何もない白い世界で明日花は漂っていた。
そこは寒くもなく暑くもないちょうど良い温かさで、とても気持ちがいい。
ずっとここで漂っていたいとさえ思う。
だが、
「明日花、明日花!」
明日花を起こす声が聞こえてきた。
まだ漂っていたいのだが、呼ぶから仕方がないので目を開く。
するとそこには、
「・・・あれ、舞さん。」
舞が立っていた。
「・・・全く。ずっと呼んでいたのに、ようやく起きたか。」
「あ、うん、おはよう。
て、あれ?ここはどこ?」
質問され、舞はしばし考える。
「どこ・・・と聞かれても答えようがないな。
“場所”という概念すらも当てはまるかどうかわからん。」
真面目な顔で言った舞の言葉に、明日花は目を瞬かせる。
「うーん、まあよくわからないけど、不思議な場所ってことだね、うん。」
「・・・なんというか、肝が据わっているなお前は。
それより、お前に言いたいことがある。
ありがとう、明日花。感謝する。」
「・・・え?何が?」
起きたばかりの頭なので、自分が舞に対して何をしたのかよく覚えていなかった。
それを察した舞が説明する。
「厚志を逃がすために協力してくれたことだ。」
「厚志・・・ああっ、そうだ!」
礼を言われる理由を思い出し、それと同時に自分が気を失う前までのことを思い出す。
そしてパニくる。
「わ、私、確かあの隠し部屋に閉じ込められて気絶したんだよね?
なのに何でこんな所に?
ま、ままままさか私、し、死んじゃった・・・?」
「違う。確かにお前は私と同じ場所にいるが、ここはあの世ではない。
かといって正確なことはよくわからないが・・・。
とにかくお前は、死人ではない。わかったか?」
「う、うん。わかった。」
明日花は、ひとまず落ち着いた。
落ち着いたら、とある疑問がふと浮かび上がる。
「そういえばさ、舞さん。あれで良かったの?」
「ん?“あれで”とはなんのことだ?」
「厚志を3番機で逃がしたこと。
ただ単に逃がしただけでいいのかな?
厚志を魔王でなくすためっていうのはいいけど、
今までやってきたことがなくなるわけじゃないでしょ?
それに、舞さんがいないという事実に変わりがない。
今度こそ耐え切れなくなって死んじゃうかもよ?
だとしたら、私達がやったことって意味があるのかな?」
明日花の問いかけは的を得ていた。
厚志を魔王の役目から逃がすことはいいが、
それで舞がいない寂しさがどうにかなるわけではない。
その上、彼の境遇を知る遠坂や瀬戸口とも別れてしまったのだ。
そんな状況ではたった1人で孤独に耐えられないかもしれない。
結局、厚志が寿命を待たずに命を投げ出す可能性はこれからも付いて回るのだ。
しかし、明日花の指摘に舞は不敵に笑って答える。
「それはあいつに任せる。
私としては、あいつの人生を狂わせてしまった分、
残りの人生は多くの人と出会い、多くのものを見、幸せになってほしい。
しかし、それでも生きることを放棄してしまうのなら、
それはそれでも構わない。
総統という立場から離れ、芝村から離れ、再びただの“厚志”となった厚志が
これからの人生を歩んで決めた選択なら、私は何も言うことはない。
あいつがあの世に来た時に、笑ってそれを出迎えよう。」
その答えを聞いて、明日花は舞を試すようににやけながら言う。
「自分で命を絶った人は、天国へ行けないって言われてるけど?」
それに対して舞はより一層不敵な笑みを深めて返す。
「それならば地獄の閻魔と殴り合いでもしよう。
必ず勝利を収め、厚志を天国へ行かせてやる。」
「閻魔様に勝っちゃうのー?
最強だねぇ、舞さんって!!」
舞の答えに、明日花は楽しそうに笑う。
「当然だ!芝村は勝利する者だからな!!」
舞も楽しそうに笑う。
2人はひとしきり笑った後、静かに互いを見つめ、
「・・・そろそろ行くの?」
「ああ。あいつのことを、あの世で待っていなければならん。」
別れの挨拶を始める。
舞にはもう、この世への未練がないのが明日花にはわかる。
だから舞はこれからあの世へ旅立つというのがわかったのだ。
「あの世で厚志と会ったら仲良くね?
厚志の面倒見るの、大変そうだけどがんばって。」
「責任を持って応じよう。
そなたもいつか、良きパートナーを。」
特に動いたわけではないのに、舞と明日花の距離が開いていく。
互いが互いの本来あるべき世界に引かれ合っているのだ。
距離が開くごとに舞の姿が透けていっている。
舞の姿が消え切る前に、
「じゃあね!」
「さらばだ!」
2人はもう1度別れの言葉を言った。
別れの言葉が互いの相手に届いた時、舞の姿は見えなくなった。
舞の姿が消えたと同時に、明日花も白い世界から姿を消して、
「・・・ん?」
明日花はベッドの中で目を覚ました。
(あれ・・・?さっきの場所は?つーか、ここは?)
深く寝入っていたらしく、頭がぼーっとする。
その瞳に見慣れない天井が映っているせいか、
自分が現実に還ってきていないというかまだ夢の中にいる心地がする。
「明日花さん!目覚めたのですね!!」
見慣れない天井に、見慣れた人物が映った。
「・・・あれ?遠坂さん。」
明日花は視界に入ってきた人物の名を呼んだ。
自分の声が喉を振動してから無事に出てきたのを感じて、
こちら側は現実の、自分達が生きている世界なのだとわかった。
ならば先ほどまでいた白い世界はあの世とこの世の堺とでもいうのだろうか?
「よかった・・・。貴女はあれから、1週間も眠っていたのですよ。」
遠坂が心底安心したという顔になっている。
「・・・ここは?」
そう尋ねながら明日花は身を起こそうとする。
しかし1週間も眠っていたためか、起き上がろうとすると眩暈がひどい。
遠坂はふらつく明日花の背を受け止め、横たえる。
「まだ無理をしないで。ここは官邸近くの病院です。」
そして、ベッドの脇のレバーを操作して、ベッドを起こしてやった。
「そっか・・・。私、無事に生きていたんだね。」
「ええ、そうですよ。
しかし、もう少し煙を吸っていたら危なかったと医師は言っていました。
一酸化炭素中毒の後遺症が出るかもしれないので、しばらくはここで入院していただくことになります。」
「わかった。・・・他の人達は?」
「貴女達の対応が早かったので、官邸にいた職員は全員無事に脱出できました。」
「あはは、それはよかった。」
「しかし・・・。」
遠坂は1度言葉を切り、表情を曇らす。
「厚志様が行方不明です。
瀬戸口は3番機で脱出したと言っていましたが、
数キロ離れた浜辺に打ち上げられていた3番機の中に、厚志様の姿はありませんでした。」
「そう・・・。無事だといいね。」
遠坂の言葉で明日花は舞が望んだとおり、厚志が魔王の立場から離れられたと確信する。
しかし、ここで表情を曇らす遠坂を見ていると、大手を振って喜べない。
複雑な気持ちになる。
「・・・私達は厚志様を、長い間国家総統という立場に縛り付けていました。
無事でいるにしろ、いないにしろ・・・その鎖から自由になることができたのは良いことですよね?」
そう言って遠坂は無理矢理微笑んでみせた。
「・・・厚志がいなくなって、寂しい?」
「・・・そうですね。主でもありますが、長い時間を共にした戦友でもありますから。」
「そうだよね・・・。
でも、遠坂さんには瀬戸口さんや真紀さんがいるから寂しくないじゃない?」
「・・・いえ、真紀さんはいません。」
「・・・えっ?」
遠坂の言葉を聞き、明日花は目を丸くする。
「な、なんで・・・?何があったの?」
もしかしたら処分されてしまったのだろうか?
明日花が声を震わせながら尋ねると、遠坂は俯きながら静かに話し始める。
「あの方は私をかばって、柱の下敷きになりました。
そして、救出することが出来ずにそのまま・・・。」
「・・・そう。」
あんなにも遠坂を愛していた彼女のことだ。
遠坂の身に危険が迫っていたのなら、もちろんそうするのだろう。
(真紀さん、遠坂さんに気持ちを伝えること、出来たのかな・・・?)
「・・・遠坂さん、真紀さん最期に何か言ってなかった?」
「はい・・・。
私はあの方のことをずっと誰かの代わりして扱っていたのに、それでもこの私なんかを愛していたと。」
(そっか・・・言えたんだ。)
明日花は彼女が想いを遂げたことを知り、嬉しそうに微笑む。
その時、遠坂の背後に少女の姿が映る。
それは学兵の制服を着た青い髪の少女。
本物の田辺真紀だ。
自身の身代わりだったクローンの少女の死に悲しむ遠坂の背中を、じっと見守っている。
その姿を見て、明日花は尋ねた。
「・・・これからどうするの?
また、真紀さんの代わりを造るの?」
「・・・。」
明日花の問いかけに遠坂は目を閉じる。
そして、静かな決意を秘めた瞳を開け、ポケットから何かを取り出した。
「・・・それは?」
「建物は全焼したのに、奇跡的に無傷で残っていました。
彼女の記憶チップです。
電気信号に置き換えて流した真紀さんの記憶を保存するために埋め込んでいました。
そしてこの中には、彼女が彼女として見てきたものや思ったこと。
彼女自身の思い出や記憶も入っているのです。
・・・彼女は私にある望みを言いました。
“生きていられるのなら、自分だけの名前が欲しいと。”
私は他人になることを強要し、彼女の心や自由を、
人生を奪っていました。
だから・・・その償いとして、
この記憶チップを基に彼女を造り出そうと思います。
今度は、誰にも似ていない彼女だけの体を名前を用意して。
それから後は、彼女が望むように生きて欲しいと思います。
私が自分の都合で利用した、他のクローン達13人の分も含めて。」
遠坂の決意を聞いて、
「ふぅん・・・。」
肯定とも否定とも取れない声を漏らすと、
「ところでさ、遠坂さんの後ろに本物の真紀さんがいるんだけどどうする?
私に宿ってもらって話をする?」
遠坂を試すようにそう言った。
「ええっ!?」
その提案に遠坂は素っ頓狂な声を上げる。
しかし、
「・・・いいえ。
ここで真紀さんに会って、決心が揺らぐようなことがあってはいけません。
そうなっては私の命を救ってくれたあの方に対して申し訳ありませんし、
これ以上真紀さんに甘えるわけにはいきません。
だから・・・会わずに別れたままでいるのが1番良いと私は思います。」
試すように見る明日花の視線から目を逸らさずに言った。
その言葉を聞き安堵したのか。
田辺真紀は満面の笑みを浮かべて光と溶け合い、いなくなってしまった。
明日花はそれを見届ける。
「・・・真紀さん、いなくなっちゃった。
今の遠坂さんの言葉を聞いて、安心して旅立てるようになったんだよ。」
「そうですか・・・。」
明日花の言葉を聞いて、遠坂は初めて背後を振り返った。
そこに田辺真紀の姿は、当然無い。
それでも遠坂は彼女が昇っていったと思われる場所へ顔を上げ、瞳を閉じて黙祷を捧げた。
彼にならって明日花も目線を上げる。
(良かったね、真紀さん。この人はもう大丈夫だよ・・・。)
「ところで・・・。」
黙祷を終えた遠坂が明日花に向き直る。
その目にはもう、過去ことは映っていない。
気心の知れた仲間にだけ見せるような笑顔で言う。
「彼女の名前、どんなのがいいでしょう?
命の恩人に酷い名前を付けるわけにはいけませんし・・・。
どうしましょう?」
「え・・・?
どうって聞かれても・・・。」
尋ねられた明日花は困って遠坂の顔を見上げる。
しかし、見上げた先の相手も同様に困ったような表情を浮かべている。
「そ、それはそうですが・・・その・・・。
やはりここは、女性の感性を取り入れた方が・・・。」
本気でしどろもどろになっている。
明日花はこの男がここまでうろたえているのを初めて見る気がした。
面白そうだから、
「でもやっぱり、遠坂さんがこれからじっくり考えればいいんじゃない?
とりあえず、“田辺真紀”じゃなきゃいいと思うよ。
あと、“アスカ”も却下。
そこで私と同じ名前にされると、ちょっと複雑な気分になるから。」
助け舟は出さない方向で。
それと同時に案をいくつか潰しておく。
「えっ?」
頼った相手によってさらに状況を難しくさせられた遠坂は一瞬、
親に置いてけぼりを食らった子供のような顔になる。
だが、すぐに体勢を取り繕い、いつもの冷静な遠坂に戻ってみせる。
「・・・そ、そうですね。努力してみます・・・。」
「うん♪ぜひそうして?」
追い討ちをかけるように明日花はにこりと微笑んだ。
「はい・・・わかりました。」
これ以上おたおたしている姿を見せると、自分のプライドが何だか傷つく。
そう感じた遠坂は逃げるように立ち上がり、ベッドに背を向ける。
歩き出そうとした瞬間、彼はあることを思い出した。
「そうそう。貴女のお母様の手術代なのですが、
こんな大惨事に巻き込んでしまったお詫びと真紀さんの件に関してのお礼ということで、
私の方で支払わさせていただきます。
術後の治療も全てこちらの方で面倒を見させていただきますので、安心してくださっていいですよ。」
「え!ホントに!!
それは助かります!!」
これで病気の母を助けることが出来る!!
明日花は心の底から喜んだ。
その明日花の晴れやかな笑顔を見て、遠坂も自然と笑顔になる。
「それともう1つ。
瀬戸口も貴女のことを心配していました。
目覚めたら伝えたいことがあると言っていましたよ。
呼んできますから、お会いして頂いてもよろしいでしょうか?」