熊本市、貸しアパート内芝村家、1245時。
瀬戸口とののみは昼食を食べ終え、食後の紅茶をすすりながらテレビを見ていた。
幻獣の日本撤退と同時に再開したお昼の某長寿番組をなんとなく見ている。
「きゃはははっ!」
テレビ画面の中で、お笑い芸人が面白いことをした。
それを見てののみは楽しそうに笑う。
そんなののみの笑顔を見て瀬戸口は、
(平和だなぁ……。)
と心の中でつぶやく。
だが実際平和なのは日本とアジアの一部、そして北アメリカ大陸の方だけだ。
他の国々ではまだ幻獣が残っており、人々は祖国を奪還すべく日々戦っている。
世界中の傷は、まだ癒えていないのだ。
それにも関わらず自分達の国だけは平和そのものであるかのように取り繕うことができるのは、
日本という国の得意技である。
瀬戸口とののみは数年前まで学兵として最前線で戦ってきた。
それ故に、大人達がひた隠しにしようとしている世界の真の姿を知っている。
2人共テレビを見てのん気に笑ったりするが、
それはただ単純にテレビの内容が面白いからであって平和ボケしているわけではない。
自分達が過ごす平和な時間と平行して、他国で死線を越え戦っている者が確かに存在する。
(なんだかなぁ。)
そのことが頭に浮かび、苦笑する。
瀬戸口は軍で事務官、ののみは今年中学生になった。
もう、誰かに見張られてはいない。
幻獣がいなくなった日本で、再び自分達が命の危険に晒されることはないだろう。
だが、
(………あの馬鹿女……)
瀬戸口はテレビの上に飾ってある写真を見た。
というか、たまたま目に入った。
そこには学兵だったころの仲間達が全員写っている。
そこに写っている馬鹿女は今も前線で戦っている。
この前友人の策略で道でバッタリ会ったときは、左目を包帯で覆い、
体中はギブスや包帯だらけだった。
学兵だったころの幼く不器用で、けれど輝かしい光でもって自分の心を奪っていった彼女ではなくなっていた。
あのころとの無鉄砲さとは違って、この世界を守りたいという願いを叶え続けるために誰よりも勇敢に、
そして美しく戦っている。
自分の目の届く範囲で可憐に笑っていた少女が、
今は遠くで部下を導くために誇らしく微笑む勝利の女神なのだ。
あまりに遠い、手の届かない存在になってしまった。
だが、そうしたのは自分。
眩しく清らかな彼女を自分の手で汚していくのに耐えられず、
彼女の想いを突き放したのは他でもない自分なのだ。
それにも関わらず、勝利の女神になった彼女を認めたくない、
壊したい一心からあの夜での出来事が起こった。
(どうすりゃいいと思う?おっさん……。)
瀬戸口は写真に写っている大きな猫に問いかけた。
長年自分のお目付け役だった老描のブータニアス。
彼がいたら今ごろこっぴどく怒られていただろう。
しかし、彼は力を使い果たし消滅してしまった。
彼に叱ってもらえれば、未だにくすぶっている自分を無理矢理にでも動かせていたのかもしれない。
少なくとも気晴らしになる。
だが、その彼がいないことにさらに孤独と己の無力さを感じる。
そしてその原因である彼女への苛立ちも。
(まったくあの馬鹿女………いや、馬鹿なのは俺もか。)
瀬戸口はテレビの内容には相応しくない、苦々しい表情でテレビ画面を睨んだ。
そんな瀬戸口の何かを感じ取ったののみが、ちらと瀬戸口の顔を横目で伺い、
憂鬱な表情で視線をテレビ画面に戻した。
テレビ画面の中のお笑い芸人がかなり面白いことをしたらしく、
スタジオにやってきた観客は皆腹を抱えて笑うのだが、瀬戸口とののみは全く笑えなかった。
2人の気持ちとは矛盾して、テレビ画面は大騒ぎ。
だが、その大騒ぎは一瞬にして容赦なく、そして唐突に幕が降りた。
『臨時ニュースをお伝えします。昨夜、オーストラリアケアンズ基地が原因不明の爆発。
一瞬で消滅しました。』
「「えっ?」」
瀬戸口とののみはテレビ画面に釘付けになった。
心に冷たい、嫌なものが走る。
『焼け跡から基地内にいた隊員達は全員死亡したものと見られます。』
「未央ちゃん!!」
「――――っ!!」
ののみがテレビ画面に向かって友の名を呼び、
瀬戸口が乱暴に立ち上がり派手な音を立てて椅子を倒す。
『なお、赤松勇也十翼長(17)は事件当時基地を離れていたため無事。
隊長である壬生屋未央千翼長(20)の安否はわからず、行方不明となっています。
繰り返しお伝えいたします。昨夜オーストラリア……』
「そんな!未央ちゃん、未央ちゃん!!」
「落ち着けののみ!まだ……死んだと決まったわけじゃない…!」
テレビにすがりつき揺さぶるののみの肩を瀬戸口が掴んで落ち着けようとする。
行方不明と言いはしたがそれはただ単に、まだ遺体の確認ができていないだけ。
希望はゼロではないと言っておいて、実際には間違いなくゼロだ。
瀬戸口にはそのことが十分にわかっていた。
「でも…でも!!………ぅわぁぁぁぁぁぁんっっ!!!」
「…泣くなよ…………頼むから、さ……っ!」
ののみは瀬戸口の胸にすがって泣き叫び、
瀬戸口は抱き返すことができずただ下を向き、片手で顔を隠す。
いつか来るんじゃないかと予測して、覚悟していたつもりだったがいざやって来るとどうしようもなく辛い。
ののみの泣き叫ぶ声が止まる余地はなかった。
瀬戸口の両目から、一滴一滴、静かに涙が落ち始める。
その涙が壬生屋未央がこの世から失われたことを、より鮮明に告げているようで一気に涙が溢れ出そうになる。
が、その前にその涙を電話の呼び出し音がすんでのところで遮った。
その音は一般の外線ではなく、軍用の特別回線の呼び出し音だ。
一般の外線だったら無視するが、軍用のならばいかなる状態でも無視はできない。
ごくわずかに生き残ったいた理性を働かせて、瀬戸口は運良く近くにあった受話器を取り耳に当てた。
「………はい。」
軍用の電話でその返し方はまずいはずだがそこまで気が回らない。
通話先の相手はそれを咎めはせず、冷静な声で言う。
『私だ。芝村舞だ。すまないが瀬戸口、至急我らの元へ来てくれ。』
「………ニュース、知ってんだろ?今は……それどころじゃない。」
『…わかっている。だが、こちらの用件も重要だ。……瀬戸口、未央はまだ生きている。』
「………なんだって?」
『これ以上は電話では話せない。絶対に他に漏れるわけにはいかんのだ。』
「……わかった。ただし、ののみを連れて行く。独りにはできない。」
『承知した。では待っている。』
それだけ言うと、芝村舞は通話を終了させた。