今にも雨が降り出しそうな曇り空の中。
一台の漆黒色の高級車がある場所を目指して走る。
都市部を少し外れ街路樹や色取り取りのブロックで舗装された道の先、総統官邸へ。
高級車の中、1人の少女が両脇をスーツ姿の男に挟まれて座っている。
年の頃は十代半ば。
ピンクのパーカーにゴールドのミニスカート。
スカートの下には黒いデニムのパンツを穿いている。
髪飾りで上げた黒髪の先は、わずかに丸みを帯びている。
その少女は防弾性の分厚いガラスで出来た窓の向こうを見た。
視線の先には灰色の曇り空が見える。
(ついに来た・・・。もう、後戻りは出来ない。)
少女は心の中で呟く。
(・・・大丈夫。絶対にやり遂げてみせる・・・!)
そして自分自身に言い聞かせた。
前方に見えてきた総統官邸をキッと睨みつける。
―それは2011年。
50年近く続いた戦争を終結に導いたヒーローが誕生してから12年後に起こる物語である。
炎の夢―endless love―
「もうすぐ着きますよ。心の準備はよろしいですか?」
フロントガラスの先に見える総統官邸を睨み付けている少女に、
脇に座っているスーツ姿のうちの片方が話し掛けてきた。
少女はそれを、総統官邸を睨んでいた時と同じ眼差しの強さで答える。
「はい、大丈夫です。それより約束の件、忘れないで下さいね遠坂さん。」
少女の眼差しを受け、スーツ姿の男―遠坂圭吾は柔らかく微笑む。
年の頃は20代半ば程なのだが、背負っている威厳や落ち着きのためにもっと上のように感じる。
首の後ろで1つにまとめた緑がかった長い黒髪が、ふわりと揺れる。
「もちろん。忘れたりなどしませんよ。貴女は大切な私達の協力者なのですから。
引き受けていただいてとても感謝しているのですよ。
何分、とても大変な仕事なのですから。」
(とても大変、ねぇ・・・よく言うよ。)
遠坂の笑顔を見て、少女は内心で毒づいた。
少女が住む町に、いや、もしかしたら県内、さらには国中で実しやかに囁かれている噂。
この国は魔王が治められている。
魔王は城で獲物に飢えており、
それを鎮めるために歳若い少女を生け贄に差し出さねばならない。
うまくなだめられれば巨万の富が。
怒りを買えば惨たらしい死が与えられる。
いずれにしても結果は同じ。
2度と城からは生きて出られない。
少女が向かうのは魔王の住む城。
少女を待つのは魔王。
少女はそれを鎮める生け贄。
そして少女が求めるものは・・・巨万の富。
(そう、巨万の富・・・。それが私の目的。)
「遠坂さん。」
少女は遠坂を見据えたまま再度呼びかける。
ただし、その目と心にはより一層の熱さを灯しながらだ。
「仕事は何があっても投げ出さずにちゃんとやります。
私にはやり遂げなければならない事情がある。
貴方も知ってるでしょ?」
(そして・・・必ず生きて帰るんだ!)
最後の一言だけは発さずに胸の中で吠える。
生け贄の自分を魔王の下へ運ぶ張本人に聞かれては無事に生きて帰る確率が減りそうだ。
そんな少女の心の声を知る由もない遠坂は、先ほどと変わらぬ微笑みで返した。
「ええ、忘れてなどいませんよ。
失礼致しました。
確認のつもりで言ったのですが、かえって気分を害されたようですね。」
と言って、頭を垂れる。
いちいち丁寧な男だ。
少女は遠坂の丁寧さに顔には出さないが少々面食らう。
「いや、そんなことないですよ、大丈夫。」
「許してくださって嬉しいです。ありがとうございます。」
少女の言葉を、遠坂はやはり丁寧に受け取った。
そういった会話をしているうちに、少女達が乗った高級車は前へ進むのをやめた。
少女が窓の外を見渡すと、左手に総統官邸の大きく厳つい扉、
右手には車が通れる広さの石畳の道の先に黒い鉄格子のような門が。
そう。
いつのまにか総統官邸の門をくぐり、建物の入り口までやってきたのだ。
「さぁ、お手をどうぞ。」
先に高級車から降りた遠坂が手を差し出す。
この手を取り、城の中へ入れば生きて帰れる保障は無い。
彼女の一生は魔王の手の物になるのだ。
しかし、
(それでも私にはやるべきことがある。だから、逃げない。)
少女は迷わずその手を取った。
そして開かれた扉をくぐり、歩く。
魔王に会うために、魔王と戦い、生きて帰るために。
決意を秘めた瞳で振り向かずに前を行く。
少女の背後で、下界へと続く扉が音を立てながらゆっくりと閉じていった。
閉まりきった瞬間、濃い色になった曇り空から雨が降り始める。
水煙が城中を包み込む。
それはさながら、外との繋がりを拒絶する、一種の隔壁のようだった。