オーストラリア、ケアンズ基地。0200時。
壬生屋隊長は何時間も前に仕事を終え、それからすぐに床に入ったが全く寝付けなかった。
夜が明けた後にもまた前日と同じ、もしくはそれ以上の激務があるのだから少しでも休んでおかなければならないことは
もちろんわかっている。
壬生屋はぼおっとしながら自らの両手を見つめた。
彼女には何故自分が寝付けないのかはっきりとわかっていた。
「瀬戸口さん……」
床に入ったときに、ふと数ヶ月前まで帰っていた祖国での出来事を思い出した。
あの日瀬戸口に抱かれたときの感覚が甦り、つかの間の幸福に酔いしれることができたが
その場に彼が居ない現実に戻ってしまうと後はもう、ひたすらに空しくなる。
確かに自らの両手が感じていた彼の体温は日ごとに失われていくのだ。
その事が自分と彼の距離をさらに開けていくようでひどく悲しい。
「……っ…!…くぅっ……うっ…。」
どうしても悲しくて嗚咽が漏れる。
両手を顔に当て、涙を流し続ける。
どうして自分はこんなところにいるんだろう?
貴方のそばだけがわたくしの居たい所なのに。
貴方に愛されることはないのはわかっている。
なら、必要としてくれるなら、そばに居ることが許されるなら
自分は娼婦にでもなってやる。
弄ばれるだけの玩具になってもかまわない。
………でも、貴方はそれすら許してくれない。
貴方を想うことすら許してもらえない。
わたくしはどうすればいいの?
貴方から遠く離れたこの地で、わたくしは何のために戦うの?
世界のため?平和のため?人類のため?
……………貴方がわたくしを必要としてくれない世界なんていらない。
例え平和であっても、貴方に愛されないならわたくしは幸せになんてなれない!
どんなに多くの人がいても、わたくしが貴方の物になれないなら意味がない!!!
「うぁ…っ…!…ぐっ………う……っ!」
壬生屋は己の激情に苦しみもがく。
体を丸めて縮こまり、その痛みに耐えようとする。
シーツはぐしゃぐしゃ、枕は濡れてしまい肩まで切った髪が張り付いている。
つぶっていた両目を開くと涙が頬を伝い、また枕を濡らしていく。
開かれた右の瞳の色は晴れ渡った空のような蒼だったが、左の瞳の色はごく在り来たりな茶色だった。
その左目は先日日本で移植したばかりの義眼だった。
壬生屋はこの地で左目を失った。
それは初めて彼女がなくした彼女の一部だった。
彼は壬生屋の左の眼窩が空っぽなのをとても悲しげに見つめていた。
壬生屋はその左目を片手で覆った。
本当に自分は何をやっているんだ。
彼が綺麗だと言った左目をなくして。
彼が綺麗だと言った髪を短く切ってしまって。
「……っう〜……もう…いや………誰かっ、……たすけて……」
うめきながら心からの願いを壬生屋は誰かに訴えた。
今、壬生屋の部屋には壬生屋しかいない。
返事を返してくれるものはいないはずだ。
しかし、
その願いを叶えてやろう。
「……えっ?」
突如聞こえた声に驚き、壬生屋は身を起こして部屋を見回した。
誰もいない。
気のせいか。
そう思った矢先、左目に激痛が走った。
左目を押さえて壁に掛けられている鏡の方を向くと、そこに映った自分の左目を押さえていた手が赤く光っている。
否、光っているのは手ではない。
壬生屋が押さえていた手を外し己の姿を見ると赤く光っていたのは自分の左目だった。
その瞳は血のように赤く、毒々しく輝く。
激痛は治まるどころか痛みが増すばかりで頭まで痛くなってきた。
奥歯をかみ締め激痛と懸命に戦う。
壬生屋の頭に先ほどの声が響いてきた。
さぁ、消せ!お前が憎むこの世界を壊してしまうがいい!!
「っああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!」
声が止むと同時に壬生屋の髪がまるで生き物のように長く伸び、
左目が熱くなり、その瞳をこじ開け何かが溢れ出てくる。
それは無数の幻獣だった!
壬生屋の左目から産まれた無数の幻獣は瞬く間に基地の壁を壊し、暴れ回る。
するとすぐに基地中のいたる所で火を噴き爆発した。
―ケアンズ基地は跡形もなく消え去った。
生存者はもちろんいない。
壬生屋はただ、左目が幻獣を産み出すショックに耐えきれず、叫び続けるだけだった。