オーストラリア中央部上空 0831時。
かみかぜは強風が吹き荒れる荒野の上を飛んでいた。
空は灰色の重い雲に覆われ、時間が経つごとにどす黒い嫌な色になっていく。
それは幻獣が現れるときの空の色だ。
目的の人物に近づいているのを知らせてくれる。
「なんだか冷え込んできたな……嫌な色の空だ。」
運転席後方の席で、瀬戸口が空を見ながら呟いた。
「北半球の日本は今は夏だが南半球のオーストラリアでは冬だ。雲で太陽が隠された分、寒さが増したのだろう。」
舞の解説に瀬戸口は感心する。
「なるほど。だから防寒着が必要になるわけか。」
ダーウィンで補給した物資の中に、厚手のコートが何着が含まれていた。
「ばぁか。世界の常識だろ?そんなことも知らないのかよ。」
操縦席隣の席でナビゲーションをしている赤松が、瀬戸口の方を向かずに馬鹿にしたように言った。
「すまんね、長年日本で暮らしてたもんだからな。……こんな所に来るとは思ってなかったし。」
「おい。こんな所ってなんだよ………?」
「いい加減にしろ。私はここで言い争いを聞くつもりはない。やるなら今すぐかみかぜから降りてもらおうか。」
「す、すみません…。」
いちいち瀬戸口につっかかるような赤松とそれを皮肉で返す瀬戸口。
舞が間に立って喧嘩に発展するのを防ぐ。
ダーウィンを経ってから何度も繰り返されているやり取りである。
舞は“何度も”という回数的な問題と強風の中でかみかぜを操ることによる緊張で気が立っているのだ。
「おい貴様ら…。先ほどから何度やれば気が済むのだ?我らが友の一大事だということをわかっているのか?」
「……っくしゅん。」
「……我が怒りに対してくしゃみで返事をするとはいい度胸だな?どちらだ、そんな不届き者は!」
「お、俺じゃないですよ!隣に居るんですからくしゃみをしたかどうか見えるじゃないですか!」
「かといって俺でもないよ。芝村の聞き間違いじゃないのか?」
「我が耳に聞き間違いなどあるわけがないだろう!」
「はくしゅ!」
「あれ?まただ……変だな、俺達はお互いの顔を見てしゃべってたから誰かがくしゃみしたらすぐにわかるはず…。
誰もくしゃみしてなかったよな?……まさかおばっ、おばけ!?」
勝手に1人で混乱し始める赤松の頭を舞が小突く。
「そんなわけないだろう。瀬戸口?」
「……ああ。この声は間違いない。芝村…ちゃんと確認したのか?」
「それはもう後の祭りだ。すまないが迎えに行ってくれ。」
「はいよ。」
瀬戸口は深いため息を吐いて立ち上がった。
コックピット後ろのドアを開けて格納庫に入る。
何かの気配を探りながら歩き、奥にあった木箱の前で立ち止まる。
「いるのはわかってるよ。だから出てきたらどうだ、ののみ。」
すると瀬戸口が呼びかけた木箱の中からののみが姿を現した。
「え、えへへ……ばれちゃった?」
「ばれちゃったじゃないだろ?はぁ…とにかくこっちにおいで。寒いだろ?」
「うんっ!」
ののみはぴょんと木箱から飛び出した。
瀬戸口と共にコックピットに入る。
「ほら。寒いからこれを着な。」
「うん!ありがとたかちゃん。」
瀬戸口に渡されたダウンジャケットを羽織って、ののみは瀬戸口の隣の席に腰を下ろした。
(だ、誰だ?この子……?)
怪訝そうな目で窺う赤松と目が合うと、ののみは元気な笑顔で自己紹介する。
「はじめまして♪東原希望ですっ。ののみって読んでね。未央ちゃんとはお友達なんだよ。」
「は、はぁ……。」
「……ののみ、お前はいつから忍び込んでいたのだ?」
ため息交じりの声で舞が尋ねた。
呆れ顔で前を見て操縦する。
「昨日の夜からだよ。……だって舞ちゃんもたかちゃんも、ののみのこと連れてってくれないんだもん。
夕飯食べた後に基地に行ったらあっちゃんがいて“ここに隠れているといいよ”って教えてくれたの。」
「厚志〜!!」
「あいつもグルかっ!」
舞と瀬戸口の脳裏にあのぽややんな笑顔が浮かんだ。
手まで振っている。
「あっちゃんのこと、怒んないであげてね。
ののみ、未央ちゃんのことどうしても心配だから勝手に皆のお話を盗み聞きして、
勝手に着いてこうとしたのを助けてくれただけなの。
だから待っててって約束を破ったののみが悪いの。
ごめんね………でも、ののみだって未央ちゃんを助けたいから。
だからね…だからね、ののみも一緒に連れてって!
お願いします。」
ののみが必死の思いで2人に頭を下げる。
友のことを想って単身軍用ヘリに忍び込み、ここまで来たのだ。
その想いは間違いなく本物だ。
やれやれだな、と舞が呟き苦笑しながら応える。
「連れてくも何も、こんなところまで来ておいて今更引き返せまい。
お前の想いがそれほど強いのなら、共に未央を迎えに行こう。」
舞が振り向き、信頼した仲間にしか向けない笑顔をののみに向けた。
そして操縦がおろそかにならないよう、すぐに体の向きを戻した。
「うんっ!」
「……頼みたいことがあるなら“お願いします”って言うんだって教えたの、ちゃんと覚えてたんだな。」
満面の笑顔で舞の笑顔に応えているののみの頭にポンと瀬戸口は手を置いた。
昨日平手打ちした手前、今ここで同行を認めるのが負けを認めるようで照れ臭い。
「危なくなったらすぐに逃げること。無茶はしない。いいな?」
照れ隠しに瀬戸口は前方のフロントガラスの向こうの景色を見ながら言った。
この娘はもう、子供じゃないのだ。
「………!はいっ♪了解したのよ!」
ののみはぱぁっと明るい笑顔で瀬戸口に敬礼した。
瀬戸口は困ったように微笑みながらののみに向き直り敬礼を返した。
ののみはしばらく嬉しそうに敬礼を続けると、呆然とその光景を見ている赤松の視線を感じて振り返った。
「ということでこれからよろしくなのよ、ゆうちゃんっ♪」
「ゆ、ゆうちゃん……。」
赤松はなかなかののみのパワーに慣れなさそうだ。
「ところでののみ。どうやって我らの話を盗み聞きしたのだ?」
「んっとね、お部屋の前にいたおじちゃんにトイレに行きたいって言ったらトイレの上に入れるところがあって、
そこからあっちゃんのお部屋の上まで行ったの。」
「そうか……なるほど、頭を使ったな。」
「えへへ。舞ちゃんに褒められたのよ〜♪」
(あの男。帰国したら即刻降格だ。)
オーストラリアから遠く離れた国、日本。
某基地内部で1人のおっちゃんが壮大な親父くしゃみをした。
鼻をすする。
「あ〜っ……誰か俺の噂でもしてんのかなぁ?」