その数日後。
「あ、遠坂さん!」
「おや、明日花さん。どうされましたか?」
総統官邸内の廊下を歩いていた時、遠坂と出会った。
明日花が2人の真紀を引き合わせてからしばらく時間が経ったので、
その後のクローンの真紀と遠坂についてそれとなく様子を探ることにする。
「大したことじゃないんだけど、
この前遠坂さんの執務室で彼女さんの真紀さんと会って、2人でお茶したの。
暇だからまたどうかなーって思うんだけど、今ここにはいない?」
その言葉を聞いた遠坂は明日花にはわからない範囲で顔を引きつらせた。
ここ最近で田辺真紀の演技が急激に下手になったクローン。
その原因は・・・もしかしたら明日花か?
霊調技能という特殊な技能を持っている彼女がどういった経緯からか真紀の秘密を知り、
クローンに何かを仕向けたのかもしれない。
「・・・ええ。
彼女はちょっと調子を崩されましてね・・・。
屋敷で休んでいるのですよ。」
「なんだ、そっかぁ・・・。
・・・でさ、2人はラブラブなの?
結婚したりするの?」
明日花がからかうように演技をして言う。
それに気づかない遠坂は、“瀬戸口の真似か?”と一瞬思った。
「そ、それは私は真紀さんをお慕いしておりますが、
結婚なんてそんな急には・・・。」
「え〜。真紀さんから熱烈にアタックかけられたりはしてないの〜?
“私だけを見て!”とか“私は貴方を愛しているんです!”とか、言われたりしてない?」
「いえ・・・その、真紀さんは本当に淑やかな方ですからあまり言ってくださらないのですよ。
ちょっと、寂しい気もしますが、ね・・・。」
(・・・ということは、真紀さん、まだ何も言ってないのか・・・。)
遠坂のその言葉を聞いて、明日花は確信した。
クローンの真紀は未だ遠坂に想いを告げていない。
(まぁ、すぐには無理、だよね・・・。もうしばらく様子を見るか。)
「それはともかく、明日花さん。」
「はい?」
しばし考えていた明日花を、遠坂が呼んで話に引き戻した。
「・・・真紀さんに、何か言いましたか?
彼女、明日花さんに会った頃からなんだか様子がおかしいのですよ。」
「・・・えっ?」
遠坂はにこやかな笑みを消して、嘘を許さないような真剣な目で明日花の目を見つめる。
(や、やばっ・・・!もしかしてバレてる・・・?)
と、内心焦りながらも本当のことを言ったらクローンの真紀が消されるかもしれない。
明日花は嘘を言ってどうにか切り抜けることにする。
「いや〜、別に?
ここから出られないから、ちょっと外のことについて聞いてみただけだよ?」
「外?」
「うん、街のこととかについて・・・いっぱい聞かせてもらったよ。」
「街、ですね?」
「うん。」
明日花はここで墓穴を掘った。
クローンの真紀は遠坂の別宅の屋敷にいることがほとんどなので、
滅多に街には行かない。
少なくとも、ここ最近は。
買い付けは他の者がやるし、基本遠坂が指示を出さない限りは屋敷にいることになっている。
そんな彼女が、明日花にしてやれるほどの街についての話題を持っているだろうか?
仕入れるとしたら、書類を届けに来る途中で寄り道をするくらいしかない。
いや、あの忠実なクローンが届け物の途中で寄り道などありえないから、
これは明日花の作り話・・・つまり、嘘という事になる。
そう思い至った遠坂であったが、ここはあえてそのことについて言及しないことにする。
「そうですか。それはよかったですね。ただ・・・、」
代わりにちょっと仕掛けをする。
「真紀さんの具合が良くならないままなら、
県外にある病院へ行くことになってしまうかもしれません。
彼女、ちょっと厄介な持病を抱えてましてね、そこまで行かなくてはならないのですよ。
脳の病気でね、たまに少し記憶が飛んでしまうのですよ。」
「脳の・・・びょうき?」
遠坂の意図がわからず、明日花はそう訊ね返す。
「ええ。
ですから、もしかしたら明日花さんのことをお忘れになってしまうかもしれません。
そう・・・姿は一緒なのに、まるで別人みたいに。」
「べ、別人?」
その言葉に明日花は驚く。
(そ、それってまさか・・・別のクローンに替えるってこと?)
しかし、その問いを口にすることは出来ないので黙ったままになる。
仕掛け。
実に遠回しにクローンの真紀に変なことを吹き込まないように釘を刺し、
その効果があったことを確信すると、遠坂は笑顔で言う。
「もしそうなっても、真紀さんと仲良くして差し上げてくださいね。
ここではあまり、同性のお友達もできないでしょうから。
別人みたいでも、真紀さんは真紀さん、ですからね。」
「は、はあ・・・。」
その笑顔に押され、明日花はそんな返事しか出来なかった。
「それでは私は仕事が残っていますので、失礼します。」
そして、茫然としている明日花を残して歩き始めた。
遠坂と別れた後、明日花はどこへ行くかも定まらず、ただフラフラと廊下を歩いていた。
(どうしよう・・・真紀さん、消されちゃったらどうしよう・・・。)
遠坂とクローンの真紀の現状が放って置けなくて、本物の真紀と共にやってみたことなのだが、
ここまで事態が悪化するなんて・・・。
もし本当にそうなったらどうしよう。
自分のせいでクローンの真紀が死んでしまうのかもしれない。
明日花はそういった暗い考えをしながら、ずっと廊下を歩いていた。
その時、不意に目の前に明るい茶色の髪をした青年が現れた。
「あ・・・瀬戸口さん。」
そう、ここは瀬戸口の部屋の近く。
何気なく歩いていたら、偶然ここに着いたのである。
前に会ったのはいつぶりだろうか?
「お〜い!瀬戸口さ〜ん!!」
懐かしさを感じて明日花は瀬戸口に手を振りながら近付く。
しかし、
「・・・・・・・。」
瀬戸口は明日花に応えるでもなく、無視をして廊下の向こうへと歩き去って行く。
「あ・・・。」
明日花は瀬戸口の冷たい態度にショックを受け、手を下ろして立ち止まった。
そして同時に、瀬戸口と最後に会った日のことを思い出す。
その日、瀬戸口の恐ろしい一面を見て、そしていつまでも過去に縋り付く彼に色々言ってやった。
それからずっと、瀬戸口とは会っていない。
(瀬戸口さん・・・まだ、怒ってるのかな?)
言い過ぎたのかなと、少しは思ったりもする。
しかし、自分の意見自体は変わっていないし変えるつもりもない。
だが、自分を誰かの代わりとしてしか見ないこの魔王の城で、
瀬戸口は数少ない良き話し相手だった。
その話し相手と挨拶すら交わせないのはとてつもなく寂しい。
「はぁ〜・・・。」
明日花は深いところからため息をすると、回れ右をして自室へと歩き出した。
――ぼふっ。
自室へ着くなり、明日花はベッドに倒れ込んだ。
どうにも気分が上がらない。
今夜来るであろう呼び出しまで、何も考えずに眠ってしまいたかった。
しかし、頭の中には彼女が垣間見てきた悲劇に関わる人物の顔が浮かぶため、
どうしても寝付くことが出来ない。
(私・・・余計なことしちゃったのかな・・・。)
その悲劇の中に生きる彼らにとって、自分は突然やってきた異分子に過ぎない。
同じ舞台に立ってからまだ一月も経っていないのに、
そんな相手が急に今まで演じてきたものを壊そうとしているのだ。
当然面白いと思わないだろうし、現に戸惑わせている。
事態はややこしくなり、どこが良くなっているのかよくわからない。
むしろ、悪くなっているのではないか・・・?
「一体、何やってんだろうね・・・。」
そんな言葉がついポツリと出る。
(ね、真紀さん・・・。)
そして、先日自分と共に行動した人物の名を呼んだ。
呼んで、来てもらったらこの現状について何か変わるような言葉をくれるかと思って。
しかし来たのは、
【お前は・・・よくやってると思うぞ。】
田辺真紀ではなかった。
その声をかけてきた人物の姿が、ベッドの側、その空中に浮かび上がる。
その顔と目と髪は、明日花に瓜二つ。
そう、ならばその人物は・・・。
「し、芝村舞・・・!」
その人物は芝村舞だった。
明日花がここに来る元凶となった少女であり、魔王の想い人。
あの日、未央と真紀と共に明日花の夢に現れた最後の1人だ。
「あ、貴女がなんでここに・・・?呼んだのは、真紀さんだけど?」
がばっと起き上がった明日花の質問に、舞は宙に浮かんだまま答える。
【田辺は遠坂の屋敷の様子を見ている。
何か異常があったら、すぐにお前に知らせられるように、とな。
だから私が代わりに来た。
それに・・・お前に話したいことがあるからな。】
「話したいこと・・・?」
【ああ。】
舞は頷くと、床に降りた。
そして、跪き頭を垂れる。
【私のカダヤのために、お前には絶えがたい屈辱を味合わせてしまった。
そしてそれは、12年前にあっけなく死んだ私の罪に他ならない。
どんなに罰されようとも許されるものではないとわかってはいるが、
それでも謝らせてくれ!
・・・すまない!
お前の気が済むのなら、いかなる非難をぶつけられても構わない・・・!!】
「ちょっ!ちょっと待ってよ、い、いきなりそんなこと言われたってさぁ!!」
明日花の両腕が大慌てで宙を掻く。
「・・・というか、それは別に貴女の・・・舞さんのせいじゃないでしょ?
報酬目的で来た私にも責任があるんだから・・・。
もういいから、顔をあげてよ。」
【なんと!許してくれるというのか!!
お前は、広き心の持ち主だな・・・!
いや、しかし・・・お前の前に来た者達は・・・。】
「・・・いや、それを言ってもしょーもないから。
それに、1番悪いのは魔王だよ!
12年も前のことをずっと引きずって、他の女の子を身代わりにして・・・。
それで舞さんが喜ぶわけでも、」
【あいつのことを悪く言うな!】
魔王のことを悪く言われたと思った舞は、突然怒鳴った。
「あ・・・あの・・・。」
舞に一喝され、明日花は言葉を続けられなくなる。
明日花としては、ただ舞のフォローをしていたつもりだったのだ。
そんな明日花の様子を察した舞は我に帰り、怒りを鎮めた。
【すまない・・・。
だが、厚志があのように変わったのはやはり私のせいなのだ・・・。
私と会わなければ、あいつはあんなに哀れな様にならずに済んだのだ・・・。】
そうして舞は右拳を握り締め、悔しげに俯く。
「舞さん・・・。」
明日花はそんな舞を心配そうに見つめる。
(そういえば・・・。)
舞の言葉で、明日花が以前瀬戸口の部屋で見た写真を思い出す。
写真の中の厚志は髪が青ではなく黒で、目元も穏やかだった。
成長期うんぬんの話を差し引いても、今の魔王の厚志とは似ても似つかない。
ならば、一体魔王―いや、芝村厚志に何があったのか。
「舞さん、話してくれない?
魔王・・・いや、芝村厚志に何があったのかを。」
【・・・え?】
驚き顔を上げる舞を見て、明日花は若干気まずそうに視線を横にずらす。
「い、いや・・・。
ダメならいいよ、私なんかが聞いても何にもならないし・・・。
現にさ、未央さんと真紀さんの手助けをしたつもりだったけど、
かえって事態を悪くしちゃったみたいだから・・・。
で、でも・・・さ、愚痴を聞くくらいは・・・できるんだし、ね。
それに、私話し相手に困ってたから。」
明日花は拙いなりにも自分の考えを懸命に伝えようとする。
舞はそんな年頃の娘相応の顔をする明日花を微笑ましく思った。
【フフッ・・・。
お前は本当によくやってるのだがな・・・。
いいだろう、話してやろう、我がカダヤのことを。
・・・と、隣りに座っても良いか?】
舞は気恥ずかしいのか小声で提案する。
「うん、いいよ。座って座って!」
明日花はそれを笑顔で受け入れた。
そして隣りに腰掛けた舞に尋ねる。
「そういえばさ、カダヤって何?」
【ぬなっ!?】
問われた舞は変な所から声が出た。
顔が瞬時に赤く染まる。
【お、お前っ!
は、話の流れでわかるだろう!?】
「えー、うん、なんとなくは。
でも、今まで聞いたことのない言葉だから正確な意味はわからない。」
こう言われてはもう、説明するしかない。
舞は顔を赤らめながら答える。
【こ・・・こここ、こい・・・恋人だ!
どうだ、この答えで満足か!!】
そしてすごい勢いで言い返す。
「あ、は、はい!満足です!!」
その勢いに押されて、明日花は肯定の返事以外は出来なかった。
そして、思う。
(なんか・・・思ってたイメージと違うなぁ、この人・・・。)
資料を見たり聞いたりした話では、もっと軍人っぽい、堅物な人間なのかと思っていた。
しかし今目の前にいるのは、口調こそ変わってはいるがそれ以外は自分と同じ思春期の少女だ。
考えていたのとは違う人物だったが、それにより逆に親しみが持てて嬉しく思う。
舞は他に明日花が何も言ってこないので、
【ン、コホン!】
と咳払いを1つして、
【で、では話を元に戻すぞ!】
特にどこかで話が止まっていたわけではないのだが、話を元に戻すことにした。
【あいつは元は芝村ではない・・・速水厚志という名だった。
芝村は自分の親となる人物の苗字をそのまま継ぐのではなく、
行動し、力を認められるようになって初めて芝村を名乗ることが許されるのだ。】
「な、なんか不思議な話だね。
じゃあ魔王・・・あー・・・と、厚志も力を認められて芝村になったんだね?
すごいなー・・・って、世界に君臨する魔王様だもん。
なれて当然か。」
しかし舞は首を横に振る。
【いいや、違う。
アイツは“なれて当然”というような力は持っていなかった。
出会った頃は背も私とそんなに変わらなかったし、声は女みたいに高かった。
手作りクッキーを作っては皆に配っていたりしたな。
現に、よく瀬戸口に女扱いされてからかわれていた。】
「えー!!
全然別人だよ、それ。
瀬戸口さんがからかうにしたって、今はそんなこと出来るオーラじゃないよ、あの人。」
舞の言葉を聞いて、明日花は大きく目を見張る。
そんな明日花の反応が面白くて、つい舞の口から笑い声が漏れる。
【ははっ、確かにな。
アイツと同じ機体に乗ると聞いたとき、私は心底不安になったな。】
そして、今度は話の人物を慈しむような、そして誇らしいような顔になる。
【しかし、アイツは懸命に努力し、学習を重ね、
周囲の予想を大きく上回り、本当に強くなった。
戦う腕だけではなく、嘘まみれな軍人達を出し抜く眼力も備えた。
そしてそれまで持っていたアイツらしい優しさも損なわず、
むしろ磨き上げていった。
いつしか私は、アイツ以外の者と機体に乗るなど、考えられなくなった。】
「へぇ・・・すごい頑張り屋さんなんだね。
ちょっと見直したかも。」
【そうか!そうだろう!】
感心した明日花の言葉を聞き、舞は本当に嬉しそうな顔をする。
そして急に、悲しげな顔に変わった。
【しかし・・・そうなってしまったために、アイツは芝村になってしまった。
芝村を知らなければ、私と会わなかったら、アイツは魔王などと呼ばれるようにはならなかったのに・・・。
結局は、私がアイツを苦しめて・・・、】
「それは違うよ、舞さん。」
明日花は俯きだした舞の肩を叩く。
「確かに厚志は魔王になっちゃったけど、それって舞さん達を守るためでしょう?
魔王の相手をしてる私だからわかるよ、舞さんがどれだけ魔王に愛されているのかを。
それにもし魔王にならなかったら、戦争なんて終わらなかったのかもしれない。
舞さんに会ったおかげで世界が平和になったのなら、舞さんが厚志に出会ったのは悪いことじゃないよ。
だから、そんなに落ち込む必要なんてない。」
【明日花・・・。】
「だから大丈夫。
きっといつか、厚志の目を覚ましてくれる人が現れるよ。
まぁ・・・その、簡単にはいかなそうだけど・・・。」
舞は明日花の言葉を聞いて、彼女は本当に強いなと思った。
毎夜のように辛い目に遭っているというに、それでもその相手を正確に見ることを忘れない。
彼女に出会った経緯は決して良いものではないが、それでもこうして話せてよかったと思う。
【感謝を・・・。
お前の言葉に、我が心は随分軽くなった。】
舞は偽りのない感謝の言葉を明日花に送る。
礼なんて言葉を持たない芝村だが、それでも言葉を送らなければを思った。
「えへへ。どういたしまして。」
明日花はその言葉を笑顔で受け取った。
明日花自身も、舞と話せて良かったと思った。
こうして話さなければ自分は、自分がここで苦しむことになった原因の彼女を恨んでいたかもしれない。
そして2人は芽生えた友情に微笑む。
しかしそれは、
「舞様。厚志様がお待ちです。」
ノックと共に聞こえてきた遠坂の声によって止められた。
それは明日花の任務の始まりだ。
ここから先は、明日花は明日花でいることを許されない。
「あ、と・・・随分早いな。」
それでも明日花は尋ねずにはいられなかった。
時計を見れば、まだ日が暮れたばかりの時間だ。
「はい。今日は会議が早く終わったため、舞様と共にご夕食をとられたいとのことです。」
「そ、そうか・・・。
わかった、すぐに着替える。
しばし待て。」
明日花は観念して髪を結び、制服に着替える。
舞はそれをいたたまれない想いで見て、顔を逸らす。
制服を着終え、自室を出て行くときにそれに気づいた明日花が、
(舞さん。)
舞に意志を送り、顔を向けるように呼びかけ、
「行って来るね。」
そう笑顔で伝えると、扉を開けて自室を出た。
(・・・。)
残された舞は何も言えず、ただ明日花が出て行った扉を見つめた。