夜。ちょうど日付が変わった頃。隆之の人生にとって大切な1日が密かに幕を開けた頃。
「・・・・・・。」
ベッドに入り布団に潜り込んでいた隆之は黙って身を起こした。
夜も遅いから眠ろうにも、全く寝付けない。
当たり前だ。花嫁に誰を迎えるか決められていないのだから。
昼前には壬生屋邸に赴いて3人のうちの誰かに愛を告げなければならないし、
それが決まっていないと、どうにも寝付く気分になれない。
“まだあと何日か待ってほしい”なんて式の面倒を見てもらう身としては言い出せないし、
“もういっそ逃げ出してしまいたい”と思っても、本当にそうしたら天空の盾など絶対に手に入らなくなってしまうだろう。
何よりも彼女達に申し訳ない。
しかし、だからといってすんなりと答えが出るようなものでもないのだから仕方がない――。
「はぁ・・・。」
隆之は眠ることを諦めて、頭をスッキリさせるために顔を洗おうとして洗面台に立った。
水差しに入った水を洗面器に入れて、冷たい水で顔を何度か洗った。
ふと、目の前の鏡に映る自分の顔を見る。
そこには、すっかり弱気な表情の自分が前髪をやや濡らした顔で映っていた。
なんだか、普段の自分とは全くの別人のように見えてとてもがっかりする。
そう認識した途端にさらに情けない顔になった鏡の中の自分を見ていると・・・・、
「・・・ん?」
突然、鏡の中の自分の顔がぐにゃりと歪んだ。
一瞬、自分の顔がそんな形になってしまったのかと錯覚するが、そんなことがあるわけない。
歪んだ自分の顔はさらに歪み続け、ついには渦巻きのようにぐるぐると回っていると―――、
徐々にそのスピードがゆっくりになり、やがて止まると、そこに映っているのは隆之の顔ではなかった。
「えっ?い、い、石津?」
隆之が信じられないものを見て、ふるふると震える人差し指を鏡に向ける。
そこに映っているのは隆之の見ている幻覚ではなく、ルラフェンに住む古代呪文の研究家にして魔法の先生、石津萌だ。
圭吾の魔法の師匠で隆之に瞬間移動呪文ルーラを授けた人物だ。
ただ、どういうことだろう?
何で鏡に映っているんだ?
「細かい・・・こと、気にしない・・・。」
(って言われても・・・!)
隆之はそう思ったが、それを言う前に、
「やっぱり・・・私が、見たとおりに・・・なった、わ・・・ね。」
遮られてしまった。
「み、見えたって・・・?」
鏡越しに会話できる状況に未だ慣れなくて、隆之はうまく喋れないが尋ねた。
「私は・・・占い師・・・じゃない。
 でも、未来は・・・見えるの、パパとママが・・・死んだ、あと、から・・・。
 ・・・それよりも、ルラ・・・フェンを発つときに、私がした・・・アド、バイス覚えて・・・る?」
「アド・・・バイス?」
「“もうすぐ貴方に・・・今後の人生を左右、する・・・大切な選択が・・・迫られるわ。
 選択肢は・・・3つ。
 ・・・必ず、貴方が本当に・・・望むものを、選ぶの・・・よ。”」
「あ、ああ・・・確かにそんなこと言ってたな・・・。
 ん、あれ?選択肢は3つって、まさかこのことを言ってたのか!?」
隆之が目を丸くする。
すると萌が小さく首を縦に振った。
「・・・そう。
 それ、なのに・・・貴方は、本当に望む・・・のは誰か、選べていない。」
「選べてないって・・・仕方ないじゃないか、急にこんな展開になったんだし。」
萌に悩みの元を指摘され、隆之はため息交じりに濡れた前髪をかき乱した。
すると萌はこくんと、“そのこともわかっている”という意味のように取れる頷きを1つすると、
「なら・・・今からでも・・・3人に会いに・・・行くの。
 少しだけでも、話を・・・する。
 ・・・その方が、部屋・・・に籠って悩む、より・・・ずっとマシ・・・よ。」
1つの提案をした。
その提案に隆之は、うーんと唸る。
「そりゃあ、そうなんだけどさ・・・。
 もう夜も遅いから皆寝てるんじゃあ・・・。」
その懸念事項に対し萌は、
「・・・平気、よ・・・3人とも、まだ起きてる・・・から。
 だって・・・見える、もの・・・。」
まったく変わらぬ表情で返した。
「・・・・・・。」
そう言われると、どう返していいやらわからない。
“見える”ことを否定するのなら、今鏡越しに会話出来ているのはなんだっていうんだ・・・?
しかし、それは置いといて、萌の提案は確かにその通りなので、
「・・・わかった。行ってくるわ。」
萌の提案通り、3人に会いにいくことにした。
そう決めると、隆之はタオルで濡れた前髪を拭う。
濡れたといっても水に浸したわけではないから大したことはない。
あとは夜風にさらしておけば問題ないだろう。
愛用のターバンは・・・面倒だからいいか。
隆之はマントを羽織って出かける準備を整えると、ふと何かを思い出して、未だ鏡の中の萌に尋ねる。
「俺が本当に望むものを選ばないと、世界は滅ぶって言ってたよな。
 それって、ここで誰かを結婚して、絶対に天空の盾を手に入れないといけないからってことか?」
すると萌は首を横に振り、
「それは・・・違うわ。もっと・・・大切な、こと。」
とだけ言った。
それ以上答えてくれない萌に隆之は首を傾げる。
「・・・なんのことやらわからないけれど、今はとにかく3人に会いに行くよ。
 石津、アドバイスありがとう。助かったよ。じゃあ、行ってくる!」
首を傾げつつも、隆之は萌にきちんと礼を言い、部屋を出ていった。
萌は鏡の中でそれを見届けると、
「世界を救う・・・のは、天空の盾・・・なんかより、もっと大切で・・・もっと素晴らしいもの。
 貴方と・・・貴方が本当に望むもの・・・望む人とじゃないと、手にすらでき・・・ないから。
 ・・・でも、もう・・・動き、出したから・・・大丈夫、ね・・・。」
隆之が出ていった扉を見つめながら呟き、鏡の中から姿を消した。
消え去るとき、一瞬だけずっと変わらなかった表情が優しげな笑みに変わっていた。


 『たかちゃん!ののみ、大きくなったらたかちゃんのお嫁さんになってあげるね!』
『え〜っ?どうしたんだよ、急に〜!』
『だって、たかちゃんにはののみみたいなしっかりもののお姉さんがひつよーだもん。
 それに、そしたらずっと一緒に冒険出来るもん!ねっ?
 だから、たかちゃんのお嫁さんはののみなの!!』
『う〜ん・・・じゃあ、大きくなったらけっこんして、また冒険しよう!』
『やったぁ!わ〜い♪約束だよっ!!』

 希望はゆっくりと目を開けた。
そこには見慣れぬ天井が映る。
ここはどこだっけ?
・・・そうだ、ここは壬生屋家の別荘で私はそこに泊らせてもらったんだ。
急に夢から現実に戻ったので、まだどちらが自分にとって本当の世界なのか判別がつかない。
やがて意識が覚醒してくるにつれ、この見知らぬ天井の下が本当の世界だと実感する。
先ほど見た夢は、小さい頃の自分と隆之だった。
(・・・あっちの自分が本物だったらよかったのにな。)
しかし、いくらそう思ったところで現実と夢が入れ替わるわけがないし、過ぎた時間が戻ることはない。
希望にとっての現実とは壬生屋家の別荘にいる今の自分だけだ。
それはわかっている。
わかっているが、その夢がもたらした想いの強さは紛れもない本物で。
ようやく眠りかけていたところだったのに覚醒してしまった頭を持て余して、
夜風で気を鎮めようと窓を開けた。
扉のように押して開くタイプのシックな窓から、少しひんやりとした夜風が希望の頬を撫でる。
(・・・お父さん、1人で大丈夫かな。)
急なこととはいえ、病弱な父を残して外泊することになってしまった。
壬生屋家の方で伝書鳩を放ってくれたというが、それでも心配は心配だ。
(どうして、こんなことになっちゃったんだろう・・・。)
希望はやるせない想いでため息を吐いた。
すると、

――コン、コン。

別荘の扉をノックする音が聞こえた。
深夜のためか、控え目なノック音である。
希望が扉へと振り向くと、
「隆之だ。入っていい?」
ノック音と同じような控え目な声で、先ほど夢に出てきた人物の声がする。
夢の内容を思い出し恥ずかしくなったが、それを一度大きく息を吐き出すことで振り払うと、
「どうぞ。」
声の主――隆之の入室を許可した。
「どうしたの、急に。」
隆之が扉を開けて中に入ってくる様を見ながら尋ねる。
すると隆之は右手の人差し指で頬を掻きながら、
「ん〜・・・いや、ちょっと話でもしようか・・・と思ってな。」
と照れ臭そうに答えた。
ああ、そうだ。私はこの癖を知っている・・・。
照れくさいときやガラにもないことをするときによくやるのだ。
私はそれを子供の頃から知っている。
そのときはまだ6歳だった彼が私に結婚しようと言ってくれたときもそうだった。
彼はそのことを覚えているのだろうか。
(覚えてたら・・・花嫁には私を選んでくれるのかな?って・・・何言ってのよ、もう!!)
希望は心の中で頭をブンブンと振ってそんな考えを振り払った。
(隆之には未央さんがいるんだから!!)
そうだ。
未央は綺麗で女性らしい優しげな雰囲気を持っていて、自分よりもずっといい女だ。
自分なんかより未央と結婚したほうが幸せになれるに決まっている。
(それに、隆之は気づいてないだけで・・・。)
「隆之、悩んでるんでしょ?」
「えっ。いやそんなこと・・・ないよ?」
隆之がぎこちない動きで右手を左右に振る。
「嘘ばっかり、姉である私がわからないとでも思ったの?」
とは言ったが、隆之の嘘は赤の他人から見てもバレバレなくらいにわかりやすいものだった。
だが、普段の隆之はここまで演技がド下手ではない。
悩みすぎて、そこまで気が回っていないのだ。
このままだとしっかりと自分の答えを出せるのかわからないので、ちゃんとアドバイスをしようと思う。
それが私の務めだと思った。
「隆之は未央さんを選ぶのが1番良いに決まってるわ。
 私みたいなガサツ女じゃなくて、未央さんみたいな女性らしい人が今の隆之には必要なのよ。
 隆之だって、本当はそのことに気づいてるんでしょ?」
「いや、俺はまだ誰と結婚するべきなのか迷ってるんだが・・・。」
希望がそう言っても、隆之にはまだピンと来ない。
(何言ってるんだか!未央さんのことが好きだからあんなに必死になってリングを集めていたんじゃない!!)
隆之の戸惑っている顔を見ながら希望は心の中でそう叫んだ。
希望は隆之が滝の洞窟で未央のことばかり話していたのを知っている。
未央のことを話すときの隆之の表情に相手に対する恋情が含まれているのを知っている。
隆之はきっと、未央の言葉とそれから後の話の展開に流されているだけなのだ。
「それでも、決めるのは貴方だわ。
 じゃ、私はもう少し夜風に当たったら寝るわね。
 貴方も疲れてるんだから早く寝なさい。」
でも、自分の気持ちは自分で気づくしかない。
これ以上何も言う必要はないと思った希望は、隆之を追い出すようにそう言った。
そして隆之に背を向けて窓の外を見る。
隆之は一瞬見放された子供のような顔をしたが、
「・・・そうだよな、いつまでも姉貴に頼ってるわけにはいかないよな。
 ごめんな希望。
 でも、少しだけでも話せてよかったよ。
 じゃあ、おやすみ!」
すぐに笑顔を作って希望に声をかけた。
その顔からぎこちなさは少し薄らいだ気がする。
背を向けたままであるが希望がおやすみの挨拶に応えて左手をヒラヒラさせるのを見ると、
隆之はそのまま希望の部屋を後にした。


 「・・・・・・ばか。」
隆之が去った後の部屋で・・・。
希望は涙を流しながら月を見上げていた。
とても綺麗な金色の満月だった。
その美しさが、何故だかとても憎かった。
『希望。』
「・・・!!」
突然自分を呼ぶ声がして驚いた希望は涙を拭い、辺りを見回して声の主を探した。
『ここよ、ここ。』
すると声の主は上空から降りてきた。
「あ・・・クックル。」
声の主はクックル。
隆之の仲間モンスターだ。
「そっか、私のリボンで。」
希望のリボンには装備したモンスターと会話が出来る特殊な魔力が込められている。
窓の縁にとまったクックルがそのまま話しかける。
『希望・・・よかったの?隆之に言わなくていいの?』
「何を?」
『貴女の本当の気持ちよ。しらばっくれないで!このまま後悔してもいいのかって聞いてるの!!』
あくまでも冷静を装ってくる希望に、クックルはまるで自分のことのように激昂する。
希望はそれに対し言い返すのではなく、ただ静かに問い返す。
「・・・何でそんなにも必死になってくれるの?」
とは言っても、答えは察しがつくのだが。
『・・・気持ちがわかるから。
 好きな相手に先に許婚がいるからあきらめなきゃいけないなんて、納得いかないじゃない。』
「ピエールとスラフィーネのこと?」
『・・・ええ。スライムナイトに仕えるスライムはそのまま伴侶になるっていう、
 半ば暗黙の了解みたいな変な慣習があるから・・・。
 でも、それは絶対的なものじゃないからあたしはあきらめない!
 スライムナイトがパートナーのスライム以外の種族と結ばれたって話もなくはないんだから!
 だからこそよ、希望。
 貴女がここでうじうじしてるのを見てらんないの!!』
「そっか・・・ありがとう、クックル・・・。」
(いいなぁ・・・ここまで自分の気持ちに素直になれて。)
希望はクックルのここまで言い切る情熱を羨ましく思った。
でも、それでも自分は・・・。
「・・・いいの。
 クックル、私はね、確かに隆之が好きよ。
 自分の気持ちを隆之に伝えて私を好きになってくれたらって思う。
 でもね・・・それ以上に私は隆之に幸せになって欲しい。
 だから、私の気持ちは言わない。
 言わないで、未央さんへの気持ちに気づいて欲しいから。
 だから・・・だから、これでいいの。」
希望は静かに、とても静かにクックルに語った。
涙を流すでもなく、必死になるわけでもなく、静かにただ願うように。
『・・・それでも、本音をぶつければ何かが変わるかもしれないじゃない。』
それでもクックルは何かを言わずにはいられなかった。
しかし、
「そうね・・・でも、私は隆之の思うままにさせてあげたいから。」
『そう・・・。』
もう希望の決心が揺るがないことはわかっていた。
希望の悲しいまでの決意にクックルはもう何も言えない。
「ごめんね。」
希望はうなだれるクックルの背を優しく撫でた。
自分の代わりに、自分のことのように必死になってくれたのが嬉しくて。
「クックル、貴女は私みたいにならないでね。
 好きな人に、ちゃんと気持ちを伝えてあげられる人になってね。」
クックルは何も言わなかった。
何も言わず俯いている様は泣いているようにも見える。
(隆之・・・。)
希望は美しい満月を見ながら彼のことを想った。
今だけではなく、自分は10年前から隆之を想っていた。
(でも、他に好きな人がいるなら仕方がないよね・・・。)
ずっと想い続けた自分の心は、これからどうなるんだろう。
この想いは、これからどうなっていくんだろう。
「・・・わかんないなぁ。」
それだけをクックルにさえも聞き取れないほど小さな声で、途方に暮れるように言って月をただ眺めた。




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