エアーズロック付近上空 0912時
エアーズロックの雄大な姿が見えてきた。
「もうそろそろのようだな……。」
舞は前方の巨大な岩を睨みつける。
「この空の色だ。敵さんもそろそろ出迎えに来る頃だろ。どうするんだ?こんな軍用ヘリ一機で。」
瀬戸口の問いに舞が不敵に笑って応える。
「案ずるな。そして芝村が開発したこのかみかぜを甘く見ないでもらおう。……まぁ見ていろ。」
「前方に熱源反応あり!来ます!!」
レーダーを見ていた赤松がコックピットの全員に伝えると、すぐに幻獣の黒い影が視認できるようになる。
「来たな……芝村の科学の粋、とくと見よ!!」
舞は操縦桿横の赤いボタンを押した。
先に言っておくがこれは自爆装置ではない。
何かが始動する音が機体全体に響き、それが終わる頃にはかみかぜは、先陣を切っていた幻獣の目の前にいた。
舞は操縦桿を切る。
「ひいぃっ!!」
赤松は目前に迫った幻獣から目をそらすように、自分が座っている席の背もたれにしがみついた。
が、しかしかみかぜは幻獣にぶつかることも追いかけられることもなかった。
「このかみかぜにはステルスが施されている。任意で敵から姿を隠すことが可能だ。」
そう、コックピットからではわかりようがないが、現在、かみかぜは幻獣の目には見えないようになっている。
「なるほどな。これで堂々と敵さんとの戦闘を避けられるわけだ。」
「その通りだ。無数に湧いて出る幻獣に、いちいち対応する馬鹿は居まい。」
敵の目に映らずに真正面から突破できるのであれば、あとは目の前にある障害物を避けるパイロットの腕前次第。
「厚志ほどとはいかないがこれでも私は士魂号のパイロットの1人だ。避けることなど造作もない!」
舞が操縦桿を小刻みに動かす。
かみかぜは無駄な動きなど一切せず、確実にただ闇雲に突っ込んでくるだけの幻獣をかわす。
「舞ちゃんかっこいい〜!」
ののみがキラキラした目で舞に賛辞を送る。
「無論だ。これくらいの桿さばき、芝村には造作もない。」
しれっとした台詞ではあるが、舞の声には照れと興奮が混じっていた。
「す、すごい……。さすが芝村竜師…。」
赤松の心臓はまだドキドキしていた。
「すごいよねぇ、舞ちゃん。だから大丈夫なのよ、ゆうちゃん♪」
ののみがにこにこ笑顔で赤松を励ます。
「そ、そうだね………。」
幻獣の突撃を避けて進んでいるうちに、突然幻獣の姿が見えなくなった。
「なんだ……?」
舞が操縦桿を握りながら眉をひそめる。
「熱源反応、なし。幻獣はどこにもいません。」
赤松がレーダーを確認する。
幻獣を示す赤い点が1つも示されていなかった。
「いや、違う、そうじゃない。………あいつの所に来たんだ。」
瀬戸口はぼそりと呟くと席から立ち上がった。
「はぁ……?どういう意味…っておい!」
赤松の言葉を最後まで聞かずに瀬戸口はハッチを開けるとそこから飛び降りた。
「おい!死ぬ気かあんた!!」
「大丈夫なの。たかちゃんはね、未央ちゃんに会いに行ったの。」
レーダーには人間を示す青い点が1つ示されていた。
「会いに行ったって!あ、あんな高さで!!」
赤松は瀬戸口が飛び降りたハッチまで駆け寄り下を見る。
瀬戸口の上着が破れ背中から赤黒い悪魔のような羽が生えた。
「なっ……!!」
瀬戸口の異形の姿に赤松は目を見張った。
「……赤松。事情はいずれわかるだろう。とにかく今は近くの岩場にかみかぜを隠すぞ。」
舞はかみかぜをゆっくりと降下させた。
「っはぁ……はぁ…はぁ……っ!」
嘆きの発作が治まると、幻獣の誕生も治まった。
壬生屋は激しく肩で息をしながらその場に座り込む。
最初は瀬戸口に必要とされない我が身を嘆いてのことだった。
でも今は己の感情のせいで部下達を死なせたこと、オーストラリア中の集落を消したこと、その原因が自分であること。
全ての嘆きが壬生屋の左目から幻獣を産ませるのだ。
ならば自分の心がなくなれば幻獣を産まずに済むのだろう。
だが、そんな簡単に自分自身の心を捨てられるほど壬生屋は心の弱い人間ではない。
こんな時でも、学兵時代の優しかった瀬戸口の姿が瞼に浮かんでしまう。
「誰か……助けて。瀬戸口君……。」
「……………呼んだか?」
「……!」
壬生屋ははっとして顔を上げた。
一瞬幻かと思ったがそこには背中から羽を生やした瀬戸口の姿がある。
しかし学兵の頃の優しかった瀬戸口ではなく、自分を拒絶する瀬戸口だ。
「……なんで、ここにいるのですか。」
「……さぁな。ただ、芝村やののみ、速水がほっとかせてくれなかったからな。
俺自身、なんで来なければと思ったのか今でもわからない。何ができるのかも。」
「そうですか……。」
「ああ…。」
壬生屋はゆっくりと立ち上がった。
足元がふらつく。
「わたくしの姿、醜いでしょう……?」
壬生屋のいつのまにか元の長さに戻った髪はバサバサだった。
体はすっかり痩せこけていた。
昨日映像で見た一部だけ赤かった白い浴衣は真っ赤に染まっていた。
「たくさんの人の血を浴びたせいで髪は痛んで、白かった浴衣は真っ赤になりました。
何度も泣いて叫んだから体がフラフラします。」
「そうか……。」
瀬戸口の目が悲しく歪む。
俺はこんな姿は見たくなかったのに。
「わたくしは、貴方にはこんな姿見られなくなかった。……だって、もし、見られたら………うっ!!」
壬生屋の右目から涙が一筋だけ流れ、左目に激痛が走る。
それは幻獣が壬生屋の左目から産まれる合図だ。
「辛くて……悲しくて………そのせいで貴方を殺してしまうから!!」
壬生屋の喉から絶叫が漏れ左目から無数の幻獣が産まれる。
日本でよく見た種類もいれば全くお目にかかったことのないのまでいる。
「壬生屋!!っくうっ……!!」
瀬戸口は右手右肩を高質化させ、鬼の右手となった。
その余波で右頬の皮膚まで硬質化し、前頭部の右と左に角が生え、犬歯が伸びる。
暁色の目は幻獣のそれと同じ、血の赤になった。
壬生屋の嘆きが一通り納まり、幻獣の誕生が止まるまで瀬戸口はひたすら幻獣を貫き、引き裂き、捻り潰した。
幻獣達は全て壬生屋の左目という、同じ場所から誕生するので片手だけで事足りる。
幻獣の姿が消え壬生屋の姿が見えると、壬生屋はその場に座り込んでいた。
一通り嘆き疲れたのか、しゃっくり上げてむせていた。
泣き顔を見られたくないのか、はたまた何も見たくないのか、両手で顔を覆っていた。
「いやぁ……瀬戸口君………瀬戸口君……。」
壬生屋には顔に覆った両手を離せなかった。
もし離して瀬戸口の遺体を見てしまったのなら、もしくはそこにいなかったのならまた激しい発作に襲われ、
無数の幻獣をこの世に生み出してしまうからだ。
恐怖で震える壬生屋の肩を、瀬戸口がとまどいながらも優しく抱きしめた。
「怖がるな、壬生屋。俺は死んでない……死ねないんだ。目を開けて、俺の姿を見てみるんだ。」
壬生屋は自分の包む暖かさと、瀬戸口の弱々しくも優しい声に一抹の安堵を覚え、ゆっくりと目を開けた。
瀬戸口の顔と鬼の右手を見つめる。
「俺だって……醜い。お前さんには言わなかったが、俺は元々は鬼………醜い幻獣なんだ。
だから俺は……俺は鬼だから死にたくても死ねないんだ。
どうやっても、お前さんは俺を殺せないんだよ。」
今まで壬生屋にだけは曝け出したくなかった自分の本性を、壬生屋のために瀬戸口は語った。
その想いに壬生屋は左目から一筋の涙を流し、二筋目が右目から流れようとしている。
「俺は今も昔もお前さんの泣き顔だけは見たくないから、お前さんが泣き止むまでずっと幻獣を殺し続けるよ。
お前さんの悲しみを止めることはできなくても、それくらいならできる。」
「瀬戸口君……。」
壬生屋はそれだけ言うと、瀬戸口の胸に顔を埋めて涙を流し始めた。
今度は幻獣が産み出されはしなかった。
「どうやら、そろそろ迎えに行けそうだな……。ののみ、未央の精神はどうだ?」
「うん♪大丈夫、暖かくなってきたのよ!」
舞達は近くの岩陰で瀬戸口と壬生屋の様子を見守っていた。
「あいつは……一体…。」
「今はそんなことどうでもいいだろう?行くぞ。」
舞とののみは抱き合う2人の元へと歩き出した。
1歩遅れて赤松が続く。
「未央、迎えに来たぞ。」
「未央ちゃん、お久しぶりなの。一緒に日本へ帰ろうよ!」
舞とののみは瀬戸口の背中に向かって壬生屋に話し掛けた。
壬生屋はゆっくり顔を上げ、瀬戸口の肩越しに恐る恐る舞とののみの姿を確認した。
その様に安堵の息を吐くと、瀬戸口は人間の姿に戻り、体の向きを変えて自分と壬生屋が舞達と向き合えるようにする。
「ありがとうございます。………ご心配お掛けしました。それに………赤松君。」
壬生屋は舞とののみに微笑んで頭を下げると赤松の方へ向き直る。
瀬戸口が壬生屋を抱きしめる手に少し力を入れた。
「すみません……ごめんなさい、わたくしは取り返しのつかないこと」
“をしてしまいました。”と続けようとする壬生屋の言葉を赤松は元気な明るい声で切る。
「いいっすよ!隊長のせいじゃないし、隊長が無事なら。」
「でも……。」
なおも謝ろうとする壬生屋の言葉を、今度はわざとらしい咳払いで舞が切る。
「あー、なんだ。自責の念に駆られるのはいいが、まずは事態を治めることとしよう。
未央、まずはシンガポールにある芝村の研究所に行って、その目を摘出する。」
「はい。………ですがその、何度も目を潰そうとしたのですけど……その……ののみちゃん、
ちょっとあちらを向いてらしてくださいな。」
「?いいよ?」
ののみが背を向けたのを確認すると、壬生屋は左手の指を左の眼窩に突っ込んで眼球を潰した。
だが、左指を眼窩から引き抜き終わるころには、左目は元通りに無傷でそこに収まっていた。
「このように再生してしまうのです。取り出してみてもまた新たに作られていきます。
………なんでしたらご覧になりますか?」
「「「いい、いい!!それはいいから!!!」」」
壬生屋は、唐突に左目を潰すというショッキングな光景を繰り広げたかと思いきや、再びそれを実行しようとする。
その光景を見ていた3人が全力でそれを阻止した。
「?」
3人の突っ込みに振り返ったののみだが、事態を把握することはできなかった。
「ま、まぁそれはそれで詳しく調べてみなくてはな。シンガポールへ行こう。
未央、行くぞ。」
「はい。っとと……」
立ち上がり歩こうとした壬生屋だが、足元がふらついてうまく歩けない。
立てはするがフラフラだ。
瀬戸口が立ち上がって壬生屋を支える。
「す、すみません……。」
「無理はするな。その容態では歩くことも酷であろう。瀬戸口、責任持って運べ。」
「「は、運べって……。」」
舞の発言に、瀬戸口と壬生屋は同時に呟いた。
それがなんだか妙に照れ臭くなる。
「ほら、行くぞ。」
「は、はい……。」
瀬戸口が壬生屋を抱えるために身を屈めようとしたそのときだった。
させん……させんぞぉっ!!
「………!!」
壬生屋の脳に声が響いた。
初めて幻獣を産み出したときに聞こえたあの声だ。
頭がひどく痛む。
頭を抱えてその場にうずくまった。
「おい壬生屋、どうしたんだよおい!」
「未央ちゃん、大丈夫?」
「未央、しっかりしろ!!」
「隊長?具合でも悪いんですか?」
壬生屋以外の誰にもその声は聞こえないようだ。
いや、
(あれ……誰の声?)
ののみだけは感づいていた。
しかしそれでも今は何の意味もない。
まずい、左目がうずく。
「来ないで!!」
壬生屋は瀬戸口を突き飛ばすと彼らと距離を取った。
「う……う……くっ…!」
必死で抑えようとするが左目のうずきは止まるどころか激しさを増す。
駄目だ、抑えられない!!
「ぅ……あああああああああーーーーっ!!!」
「なっ!!」
壬生屋の左目から再び無数の幻獣が誕生する。
機転を利かせた瀬戸口が一瞬で鬼化し、絶技でバリアを張り舞達を守る。
バリアに触れた幻獣はこの世から消滅していく。
私が受けた屈辱はこのくらいでは納まらん……まだ終わってたまるかぁ!!
「きゃあああああああああっっっ!!!!!」
壬生屋の脳に直接響く声に呼応するかのように壬生屋の体が宙に浮かぶ。
そしてさらに多くの幻獣が現れた。
バリアで3人を守りながら戦うには無理な数だ。
「くそっ……一旦退却だ!かみかぜまで戻るぞ!!瀬戸口、援護しろ!!!」
舞が断腸の想いで3人に向かって叫ぶ。
「なっ……!」
「えっ……!」
「そんなっ!」
「私だって思いは同じだ!だが……どうしようもないだろう!!」
そう言い放つと舞は後ろを見ずに走り出した。
顔に抗議の色を浮かべた3人だが、何も言い返せず舞の後を追うように走り出した。
しんがりでバリアを張りつつ走る瀬戸口の背中に、壬生屋は声を絞り出して叫ぶ。
「お願い瀬戸口君……!わたくしを殺してください!!わたくしがわたくしであるうちに!!!」
その声は瀬戸口にしか届かなかった。
瀬戸口はその言葉に一瞬足が止まったが、それを振り切るようにすぐに走り直す。
(どうして……どうしてお前までそんなこと言うんだよ!!!)
瀬戸口がかみかぜに駆け込むと、姿を消したかみかぜは一目散にその場を後にした。