武力介入による紛争根絶を謳い世界中を脅かせた組織、ソレスタルビーイングが壊滅して数日。
ソレスタルビーイングの構成員の1人、フェルト=グレイスは海の側を走る道路を歩いていた。
背後には、同じくソレスタルビーイングの構成員である王=留美が提供した隠れ家が見える。
時刻はティータイムをとっくに過ぎていて、もうすぐ夕方になるだろう。
フェルトはつい先ほどまでずっと隠れ家にいた。
さらに詳しくいうと、組織が壊滅して隠れ家にやって来た日からずっと与えられた部屋に篭っていて、
その日以来初めて外を歩く。
フェルトは戦いで、あまりに多くのものを失った。
生き残った者達はそのことをよく知っているからずっとそっとしておいてくれたのだが、
閉じこもりっきりで食事にもろくに手をつけないフェルトを心配したスメラギに、
たまには散歩でもしてはどうか、と提案され承諾した。
そして、1人では危ないと判断したのか、イアンがフェルトと仲良しのハロをお供につけてくれた。
そのハロは、周りの景色を見るのでもなくただ黙々と歩くフェルトの横を元気に跳ねている。
南国特有の強い日差しのせいで少し暑く感じられたが、
空気が乾いていて風があるので、不快だとは思わない。
衣服が肌に引っ付くような感覚がほんの少しだけあるが、
そんなことには気にも留めずにただ歩く。
海の青さ空の蒼さ、雲の白さは実に見事なのに、そんなものにも目にもくれずにただ足を前に進めた。
「キレイ!キレイ!ゼッケーカナ!!ゼッケーカナ!!」
「ぜっけー・・・?」
ただ黙って跳ねていたハロの口(?)から出た聞き慣れない単語に、フェルトは足を止めた。
「ゼッケー!ゼッケー!」
そう何度も繰り返しながら同じ場所で跳ねているハロの視線の先を見る。
視線の先では、隠れ家が妙に下の方に見えた。
そうか、気づかないうちに高い所―丘の上に来ていたのか。
奥の方に隠れ家の白い壁が見えて、それからここまでを結ぶ長い道路の灰色。
道路を挟んで片方が、南国特有の丈が高く葉が大きい植物に覆われた緑で、所々で花の赤や黄色が見える。
その反対側は海の青と波の白。
それらの全ての上には空の蒼がある。
色彩豊かで、とても綺麗な風景だった。
まさに『絶景』である。
しかし、
「綺麗・・・でも、皆で見たかったな。」
今のフェルトにはそれを楽しむ余裕はなかった。
一言呟くと、跳ね続けているハロに背を向け、再び歩を進めた。
「フェルト、待ッテ!フェルト!!」
置いてかれたハロが慌ててフェルトの後を追い始める。
日が暮れかけた頃―。
空はほんの少しだけ蒼を残していたが、ほとんどがオレンジに支配されていた。
フェルトは道路の1番高い所―丘の頂上にいた。
その場所は簡単な展望台のようになっていて、海に向かって崖のように突き出している。
辺りに見えるどんな場所よりも高くて、手を伸ばせば空に届きそうだ。
ソレスタルビーイングの母艦、プトレマイオスからほとんど出たことがなかった自分にとって、
日が暮れる前に見た景色も、目の前のオレンジの空とそれを映す海も初めて見る光景で、
いつもなら真っ先に感動するのだが、今はそんな気分になれない。
あの日から。
大好きだった人達を失ったあの日からずっと、世界に色を感じない。
目はちゃんと機能していて認識はしているのに、
なんだが世界が黒か白か灰の、味気ない世界に見えて仕方がないのだ。
生きて、
生きて隣りにいて同じ風景を見ていてくれたら。
綺麗だねって言って一緒に笑ってくれたらいいのに。
少し前までは頼んでもいないのに当たり前のように聞こえていた声が、今は1つもなくて。
心には南国の空気とはそぐわない冷たく寒い空気が流れる。
手すりに乗せた手に、水滴が1つ落ちる。
「クリスッ・・・リヒティ・・・ッ。」
フェルトは亡くした者・・・大好きだった人達の名前を呼んだ。
そして海を見ながら涙を流していた。
ちょっと前まではお互いのこと、何も知らなくて。
話したこともあんまりなかった。
でも、この前いっぱい話せたのが嬉しくて、それから大好きになって・・・。
なのに、あっという間にいなくなってもう会えなくて・・・。
せめてもっと早く話していたら。
もっと一緒に何かが出来ていたら、どこかに行けたら。
そう考えても、もう今更遅い。
もう、隣りにも・・・この世のどこにもいないのだ。
「寂しいよ・・・みんなぁ・・・っ!」
皆が眠る場所―宇宙に向かって手を伸ばす。
でも、どうやってもそこには行けなくて。
何も掴めない手を悔しく見つめる。
日が暮れて太陽が沈みきれば夜になる。
夜の空は真っ暗で星が瞬いていて、空だけを見ていれば宇宙にいるような感覚になる。
見える空は宇宙と変わりないのに、でも自分はそことは違う遠い場所にいて。
それが昼間よりも寂しい想いをさせるから、夜は1人で毛布を被り眠りにつくまで、あるいは朝までずっと耐えていた。
そんな寂しい夜がまた今日もやって来るというのなら―・・・。
フェルトは手すりによじ登り、越えた。
手すりの先、僅か数十センチだけ残された地面に降り立つ。
皆がここにいなくて寂しいのなら。
自分から会いに行ってしまおう。
ここから飛んでいけば、皆がいるところにたどり着くかもしれない。
フェルトは崖先へ向けて足を一歩踏みしめた。
すると、
「フェルト!生キ残レ、生キ残レ!!」
いつのまにか隣りに。
隣りにやってきていたハロが必死になって跳ねていた。
「生キ残レ!生キ残レ!生キ残レ!生キ残レ!生キ残レ!」
そしてずっと同じ言葉を必死になって叫んでいた。
『生き残れ』
その言葉をくれたのは・・・、
「ロックオン・・・ッ!!」
あの日泣いていたフェルトを励ましてくれて。
温かい言葉と笑顔をくれたあの人だった。
ハロから出ているハロの声なのに、思い出すのはあの時のあの人の声だった。
そう認識した途端、自分がさっきまでやろうとしていた事の意味を悟り、
「うわぁぁぁぁぁっっっ!!!」
フェルトはその場に崩れ落ちて泣き出した。
それから少しして、空のオレンジの濃さが増した頃―。
展望台のベンチに座りながら、フェルトは空を見ていた。
そしてハロへと視線を下ろさずに言う。
「ハロ・・・。」
「何?ナァニ?」
呼ばれたハロは羽根をパタパタさせながら訊ね返す。
「皆の声・・・聞きたいな。・・・お願いできる?」
フェルトは空を見つめたまま、頼んだ。
「ガッテン、ガッテン!オヤスイゴヨウ!!」
フェルトの頼みを承諾したハロが羽根を閉じて目を赤く点滅させた。
そして、お腹の割れ目から小型のスピーカーを出した。
スピーカーから声が流れる。
それはハロが録音していた、壊滅する前のソレスタルビーイングの面々の声だった。
今ここにいるハロだけでなく、母艦内にいたハロ達は構成員達の会話を録音している。
録音し、定期的にヴェーダに送り検証することで母艦内の様子を知り、構成員達の状態を把握することができるのだ。
ただ、いくらハロでも全ての会話を録音し切れるわけでもないし、
何を録音するのかは個体によって好みがあるらしい。
ここにいるハロはロックオンの相棒として常に皆と一緒にいたせいか、
普段の何気ない会話を録音していることが多かった。
武力介入が始まる前、クリスやリヒティが再生したのを聞いてはよく笑っていた。
紛争根絶には役に立たないような会話ばかりで、
聞いたのはそのとき以来だったが、フェルトはそこから流れる声が好きだった。
楽しそうに笑いあっていて、自分達が紛争根絶のために武力介入をするのだということを忘れきっているかのような。
そのときのような何気ない会話を、平和になった後に皆としたかった。
しかし、それはできないしもう遅い。
でも、
「私は・・・生き残る!」
自分は、生き残ることを決めた。
あの時もらった言葉を。
皆の声を覚えているから。
だから、死ねない。
この先何が起こって、自分はどんな道を進むのかはわからないけれど、
それでもこの心に残る言葉と声と一緒に、行けるところまで行こう。
すぐ隣りにいないという寂しさに変わりはないけれど、
心の中だけでも一緒にいられるなら、自分はもう1人じゃない。
だから―、一緒にいてね。
私を守ってね。
その代わり皆を、未来へ連れて行くから。
「ありがとう。じゃあ―そろそろ行こう。」
フェルトはハロと、そして大好きな人達にお礼を言った。
そして心の中で手を差し伸べる。
・・・すると、その手に何かが触れたような気がした。
「帰ロ、帰ロ!イアン、スメラギ、心配スル!」
「うん、そうだね。もうすぐ夜になりそうだもん。」
遠くの空が黒に染まりかかっていく。
それでももう、夜が怖いとは思わなかった。
フェルトが隠れ家に帰った頃。
日はすっかり落ちていて暗くなっていた。
玄関を開けて、そこで今にもフェルトを捜索に行こうとしていた面々に、
「あの・・・、心配かけてごめんなさい。」
と言って、頭を垂れた。
そして顔を上げたとき。
そこには散歩に出向く前の沈んだ瞳はもうなかった。