージャーは即死。
美代子は両腕に深く大きな傷を負ったが、意識はあり、命に別状は無かった。
傷の痛みに耐え、マネージャーに必死に呼びかける美代子を無視してダンプカーは走り去る。
その瞬間、美代子は助手席にいた人物の顔を偶然目にした。
それは、間違いなく大手の事務所の人間だった。
彼は美代子とすでに事切れたマネージャーを見つめ、ほくそ笑んで去っていった。
その日は彼女とマネージャーが婚約発表する予定の日の一週間前だった。
美代子は警察にこのことを必死になって説明したが、聞き入れてもらえなかった。
その日のその時間に美代子が見たという人間は別の場所に家族といたというアリバイがあったし、
美代子が見たのは事故のショックから来る幻覚だというのだ。
だが、美代子が見たのは幻覚ではない。
事故のショックはあったのかもしれないが、恋人を殺した仇の顔を見間違えるなどあり得ないだろう。
警察が信じてくれないなら、マスコミへ。
手段はなんでもいい、週刊誌のインタビュー、テレビ局への通告、自分が知っている芸能人に話す。
彼女が入院している病院へやってくる、全てのマスコミやテレビ関係者に訴えた。
病院にまで押しかけてくるしつこいファンへも必死に想いをぶちまけた。
しかし、それでも彼女の言葉は誰にも伝わらなかった。
マスコミは彼女が事故でおかしくなったと伝え、
テレビ関係者や知り合いの芸能人は彼女からの連絡を取らなくなった。
ファンは去っていくか彼女が悪霊にとりつかれたとおもしろがるかのどちらかだった。
彼女の両腕の傷が癒え、退院するときには芸能界に彼女の居場所はなくなっていた。
今まで守ろうと、そして守ってきてもらっていた事務所は潰れていた。
それから彼女は、絶望し、狂ってしまった。
そして、あしきものへ付け込まれ復讐の鬼となった。
鬼となった彼女が一番最初に殺したのは、ダンプカーで見た男の・・・家族だった。
男は、あえて生かしておいた―
(この娘も・・・愛する人を殺されたのか・・・。)
近衛は今目の前にいる美代子を己のかつての姿と重ね合わせた。
近衛のかつての想い人―シオネ=アラダ。
あしきもの、鬼であった自分を受け入れてくれた唯一の女性。
彼女は千年前、彼女が守り続けた人族の手によって暗殺された。
(この娘の怒りも絶望も・・・俺にはよくわかる・・・だけど!)
近衛は後方へ大きくジャンプし、美代子を距離を開く。
(だからこそ、いつまでもそれに囚われちゃいけないんだ!)
「工藤美代子!そろそろ決着を着けよう!!」
近衛は美代子に向き直り、覚悟を決めて言い放つ。
「そう・・・。逃げられてばっかりでいい加減、アタマに来てたとこだったわ・・・。」
美代子は近衛の提案を受け入れた。
「・・・一撃で殺してあげる。」
「一撃だ。それで終わらせる。」
2人同時に宣言し、必殺の一撃のための準備を始める。
美代子は両腕の爪を構え、怒りや怨みの念を高める。
(悪い。もう一度、一緒に戦ってくれ。)
近衛は左手首のリボンに額を付け、祈りを捧げ、そして絶技を詠唱する。
夜の終わりを告げる光の姫。痛みを潤すあたたかき光の姫。
我は青にしてすみれ。全ての女と子供を守る、ただ一人の騎士。
願わくば我とともに、闇を切り開き暁を呼ばんことを。
そして汝と守るべき者達に、金色の祝福を!
(この娘を深く想う魂よ。いるならば彼女のためにも、俺に力を貸してくれ!)
「やああああああああ!!」
完成せよ!深愛の一撃!!
美代子と近衛は同時に攻撃を放った。
3倍以上の大きさになった真っ赤な鬼の爪で斬りかかる美代子。
右手に青い光を纏い、拳を打ち込む――精霊手を放つ近衛。
物量的には美代子が勝っているように見えるが、それは一瞬。
「届けぇっ!!」
近衛の拳は鬼の手を崩しながら進み、ついには美代子の胸を貫いた。
「きゃあああああああ!!」
胸を貫かれた美代子は絶叫する。
しかし、その胸から零れ落ちたのは真っ赤な血ではなく紫色の気体が立ち上った。
それは美代子を縛っていた怒りや怨みといった心、あしきゆめの源であった。
彼女の体からあしきゆめの源が溢れると同時に、
“美代子・・・美代子。”
彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「こ・・・康一さん・・・?」
それは彼女の恋人の声だった。
大好きな声で名前を呼ばれると二人でいた頃、幸せだった頃のことが脳裏に浮かぶ。
初めて会ったとき、初めてデートをしたとき、初めて名前で呼ばれたとき・・・。
(そういえば・・・笑っている康一さんの顔を見るの、随分久しぶり・・・。)
温かい思い出が美代子の心からあしきゆめを追い出す。
その全てが流されきった美代子が閉じていた目を開けると、
その瞳は真っ赤な血の色ではなく、生前と同じ明るい茶色に戻っていた。
「大丈夫かい、美代子ちゃん?」
近衛は、その場に座り込み静かに涙を流している美代子に声をかけた。
自らの目元を拭うその手は人のもので、燃えるようだった赤い髪はきれいな黒となった。
「ええ。・・・ありがとう。お蔭で大切なものを思い出せたわ・・・。」
「それは良かった。この手の話に関しては、俺も覚えがあるからさ。
・・・はい、これ。」
近衛はズボンのポケットからハンカチを取り出し、
膝をついて視線を合わせ美代子に差し出す。
ちなみそのハンカチは、こちらの世界に来る際に“ハンカチ、お忘れですよ。”
と言われて手渡された何枚かのうちの一つだった。
「あら、紳士なのね。」
「いやいや。泣いているお嬢さんにハンカチを差し出すのは男の義務ですから。
残念ながら、俺には彼女がいるから胸は貸せませんけど。」
「フフッ・・・ありがと。」
そう言うと美代子は差し出されたハンカチを受け取り、目元に押し当てた。
そして、ハンカチを返す。
「・・・貴方のこと、私を呼び出した連中から聞いたわ。
愛する人を殺されたのに、千年も生き続けている不死身の鬼だって・・・。」
「うん。そうだよ。」
近衛は美代子の言葉に、事も無げに答えた。
その近衛の様子を見て美代子は顔を曇らす。
「・・・それなのに、どうしてそんなに強くいられるの?笑っていられるの?
愛する人がいない世界なんて、寂しいし辛いし、耐えられないじゃない。
私には無理だったわ・・・今も、そう。
不死身だからとはいえ、何で貴方は生きていられるの?」
美代子は近衛が自分以上に通ってきた地獄を感じ、
必死に、すがりつく様な瞳で問いかけた。
その瞳を受けた近衛は、穏やかに、静かに微笑み立ち上がった。
そして、何かを思い出すときに人がするように、小さく辺りを歩き回る。
「・・・確かに、シオネが殺されたとき、俺は気が狂いそうになった。
人間達に復讐しようともしたけど、仲間に止められた。
それに、何よりもあの人が悲しむから。
ならばあの人の生まれ変わりに会えるまで、生き続けてやろうと思った。
利用できるものは何でも利用しようとして、ね。」
「それで・・・会えたの?」
「ん〜・・・、どう言えば良いかな?
“会えた”って言っても当たりだし、“会えなかった”って言っても当たり。
そんな感じだね。
あいつは“昔の続きをやりたいわけじゃないから、今の自分として愛してくれ”って。
俺はあいつを愛する理由に、“シオネの生まれ変わりだから”
ってのはもうなくなってたからそれで全然かまわないんだ。」
「でも・・・、その人もいつかは死ぬんでしょう?貴方を置いて。」
「うん、わかってる・・・。」
美代子の問いかけに答えると、近衛は足を止めた。
美代子の方を見ず、そのまま天を見上げる。
「君の言うとおり、あいつもいつかは俺を置いて逝く。あいつだけじゃなくて、全ての友が。
それはわかってるし、どうしても寂しい。
きっと辛くて、泣きたくなるだろう。
けど、シオネが、あいつが、友がくれたものまでなくなるわけじゃない。
楽しかった日々、幸せだった日々が消えるわけじゃない。
それらは必ず、俺の中に永遠に残るものなんだ。
忘れたとしてもまた何かのきっかけで思い出して、また会えたような感覚になる。
・・・君にもわかるだろう?」
近衛の言葉に、美代子は先ほど見た恋人との思い出を思い出した。
「ええ、わかるわ。」
「・・・よし、上出来だ。
そして、それをくれた人達は俺が悲しむのを嫌がる。
それがたまらなく嬉しいから、そんな優しい人達の顔を俺は悲しませたくない。
その人達の笑顔を極力は忘れたくない。
かといって、無理に元気になろうとして作り笑顔になるのも、
その人達に嘘をついているみたいだから長くは保たない。
だからそのためには、俺は俺が幸せでいることが重要だと思う。
それに・・・、」
「それに?」
近衛は美代子に向き直って、言う。
「生きていれば、また大切なものをくれる人に出会えるから。
一緒に生きていたいって人に出会えるから。
だから俺は生き続けたい。
生き続ける事が出来るんだ。
・・・君も、そんな人に会えればよかったね。」
近衛の言葉を受けて、美代子は寂しそうに笑いながらうつむく。
「そうね・・・そうだったらよかったわね・・・。でも、もう遅いわ。」
すると近衛は、いたずらを思いついたような顔でニヤリと笑って、
「でも、待っててくれた人はいるみたいだよ♪」
美代子に後ろを向くように促した。
「・・・えっ?」
驚き振り向いた美代子は、今度は大きく目を見開いた。
するとそこには、
「康一さん・・・っ!」
美代子の恋人、康一の姿があった。
優しく静かに微笑み腕を広げ、美代子がやってくるのを待っている。
「康一さん!!」
美代子は立ち上がり、何の迷いもせず真っ直ぐに康一の胸に飛び込んだ。
そして二人で、きつく抱きしめあう。
その時、二人の体が金色に輝き始める。
そして、透き通って光となり、天に昇り始める。
姿が見えなくなる瞬間、二人はまるで礼を告げるかのように近衛を見つめ、微笑んだ。
「・・・おめでとう、お幸せに。」
近衛は別れの言葉の代わりに祝福の言葉を告げ、二人を見送った。
少しの間、近衛は二人が昇っていった天を見上げていた。
そして、赤いリボンに目を移し、
「助けてくれてありがとう。愛してるよ、未央。」
そして、口付ける。
唇を離すと、
「さて、メイを探しますか!!」
と、自らに気合を入れ、勢いよく路地裏を飛び出した。
2007年7月、東京市―。
この街は黒いもやで覆われその中は怨霊が出現し、人々を恐怖で駆り立てた。
しかし、それでもなお美しく輝く月と星々は、
愛しき人の子らにその光を照らす時が来るのを待ち続けている。