ジリリリリリリ・・・!
突然鳴った非常ベルに誰もが肩を跳ね上がらせた。
一瞬、いたずらかなと学生時代の気分で考えた人間が何人かいたが、
その後に流れる放送が、それは誤報でもなければ訓練でもないことを告げる。
『緊急事態発生、緊急事態発生!
芝村厚志総統の私室にて、火災発生、火災発生。
火の周りが早く、消火は困難。
全職員は直ちに建物から脱出せよ!
繰り返す。
火災発生、火災発生・・・。』
言われてみれば、確かに少し焦げ臭い。
その放送を聞いた職員は驚き、戸惑う。
しかし、
「何をしている!各自、直ちに避難を開始しろ!」
それを聞いていた瀬戸口が周りにいた職員に避難を促す。
「は、はいっ!」
瀬戸口に一喝された職員達は、直ちに避難を開始した。
自分以外の職員が全て廊下に出て行くのを見送った後、
自宅にいる遠坂に連絡し、すぐに来るように伝え、そして走り出した。
しかし、彼が足を向けているのは出口とは逆で、しかも火元の方向。
それは厚志を助けるために、選んだ行動であるからだ。
「あいつ・・・馬鹿な真似を・・・。」
厚志は芝村舞の望みとして全ての幻獣を討ったときから、常に自殺願望を持っていた。
彼は必死になって愛しい少女の願いを叶えた。
それなのに、その本人がいない世界で生きていたって仕方がない。
だから瀬戸口は何度も自らの息の根を止めようとする彼の手を抑え、
平和な世であるためにはまだやらなくてはならないことがあると言い、
その命が投げ出されるのを止めてきた。
それは愛する妻の魂を繋ぐため彼に消えてもらっては困るというのもあるが、
それ以前に厚志は瀬戸口にとって大切な友だ。
だから、どんな理由であれ、死なれたくはない。
そして、今の瀬戸口には気になることがある。。
(さっきの放送、確かに姫さんの声だった・・・。
一体、どういうことだ・・・?
まさか、明日花が関わっているのか・・・?)
何はともあれ、行ってみなければ仕方がない。
部屋に残したままの妻のことが気がかりだが、
ここからなら先に厚志のもとへ行ってからのほうが早い。
瀬戸口は袖口で口と鼻を抑えながら、先を急いだ。
「何だって!!」
遠坂は瀬戸口からの報せを自宅の食堂で聞いていた。
傍らで給仕をしていた真紀が、珍しく声を荒げた遠坂に驚いて持っていたワインを瓶ごと落とし、割った。
割ったことに対し叱られるのかと肩を震わせながら遠坂の様子を伺うが、
それをフォローする余裕を遠坂は持ち得なかった。
「舞様が?・・・わかりました、すぐに行きます!
真紀さん!!」
「は、はい!」
「総統官邸で火事です。
厚志様のためにもすぐに向かわねばなりませんので、
真紀さんは留守をお願いします。」
「か、火事ですって!?」
「ええ。
くそっ・・・、私がいない時に・・・!
とにかく、急がないと。
あの人だけは・・・厚志様だけは命に代えてもお救いせねば!」
遠坂はかつて一介の整備士にすぎなかったが厚志の魔王としての強さを目の当たりにし、
彼ならばこの世を変えることが出来ると思い、彼に従うことを選んだ。
厚志が舞のために血に染まることをいとわなかった様に、
遠坂も厚志のためならばどんなに汚いこともやってのけてきた。
だから、
「遠坂さん、私も行きます!!」
厚志のためならば喜んで命を差し出しそうな彼が心配になる。
そうならないように、自分もついていきたいと真紀は思った。
しかし、
「いいえ!真紀さんはここで私の帰りを待っていてください。お願いします。」
そう言われてしまうと、動けなくなる。が、
「いえ、行きます!私は貴方を守りたいのです!!」
それでも遠坂を守りたいという意志に変わりはなかった。
だから真紀は、クローンである彼女は製作者である遠坂の命令に抗おうとする。
だが、
「いけません、聞き分けてください。
私は火事などで田辺真紀を失うわけにはいかないのです。
だから貴女にはここに残っていただきます。
わかりましたか?
私の言うことが聞けますよね?」
口答えすることなど許さないとでも言いたげに一言一言強く言われると、
「・・・はい、わかりました。」
抗えなくなってしまう。
こういうところは、本当に自分がクローンなんだなと思い知らされる。
「わかっていただけてよかった。
それでは行って参ります。」
遠坂は真紀の答えに安堵の息を吐いた。
そして、背を向け走り出そうとして、
「待てよ、車で行くよりもヘリの方が速い。
・・・鍵は寝室の机だったな・・・!」
思い留まり車庫へ行こうとする足を寝室へ向けた。
真紀は遠坂の背中を見送ると、窓の外、ヘリポートに止まっているヘリコプターに目を向けた。
遠坂には内緒でヘリに乗ろうとしても、ドアは閉まっている。
遠坂本人も他の家の者も皆慎重だ。
鍵のかけ忘れでドアが開いているなど、絶対にあり得ない。
(大切な人が危険な所へ行こうというのに、私はこれ以上動けないのね・・・。)
クローンである彼女は原則的に製作者の命令に逆らえない。
遠坂は田辺真紀の身代わりであるクローンが火事で死ぬという事実が嫌で彼女を遠ざけたのだ。
ならば自分はその命令を守らなければならない。
だが、もし自分が本物の田辺真紀であったなら、その言葉に従うのだろうか?
もし逆らって遠坂の身を守りに行くのなら、自分はやはり彼女には敵わない。
(負けたくない、死んでこの世にいない人にはこれ以上・・・。
でも私には何も出来ない・・・。)
真紀は唇を噛んで窓の先にあるヘリを睨んだ。
空へと招き入れてくれる乗り物があるのに、自分はそれに乗ることができない。
何だか籠の中の鳥にでもなった気分だ。
そう思うと余計に悔しくなり、真紀はヘリを睨む目に力を込めた。
すると、
【諦めないで・・・。】
ふと、どこかからか少女の声が聞こえた気がした。
あまりに小さくて曖昧な声なので、誰の声なのか判別がつかない。
真紀が後ろを振り返り、そこに誰もいないことを確認して再びヘリに目を戻すと、
「あ、あれ・・・?」
先ほどまで閉まっていたはずのドアが開いていた。
真紀の眼力が通じたとでもいうのだろうか?
それとも、先ほどの少女の声に何か関係が?
だとすると、思い当たる人物は1人しかいない。
「本物の、田辺真紀・・・。」
真紀はその人物の名前を呼んでみた。
しかし、呼ぼうとした人物はこの世にはいないので、
当然その返事は返ってこない。
「・・・お礼、いちおう言っておきます。ありがとう。」
真紀は悔しい気持ちを心に残しながらも、ドアを開けてくれたと思われる人物に礼を言った。
そして、玄関に回っている時間はないと思ったので、窓から外に出る。
誰にも見つからないように慎重に、そして、遠坂が来ないうちにと急ぎながらヘリに近付き、
ドアを開けて中に入る。
見つからないようにと後部座席の足元にうずくまった瞬間、
遠坂がヘリに入り、後部座席の様子を確認せずにすぐに操縦桿を握った。
遠坂と真紀を乗せたヘリコプターは、すぐに地上を離れ、浮かび上がる。
放送室で緊急放送をかけた後、明日花の体を借りた舞は厚志の私室に入った。
火の国の宝剣から生み出された炎は主を燃やすことに対して躊躇っているらしく、
家具などは燃え盛ってはいるものの、彼の周りだけは不思議と綺麗なままだった。
しかし、物を燃やすことによって発生する一酸化炭素はコントロールが効かないらしく、
それによって厚志は気を失い、倒れていた。
『厚志!しっかりしろ、厚志!!』
舞は厚志を抱き上げて呼びかける。
「ん・・・ま、い?」
すると厚志はうっすらと目を開いた。
『厚志、良かった・・・!今すぐに脱出、』
「舞・・・ごめん、ね・・・。
・・・僕、舞がいない世界なんて・・・もう、嫌に・・・なっちゃった・・・。
だから・・・もうすぐ、そっちに、行く・・・か、ら・・・。」
しかし、厚志は再び気を失ってしまった。
『厚志!厚志!!』
呼びかけても厚志は目覚めない。
『馬鹿者・・・。だからといって、こんなことをする奴がいるか。
死にたいがために、周りまで巻き込むな・・・。』
そう言って彼を叱ろうとするが、心に怒りは涌いてこなかった。
厚志は自分がいない世界が嫌になったと言って、官邸に火を放った。
彼がこうなるように仕向けてしまったのは、他ならぬ自分、芝村舞。
ならばその自分が“苦しくても死んではならない。生き延びろ。”などと言えるものなのだろうか?
だが、だからこそここでその一生を終わらせるわけにはいかない。
『なら、私は私に出来ることをしよう。
お前は望んではくれぬかもしれないが、どうか許してくれ、厚志。
明日花、すまないが私の我がままにつきあってくれ。』
舞は2人に語りかけるが、2人からの返事はなかった。
それでも構わず舞は速水を支えながら歩き出す。
その先は、厚志の私室の奥。
本棚と本棚の間にある指の先だけが入る小さな隙間に指を入れるとそこにあるスイッチを押す。
するとなんと、本棚がその身を引きずるように横に動いた。
どいた本棚があったところ、壁があるはずのところに、先へと続くレンガ造りの通路があった。
舞はずり落ちた厚志の体をしっかりと支え直すと、その通路の先へ入っていった。