瀬戸口が壬生屋の病室に入るとすでに先客がいた。
ベッドの横で椅子に座り、眠っている壬生屋を見ていたののみは、
瀬戸口が病室に入るなりすぐに駆け寄ってきた。
「たかちゃん!」
駆け寄ってきても成長したが故だろうか。
抱きついてこなかったのが少し寂しい気がした。
「もう起きていいの?」
「ああ。ちょっとフラフラするけど大丈夫だよ。壬生屋は?」
「まだ眠ってるけど、たぶんもうすぐ起きると思うの。
ねぇ、たかちゃん。みおちゃん、記憶消えちゃうの?」
ののみが心配そうな眼差しで見上げてきた。
こういうところは昔と変わらない。
「さぁ。こればっかりは壬生屋次第でもあるよ。
まぁもちろん、俺としての希望ってのもあるけど。」
「ののみはねぇ、忘れないで欲しいな。だって・・・見て。」
と言って、ののみは肩から下げていたポシェットから一枚の写真を取り出した。
それは以前、壬生屋がののみ宛に送ってきた写真。
真っ黒に日焼けした壬生屋と隊員達が全員笑顔で写っている。
「みおちゃんもゆうちゃんも隊員さん達も、こんなに楽しそうに笑ってるんだもん。
ちゃんと心が暖かいときがあったこと、忘れちゃめーだから。」
「そうだな、うん。
ののみは偉いな………と、そうだ俺、ののみに謝らないと!
ののみ、あの時は叩いてごめんな!痛かっただろ?」
瀬戸口は両手の平を合わせて頭を下げて謝る。
かつてのののみだったら、この時点ですぐに素直に許してくれるが、月日は女を変える。
少しの例外も無く。
「うん、ののみ、泣いちゃったよ〜。すっごくヒリヒリしたの〜。」
「だああっ、ごめんってば〜。
嫁さんにもらう以外の方法で責任取りますからぁ〜、何でも言うこと聞きますからぁ〜。」
このヘタレ、by作者。
「本当ですか〜?」
「ほんとうだって!」
「ん〜………どうしよっかな〜♪」
「後生だからぁ〜!俺とののみの仲だろ〜。」
「そこまで言うんじゃ仕方ないね。1つ、お願い聞いてもらえますか?」
「聞くとも!!」
「じゃあ、お願いです。
この写真をみおちゃんに渡してください。
そしてみおちゃんが起きるまで一緒にいてあげてください。」
「………そんなことでいいのか?」
ちゃっかりお願いが1つ増えてるがそこは気にしないでおこう。
「駄目?」
「いやいや、お安い御用さ。頼まれなくても、壬生屋が起きる時には側にいてやりたいし。」
「そっか。はい、お願いします。」
と言って、ののみは写真を渡すとそのままドアへと向かった。
「おいおい!どこ行くんだよ?」
ののみはドアを開け、外に出てからこちらへ振り向いた。
「みおちゃんはね、たかちゃんと2人っきりの方が嬉しいと思うの。
だからののみはここで失礼します。
えっと……こういうときは何て言うんだっけ……ん〜っと………そうだっ!
たかちゃん、みおちゃん。」
「??」
「ごゆっくり♪」
天使の笑顔で言ってドアを閉めた。
「おお〜い、ののみ!どこでそんな言葉覚えたんだよっ!
だいたいお前さん、意味わかって言ってるのか?」
叫んだところで返事はありませんでした。
「……………。」
ドアに向かって叫ぶのは無駄だとあきらめた瀬戸口は壬生屋のベッドを見た。
壬生屋はすやすやと寝息を立てていた。
瀬戸口の左の眼球を移植した左目は、白い包帯に覆われていて見えない。
しかし、不気味に動くような様子は見られず、無事に役割を果たしているようなのでホッとする。
瀬戸口はののみが腰掛けていた椅子に座らずに、
壬生屋の顔が間近に見られるよう、壬生屋から見て右側の床に膝をつく。
毛布から出ていた壬生屋の手をこちらへ寄せ、両手で握る。
こんなに近くで安らかな寝顔を見ることも、触れた手の温かさも奇跡のように感じずにはいられない。
それに触れるまで随分時間がかかった気がする。
「………壬生屋、今までごめんな。俺はずっとお前さんを傷つけてきた………。」
眠っていて聞いているはずは無いが、それでも届くよう祈るかのように目を閉じて瀬戸口は呟いた。
学兵の頃、壬生屋への想いを認めたくなくて何度も拒絶した。
認めた後も自分のせいでこの純朴な少女が変わってしまうのではないかと怖くて避けた。
小隊が解散し別れ別れになった後は、日々戦果を上げ昔のあの人に似ていくのが嫌で壊そうとした。
でも、それももう終わり。
終わりにするんだ。
「これからはずっと俺が側にいる。
何が起きたって、お前さんがどうなったって、ずっと俺が護るからな。」
「………そういうことは、わたくしが起きているときに言ってくださいませんか?」
「………!」
驚いた瀬戸口が目を開け、顔を上げると壬生屋がこちらを向いて微笑んでいた。
左目を隠すために巻かれた包帯の痛々しさを感じさせない優しい微笑みで。
「………起きてたのか?」
「だって瀬戸口君、あんなに大声で叫ぶからびっくりして起きてしまいました。」
「おいおい………それからずっと狸寝入りしてたのかぁ〜?」
「ごめんなさい。貴方と顔を合わせるのがちょっと照れ臭くて………。
その後はその………手を握ってくれるのが嬉しくて………起きるのが勿体無くなってしまいました。」
「馬鹿だな………眠ってなくたって、手くらいいつでも握ってやるさ。」
「そうですね………ありがとうございます。」
「いいさ、これくらい………。」
それからしばらく、2人は何も言わずに見つめあった。
「そうですか………皆さんのおかげですね。」
リクライニング式のベッドを起こしてもらい、壬生屋はベッドに背を預け、
ベッドの縁に腰掛けている瀬戸口と同じ目線で手術のことや軍内部への情報操作など、
あの後皆がどう動いたのか聞いていた。
手に瀬戸口から渡された写真を持つ。
「皆わたくしなんかのために………それに瀬戸口君の目まで………。
ごめんなさい、本当に。
皆さんにご迷惑をお掛けして………。」
「こら。」
俯く壬生屋の額に、瀬戸口は軽くチョップする。
もう片方の手は壬生屋の手を握ったままだ。
「皆迷惑だ何て思ってないし、“壬生屋なんか”とも思ってない。
ただお前さんのために自分らで好き勝手に動いただけだ。
謝られたくなんかない。
その写真の奴らだって、そう思ってるよ。」
瀬戸口の言葉に壬生屋は“自分なんか”と言って駄目出しされたときのことを思い出した。
でもどこで誰に言われたかは思い出せなかった。
(……………。)
壬生屋は誰に言われたか思い出そうとしたが、目の前で心配そうにこちらを窺っている瀬戸口を見て、
まあいいかと思った。
「そうですよね………ごめんなさい。」
「誤るの禁止!」
「えっ……!あ……で、ではその………。」
壬生屋は謝ること以外で彼らに対して何を言うべきか考えた。
答えはすぐに出てきた。
「あ、ありがとうございます………。」
「それでよし。でだな………お前さんに1つ決めてもらわないかんことがあるんだ。」
微笑んだまま、瀬戸口の目に真剣な色が入る。
「なんですか?」
壬生屋は瀬戸口の目を逸らせなくなる。
「この件に関してのお前さんの記憶を消すことができるそうだ………で、どうしたい?」
「記憶を………?」
「ああ。記憶を消せばお前さんは………その、部下を死なせてしまったことや操られてたこと、
辛いばかりのこの事件を忘れて生きることが出来る。
世界中の誰も覚えてない記憶で苦しむ必要がなくなるんだ。」
「貴方は………どう思いますか?」
「さぁな。教えない。」
「意地悪ですね。」
壬生屋は苦笑し、瀬戸口の問いに答える。
「………忘れたいのかもしれません。
あんなに優しかった方々が兄様みたいにバラバラになって動かなくなっていった光景、
今でもすぐに浮かんでくるんです。
たくさんの町でわたくしから逃げる人々が殺される瞬間の顔も、声も、はっきりと目に焼き付いています。
あの目から聞こえてくる声に逆らえなくて貴方達を傷つけようとしたときのこと、今でも怖いです。
それでも………。
それでもわたくしは但馬さん達と笑っていた。
舞さんや速水君、ののみさんに赤松君がわたくしのためにがんばってくれたこと。
その全てを忘れたくない………忘れちゃいけないんです。
それに、ね………。」
空いている手で瀬戸口の左目を包むように顔に触れた。
「貴方がわたくしに言ってくれたこと全部が、とてもうれしいんです。
あんなひどいことをしたわたくしがそう感じてはいけないと、とても贅沢だとわかっているんですが、
それでもその気持ちは変えられないんです。
知ってますか?
わたくしが今泣かないでいられるのは、貴方がわたくしにその言葉をくださったからですよ。」
壬生屋は愛しむようにそこにあるはずのない瀬戸口の左目を撫でた。
「どんなに辛い記憶を消せても、貴方のくれた言葉………想いまで忘れたくない。
だからどんなに苦しくても、わたくしは何も忘れずに生きていきます。
その………叶うのなら、ずっと貴方の側で。」
「………よかった。」
瀬戸口は壬生屋の言葉に応えるように、自分の左目を撫でている壬生屋の手に己の手を重ねた。
「壬生屋が辛い記憶を忘れて、笑って生きられるのは嬉しいんだけどさ、
俺がやっとのことで伝えられた言葉も忘れられちまうのはさすがに嫌だなぁ………って。
………叶うならって、そんなのこっちだって願ったり叶ったりだ。
ずっと側にいてくれ、壬生屋。
どこにも行くなよ。
俺だって、お前さんの側から離れたりしない。
決して。」
「はい………。
ずっとお側にいます。
もう2度と離れません。
だからその………貴方もどこかに行かないでくださいね。
わたくしが居たいのは貴方の側以外のどこでもないんですから。」
それから2人は微笑み合う。
互いに片目でしかその姿を映せないが、それで満足だった。
そしてどちらからともなく目を閉じ、告げた。
「愛してる。
………ずっと。」」
「愛してます。
その時、光が生まれた。
瀬戸口の左目を包む壬生屋の手が青く光る。
その光は何よりも清らかで、何よりも明るいものだった。
2人はその光に驚くが、その光の美しさ故に恐怖は感じない。
その光に癒されているようで心地よくすらあった。
光が消えると同時に、瀬戸口の左目に違和感が生じる。
………無いはずの左目に、感覚がある気がする。
「………まさか!」
瀬戸口は急いで顔に巻かれた包帯を外した。
直に左目を覆っていたガーゼが引き剥がすが何の痛みも無い。
左目を開いてみる。
見える。
はっきりと左目も壬生屋の姿を捉えている。
「なんで………なんで見えるんだ………?」
いつもならすぐに再生できる体なのに、今の今までできなかった。
だから左目は“完全に死んだ”と思ってあきらめていたのに。
目の前も壬生屋も驚いている。
だが、壬生屋の驚きの理由はもう1つある。
「せっ、瀬戸口君………目、目の色が………。」
「い、色?」
慌てて瀬戸口は辺りを見回す。
この部屋には物が無さ過ぎて鏡らしきものが見当たらない。
壬生屋も慌ててベッドサイドに置かれていた戸棚を引っ掻き回す。
と、そこに手鏡が1つだけぽつんと置かれていた。
まるでこの出番を待っていたかのように。
「瀬戸口君!鏡!!」
「!」
瀬戸口は壬生屋が自分へ向けた鏡に己の顔を映した。
そこに映る自らの左目は………蒼かった。
壬生屋の右目を同じ、晴れ渡った大空の蒼だ。
「蒼………そんな、鬼の俺が………。」
瀬戸口は鬼の力を呼び覚ました。
しかし、いくらやっても一向に身体に変化は見られない。
「鬼の力が………消えた。」
「………ということは、瀬戸口君は人間になった………ということですよね?」
「人間に………そうか、人間かぁ!」
「きゃあっ!」
瀬戸口は満面の笑顔で壬生屋に抱きつく。
起こされたままのリクライニング式ベッドに押し倒す。
「やった!これでもう、俺は化け物じゃないんだな!
お前さんと同じ、人間なんだな!!」
「もう………瀬戸口君ったら………。仕方ないですね。」
子供みたいにはしゃぐ瀬戸口を、壬生屋は困ったように笑って抱きしめた。