それから明日花は厚志の部屋へ行った。
厚志は芝村舞となった明日花を迎え入れ、優しく口付けをした。
「舞!舞と一緒にご飯を食べるなんて、久しぶりだね!」
そうして子供のような笑顔ではしゃぐ。
「あ、ああ。そうだな、楽しみだ。」
明日花はそう微笑んで返しながら、
(魔王は・・・舞さんといる時は、こんなに別人なんだ。
なんていうか、幸せそう。)
明日花は魔王について流れていた噂を思い出す。
魔王は炎の剣を振るい、全ての幻獣を葬り去った最強の人間。
その炎は敵を燃やし尽くすまで消えることは無く、
50年近く人間の天敵であった全ての幻獣の恐怖の対象であったという。
その様は化け物以上の化け物。
人間を凌駕した異質なもの。
それらは明日花のような一般の人間でも誰もが知っている実しやかな噂であった。
だから明日花は魔王がそういう人物だと思っていたし、会ってみてそうだと確信した。
しかし今の、芝村舞という少女の隣りにいる芝村厚志は、全くの別人だ。
容姿こそは20代後半の男性だが、その底抜けの明るい笑顔は、
自分と同じ10代の少年にしか見えない。
「・・・どうしたの、舞?熱でもあるの?」
厚志は、こちらを見つめたまま黙ってしまった明日花を心配し、様子を窺う。
明日花は小さく驚き、思考を一時停止させた。
「い、いや。なんでもない。
それより、せっかくの食事が冷めてしまうぞ。」
「ああ、そうだね。せっかくメイドの人が用意してくれたんだから、
残しちゃいけないものね。
食べよ食べよ♪」
厚志は実に楽しそうに明日花の手を引くと、
出来たての食事が並ぶテーブルへとエスコートした。
明日花は自分と共に食事をする厚志を見ながら思い出したことがある。
(そうだ・・・。
この楽しそうな感じ、厚志のことを話しているときの舞さんとそっくりだ・・・。)
厚志のことについて語る舞は、照れて顔を少し赤らめてこそいたものの、
幸せそうに目を細めながら、相手のことを慈しみながら話していた。
目の前にいる厚志も同様の表情を浮かべている。
舞と話すのが楽しみで仕方がなくて、幸せそうに輝いている。
優しげに見つめる瞳は、本当に舞のことが好きで仕方ないというのがよく分かる。
(でも・・・私は、本当は舞さんじゃない・・・。)
彼が愛しているのは芝村舞であって、斉藤明日花ではない。
なのに今、ここで彼がその愛を持った眼差しで見ているのは芝村舞の格好をした斉藤明日花なのだ。
全く同じ姿をした、赤の他人。
偽者。
あの夜、確かに彼は明日花に対して舞になるように強要した。
彼がどんなに強く、魔王と呼ばれるほどであっても、
たった1人の少女がいないと生きてゆけない。
だからこそ彼は見えているはずの現実に目を背け、身代わりの少女を愛す。
そうすれば、現実が再び目に飛び込んでくるまでの間なら、
彼は幸福を取り戻し、生き返ることができるのだ。
しかし、
(舞さん・・・。)
明日花は舞の気配を探る。
(やっぱり・・・悲しい、よね・・・。)
明日花が霊調の能力で察した舞の気配は、悲しく、切ないものだった。
舞は言わなかったが、遠坂とクローンを見つめてきた真紀と同様、
彼女も12年間ずっと厚志の姿を見つめ続けてきたのだ。
幻獣との死闘も、総統として祭り上げられたことも、
自分がいないことに悲しむ厚志に初めて生け贄が捧げられたときも。
彼は捧げられた生け贄とそれを差し出す人間に最初こそは嫌悪したものの、
それを突きつけられるたびに、いつしか自ら求めていくようになった。
側にいる2人の友人すらも巻き込んで。
それは、とても悲しかった。
自分がいなくても、強く生きて欲しかった。
しかし、それは死んでしまった自分のせい。
そして彼を魔王として玉座に座らせることになってしまったのも自分のせい。
・・・彼が愛した、自分のせい。
彼がこうなってしまったのは、全部自分が悪いのだ。
だから、どんなに悲しくても舞は、厚志が生け贄を抱くことを否定できない。
自分が狂わせてしまった彼の心が、少しでも紛れるのならそれに関して意見する権利はない、と。
だから舞は、自分の声を聞くことができる明日花にすらもそのことを言わなかった。
明日花なら何とかしようとしてしまうのだろうし、彼を見続けることが自分への罰なのだから。
明日花は今は厚志と向き合っているので舞の姿を探すことができないが、
舞が確かに涙を流したように感じた。
舞の涙を感じながら、明日花の瞳は彼女を見つめる厚志を映す。
目の前の男は、目の前の少女を愛しながら、同時に悲しませているのだ。
「・・・っ!」
明日花は目の前の現実と悲しみを感じる心のために、胸に痛みが走った。
これ以上食事をとる気になれず、持っていたナイフとフォークを置いた。
「・・・?舞、もういいの?」
先に食べ終えていた厚志が、明日花に声をかける。
「・・・ああ。」
明日花は力なく返事をした。
「そう。
じゃあ・・・おいで。」
厚志は席を立ち、明日花に手を差し伸べた。
彼の背後には大きめの寝台が見える。
明日花は役目どおり、差し伸べられた手を取る。
厚志は明日花の手を引くと、そのまま優しく抱きしめた。
「舞・・・。」
厚志は至福を感じ目を穏やかに閉じるが、
明日花は舞の悲しみを感じ目をきつく閉じる。
そして、痛む心を抑えられなくなる。
(やっぱり・・・ダメだよ、こんなのは。
悲しいし、辛いし、苦しいよ・・・!)
「嫌だっ!」
「えっ?」
明日花は厚志の胸を突き飛ばし、無理矢理彼の胸から脱出する。
数歩後ずさり、距離を取った。
「ダメだよ、こんなの・・・!
これじゃあ舞さん、悲しんでばかりだよ・・・っ!」
そして言葉を放つうちに、涙が流れてきた。
その様子を見て、厚志は目の前の少女が“舞”ではなく“明日花”になったのを理解する。
「貴様・・・。」
そして抑揚の無い声で近付き、明日花の胸倉を掴む。
「あの子はそんな風に泣かない。もっと強い子だ・・・。」
「違う!これは現に、今、ここで舞さんが流している涙だ!
舞さんを愛しているなら、そのくらいわかりなさいよっ!!」
厚志の腕の力に負けじと声を張り、頬を張る。
その衝撃で厚志は思わず、明日花から手を離した。
厚志の手から逃れた明日花は、厚志を突き飛ばし、ベッドの上に倒した。
そして身動きが取れないように上に乗り、四肢を抑え、
何かをする隙も与えないように即座に言う。
「私には死者と生者を会話させる能力がある。
だから、今すぐに本物の舞さんと話させてあげるわよ!
舞さんも厚志が好きなら、ちゃんと貴女の気持ちを話さないと!
だから舞さん、来て!舞さん!!」
明日花は厚志を抑えながら必死に舞の名を呼んだ。
すると、次第に明日花の黒髪が銀色に変わった。
そして閉じた茶色の瞳が開かれ、蒼に変わった。
その身に舞を宿し、明日花の姿は完全に変わった。
明日花の体を借りた舞は、口を開き、本人の声と言葉で厚志に語りかける。
『厚志・・・すまない、私は・・・、』
「離せぇぇっっ!!」
舞が言葉をかけたその時、あろうことか厚志は舞を渾身の力で突き飛ばした。
体は宙を浮き、ベッドから数メートル離れた所に落下する。
(舞さん!!)
今は自らの体の中に潜んでいる明日花が、突き飛ばされた舞の名を叫んだ。
突然愛する者に突き飛ばされた舞は、茫然として厚志を見上げる。
その厚志の形相は、今まで彼女が向けられてきた中で、最も恐ろしいものだった。
「お前は舞じゃない・・・舞をどこへやった!!」
『私はここにいる!私が舞だ!!』
「嘘を吐くな!舞はそんな色の目と髪をしていない!!」
言われて舞と明日花は気がついた。
霊を降ろしているときは、目と髪の色が変わる。
今の厚志からしてみれば、目の前にいるのは声こそ同じでも、
愛する芝村舞とは全くの別人なのだ。
「お前は舞じゃない!
出ていけ・・・ここから、出て行けぇ!!」
『厚志!!私は、』
「五月蝿い!殺されたいのか!!」
『・・・っ!』
(舞さん、ダメだ!
厚志のヤツ、もう姿でしか芝村舞を認識出来ないんだよっ!!)
そう、彼が12年間必要としたのは、芝村舞と同じ姿の少女。
その心は違えども、姿さえ同じなら後は芝村舞になりきれるように鍛え上げれば良いのだ。
だから今彼の目の前にいる銀色の髪と蒼の目の少女は、
彼にとって不要な存在となってしまったのだ。
よりにもよってその不要の存在が芝村舞を語るなど、言語道断である。
『くっ・・・!』
そのことを悟った舞は、そのまま部屋から出るための扉へ向かった。
この体の本来の持ち主は斉藤明日花、自分じゃない。
自分がこのまま押し問答を続けたせいで、この体が損なわれるわけにはいかなかった。
ほんの数メートルしかない距離が異様に長く感じられ、涙で視界もぼやけてくる。
痛くて、涙が出てくる。
しかしそれは、突き飛ばされて痛いためではない。
もう自分の声さえも届かなくなってしまった彼を想う心が痛くて涙が出てくるのだ。
12年前、自分が生きていた頃は、
どんなに追い払っても子犬のようにじゃれてきたのに・・・。
今の自分では側にいることはもちろん、言葉すら聞いてくれない。
ただ、それでも。
彼に何かを伝える機会がこの場しかないのなら、
それでもあえて自分は彼に伝えなければならないことがある。
例えそれが、斉藤明日花をこの世から失わせることであったとしても。
『厚志・・・。』
途中で歩を止め、舞は厚志に振り返った。
恐ろしい形相は先ほどとは変わっていないばかりか、
今にも掴みかかってきそうな迫力さえもある。
それでも舞は、優しく微笑んでみせた。
明日花に厚志のことを語ってやっていた時と同じ、
相手のことが愛しくて仕方がないというような笑みで。
『私は死んでも、どんなに時が流れてもお前のことを愛している。
だから・・・幸せになるのだぞ。
・・・じゃあな、・・・さよならだ。』
それだけ言うと、舞は彼を振り切るように走り出し、部屋を出た。
流れる涙さえも捨てられるようにと、全力で走って明日花の部屋へと向かう。
そして扉を乱暴に開け、飛び込むと、その場に崩れ落ちる。
(ぅあああああっ!!)
「っ・・・ぇえっ・・・うぅぅ・・・。」
崩れ落ちると同時に明日花に体を返し、離れた舞は大声を上げて泣き出した。
明日花も、体に返ると同時に泣き出した。
今、この場に実際に聞こえるのは明日花が1人ですすり泣く声だけだったが、
明日花の耳にのみ、自分ともう1人の少女の大きな泣き声が聞こえていた。