時刻は深夜だというのに、壬生屋家のメイドは隆之の来訪を断らずに屋敷に通してくれた。
少しだけでも話が出来たらということで、未央と素子の部屋の場所を教えてもらい階段へ向かう。
その居間にあるらせん階段の下、立派な執務机の上に壬生屋家当主は紙を何枚も広げて書き物をしていた。
「おお、隆之君!
・・・その顔はまだ悩んでいるようだね。」
隆之の来訪に気づいた当主が机から顔を上げて声をかける。
「いえ・・・その、すみません。
朝になる前にお嬢さん方と少し話が出来ればと思いまして。」
当主にまだ花嫁を誰にするか決まっていないことを指摘され、
それに気まずくて隆之はそんなことはないと1度は否定しようとしたが、指摘された通りなので正直に答える。
だが当主はその答えに眉をひそめる様子もなく、逆に自分の子供にするかのように優しくほほ笑む。
「いいや、気にする必要などない。
結婚とは一生に関わることだからな。
逆にそのくらい悩んでもらわなくては困る。
素子は夜更かしばかりだからまだ起きているとは思うが、未央はもう眠っているかもしれないな。
それでも、娘達を訪ねることで君の迷いが少しでも晴れるなら止める義理はないよ。
ところで、明日の式は誰を選ぼうとも盛大に祝わせてもらうぞ!
君の友人、ラインハットの王族――厚志様と奥方の舞様だったな。
招待状はもう送っておいたぞ。」
「―――!
何から何まで・・・本当にありがとうございます!!」
壬生屋家当主の申し出には礼の言葉以外に何も出てこない。
隆之は深々と頭を下げる。
改まって礼を告げる隆之に、当主は椅子から立ち上がり慌てながら隆之に言葉を返す。
「いや、いいのだよ!
全ては君を気に入った私が勝手にしたこと。
君はただ明日共に結ばれる女性と幸せになることだけを考えたらいい。
・・・さて、私はもう眠るとするかな。」
当主は隆之が頭を上げたのを見て安心すると、
執務机の上にあったランプを持ち上げて2階にある寝室へと歩き出す。
らせん階段へと向かう前に空いた方の手で隆之の肩を叩いて励ますと、そのまま振り返らずに上がっていった。
「・・・・・・。」
隆之は当主が消えていったらせん階段へと向き直るともう1度深く礼をする。
数秒頭を下げたままの深い礼を終え頭を上げると、らせん階段をへと足を運んだ。
隆之はらせん階段の途中、2階で下りた。
そこには未央の自室がある。
「・・・・・・。」
ノックをしたが、中から声は返ってこなかった。
2〜3度ノックを繰り返しても声が聞こえてこなかったので、
どうしようか迷ったが、意を決して扉を開けた。
隆之が静かに扉を開けると、
(・・・眠ってる、のか?)
部屋の中央に位置する豪華な天蓋付きのベッドに未央が横たわっている。
未央を起こさないようにゆっくりと、隆之がベッドに近づく。
途中で気配を察したのか。
ベッドの側で丸まっていた虎鉄が頭を上げた。
隆之が虎鉄の頭を一撫でしてベッドを覗き込むと・・・、
「・・・すぅ・・・すぅ・・・。」
規則正しい寝息を立てて未央が眠っていた。
その姿は童話に出てくるお姫様のように美しくて、隆之は一瞬目を瞠ったが、
(・・・本当に寝てるし。)
こちらは花嫁に誰を選ぶべきか迷って寝付けないのに。
巻き込まれただけの希望も眠れずに夜風に当たっていたのに。
なのに、目の前のお嬢様は穏やかに眠っているのだ。
「・・・俺が誰を選ぶかなんて、お前さんにとっては何でもないことなのか・・・?」
俺がこんなに迷っているのに、お前さんは何も感じないのか?
お前さんが俺と結婚しようがしまいが、どちらでもいいとでも思っているのか・・・?
今すぐにでも揺り起して尋ねたいことがたくさんあったが、ここまで眠られてしまっていてはそんな気にもならない。
何だかイライラした気持ちになって隆之は舌打ちを残すと、そのまま未央の自室を後にした。
虎鉄は隆之が部屋の扉を閉めるのを見送ると、縁に前足を乗せてベッドの中を覗き込んだ。
「・・・っく・・・うっ。」
そこには未央が横たわったまま、涙を流していた。
流れる涙がそのまま枕を濡らす。
「クゥ〜ン・・・。」
虎鉄が凶暴なキラーパンサーに似つかわしくないような声を上げて、主人の涙を拭う。
そんな主人想いな虎鉄の優しさに、未央はさらに涙を流す。
虎鉄の首に腕を回して抱きついた。
「いいの・・・これでいいの。
こうすればあの人は好きな人と・・・希望さんと結婚出来る・・・っ!」
そう、これでいいのだ。
これであの優しくて悲しい・・・だけどとても温かくて強い人は愛する女性と一緒に生きることが出来るのだ。
もう、1人で戦わなくてもよくなる。
あの人にとって、こんなに素晴らしいことはない・・・!!
(でも・・・でも!!)
だけれど、同時に気づいてしまった。
ここまで想えるくらいにあの人のことを想ってしまう自分に。
・・・気づいたときにはもう、わたくしの声は届いてはいけないところまで来てしまっていた。
(未央お嬢様・・・。)
未央が虎鉄を抱きしめて泣いているのを、窓の外のバルコニーでスラフィーネが見ていた。
昼間の、未央の発言が原因で隆之の花嫁候補が3人になったという話を聞いて、
何故だかスラフィーネは未央のことが気になっていた。
いや、気になった理由はわかっている。
すでに結婚が決まっていた未央と隆之、そして後からやってきた希望。
そして多くのスライムナイトがそうであるように、自分とピエールも婚姻を結ぶと思っていたのにクックルがやってきて。
そんな似たような状況だからかスラフィーネは、未央が何故そんなことをしたのかその胸中が気になっていた。
隆之のことが特別好きでなくてそうしたのならば別にいいが、そうでないのならあまりに悲しすぎる。
それに・・・もし自分が同じ立場だったらそんなことはしない。
出会った当初は慣例だからというのもあったが、今はそれでなくてもピエールが好きだ。
後から来たクックルには渡したくない。
結婚出来るならば、誰かに盗られてしまう前にしてしまえばいい。
そう思っているので“どういうつもりか”“それでいいのか”と、
どうしても気になって無礼も承知で訪ねてきたのだ。
だが、いざ未央の自室に入る前に見た、隆之が入室してから退室するまでのいきさつと未央の涙を見て、
スラフィーネは胸に痛みを感じて立ち尽くす。
(そんな・・・貴女だって、隆之様のことを想っているはずなのに・・・。)
死の火山で隆之と共に冒険をし、背中を預けて戦っているのを見て。
泉で互いの過去と未来を語らっているのを見て。
この2人は気づいていないだけで互いのことが気になっているのがわかった。
最初は戸惑うこともあるかもしれないが、きっと良い夫婦になるから自分達仲間モンスターで支えていこうと思った。
(それなのに、ご自分の想いを封じてまで隆之様のことを・・・。)
好きならば、誰にも間に入る隙を与えずに常に共にあればいい。
それなのに未央は隆之のために、自分をひどく無神経な女に見せてまでその想いを悟らせまいとしている。
(私には・・・そこまで出来ない。)
そんなことをすれば、心が苦しくて痛くて壊れてしまう。
私はそこまで強くないし、隠すことも出来ない。
(でも、そこまで出来ない私は?私の想いは弱いの?)
浮かび上がったその想いに答えをくれるものはいない。
未央の相手を想う心の美しさと自分を比べて惨めな気持ちになってくる。
だが・・・いや、だからこそ、
(未央お嬢様の苦しみが、少しでも少なくなりますように・・・。)
未央が正しいのかスラフィーネが正しいのか、
正解があるのかすらわからないがあの清らかで優しい女性が泣いているのは辛い。
それ以上見ていられなくなったスラフィーネは目を潤ませたまま、
部屋の中に背を向けてバルコニーを後にした。
「あら、こんな時間に女の部屋に無断でやってくるなんて、随分と躾がなってない小魚ね。」
隆之はらせん階段を上りきると同時に、声を掛けられた。
そちらへ振り向くと素子が豪華であり華奢な椅子に腰かけてこちらを見ていた。
テーブルの上には高そうなワインが置いてある。
3階フロアを仕切るものはなくて、そのまま全部が素子の自室となっているようだ。
先ほど訪ねた未央の部屋の3倍はある気がする。
「で、何の用?私と結婚したくなったのかしら?」
「まずは最初の質問から。貴女と話がしたくて来ました。」
「はっ・・・シンプルな理由。」
素子は嘲るように言ってグラスに残っていたワインを飲み干すと、
「でも、夜遅くに女の部屋に来るには正当な理由ね。
いいわ、特別に私の向かいに座ることを許してあげる。掛けなさい。」
「はい、失礼します。」
隆之が素子の向かいの席に腰を下ろす。
それと同時に素子は未使用のグラスを取り出して注ぎ、隆之に差し出した。
「あっ俺、酒はちょっと・・・。」
「女が注いだ酒が飲めないって言うの?」
「・・・いえ、いただきます。」
別に苦手なわけではないが明日のことを考えると酒など飲む気がなかったのだが、
ここまでピシャリと言われては断ることなど出来ない。
隆之はグラスの中に注がれたワインに口をつけた。
素子はしばらく黙って隆之の飲みっぷりを見ていたが、ワインがグラスの半分ほどまで減ってから口を開いた。
「で、それで?話っていうのは?」
「はい、それについてはさっきの2つ目の質問の答えと内容が同じなんですが・・・。」
隆之は1度話を切って、グラスをテーブルに置く。
「素子さん、俺は貴女とは結婚出来ません。」
迷いなく、はっきりと言った。
「へえ・・・後悔するわよこんないい女を、」
しかし隆之は素子が言い終わる前に、笑顔で片目を閉じて言った。
「だって・・・素子さん、貴女には他に心に決めた人がいるんでしょう?」
それを聞き、素子が言葉を止めた。
目を見開く。
図星、という表情だ。
「どうして・・・それを?」
驚きながら、何とか言う。
「夕方、壬生屋の奥様が宿まで来て。そのときに教えていただきました。」
「お母様ったら・・・余計なことを。」
隆之の言葉を聞き、素子は納得したと言わんばかりに大きなため息を吐いた。
そして開き直ると、姿勢を正して隆之に真実を告げる。
「その通りよ。私には想い人がいるわ。
元はこの街の神父だったんだけどね、
“もっと多くの人を守るために修行をしなくては”って言って旅に出ちゃったの。
私は貴方が帰るまで待ってるって言ったんだけど、
“こんな時代です。いつ帰るかわからないこんな甲斐性なしの男のことなど早く忘れてください”って酷くない?」
「俺には何とも言えません。」
隆之は正直に答えた。
世界にはモンスターが現れ、平和な街の中にいてもいつ襲われるかわからない時代だ。
無事に帰れるあてがないのに待っていろなんて、隆之がその神父と同じ立場だったら言わないだろう。
だが、それでも素子の言い分もごもっともである。
素子は隆之の答えに気分を害することはなかったようで、そのまま話を再開した。
「忘れてくださいって言われて簡単に忘れられたら苦労しないわよ・・・仕事中毒、クソ真面目・・・本当に馬鹿。
・・・あの人と付き合ってた頃はね、私も未央みたいにお淑やかで慎ましかったんだけど、
あの人を忘れさせてくれる人が欲しくてパーティーや夜会、
騒がしいところに出入りして色んな男に会ったけどダメね、全然ダメ。
あの人以上の男に出会えなかったわ。」
「それで・・・今度は俺に?」
それで隆之の花嫁に立候補したのかと、そう尋ねる。
意外なことに素子の答えは、
「はあ?何言ってんのバカ、違うわよ。自惚れんじゃないわよ。
そりゃあ、今回の騒ぎで集まった他の男共の中ではマシな方だけど、
アンタみたいな小魚、全っ然好みじゃないわ。本来なら願い下げよ。」
・・・いくら何でもここまでこっぴどく言われるとは思わなかった。
隆之自身、素子が好みのタイプだというわけではないのだがそれでもちょっとショックだ。
「私がアンタの花嫁に立候補したのはこの家のためよ!
お父様が“2つのリングを手に入れた者を娘の婿とする”って大々的に言っちゃったんだもの。
それを後から来た村娘に盗られたんじゃ我が家の立場がないじゃない!!
私が立候補すれば、アンタが我が家の婿になる確率が2分の1から3分の2になるわ。
それに・・・、」
素子はまるで怒りをぶつけるように一気にそこまで捲くし立てると、不意に物憂げな目になって言葉を切った。
隆之は何も言わずに素子が再び口を開くのを待つ。
その時間は長くはなかった。
「普通、次女より先に長女の縁談をどうにかしようとするじゃない?
それなのに今回2つのリングを集めた者と結婚させられるのは私ではなく未央。
・・・当然よね、あの人を忘れられなくて、ずっと見合い話を蹴ってきたんだもの。
お父様は私に婿を取らせることを諦めたのよ。」
「じゃあ、素子さんは妹さんのために・・・?」
隆之は素子の話を聞いて同情するように呟いた。
すると素子はそれまでの悲しい表情などなかったとでもいうかのように、笑みを浮かべて肩をすくめた。
「まっ、私のわがままが招いたことだし、ケジメは取らないとね。
でも・・・アンタが私と結婚する気がないのなら、それも全部水の泡。」
「すみません・・・。」
「あら、謝るなんて殊勝な心掛けね。
いいわよ別に。
タイプでもない男と結婚しても、相手が私に尽くす気がないのなら無意味だから。
アンタが好きな女を選びなさい。」
そう言う素子の口調はさばさばとしていて、隆之に対する恨みなど全くない。
“肩の荷が降りた”といった感じだ。
「そうなると、アンタの花嫁はうちの愚妹か村娘ね・・・。もう決めてあるの?」
「いえ、それがまだ・・・。」
「何よトロくさいわねぇ〜・・・2人のところには行った?」
「はい。」
「・・・私が1番最後ってこと?小魚のくせにいい度胸ね。」
「すみません・・・。」
なんでこんなことで謝らなければならないんだろうとは思う。
「希望とは少し話をしましたけど、未央お嬢さんはもうお休みでしたよ。」
それを聞いて素子は小さなため息を吐く。
隆之は自分がまた何か失言をしたのかと思ったが、
「・・・そう。・・・相変わらず不器用で馬鹿なんだから。」
その声は自分以外の人物に向けられた声のようなのでひとまず安心する。
しかし・・・なら、誰のことだ?
隆之がどういうことか尋ねる前に素子は先に言葉を発した。
「アンタ、もしうちの愚妹を選ぶのなら、ちゃんと面倒見ないと後でひどいことになるわよ。
それをよく肝に免じておくのね。
・・・さて、アンタはいつまでここにいる気?
私はそろそろ寝たいから、さっさとグラスを空にして帰るのね。」
素子は自分のグラスの中身を飲み干しながら、
まるで自分の用は終わったから帰れと言わんばかりに空いている方の手で隆之を追い払うような仕草をする。
それを見て慌てた隆之もグラスの中身を飲み干した。
(まあ、お断りの話は出来たからもういいか・・・。)
素子には隆之と話すようなことはないのだろうし、隆之の用事も終わった。
なら、ここらで引き上げるのが得策だろう。
隆之はグラスを置いて席を立つ。
「それじゃあ、ごちそうさまでした。おやすみなさい。」
ワインを頂いた礼と別れの挨拶をしてらせん階段へ向かう。
「ちょっと!」
ふと、隆之がらせん階段に差し掛かったところで素子が声をかけてきた。
「・・・どっちを選ぶにしても、未央の気持ちちゃんと知ってあげてね。」
そう言った素子の声がいつもと違うので、驚いて振り向いた。
素子の目はいつも通りの強気な目だが、わずかに揺れている。
・・・結局、この姉は相当に妹想いのようだ。
(そうは言っても、寝ているお嬢さんを起こせとでも・・・?)
悩む自分の気持ちなど知らずに夢の中にいる眠り姫の気持ちなど、どうやって知ればいいのか。
隆之は心で小さくため息を吐いたが、この妹想いの姉の前でそのことを口にすることはしてはいけないと思った。
「ご忠告、ありがとうございます。・・・では、また明日。」
笑顔を作って礼儀正しくお辞儀をして、隆之は階段を降りた。
自分はうまく笑顔で取り繕うことが出来たであろうか?
その言葉に魂など込もっていないと気付かれただろうか?
だが、階段を下りる自分の背中にそれ以上言葉がかかってこないので、無事にやり過ごしたのだと隆之は安堵した。
隆之が階段を下り切ってしばらくした後、
「―――っ!!」
ワインを飲み干して空になった瓶を、素子は床へと叩きつけた。
瓶が割れて、ガラスが飛び散る。
僅かに残っていた中身が、絨毯を汚した。
「何よあの男!鈍いにもほどがあるんじゃない!?」
こんな、夜が明けたら自分の運命がどう様変わりするかわからない夜に呑気に寝てられるほど、私の妹は強くない。
恐らく隆之が希望と結ばれるよう、自分の気持ちを知られないように寝たふりなどしたのだろう。
圭吾と真紀のことがあったから、隆之が不幸にならないためにと――。
「だからって、アンタが自分の気持ちを殺してどうすんのよ・・・!!」
その気持ちが何なのか自分では気づいていないのかもしれないが、
未央が隆之が帰ってくると船乗りに聞いた後、顔を綻ばせて安堵し、
彼の姿を一目でも早く見ようと自分の部屋からずっと外を眺めていたのを知っている。
そしてそこから希望の姿を見た瞬間に、目の輝きが落胆の色に染まったのも。
妹が望まない結婚をするのではと心配になって、こっそりと扉の外から彼女の様子を見守っていたのだ。
先ほど隆之に言ったように、家のこと、自分の責任のこともあるが、
自分が花嫁として名乗りを上げたのはこのまま未央が自分の気持ちを告げずに黙ったまま、
隆之と希望が結婚することのないように。
変にこじれかけた妹の縁談話を自分の登場で1度ぶっ壊して白紙に戻したのだ。
妹に、自分の気持ちに素直になる時間をあげたくて。
恐らくは初恋であろう彼女の気持ちが少しでも報われるように。
「・・・ったくアンタは!!少しはわがままになりなさい!!」
ここで言ったって届くはずもないのに、素子はどこまでも不器用な妹に悪態をついた。
そして、出来れば奇跡が起こるようにと祈らずにはいられなかった。