隆之が地面に降り立ち閉じていた目を開くと、そこはルラフェンという街のとある一軒家の庭先だった。
辺りを見回して無事目的の場所にたどり着いたのを確認すると、そのまま一軒家の玄関のドアを開けて入った。
この家は入ってすぐのところにあるダイニングが吹き抜けになっており、2階は1階の半分しかない。
それにより随分と天井が高くなったダイニングには、
吹き抜けにしなければ入らなかったと思われるくらいに巨大な壷がある。
その壷の前で、
「おかえり・・・なさい。」
魔女の様な黒い三角帽子に黒いマントの、ウェーブがかかった長い黒髪の少女が声をかけてきた。
格好もそうだが、声が小さくて俯くような姿勢をしているため、余計に魔女のように見える。
しかし、隆之にそんな少女を不気味に思うような素振りは全くなく、
良き知り合いに声をかけるかのようににこやかに笑って挨拶する。
「ただいま、石津。」
少女の名前は石津萌。
ここルラフェンで古代呪文の研究をしていた老人の孫娘で、彼女は祖父の手伝いをしていたのだが、
数年前に祖父が他界し、彼女がそのまま研究を引き継いだ。
一般の魔法使いが使うような呪文や薬草学にも精通しているので、一応生徒を募って教えることもするそうだが、
ルラフェンが森に囲まれた静かな町であることや石津自身の雰囲気からか、今は生徒の姿が全く見当たらない。
「呪文・・・成功、した?行き、たい場所へ・・・行け、た?」
萌が途切れ途切れに尋ねる。
すると隆之は、
「行けた行けた!
 一瞬で大陸すら違うラインハットまでひとっ飛びさ!!
 そして無事にルラフェンまで帰って来れて、全く問題ないし。
 実験は大成功だよ!!」
笑顔で瞬間移動呪文の出来を報告した。
「そう・・・よかった。」
それを聞いて、萌は口元をわずかに上げ、柔らかく微笑んだ。
魔女のようではあるが、こうして微笑むと綺麗で可愛らしい。
先程隆之がラインハットで唱えた瞬間移動呪文は長年萌と彼女の祖父が研究していたものの1つで、
あと一歩のところで完成なのに、障害にぶつかって難儀していたところを瀬戸口が偶然ルラフェンに立ち寄り、協力した。
その障害とは、山を越え草原を歩きモンスターが住む場所にある草を取りに行くことで、
萌は戦う力がないため隆之の協力なくして完成は有り得なかった。
そしてその礼代わりに呪文を会得させてもらった隆之が試しにラインハットへ飛び、先程帰ってきたのである。
「ありがと・・・おかげで、おじいちゃんの夢・・・1つ、叶った・・・わ。」
柔らかい微笑みのまま、萌が礼を言った。
すると隆之は肩の高さぐらいのところで右手をヒラヒラと振り、
「いいや、こちらとしても便利な呪文を教えていただいて何よりさ。
 本当に感謝してるよ。
 ・・・と、マズイ。急がないと日が暮れちまう。
 それじゃ石津、俺もう街を発つから!」
ふと窓の外に目をやると、慌てて家から出て行こうとする。
「今から・・・行くの?もうすぐ、夕方・・・よ?」
隆之は昨夜夜通しで草を探し、そのままの足で萌のところへ草を届けに来た。
その後すぐに新しく出来た呪文でラインハットへ向かい帰って来て、今に至るわけだが、
時間も時間だし、てっきり彼はこの町で一泊してから発つものだと思っていた。
ちょっと急ぎすぎな感じがする彼の行動力に、萌は驚いて軽く目を見張るが、
「勇者の手がかりが見つかったんだ、今すぐにでも確かめに行きたい。
 それに、俺達はこれから南のサラボナに向かうわけだけど、
 途中に人が休めるほこらがあるから、そこに夜遅くならない時間に着ければちゃんと休めるし。
 俺の仲間達は強いから、大丈夫だよ。」
隆之の飛び出しかねないくらいに先に行こうとする目を見て、
“これじゃ・・・何を、言っても・・・止まらない・・・わね。”と思い、それ以上言うのを止めた。
代わりに、
「なら・・・いいわ。
 でも、もうすぐ貴方に・・・今後の人生を左右、する・・・大切な選択が・・・迫られるわ。
 選択肢は・・・3つ。
 ・・・必ず、貴方が本当に・・・望むものを、選ぶの・・・よ。
 でないと・・・、」
ここで萌は1度、言葉を切った。
「・・・でないと?」
萌の語った内容と話し方に僅かだが背中に冷や汗を感じ、隆之は唾を飲み込んでから訊ね返した。
「世界が滅びるわ。」
と、萌は答えた。
その言葉だけは、妙に鮮明に聞こえた。
「あ、ははは・・・お前さん、占い師でもあるの?」
萌の答えを聞き、隆之は引きつったような笑みを浮かべて再度訊ねる。
すると萌は小さく首を左右に振る。
「・・・違う、わ。でも・・・、」
「そうか、そうなのか!
 残念だなぁ、石津。俺は占いの類はあんまり信じ込まないようにしてるんだよ。
 でも、せっかくだから心の隅にはちゃんと取っとくよ、ありがとな!」
萌の答えに安心したのだろうか?
隆之は背中に流れた冷や汗を払うかのような勢いで一気にそこまでまくし立てると、
そのまま萌に背中を向けてドアを開ける。
「あ・・・。」
隆之は萌が引き止める間もないまま、玄関から出てしまった。
送り出す間をしっかりと与えてもらえなかった萌は、可能な限りに喉を絞り上げて、
「ぁりがとう・・・!また・・・いつか来て・・・ね。
 また古代呪文・・・復活させて、みせるから・・・!!」
昔、モンスターに目の前で両親を殺されたショックから失語症の一歩手前になってしまった動かない喉で、
隆之に精一杯の礼を告げる。
すると隆之はドアの向こうで振り向いて、
「ああ!もちろんまた来るよ!
 新しい古代呪文、楽しみにしてる!!」
そう言って親しげに明るく笑うと、ドアを閉めた。
萌はその場に立ったまま、隆之の気配が遠くなっていくのを感じると、
「私は・・・古代呪文の、研究家・・・占い師じゃない・・・。
 でも・・・むか、しから・・・見えるの。
 外れたこと・・・ない。
 だから、信じなくてもいいから・・・どうか・・・忘れないで、ね。
 世界も・・・そう、だけど・・・貴方のためにも・・・ね。」
隆之が出て行ったドアを見つめたまま、ポツリとそれだけを言った。

 隆之は町の入り口の所に停めてあった馬車へと歩み寄った。
「皆、待たせたな。」
隆之の声に応じ、中から出て来たのはなんとモンスターであった!
人の姿を見かけては襲い掛かり、時には国を滅ぼす事もあるとされるモンスター達ではあるが、
馬車から出てきたモンスター達に、そのような凶暴な様子は見られない。
彼らはかつて隆之と戦い、戦っているうちに彼に改心させられ、以後、共に旅をしている。
ちなみにメンバーは、スライムのスラりん、ドラキーのドラきち、スライムナイトのピエール、
魔法使いのマーリン、クックルーのクックルである。
いずれも隆之にとって、心強い仲間達だ。
「古代呪文は、どうだったかの・・・?」
草色のフードを被った老人のようなモンスター、マーリンが興味深げに話しかける。
「すごく便利なものだったよ、ルラフェンからラインハットまでひとっ飛びさ!」
隆之からの答えを聞き、マーリンは感心したように目を見張った。
隆之はそれを見届けると、
「ピエール、今すぐここを出発してサラボナを目指そうと思うんだけどどうかな?
 途中でこのほこらで一泊して、明日の昼にでも着くんじゃないかと思うけど。」
地図を差し出しながら黄緑色のスライムに跨っている甲冑姿のモンスター、ピエールに相談する。
「拙者達はご主人がラインハットに行っている間に皆十分に休めた故、問題ないでござるよ。
 しかし、ご主人は昨夜から一睡もされておられないがよいでござるか?」
「ありがとう、ピエール。
 でもさ、母さんの手がかりがそこにあると思うと、居ても発っても居られなくってさ・・・。
 ほこらでちゃんと休むから、な?」
隆之はピエールの気遣いに礼を言いつつも、やはり今すぐ発つのをやめようとはしない。
ピエールは聞き耳を立てていた仲間達に振り返ると、
仲間達はそれぞれ、肩をすくめたり困ったように笑うなどする。
皆が皆、“ご主人はこうなったら止まらないんだから。”とでも言いたげである。
仲間達のリアクションを見て、ピエールは隆之に向き直り、
「承知したでござる。ただし、ちゃんとほこらで休息を取るように。
 このパーティーのリーダーはご主人なのですから、倒れられでもしたら困るでござるよ。」
ピエールのありがたいお小言を聞き、隆之は苦笑いを浮かべると、
「流石にそこまでの無茶はしないって。
 ・・・よし、じゃあ皆。日が暮れないうちに出発だ!」
気を取り直して出発の号令をかけた。
すると、
「ピキキー!」
「パタパタッ!」
「ピーヒュウー!」
上からスラりん、ドラきち、クックルと、人語を話せないモンスターが一斉に鳴き声を上げて答えた。
そして隆之はモンスターと馬車を伴い、南へと歩き出した。

 
 ここで、これまでの隆之の物語をおさらいしておこう。
隆之は元々、サンタローズという村に住む少年であった。
心優しい少年であったが、幼い頃父親と旅をしていて腕があるためか、
レヌール城のお化け退治や春が来なくなった妖精の村を救ったりと、
子供ながらに悪に立ち向かう勇敢さも兼ね備えていた少年であった。
そんなある日、隆之の父は当時のラインハット国王(厚志と陽平の父親)に呼ばれ、隆之もそれについていく。
当時どうしようもないいたずら小僧であった厚志の相手をしている際、賊が侵入、そして厚志を誘拐した。
瀬戸口親子は古代遺跡まで追いかけ、そこでどうにか厚志を救出したのだが、
その帰り道、先に出口へと向かっていた隆之と厚志は突如現れた凶悪な魔物、ゲマに襲われ倒れてしまう。
後から追いついてきた隆之の父は2人を救おうとするが、息子を人質に取られ身動きが取れなくなり、
ゲマの手下によって散々痛めつけられた後、
「これだけは言っておかねば・・・。
 実は、お前の母さんは、シオネはまだ生きている・・・はずだ、きっと。
 どうか、わしの代わりに母さんを探し出してくれ・・・!」
その言葉を隆之に残し、ゲマに焼き殺されてしまった。
ゲマとの戦闘のダメージで重傷を負っていた隆之は、父親が一瞬にして灰になった光景を最後にそこで気を失う。
気がついたとき、隆之は奴隷の格好をさせられていた。
一緒にゲマに連れ去られた厚志とともに、奴隷として働かされることになる。

 それから10年が経ち、少年だった隆之と厚志は青年になった。
(厚志は少年のようなぽややんな顔をしていたが、そういえば彼も一応青年であった。)
隆之は父の望みを叶えたいと思いつつも、そこは雲より高い山の頂上で脱出の手段もなく途方に暮れる日々を送っていたが、
ある日、新しく奴隷としてやってきた舞が運ばされていた岩を看守にぶつけ、反乱を起こす。
そんな舞の勇ましい姿に一目惚れした厚志がこれに加わり、隆之は2人を守るために看守と戦う。
看守に勝利したはいいが、結局他の兵士に拘束され牢の中へ入れられてしまう。
翌日には処刑されてしまう運命にあったが、
“いいや、それでも芝村は最後まで諦めん。”“私は、こんなところで死ぬつもりはない!”
と言う舞に厚志と隆之は共感し、3人で何度も牢の扉に体当たりを食らわす。
数十回の体当たりの末、牢の鍵を破壊し牢から出た3人は、そこで水路に浮かべられたタルを発見。
大人3人がどうにか入れるタルに何とか入り、水路を流れて外界に脱出。
タルの中が狭いのをいいことに過剰なまでに舞に抱きつこうとする厚志とそれを剥がそうとする舞の争いが
すぐ横で繰り広げられているので、それにとばっちりを受けまいと必死になり、
すっかりエネルギーを使い果たした隆之が気を失うように眠ると、やがてタルは浜辺の修道院に流れ着く。
しかしこの修道院、修道院とは名ばかりの『お嬢様訓練所』だった。
『お嬢様訓練所』だから、お家柄の良い娘さん達に礼儀作法などを教えるとか・・・ではない!
むしろその逆で、何かとひ弱なイメージが科せられて悪者に狙われがちな良家の娘を預かり、
格闘術や武器の扱い方などを教え、自分1人でも5〜6人は楽に相手できるくらいにバッチリ鍛え上げるところであった。
日頃の奴隷生活の疲れが出たのか、ここで隆之は3日ほど眠り続ける。
目が覚めてみるとベッドの横には彼を看病していてくれた年頃のシスターがいて、
“お友達はすぐに元気になったのに、貴方は3日間も眠っていたのですよ。
 あと、服がボロボロだったから着替えさせていただきましたわ・・・ポッ。”
と言ってきたものだから、
(えっ・・・どこまで見られたんだろう?)(まいったな・・・誘われてるのかな、俺?)
とか色々考えたものだが、相手はシスターなので手を出さずに、
念のためもう一晩休んでから改めて父の悲願を叶えるため、母親探しの旅に出発する。
厚志は“今もなお山頂で奴隷として働かされている人々を解放するために、まずは強くなるためにここで修行する”
と言う舞と共に修道院に残ろうとしたが、
修道院は男子禁制なため、残ることは叶わずに隆之に引きずられるようにして修道院から追い出された。
ちなみに、厚志は可愛らしい容姿を活かしてシスターの格好をして紛れようとしていたのだが、
ここの修道院の長、マザーヨーコに見抜かれてしまった。
流石は何年も神に遣え、何人もの乙女を鍛え上げた歴戦のシスター・・・恐るべし!マザーヨーコ!!
隆之はマザーヨーコの、
「アナタのお母さんが無事に見つかりますよう、祈ってマス。
 神様は絶対に見守ってくれてるから、アナタもミンナもハッピーデース!!」
というありがた〜〜い言葉を背に、
まずはカジノで有名な町オラクルベリーでモンスターに詳しい老人にモンスター使いとしての才能を開花させられ、
彼の進めで馬車を手に入れ、
モンスターを仲間にしながら故郷であるサンタローズに向かった。
10年ぶりに戻ったサンタローズはラインハットの兵士によって攻められ、変わり果てた有様になっていた。
厚志誘拐の件を、彼を救うことが出来なかった隆之の父のせいにされ、その報復として村が焼かれたのだ。
普段は傍若無人で何かと親分気取りをする厚志も、流石にここでは後悔の念に襲われ、ずっと俯いてばかりだった。
失意のままの2人と、仲間になったばかりのスラりんとクックルは村の奥にある洞窟で、
隆之の父の手紙と伝説の剣『天空の剣』を手に入れた。
父の手紙によると、母シオネを救うためには魔界に行って大魔王を倒すしかなく、
倒せるのは伝説の装備を身に纏った『天空の勇者』だけだということ。
もしやと思い、隆之は天空の剣を装備しようとしたが、天空の剣は極めて重く、持ち上げる事しか出来なかった。
厚志もそれは同様で、“ごめん、隆之。せめて僕が勇者で、君のお母さんを助けてあげられたのならよかったのに・・・。”
と、より一層強い自己嫌悪に呑まれてしまった。

 天空の勇者についての情報を探すため次に訪れたアルカパの村で、2人はラインハットの悪い噂を耳にした。
厚志誘拐の翌年に王が死去、第2王子である陽平が王位を継いだのだが、
貧富の差が激しくなる、極めて人相の悪い者が出入りするなど、
厚志がいた頃の穏やかで平和な国とは全く違うものになってしまったということだ。
事の真相を確かめるために潜入したラインハットの隠し通路で、
本来ならば王の背後でふんぞり返っているはずの太后―陽平の実の母親が牢に入れられているのを発見。
ここで10年前の厚志誘拐事件の黒幕は太后であることが発覚。
息子の陽平に王位を継いで欲しかったのだが、後妻の子で第2王子である陽平が王位を継ぐためには、
正妻の子で第1王子の厚志に消えてもらうしかなかった。
全ては可愛い息子を思うあまりにしてしまったことで、今は反省している。
しかし、陽平が王位を継いだ直後にモンスターに牢に入れられ、
そのモンスターが自分に成りすまして陽平を隠れ蓑に自らが実権を握り、悪政を強いているという。
サンタローズが焼かれたのをこのモンスターのせいだ。
隆之は今にも飛び掛りそうな形相をしている厚志をなだめ、隠し通路から出て玉座へ。
陽平に隠し通路で何があったかを伝え、偽者の太后の変化の術を打ち破るために、
真実のみを映すという『ラーの鏡』を求めて神の塔へ。
この神の塔は修道院で鍛えられたシスターの実力を試すための塔ということで、
扉はシスターが祈りを捧げないと開かないことになっている。
そこで隆之と厚志は修道院に行き、舞と再会。同行してもらうことにする。
短い間ではあったが、舞は修行を重ね、見違えるほどに強くなっていた。
体つきこそは以前と変わらずしなやかではあったが、動きの速さも身のこなしも全く違う。
極めつけはその銃の扱い方で、狙った獲物は1つたりとも逃しはしなかった。
成長した舞は旅慣れた隆之と厚志に引けを取らない強さで、
さらに明晰な頭脳を活かして、最上階に仕掛けられた罠を容易く解いてしまった。
ちなみにアルカパ付近でドラきちが、ラインハット隠し通路でピエールが仲間になった。
ドラきちを仲間にする際には心温まる物語が、
ピエールを仲間にする際には隆之とピエールとの壮絶な真剣勝負があったのだが、ここでは割愛させて頂く。
舞、そして新たに仲間になったモンスター2匹と共に再度ラインハットへ。
陽平は先に太后を牢に出していたのだが、本物と偽者が取っ組み合いのケンカを始めたために、
どっちがどっちかわからなくなった。
「・・・ったく、昔っからどんくさいんだから。」
と、厚志はぼやいたが、ラーの鏡は確実に真実を映し出し、モンスターの正体を暴いた。
その凶暴な本性を表したモンスターは隆之らに襲い掛かるが、3人と2匹が力を合わせ、これを撃退した。

 偽者の太后を倒し、ラインハットに平和が戻った。
陽平は厚志に王位を譲ろうとしたが、厚志はそれを断り、王の兄として国を支えていくことを選んだ。
よって、10年来の親友だった隆之は厚志と別れて母親探しの旅を続けることにする。
連絡船に乗って新しく渡った大陸でマーリンを仲間にし、
立ち寄ったルラフェンの街で萌と出会い、古代呪文の復活を手伝うことになる。


 すっかり夜が更けて、月が空の頂上にやってきた。
「・・・・・・。」
天蓋付きのベッドに寝転んだまま、厚志は仰向けになってぼおっとしていた。
「どうした、厚志?」
寝間着に着替えた舞がベッドに上がり、厚志の顔を見下ろすように覗き込む。
「舞・・・。」
厚志は舞を見上げると、どうにか口元だけを歪めて小さな笑みを作る。
そして、窓の外に消える月を見て、
「隆之は、今ごろちゃんと屋根があるところで寝られているのかな・・・?」
何だか落ち込んでいるような元気のない声で訊ねた。
舞は元気のない夫を気遣うように、
「陽平の話では、今宵はほこらで休むと言っていたそうだぞ。
 ピエールやスラりん達も、奴にそうそう無茶なことはさせまいよ。」
ささやくように優しい声で言った。
しかし、妻の優しい声にも厚志の気は晴れない。
「うん・・・ピエール達は本当に頼もしい。
 でも、それでも隆之は、前へ進むたびに壊れていっているような気がしてならないんだ。」
そう言うと、1度言葉を切って、両手で顔を覆った。
「壊、れる・・・?」
「うん・・・。
 当たり前の生活を捨てて、幸せから背を向けて、その先にどこに行くんだろう。
 お母さんを見つけたいっていう隆之の気持ちはわかるよ。
 でも、もし僕があの時誘拐なんてされなければ、隆之のお父さんが死ななければ、
 隆之は今でもただの村人として平和に生きられたはずなんだ。
 だから・・・僕のせいなんだ、隆之がああなったのは・・・。
 僕は、大切な親友に酷い運命を与えてしまったんだ・・・。」
「厚志。」
「・・・!」
舞は優しく厚志の名を呼んで、厚志の髪を撫でる。
普段は照れ屋な舞の突然の行動に、厚志は驚いて、思わず目を見張る。
「それは言わない約束なのではなかったのか、瀬戸口との。
 あやつは親友のそなたを責めるようなやつではないだろう?
 あやつはお前のことを許している。
 だから、そんなに自分を責めるのはやめろ。
 それが、何よりもあやつのためになるのではないか?」
「舞・・・。」
髪を撫でてくれる舞の優しさが、厚志を暗い闇の底から引き上げていく。
「そう、だよね・・・親友だものね。
 僕が元気じゃないと、隆之が心配する・・・。」
「そうだ。それが親友というものだろう?
 親友ならば、つまらぬことは気にせず、気楽に話し合うがいい。」
厚志の心が少しずつこちらの世界に返ってきているようで、舞は安心したように目を細めた。
「それに、瀬戸口は今まで神から多くの試練を与えられてきた。
 じきにあやつを支えてくれるような良き人が現れるさ。
 “戦い続けた者には、それに見合う幸福を。”
 そう祈るように、修道院で教わったよ。」
「戦い続けた者には幸福、か・・・。
 そうだね、そうでないと世の中やってられないね。」
厚志は髪を撫でていた舞の手を取って、身を起こした。
舞と共に月を見上げる。
「なら、ここで隆之に・・・いや、今もあの場所で差別と理不尽に対して戦っているあの人達にも、
 幸福が訪れるように一緒に祈ろう。
 僕らが彼らのために出来ることはそれしかないけど、その分ラインハットの人達を幸せにするんだ。
 そして、隆之やあの人達に胸を張って“おかえり”が言えるくらいに、素晴らしい国にしよう!」
「ああ、その意気だ!
 そなたと陽平と私で、この国の未来を作るのだ!
 それこそがきっと世界平和の火種になると、私は信じているぞ。」
「・・・ついてきてくれるね、舞。」
「無論だ。私はいつも、そなたの隣りに居る。」
そしてさらに絆を深めた2人は、どちらともなく互いに顔を近づけ、唇を合わせた。

 これは後日談だが、この誓いと祈りが数十年後の『ラインハットによる世界統一』の始まりだった。



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