朝が来て、太陽が天辺目指して登っている頃。
甲板の上でスラフィーネはスラりんとドラきちがじゃれ合っているのをなんとなく眺めていた。
すると、
【ちょっといいかしら?】
犬猿の仲であるクックルが話しかけてきた。
普段から何かにつけてスラフィーネにつっかかってくるクックルだが、今日はいつもと違って普通に呼びかける。
【ええ。別に構いませんよ。】
スラフィーネもまた、今日はいつものように皮肉を返したりせずに普通に返事をする。
スラフィーネから了承を得たクックルはスラフィーネの隣りに立ち、
甲板の上の船首の方で隆之と談笑している希望を見つめながら口を開く。
【あんた希望のこと・・・気づいてる?】
その問いに、スラフィーネもまた希望の様子を見ながら答えた。
【ええ。・・・男性陣はどうかは知りませんが、隆之様は気づいていらっしゃらないようですね。】
それを聞き、クックルのくちばしから呆れたような溜息が漏れる。
【まったく、鈍感にもほどがあるわよね〜。それでもあたしらの主人なのかってカンジ!】
【同感です。珍しく意見が合いましたね。】
呆れているのはスラフィーネも同じで、希望の向かいにいる隆之をジト目で睨んだ。
【こりゃあ・・・ひと悶着あるわよ?】
【そうですね・・・ないに越したことはありませんが。】
クックルとスラフィーネが胸の中に何かが起こりそうな予感を宿している。
やがてその目に、サラボナの街並みが見えてきた。
【あと・・・さ、】
【何か?】
【あんたはお嬢様と希望、どっちに味方する?】
【“味方”という表現も正しいかどうか判断し兼ねますが・・・私は未央お嬢様の方に共感しますね。
せっかく許婚がいるのに、後から来た女性に奪われてしまうのではないかという気持ちはよくわかります。】
【それって、あんたとピエールがそうだから?
でも、スライムナイトのパートナー同士の婚姻は慣習になってるだけで、
絶対的なものではないんでしょう?
他の種族間では子孫を残せないとかじゃなく。】
【・・・だから、なんですか?】
【ツガイになる前だったら、希望にもチャンスがあるってこと。
もちろん、アタシにもね。】
【・・・品のない言い方ですね。ピエールにはふさわしくない。】
【あんたが決めることじゃないわ。】
【・・・まあ、いいです。
いつか決着をつけましょう。
今日は隆之様達のことがありますから。】
【そうね。そうしましょう。】
無事サラボナに到着し、仲間モンスター達を馬車に待機させると、
隆之は水のリングが小物入れにちゃんと入っているか何度も確認して、緊張した面持ちで壬生屋邸へと歩を進める。
緊張が顔に出て強張った表情をしていると、
「なっさけないな〜。これから未央さんにプロポーズしに行くんだから、もっとシャキっとしなよ。」
隣を歩いている希望が声をかけてきた。
「しょーがないだろー・・・正式に結婚を申し込みに行くんだから、緊張するに決まってるだろーが。
てか、なんで希望も一緒に来るんだよ。村にいなくていいのか?」
「だって、可愛い弟の花嫁さんの顔、見ておかないと。
姉として“弟のことよろしくお願いします”って言うまで帰れないよ!」
「はぁ・・・さいで。」
隆之は気合十分でそう言い放った希望を見て、反論を諦めた。
“こう!”と決めたら梃子でも動かないのだこの人は。
10年前も、現在もそう。
「じゃあ、大人しくしててな。くれぐれも、変なことを言わないように。」
「は〜い♪」
そんなやり取りをしているうちに壬生屋邸の前までたどり着いた。
玄関の扉をドアノッカーでノックし、中から現れたメイドの案内で屋敷へと入る。
それまでに気づいていただろうか?
町の住人が、2人で並んで歩く隆之と希望を怪訝な目で見ていたことに。
隆之と希望は大広間に通される。
そこには壬生屋の当主夫婦が待っていた。
「ようやく戻ったか。待ちわびたぞ、隆之君!」
当主は数日前に花婿候補達の前で演説していたときと同じ位置に立っていて、妻はその背後に控えていた。
部屋の隅には隆之達を滝の洞窟へと運んだ船乗りが影のように立っている。
なるほど、隆之がやってくることを彼が先回りして当主に知らせたに違いない。
船乗りは隆之の姿を認めると、その巨漢に似合わぬ俊敏な動きで音も立てずに大広間から去った。
そのいなくなった様は日本という国に伝わる忍のようだった。
隆之は緊張からか、船乗りが消えたのにすら気付かずに心臓をバクバクさせて当主の前に立つ。
そして腰元の小物入れに手を入れ、
「こちらが、水のリングになります。」
滝の洞窟で見つけた、壬生屋未央の婿になるために手に入れなければならない2つのリングのうちの1つ―、
―水のリングを当主に差し出した。
当主はそれを受け取り、真偽を確かめるようにしっかりと観察すると、
「まるで本物の清水のように澄んだ水色の宝石。間違いない、これは紛れもなく水のリングだ。」
感慨深げに何度も頷く。
「そ、それでは・・・。」
隆之は喉をごくりと鳴らして当主の次の言葉を待った。
希望が隆之の数歩後ろでその様子を心配そうに見守っている。
当主はもったいぶるように咳払いをすると、
「合格だ。瀬戸口隆之、君を我が娘壬生屋未央の婿として迎える!」
威厳に満ちた声で当主として、そして父親として宣言すると実に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「――ありがとうございます!!」
当主の宣言を聞き、隆之もまたガッツポーズを取りそうになってしまうくらい心から喜んで頭を下げた。
(これでお嬢さんと結婚出来る!)
「やったね、隆之!おめでとう!!」
希望はまるで自分のことのように喜び、頭を上げた隆之の手を両手で掴んではしゃぐ。
「ああ!お前さんのお陰だよ!!」
隆之もそれに応えるように希望の手を握り返した。
するとそれを見ていた当主が、
「ああ、隆之君?そちらの美しい女性は?」
当然と言えば当然の疑問を口にした。
希望が大広間に入ってきた瞬間から気にはなっていたのだろうが、まずは水のリングの件があったので、
内心聞くべきか聞かざるべきか当主は結構悩んだ。
その言葉に慌てて希望は隆之の手を離した。
「あ、あらヤダ、私ったら!つい嬉しくて・・・。
私は東原希望といわれるもので、隆之の姉のようなものです。」
大人げなくはしゃいでしまったので、希望は恥ずかしさで言葉遣いが若干微妙になっている。
それを隆之が、
「彼女とは幼なじみで、山奥の村で偶然再会したんです。水のリングを手に入れるのに随分と力になってもらいました。」
そうしっかりと説明すると、当主はようやくそこで納得して悩みが晴れたようなスッキリした表情になった。
「うむうむ。
それならば希望さん、ぜひ貴女も結婚式に参列していただきたい!
それにしても隆之君、このような危険な試練によくぞ怯まずに立ち向かい、そしてやり遂げた。
君ならばわしの娘を任せても大丈夫だろう。
未央は自分の部屋にいるはずだ、今呼びに行かせ・・・」
「待ってください!!」
上機嫌でメイドを呼び出そうとした当主の耳に、2階へと続く階段の上から声が響いた。
それは大広間にいた他の者の耳にも同様で、全員が階段を見上げる。
すると、たった今隆之と結婚することが決まった人物―未央がゆっくりと階段を降りてきた。
未央の姿を認めた当主が上機嫌のまま、
「おお、未央。ちょうどよかった!たった今、隆之君が水のリングを・・・」
「瀬戸口さん、貴方本当はその女性のことがお好きなのでは?
それに女性の方も瀬戸口さんのことを・・・。
それならばわたくし、瀬戸口さんと結婚するわけには参りません!!」
未央に花婿が決まったことを知らせようとする当主の声を遮って、未央がよく通る声でそう言い放った。
その言葉を聞き、場の空気はそれまでとは全く違うものに変わっていった。
未央が2階から下りてくる少し前。
隆之は今日こそはきっと来るであろうと思って、自室の部屋から外をずっと眺めていた。
すると未央が思ったとおり、隆之がやってきた。
滝の洞窟から無事に帰ってこれたのだ。
・・・だが、それに安堵し喜んだのもつかの間。
数歩後ろを歩いていた希望が楽しそうに跳ねながら距離を詰めて、まるでからかうように隆之の腕に飛びついた。
飛びつかれた隆之は身をよじらせてすぐに希望の腕から逃れたが、別にこのじゃれ合いを嫌がってはいない。
遠慮なくそんなことをやってのけている2人は、傍から見れば仲の良い恋人同士のようだ。
「そんな・・・。」
未央は仲良く歩く隆之と希望を見て衝撃を受けた。
そして段々と悲しさと苦しさが襲ってくる。
「あの方は、瀬戸口さんにとっての何なのですか・・・もしや、想い人?」
それ疑問は隆之と希望が未央の視界の外へ移動しても消えはしなかった。
それどころか、時間が経つごとに増すばかりだ。
(だとしたらわたくし、また真紀さんのように人の想いを踏みにじってしまっているのでは・・・?
瀬戸口さんをそんな目に遭わせていたなんて、わたくしはなんてことを・・・!)
隆之は生き別れの母を捜すために旅をしている強くて優しい人。
モンスターとですら心を交わし、喧嘩ばかりだったけれど出会って間もない自分にも優しかった。
そんな人が目的の為とはいえ、望んでもいない相手と結婚させられるようなことがあっていいのだろうか?
「すぐに行かなくては・・・!」
そう思った瞬間、未央は自室から飛び出した。
未だに目に浮かんでいる隆之と希望の楽しそうな姿は未央の心を暗いもので染めようとしていたが、
隆之のためと思ったら、そんなものはもう気にならなくなった。
「と、突然何を言い出すんだ、未央・・・。」
「そ、そうですよ。私は隆之の姉のようなもので、そんな気持ちなんて・・・。」
時間が戻って、壬生屋家の大広間。
突然大変な発言を放った未央を、当主と希望が落ち着かせようとする。
「いえ、そうに違いありません!結婚は本当に愛し合っている者同士でなければ神はお許しにならないのです。
瀬戸口さんと希望さんが愛し合っているのならば、わたくしは瀬戸口さんと結婚するわけには参りません。」
しかし、未央は前言を撤回しなかった。
凛とした眼差しで頑として動かない未央に当主夫婦と希望が何を言ったものかと困り果てる。
すると、ようやくそれまでずっと無言だった隆之が、
「希望・・・お嬢さんが言ってることは本当なのか?」
静かで真剣な声で希望に訊ねた。
「たかちゃん!今はそんなこと言ってる場合じゃ、」
話が急展開し、希望は困惑してつい昔の呼び方で言い返してしまう。
「正直に答えてくれ。」
隆之は先ほどより低い声で再度訊ねた。
怒っているわけではないのだが、はぐらかすことなど許さないように。
「あ、あの、その・・・。」
未央と隆之から真剣な眼差しで見つめられ、希望は戸惑った視線を交互に送ったが、
「・・・・・・っ。」
答えを返すことはなかった。
だが、即座に否定出来ないということは肯定とも取られかねない。
大広間にいる全員が困惑し、誰も何も話せないままでいると、
「あら、面白そうなことになってるわね。
未央とそこの女のどっちが小魚と結婚するか困ってるなら、私がもらっちゃおうかしら?」
2階から素子がゆったりとした足取りで降りてきた。
階下にいる者達の混乱など、自分には関係ないとでも言うかのように。
さらに混乱を深めるためにやってきたような素子に対し、当主は何か言おうとして、
「もっ、素子!お前は何を言っているのかわかっておるのかっ!」
何度も唇を震わせ、素子が近くにやってきたときになってようやく言葉を話せるようになった。
こんな状況でとんでもないことを言ってのける上の娘に腹が立ち、怒鳴りつける。
素子は至近距離で怒鳴られたにも関わらず、涼しい顔でスタスタと歩き、
「わかってるわよ、自分で言ったことくらい。」
隆之の隣りに立つと、何と彼の腕を抱きしめた。
妹のよりも大きな胸が隆之の腕に押し付けられる。
「・・・!!」
隆之はドキリとしたが目の前に当主夫婦がいるので、何としても平静を装うことにした。
「だぁって私、この小魚のことほんのちょっとだけだけど気に入っちゃったんだもの。
旅人で都会的じゃなくて野暮ったいのは気に食わないけど、
2つのリングを手に入れるくらいの男なら、私の結婚相手として許してあげてもいいわ。」
「ゆ、許すって・・・。」
「お姉様!そのような言い方、瀬戸口さんに失礼です!!」
素子の突然の言葉と行動に希望が唖然とし、未央が真っ赤になって怒った。
しかし素子はそれには目もくれず、まるで当てつけのように隆之の腕をさらにきつく抱き締めた。
「え、えと・・・あの。」
隆之は素子の腕から逃れるべきか、それともこの事態をどうにかして切り抜けるべきか困惑している。
素子の腕は結構ガッチリ捕まっているけど、まさか力任せに振り払うわけにもいかないし・・・。
というか今日は、未央お嬢様と結婚して天空の盾を手に入れるはずだったのに、何だこの展開は!?
隆之が頭の中でしどろもどろになっていると、
「素子、瀬戸口さんから離れなさい。」
凛と深みがある女性の声が響いた。
隆之が初めて聞く声だ。どことなく、未央に似てなくもない。
隆之が声が聞こえた方を向くと、それは今までずっと黙って成り行きを見守っていた当主の妻だった。
「は〜い。」
すると、意外にも素子が母親の言葉には素直に従い、瀬戸口の腕を放した。
当主の妻はそれを確認すると、今度は真剣ながらもどこか心配そうにまっすぐに素子の目を見て尋ねる。
「・・・良いのですか?」
「ええ、いいのよ。」
対して素子は、とくに動揺する様子もなく不敵に言い返すのみだった。
当主の妻は娘の真意を確かめるように数秒黙って見つめると、
「・・・わかりました。」
とだけ言って、娘から目を逸らした。
そして自分の夫へ、壬生屋家当主へと向き直る。
「貴方、確かに瀬戸口さんは約束通り2つのリングを手に入れました。
しかし、未央の言うとおり愛してもいない女と結婚させることなど出来ません。
ならば今夜一晩、瀬戸口さんに誰と結婚するか決めていただきませんか?
瀬戸口さんもこのような話になって困惑しているでしょうし。」
「うむ、そうだな・・・。」
当主は妻の提案に頷き、この場にいる全員に向かって宣言する。
「妻の申し出通り、隆之君には今夜一晩じっくり考えてもらい、誰を花嫁とするか決めてもらう!
皆、それで良いな?」
「は、はい!」
「はい、かしこまりました。」
「は〜い。」
「・・・わかりました。」
当主の言葉に対し、希望、未央、素子、隆之が了解の意を表じた。
戸惑いであったり、自信であったり、覚悟であったり・・・。
各々の胸中にあるものは別のものだが、これで全員当主の妻の提案通りにすることになった。
「うむ、よろしい!
では隆之君には町の宿に部屋を取らそう。希望さんはうちの別荘を使うといい。
・・・なぁに隆之君、心配するな。
誰を選んでも結婚式は壬生屋家で責任持って執り行わせてもらうし、天空の盾も約束通り君の物だ。
なにせ私は君を気に入ってしまったからな!
大船に乗ったつもりで、君は余計な心配はせずにただ誰と結婚したいかだけを真剣に考えなさい。」
そして隆之は当主の言葉に従い、自分のために取ってもらった部屋へ向かった。
その際に隆之は花嫁候補との誰とも話をしなかった。
ただ、彼が去り際にこの事態の根源である未央の表情をちらりと窺うと、彼女は口元を引き締めキッと前を見据えていた。
覚悟を決めたような、強い眼差しだった。
――隆之と3人の花嫁候補。
壬生屋家の令嬢の花婿を決めるための話が別の形に発展し、すぐに街中に広まり、
人々の話題は隆之が誰を選ぶのかで持ちきりになるのであった。――――――