翌日になって、朝食後に身支度を整えた隆之達が広間にやってくると、
「さあ、水のリング探しに出発よ!」
当然のように旅の準備を終えた希望がいた。
革のドレスを身にまとい、うろこの盾を手にして腰にはいばらの鞭を収めている。
「・・・えっと・・・何?」
何がどうしたかわからない隆之が、茫然となりそうな頭を抑えて何とか希望に尋ねる。
すると希望はむっとして、
「何って、水のリング探しを手伝ってあげるって言ってるの!
 ほら、小さい頃約束したじゃない“大きくなったら、また一緒に冒険しよう”って。
 隆之が未央さんと結婚したら、一緒に冒険に行くことは出来なくなっちゃうからね。
 これが最初で最後のチャンス!
 止めたってついていくから!!」
そして、反論は許さないと言わんばかりに力強く言い切る。
勢いに押された隆之は仲間達の方に視線を向けたが、
「・・・・・・。」
誰も何も言ってこない。
全員が隆之と同じ心境――“止めたって無駄っぽい。”と思っているようだ。
それを確認すると、再び希望へと視線を戻す。
言ったって聞かなそうな感じは変わらない。
その頑固っぷりが、昨日の誰かとデジャヴュするが・・・、
(まあ、いいか。約束は約束だし・・・。)
「・・・わかった。一緒に来て水のリングを探すのを手伝ってくれ!」
小さい頃のように、一緒に楽しい冒険が出来たら――。
それが楽しみに思う心が生まれてきて、隆之は希望の同行を承諾した。
「やったー!そうこなくっちゃ♪」
こうして、一時的ではあるが、希望が仲間になった。


 すると、いざ出かけようというときに、
「待ってくれ、隆之。君に話があるんだ。」
希望の父が尋ねてきた。
「俺に?」
「何よ、出かけ際に。」
隆之が振り向いて、希望が唇を尖らせた。
希望の父は娘に苦笑を洩らすと、
「なぁに、すぐに済む。
 ちょっと隆之と男同士の話がしたくてな。
 悪いが、希望は外で待っていてくれ。」
「えー、何よそれ。
 私が居たら邪魔ってこと?」
「まーまー、希望。
 そうだ、道具屋に行って、買い忘れがあったら買っておいてくれないか?」
除け者にされたような気がした希望が本格的に機嫌を損ねる前に、隆之が間に入って提案する。
すると希望は、
「・・・しょうがない。
 そういうことなら、先に行っててあげるわ。
 そうだ♪スラりん、ドラきち!おいで、お菓子買ってあげるわ♪」
「ピキー!!」「ピピピーー♪」
納得してくれたらしく、お菓子を買ってもらえると大喜びなスラりんとドラきちをつれて家から出ていった。
希望が扉を閉めると、希望の父が扉に耳を当て、希望が遠ざかったか確かめている。
それを見た残りの仲間モンスター達は、
「拙者達も、先に出ているでござるよ。」
気を遣って東原家を後にした。
「あ、ありがとう、皆。」
仲間達は“気にするな”といった感じで出ていったが、
皆は気になって(特にゴシップ好きなマーリンやクックルが)、
黙って退散などすることなど出来ずに気配を殺して壁に耳を付けて中の様子を伺った。
仲間モンスター達が出ていって、隆之と希望の父の2人だけになる。
「隆之、君に頼みがあるんだ。」
そう言って話を切り出すと、
「ちょっ・・・おじさん!何をしてるんですか!?」
なんと、希望の父は膝まづいて頭を垂れた!
隆之が慌てて頭を上げさせようとするが、希望の父はそのままの姿勢で話を始める。
「隆之、もし君さえ良ければだが、希望を・・・あの子をもらってやって欲しいんだ!」
「えっ?」
突然の言葉に意味がわからなかった。
「希望は・・・あの子は、私達夫婦の実の子ではないんだ。」
「そんな・・・!」
「あの子にはまだこの事は話していない。
 しかし、それでも私達は実の子のように可愛がっていた。
 それ故に、あの子の今後が気がかりでならないんだ。
 妻に先立たれ、私もいつまた病に伏せるかわからない・・・。
 だから私が旅立つ時が来てもあの子が独りにならないよう、ずっと側に・・・家族になってやって欲しい。」
「おじさん・・・。」
希望の父の切実な願いを聞いて、隆之は何の返事も返すことが出来なかった。
自分はそもそも、未央の花婿になるため、水のリングを手に入れるためにこの村に来たのだ。
でも、幼なじみの境遇を聞いて心が動かされないわけではない。
すると、
「す、すまないな隆之!妙なことを口走って!」
困り果てて何も言えないでいる隆之を見て、正気に戻った希望の父が慌てて立ち上がった。
「君には婚約者がいるというのに・・・今のは忘れてくれ。
 まあ、あれだ、私が言うのもなんだが希望もなかなかの器量だしな!
 そのうち、良い相手が見つかるよ!
 さ、さて・・・滝の洞窟には凶悪なモンスターが出るらしい。
 希望を、よろしく頼むよ。」
「はい・・・では、失礼します。」
何と言って返せばいいのかわからず、隆之は何とかそれだけを言って東原家を出た。


 それから山奥の村を出発して、
希望という助っ人を得た隆之一行は船に乗り込み滝の洞窟へと向かう。
一晩ずっと船の番をしていた船乗りは希望が同行すると聞いてごく僅かに目を丸くしたが、
彼女が隆之の幼なじみだということを説明すると納得した様子で蝶を指に留まらせるのだった。
口数も少ない方らしいので、不確かな憶測を不用意に言いふらしたりはしないだろう。
希望が装置を動かして開けてくれた水門をくぐって川を上るとすぐに大きな湖に出る。
目的の場所はその先に、濡れるのを覚悟で滝をくぐるとそこには確かに洞窟があった。
「うわー・・・きれーい!」
素直な感想を漏らした希望が言うとおり、天然の水がそこかしこで流れて澄んだ青色を作っているのはとても綺麗だ。
岩壁の隙間から漏れ出たらしい日の光がさらに風景を良きものにする。
大自然が作る芸術に圧倒され、自分達が今さっきくぐってきた滝をずっと見上げ続けている希望の様子が
10年前からちっとも変わっていないことに隆之は小さく笑みをこぼすと、
「希望ー!ミーティングを始めるからこっちおいでーー!」
未だに甲板から降りずに船の上の人だった希望を呼び寄せる。
「あ、はーい!」
我に帰った希望が振り向くと、船の上にいるのは自分と船乗りだけだった。
希望は慌てて船を降りると隆之達のもとへと駆けてきた。
隆之は希望が輪に加わったのを見ると、話を切り出した。
「よし、皆。
 この洞窟は死の火山とは違って通路が狭くて馬車が通れない。
 だから進むのは俺を含めた選抜メンバーで、あとは船の番を頼む。いいか、皆!」
「はーい!」「あいわかった。」「了解じゃ。」「ガウッ!」「ピキー!」「パタパタ!」「ピーヒュー。」
「・・・とすると、あとは誰を連れてくかだが・・・。」
「隆之〜、もちろん私は一緒に行くわよ。もちろん虎鉄もね!」
希望は隆之の言葉を遮って釘を打った。
隆之もそれを心得た様子で苦笑を洩らす。
「わかってるよ、姉の命令には逆らいませんて。
 希望と虎鉄・・・となるとあとは・・・そうだな、マーリンだと使える呪文が希望と被るし、
 ピエールを連れていくと船の守りが手薄になるな・・・うん、よし!クックル、一緒に来てくれないか?」
「ピピッ♪」
隆之に指名されたクックルは嬉しそうに羽を広げて答えた。
そのまま隆之のもとへ飛んで隣りに立つ。
他のメンバーから異論が出ないのを確認し、
「よし、じゃあ行ってくる!皆、留守を頼むな!!」
「あいわかった!」「いってらっしゃ〜い。」「ピッキキ♪」「キキー!」
留守番メンバーが元気の良い声で返事をすると、
「OK、じゃあ出発だ!」「いってきまーす!」「ガウガウ!」「ピピー。」
その声に見送られて隆之、希望、虎鉄、クックルは洞窟の奥へと足を踏み入れた。


 「あ、そうそう!」
「ん・・・どした?」
角を曲がり、留守番メンバーが見えなくなった辺りで、希望が何かを思い出したらしく足を止めた。
つられて隆之達の足も止まる。
すると希望は、隆之に向けて人差し指をびしりと突きつけ、
「・・・うちの父さんに何か言われたでしょう?」
「えっ?」
図星を指されてどきりとする。
質問への答えはその反応だけで十分だったらしく、希望はため息を吐きながら隆之を指さしていた指を下ろす。
「・・・どーせ、
“娘は私達の実の子供じゃない。私にもしものことがあったときのために、あの子をもらってやってくれないか?”
 とか何とか言ってたんでしょ?」
「あ、ああ・・・うん。そうだけど・・・。」
内容が内容なだけに正直に答えてよいものか迷いもあったので、歯切れ悪く答えた。
答えを聞いた希望は、大してショックがないようで、
「やっぱりね・・・あ、気にしないで!
 ほら、私ってどう考えても両親のどちらにも似てないじゃない?
 だから薄々わかっていたの。
 問題なのはそのことじゃなくて。
 あのね、隆之。
 うちの父さんにそう言われたからって、私と結婚しなきゃとか考えなくていいんだからね!
 同情で結婚なんて、私絶対嫌だし。
 それに、貴方には婚約者がいるんだから、ね♪
 さ、この話はもう無しにして、とっとと行くわよ〜!!」
明るく笑いながら一足先に洞窟の奥を目指して歩きだした。
その明るさをどこか不自然なものだと感じた隆之と虎鉄は、
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
どうしたのものかと無言で顔を見合わせた。


 一方その頃、日がすっかり高いところまで登ったサラボナでは、
「ん・・・まき・・・さん?」
「まぁ、圭吾・・・!よかった、目が覚めたね!」
それまでずっと意識を失っていた圭吾がようやく目を覚ました。
傍らで看病をしていた未央が心底安堵した様子で圭吾の顔を覗き込む。
しかし、圭吾は今までずっと眠っていたためなのか、まだ夢の中にいるようにぼんやりとしている。
愛しの未央がいるというのに覇気がない。
「あれ・・・未央?真紀さんが来ていたのではないのか・・・?」
未央は知らない名前を聞かされてきょとんとする。
「まき・・・?いいえ、ここには瀬戸口さんしかお見舞いに来られていないわよ。」
「そう、か・・・。」
未央の言葉を聞いて、圭吾は残念そうに眉をひそめる。
「おかしいな・・・真紀さんが作った薬の匂いがするのに・・・。
 あの、青い髪がきれいな・・・やさしい・・・。」
それだけ言うと、圭吾は再び瞳を閉じて眠りの世界へ帰って行った。
「圭吾、圭吾・・・!・・・また眠ってしまったのね。」
せっかく目が覚めたと思ったのに残念だが、それでも一度は意識が戻ったのでとりあえず安心だろう。
そこでふと窓に目が行く。
そうだ、自分がここに来てからずっと、空気の入れ替えをしていなかった。
淀んだ空気ではなく新鮮な空気の方が圭吾の傷にも良いだろうと思って、未央は窓に手をかけた。
すると、
「・・・あら?」
窓の外を見下ろすと、青い髪の少女がこちらを見上げているのに気づいた。
目が合うと少女は遠目から見てもわかるくらいにはっきりと、肩を跳ね上がらせて驚く。
その拍子にどういうわけだか頭上に金だらいが落ちてくる。
(青い・・・髪。もしや彼女が・・・。)
未央の視線の先で青い髪の少女が頭を押さえながら駆けだした。
「あっ!ま、待ってください・・・!」
青い髪の少女が駆けだすのを見ると、未央は慌てて圭吾の部屋を飛び出し後を追いはじめた。
未央はワンピースの裾を指先で持ちながら走る。
幸い、何故か道には等間隔で金だらいが落ちていたので青い髪の少女を見つけるのは容易かった。
――ゴンッ!
「いたっ!」
今もまた、町はずれの空き地に立っている大木の蔭から何かに当たった金だらいが跳ね返っているところだった。
「あ、あの・・・真紀さん。真紀さんですよね?」
未央は思い切って大木の向こう側に呼び掛けた。
金だらいがまた1つ降ってきて跳ね返る。
「・・・・・・。」
しばらくは無言だったが逃げ場がないと悟ったらしく、ゆっくりと大木の蔭から出てくる。
「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!そ、そうです、私は田辺真紀と言いますっ!」
青い髪の少女―真紀は金だらいによるダメージのためか目を若干潤ませて、おどおどした様子で自己紹介した。


 ちょうど同じ頃、滝の洞窟では―。
「――でさ、お嬢様のくせに死の火山までやってくるなんて、何事かと思ったね。」
「あら、ずいぶん行動的なんだね。イメージと違う。」
隆之と希望が会話しながら歩いている。
滝の洞窟は死の火山とは違い、澄んだ水が心地よい清涼感を出していてなんだか心まで澄んでいくようだ。
これでモンスターさえ出なければ良い観光スポットになるだろうに。
隆之一行は周囲に気を配りながらも会話を止めることはない。
その話題は、
「そうそう。室内で編み物でもしてそうな深窓のお嬢様かと思いきや、
 モーニングスター振り回してモンスター退治だもんな〜・・・ったく、どんなお嬢様だよ。」
「でも、そんなに勇敢なら隆之と旅をすることになっても大丈夫そうだね、未央さんは。」
隆之が結婚する相手、壬生屋未央のことである。
「・・・まぁ、あの修道院の出だって言ってたし、多少は戦えるのなら俺も助かることは助かるよ。
 仲間達も気に入ったみたいだし、回復呪文も使えるし。」
「あ、やっぱり回復呪文使える女の子はポイント高いわよね〜。私も覚えられたらいいのに。」
「そればっかりは仕方がない。本人と魔法の相性が合わないと。」
「・・・どーせ攻撃呪文しか覚えないガサツ女ですよ〜。」
「まあまあ、そう言うなって。あー・・・でもさぁ、希望?」
「何?」
何かを尋ねてきた隆之に何事か尋ね返すと、隆之は思案顔になっていた。
「・・・俺とお嬢様が結婚した場合、お嬢様を旅に連れて行くべきなんだろうか?」
「・・・何でまたそんな質問?夫婦なら一緒にいたいに決まってるじゃない?」
「そうなんだけど・・・旅慣れしてないお嬢様を連れて行って、危ない目に遭わせたらどうしようかと。」
隆之の声がだんだんトーンダウンしていく。
そんな様子に希望はやれやれと溜息を吐いた。
「仮に未央さんをサラボナに残して隆之だけ旅に出たとして、
 貴方がどこで危ない目に遭ってるかわからない状況になるなんて、待つ身としては心配でたまらないわよ。
 そうしたら貴方がいない寂しさを紛らわすために浮気!・・・なんてことになるかもよ?」
そう言って、隆之が慌てるのを想像していた希望だったが、
「浮気・・・。・・・ああ、そうかそれなら仕方がないのかもな・・・。」
隆之は慌てることなく、ただ普通に納得しただけだった。
そんな何でもない隆之の態度に、希望が怪訝な表情になる。
「仕方がないかも・・・って、未来の旦那さんとして慌てたりしないの?」
「あっ!・・・そうだよな、結婚相手に浮気されたら慌てたりするよな、うん・・・。」
希望の問いに対し、答えになっているのかどうかわからない呟きをすると、隆之が足を止めた。
それに合わせて、希望と仲間達の足も止まる。
「なあ希望、俺、お嬢様が浮気するかもって聞いても、全然何とも思わなかった・・・。」
「隆之?」
希望が俯く隆之の表情を覗う。
隆之は眉間に皺を寄せて悩んでいた。
「希望、俺、10年間奴隷として生きてて恋をする暇なんてなかったから・・・異性を好きになる感覚がわからないんだ。
 実際のところ、俺はお嬢様のこと、どう思ってるんだろう・・・。」
「隆之・・・。」
隆之の言葉を聞いて、希望は胸が苦しくなった。
10年前サンタローズの村が焼かれて隆之の行方がわからなくなったと聞いたときは、心配で押し潰されそうになった。
会えないでいる間、隆之は自分が思っていた以上に遥かに苦しい目に遭っていて。
その10年間で傷ついた傷が、まだ癒えてはいない・・・。
少年期に普通の暮らしをしていたら知っているであろうことが、隆之にはまだわからないのだ。
それもまた、隆之が受けた傷の一部。
どうしてあげたら、隆之のその傷は癒えるんだろう?
何も考えが浮かばないのは、とても辛い。
希望が何も言わずに黙っていると、
「あっ、その・・・なんだ〜。
 希望がそこまで気にする問題じゃないから、な?
 夫婦の問題は夫婦で解決ってさ。
 とにかく、先に進もうぜ!イエ〜イ!」
自分の悩みのせいで雰囲気を悪くしたと思った隆之は、今までの話題を断ち切るようにことさら明るい口調で言って、
ぎこちない足取りで洞窟の先へと進みだした。


 サラボナにて。
空き地ではなんだから、広場の中央にある噴水の縁に腰掛けて話をすることにする。
田辺真紀。
圭吾と同じくルラフェンにいる魔法使いに弟子入りをしていたんだそうだが、
呪文より薬を煎じている方が得意だったという。
「ひと月ほど前、壬生屋のお嬢様・・・貴女が花婿を募っているという話を聞いて圭吾さんはルラフェンを去りました。
 私もその後ポートセルミにある実家が火事になってしまったため、
 修行をやめて帰ったので圭吾さんにお会いすることももうないと思っていたのですが、
 ルラフェンにいるお師匠様から“圭吾がひどい怪我をしたと占いで出たから薬を持っていくように。”
 という手紙を戴いて、それで心配で・・・居てもたってもいられなくなったから・・・この街に。」
真紀はこの街にやってきた経緯を未央に話した。
「まあ・・・!そうだったのですか!」
すると未央は大きな目を見開き、やがて笑顔で真紀の両手を取った。
「ありがとうございます、あの薬を戴いてから圭吾の具合がとてもよくなりました。
 意識も、僅かな間だけでしたが先ほど戻って・・・。
 貴女がお薬を煎じてくださったお陰です。
 本当にありがとうございました!!」
「いえ、そんな・・・私は圭吾さんが心配だっただけで・・・。」
「そうですか。でしたら、」
真紀が謙遜してそう返すと、未央は真紀の手を放し立ち上がった。
「圭吾のお見舞いをしていきませんか?
 もしかしたらまた眠っているかもしれませんが大分具合も落ち着いたので、
 見舞っていただければ真紀さんも安心だと思いますよ。
 圭吾も喜ぶでしょうし。」
そう言って笑顔で真紀を促す。
しかし真紀は、
「いえ・・・結構です。」
未央の誘いを断った。
「え・・・?どうしてです?」
未央には真紀が見舞いを断る理由がわからない。
病人が心配なら見舞いに行くのは不自然なことではないだろうに。
真紀は顔中に疑問符を浮かべて自分を見ている未央に視線を合わせることなく、
「私がいると・・・圭吾さんの邪魔になってしまいますから。
 意識が戻ったのなら、このままポートセルミに帰ります。」
俯いたまま立ち上がると、一礼し、そのまま宿へ歩いて行ってしまった。
恐らくは宿に置いてあるであろう荷物を取りに行って、本当にそのまま帰ってしまうのだろうか?
どこか小さくなって去っていく真紀の背中を茫然として見送っていると、
「罪な男ね・・・圭吾も。」
「きゃあ!」
急に背後から声がして未央は悲鳴を上げた。
バクバク音を立てている胸を押さえながら振り向くと、
「お、お姉様・・・。」
未央の姉、素子が立っていた。
買い物にでも出ていたのであろうか、素子の後には大量の紙袋を抱えた執事が控えている。
素子は自分の名を呼んだ未央の方を向かずに、去っていく真紀の背を見続けていた。
「それに、あんたも罪な女ね、未央。」
「えっ・・・?」
それはどういう意味だろう?
自分は姉かもしくは真紀に何か失礼なことをしてしまったのであろうか?
未央が言葉の意味を尋ねるより早く素子が再び口を開いた。
「あの青髪の子、圭吾のことが好きなのね。
 でも、圭吾はあんたの花婿に立候補してるから、圭吾の邪魔にならないように黙って身を引くと・・・。
 は〜・・・そんな自分が可哀想な真似、私には出来ないわね・・・。」
それだけ言うと、もう気が済んだと言わんばかりに素子は身を翻し、屋敷へと戻っていった。
執事が何も言わずにお辞儀をし、素子の後を歩く。
未央は素子の方を振り返らず、
「そんな・・・私のせいで、真紀さんは・・・。」
ただ茫然としてそれだけを呟いた。
故郷に帰るといった真紀の寂しげな姿を思い出すと、
急に視界が暗くなったように、目の前の風景が遠くなったように感じてそのままその場に佇む。
項垂れて立ち尽くす未央が外した視線の先では真紀が宿から荷物を抱えて出てきて、
そのままタイミング良くやってきた旅人用の馬車に乗り込んでこの街を出て行ってしまった。


 「――あった!」
滝の洞窟の最奥にたどり着いた一行は、
周囲を滝に囲まれた岩の台座に澄んだ水と同じ色の宝石が埋め込まれた指輪を見つけた。
これが隆之が探し求めていたもの、壬生屋家の令嬢と結婚するために必要な秘宝――水のリングだ。
幸いにもこの洞窟には溶岩魔人のような凶悪なモンスターはいなかったので、苦労はなかった。
隆之が水のリングを持って感慨深げに見ていると、
「よかったね、隆之。これで未央さんと結婚出来るね。」
傍らに立っていた希望が隆之に祝いの言葉を送った。
「ああ、ありがとう。これでお嬢さんと結婚出来るよ。」
(・・・そして天空の盾が手に入る。母さんを見つけるための手がかりが・・・。)
「じゃあ、早速サラボナに・・・って、もうそろそろ夕方だよな。
 壬生屋の屋敷に行くのは明日になるか・・・。」
「それなら、今日もまたうちに泊っていってよ。」
という希望の提案に対し隆之は水のリングを腰元の小物入れに入れながら、
「本当か!ありがとう、希望。お言葉に甘えさせてもらうよ。」
礼を言いながら回れ右をして出口へと向かう。
するとその背中に、
「隆之!」
希望が声をかけた。
「ん?」
その声に隆之が振り返ると、希望は静かな、大人の女性らしい落ち着いた微笑みを浮かべていた。
「隆之は“異性を好きになったことがないから、お嬢さんを好きかどうかわからない”って言ってたけど、
 出会って何日も経ってないのだから仕方ないんじゃない?
 きっと未央さんもそれは同じだよ。
 今はわからなくても、結婚してたくさん一緒にいてたくさん話すうちに本当に好きになって、
 わかっていくことが出来ればいいと思うよ。」
そしてその微笑みのまま、先ほど隆之が漏らした悩みに答えた。
希望は洞窟内を進みながらずっとどう答えてあげればいいか考えていた。
悩んだ分だけ答えはたくさんあったけど、結局これが隆之にとって1番良い答えな気がする。
自分が“隆之を手伝う!”と言ってついてきたこの冒険ももう終わりだ。
明日から彼の隣りには別の女性がついて、希望とは別れてどこか遠くへ行ってしまう。
なら、彼がこれからの人生を幸せに生きるために、自分は何を言ってあげたらいいのか・・・。
ずっとそれを考えていた。
「そっか・・・そうだよな!」
すると隆之は希望の答えを噛みしめるように何度も頷き、希望に歩み寄ると、
「昔わからなかったことでも、わかるようにこれから頑張ればいいんだよな!
 サラボナに戻って水のリングを渡したら、とにかく何でもいいからお嬢さんと話し合ってみるよ!
 ありがとう、希望。
 頼れる姉を持てて、俺は幸せだよ!」
希望の両手を掴んで、明るい笑顔で礼を言う。
そして、
「よーし、頑張るぞ〜!」
悩みが晴れて元気になった隆之は軽い足取りで洞窟の出口へと道を引き返した。
そんな隆之の背中に、
「いいえ、どういたしまして!」
希望はちゃんと隆之の背中に声が届くように、声を張って返事をした。
声だけは元気に聞こえるが、その目には涙が溜まっている。
その涙を払うように下を向いて、
「・・・鈍感。」
涙のしずくを落とすと、
「こら、待ちなさい隆之!姉を置いてくんじゃないわよ!」
どうにか明るく笑いながら隆之に追いつき、その背中をバシンと叩いた。
叩かれた隆之が大げさに痛がり、希望がそれをからかうように笑うのを見て、
【虎鉄・・・。】
クックルが何かを問いたそうに虎鉄を見上げ、
【何も言うな。・・・これは希望と隆之と・・・未央の問題だ。】
虎鉄はクックルの方には向かず、遠ざかっていく2人の背中を見つめたまま答えると、
あとは黙って2人の後を歩くだけだった。


 それから数時間後、サラボナの夜もすっかり更けて。
「はぁ・・・。」
圭吾の部屋で、未央はベッドで寝息を立てている圭吾の顔を見下ろしながらため息を吐いた。
圭吾はあれから夕方頃に1度目を覚ましたので、
栄養をつけるためにスープだけ食べさせて痛み止めと化膿止めを飲ませると、
失った体力を回復させるためにまた眠りについてしまった。
未央は圭吾の看病をしながらも真紀のことについて聞こうとしたが、
まだ体力が戻りきらないままの圭吾にはあまり多くのことを聞き出せそうになかった。
いや、でも未央には聞く必要がないことがわかっていた。
(昼間圭吾が目を覚ましたときに1番最初に呼んだのは真紀さんの名前だった・・・。
 ・・・目の前にいたのがわたくしにだったのにも関わらず。)
昔、わたくしが修道院に行く前、姉と圭吾の3人でよく遊んでいた。
圭吾は気弱で泣き虫だったわたくしをいつも守ってくれる兄みたいな存在だった。
でも・・・。
「圭吾。
 貴方はわたくしの兄としてわたくしがどこの誰ともわからない殿方と結婚してしまうのを止めたいがために、
 花婿に立候補したのではないですか・・・?
 貴方が本当に好きなのは・・・真紀さんなのではないですか・・・?」
未央は眠ったままの圭吾に静かにそっと語りかけていた。
目の前にいる人物よりも、懐かしい香りを嗅いだだけでその人物の姿が浮かび上がるほど。
意識とは裏腹に、心の奥底では別の人物の姿がちらついていることを彼は気づいているのだろうか?
起きて覚醒している彼の口からでは花婿の立候補したという責任感の方が勝って、真実とは違う言葉が出るかもしれない。
「もし、もし貴方が本当に好きなのが真紀さんなのだとしたら・・・、
 わたくし圭吾と真紀さんに申し訳ないことをしてしまいました・・・ごめんなさい。」
眠っている圭吾に届くわけがないのだが、未央は今にも泣き出しそうな顔をしながら圭吾に謝罪した。
涙が滲んでこぼれそうになるが、流してしまうのは耐えた。
そしてなんとか笑顔を作って言う。
「先ほど屋敷から連絡があって、瀬戸口さんはまだサラボナに戻られていないようです。
 でも、明日にはきっと戻られるでしょう。
 あの方が水のリングを持って現れたら、わたくしは彼と結婚致します。」
正直、未央は自分が隆之のことを好きかどうかわからない。
出会って何日も経っていないが、彼と死の火山まで旅をしてみて、決して悪い人ではないと思った。
いや、彼は“もし夫婦になったら、一緒に自由に世界を見て回ろう”と言ってくれた。
それは決して・・・嫌じゃないと思う。
「だからね、圭吾。
 妹のことはもう大丈夫だから、貴方は貴方が1番好きなのは誰か、もう1度ちゃんと考えてみてね。」
未央は穏やかにささやくように言い、最後に圭吾の髪を撫でると席を立った。
それから部屋を出て、圭吾の両親に挨拶して屋敷に戻る。
他人の妻になると決めた自分がこれ以上他の男の寝室にいるべきではないと思う。
これで幼なじみの兄妹は卒業し、お互いが別の道を進むためのスタートラインに立つのだ。

 
 こうして1日は過ぎていった。
誰もが皆、それぞれ違った想いを描いている。
太陽が昇り、想いが複雑の混ざり合う・・・運命の1日が始まった。



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