しばらくして。
――コンコン・・・。
病室のドアをノックする音が聞こえた。
「はい。どうぞ。」
明日花はその音に応じ、来客者に病室に入ることを許可する。
「・・・やぁ。」
入ってきたのは瀬戸口だった。
そのままベッドの側まで歩いてくる。
その様子は以前会ったときのような自信満々で気さくな感じではなく、
何か後ろめたいことでもあるかのように明日花の表情を覗っている。
「どうも。
こうして話するの、久しぶりだね。」
困ったように笑いながら明日花が言う。
瀬戸口も口元に同様の笑みを浮かべる。
「・・・だな。
お前さんが無事に目覚めて良かった。心配してたんだぞ?」
「うん。ありがとう。」
「ああ・・・。」
ここで会話が途切れ、しばし無音になる。
その間、瀬戸口は何か言いたいことがあるとでも言いたげに、視線をあらゆる方向に飛ばしていた。
やがて、
「あ、あの、さ・・・。」
意を決したようで声を発し始める。
「この前は乱暴なことしてごめん。
俺としたことが頭に血が上ってた。
でも何があろうとも、女の子にそんなことしてはいけなかった・・・。」
「は?なんのこと?」
やっと何か言ってきたかと思えば突然謝りだした瀬戸口。
謝罪された明日花は身に覚えが無いようできょとんとしている。
「いや、ほら、明日花ちゃんが俺の部屋に侵入したときにさ、
壁に押さえつけたりしたじゃないか?」
せっかくようやくのことで謝罪したのに、
その相手が謝罪される原因になった出来事を覚えていないということはちょっとショックである。
なのできちんと説明して、
「あー、あれね。
その後ずっと忙しかったから、つい忘れてた。」
「忘れてたって・・・。
あれからずっと俺は“どう話しかければいいのか?”とか、
“まだ怒ってるかな?”とか、色々悩んだんだぞ!」
「あ、あはは・・・ごめん。」
「・・・ったく。」
瀬戸口はため息を吐きながら左手で額を抑える。
それを見て、明日花は何か違和感を覚える。
「・・・あれ?」
「ん?」
「瀬戸口さん、指輪どうしたの?」
違和感、それは瀬戸口が左手の薬指に指輪をしていないこと。
未央の魂をこの世に縛り付けるために、外してはならないはずのそれがない。
「ああ、指輪ね・・・。
あの火事の騒ぎでどこかに落してしまったらしい。
鎮火した後に調べたけど出てこなかった。」
「そう。」
(じゃあ、封印はどうなったんだろう・・・?)
疑問が頭に浮かんだが、それについて考える前に、
「うん・・・。
あのさ、明日花ちゃん?」
瀬戸口が尋ねてきた。
「ん?」
「ちょっとさ、話聞いてもらっていいかな?」
「え?いいよ。」
「ありがとう。」
了承した明日花に礼を言うと、瀬戸口はベッドの脇にある椅子に座った。
その表情は暗く沈んでいた。
それを見て明日花は心配になった。
「どうしたの、一体・・・?」
真剣味を帯びた声で問われ、瀬戸口は口を開く。
「俺・・・未央をあの火事の中に置いてきてしまったんだ・・・。」
「・・・えっ?」
ポツリと言った一言に、明日花は驚きを隠せない。
あんなに未央を大切に思っていたこの男のことだ。
きっと、真っ先に避難させたはず。
だから未央の安否について気にする必要はないと、勝手に思っていた。
「距離的に近かったのから、まず厚志を探した。
そしたらお前さんを見つけた。
それでお前さんを抱えてすぐに俺の部屋に向かったが、
そのときにはもう、火の勢いがひどくなっていて未央を助けに行くのは不可能だった。
だから、俺はあいつを置いてくるしかなかった・・・。」
「そっか・・・。私を助けたから、瀬戸口さんは未央さんを助けることができなくなっちゃったんだね・・・。」
明日花は自分が救出された経緯を知り、俯いた。
自分は、助かるために他の人の大切なものを奪ってしまったのだ。
ならば助かったことに対して大手を振って喜ぶことはできない。
「違う!俺が言いたいことはそういうことじゃない。」
俯く明日花に瀬戸口は言った。
必死に、今明日花が感じている暗い想いを退けようとして。
「俺は・・・俺は、未央より厚志やお前さんを優先した。
それは未央よりお前さん達2人の方が大切だからとかでは断じてない。
ただ単に、生きている方を優先したからなんだ。
だから俺は・・・その・・・あいつはまだ生きているって思っていたけど、
頭のどっかであいつが死んでたってことをわかっていたんだ。
そのことに早く気づいていれば・・・あいつはあんな目に遭わなかった。
誰にも見送られず、独りきりで炎に焼かれて寂しく消えていくことはなかったんだ。」
そして瀬戸口の目に涙を浮かぶ。
「俺は最低だ・・・。
愛した女を勝手に縛り付けて、独りきりで逝かせてしまった。
俺がもっと強かったら。
もっと早くにあいつの死を受け入れられていたら・・・。
あいつには謝っても謝りきれない。
本当にひどいことをした・・・最悪だ、俺・・・。」
「瀬戸口さん・・・。」
今回のことがあって、ようやく瀬戸口は未央の死に気づいた。
しかし、だからといって喪失感が消えるわけではない。
気づいた理由や背景もあまり良いものではなかったので、
後悔や落胆はどうしても出てくる。
人の死というのは取り返しがつかない。
だからそういった気持ちが晴れることは、一生かかっても不可能なときもある。
明日花自身も、あの日父と一緒に出かけなければ、父が自分の代わりに死ぬことはなかったといつも思う。
時としてその気持ちに縛られて、自分は人の命を奪った最悪な存在だと思うこともある。
もしかしたら今目の前にいる瀬戸口は、自分より重症になってしまうのかもしれない。
(嫌だよ・・・。そんなこと、未央さんだって悲しむよ・・・。)
【当たり前です。わたくしは、悲しんでもらうためにあの人に愛されたのではないのですから・・・。】
(・・・!)
誰かの声に気づいて明日花は視線を上げた。
瀬戸口は俯いて涙に耐えていた。
なら違う、声の主は瀬戸口ではない。
だったら・・・。
明日花は後ろを振り向いた。
するとそこには、
(未央さん!封印、解けたんだね!!)
今話に出ていた瀬戸口の妻――となっている少女、壬生屋未央がいた。
明日花が能力を行使しなくても自力で出てこられたということは、
もう封印の効果がなくなったのだろう。
【ええ。瀬戸口君とわたくしの指輪が外れましたから。
・・・といっても、体もなくなってしまいましたからあまり意味はないのですけれど。】
封印が解けてこの世に未練が無ければ成仏できるのだが、
ここにいるということはそうではないらしい。
ここに来た理由も、恐らくはそれだろう。
明日花もそれは承知している。
(・・・瀬戸口さんと、話したい?)
返事はすぐに返ってくる。
【はい。・・・お願いできますか?】
(もちろん!ちょっと待ってて。)
明日花は背後の未央に笑顔で応じると、瀬戸口に向き直る。
そして、優しく語りかけるように言う。
「瀬戸口さん。今ね、私の後ろに未央さんが来てるの。
瀬戸口さんとお話したいんだって。
いいかな?」
「・・・っ!未央が?」
瀬戸口は驚いて顔を上げる。
その勢いで涙が一滴、ベッドのシーツの上に散った。
「うん。それにさ、謝るなら本人に謝った方が良くない?
その方が気が楽になるでしょ?」
「・・・そうだな。
あいつには俺をなじる権利がある。
それはちゃんと聞いてやらないと・・・。」
「いや、そういうんじゃないと思うんだけど・・・。
とにかく今、未央さんに宿ってもらうね。」
そう言うと明日花は目を閉じ、意識を集中させる。
能力が活性化され、髪は銀色に変わっていく。
瞳を開けたとき、その色は薄い蒼となっていた。
その瞳が瀬戸口の顔を映し出すと、
『瀬戸口君・・・。』
瀬戸口の名を呼んで、愛しげに微笑んだ。
その笑顔は明日花のような元気いっぱいで明るい少女の笑顔ではなく、
愛する者だけに向ける慈愛のこもった女性の微笑みだ。
そしてその声で確信する。
「未央・・・。」
12年ぶりだろうが間違えるはずがない。
ずっと聞きたかった愛する妻の声だ。
『瀬戸口君・・・瀬戸口君!』
瀬戸口に名前を呼ばれて未央は感極まり、瀬戸口の肩に抱きついた。
瀬戸口の肩に顎が乗るほど、深く抱きしめる。
『ごめ・・・っ、ごめんなさい!
わたくしが勝手に死んでしまったばかりに、貴方にずっと辛い想いをさせてしまった!
あの時、もっとよく考えて戦っていたら、貴方をこんなに長い間苦しませることにはならなかったのに・・・。
ごめんなさい・・・。
本当に、本当に・・・ごめんね・・・。』
そして未央は瀬戸口を抱きしめたまま、泣き出した。
未央に死なれて瀬戸口は悲しかったが、未央もまた瀬戸口を置いていってしまい悲しかったのだ。
そして愛する人が孤独に苦しむ姿を、ずっと側で見てきた。
何も言えず触れられず、ただ見ることしかできなかったのだ。
だからずっと謝りたかった。
死んでしまったことに。
側にいるのに、何もできないことに。
12年経って、それをようやく伝えられた。
「・・・そんな・・・泣くなよ、未央・・・。」
未央の涙を受けて、瀬戸口も未央の背に手を回して抱きしめる。
緩んでいた涙腺から涙が溢れる。
「俺だってお前に謝らないと・・・!
ガキの頃はお前の気持ちを知りながらそれに応えるのが怖くて避けてたくせに、
死んだ後になっていきなり愛してるって言われても困っただろ?
それであんなひどい方法で無理矢理縛り付けられて・・・。
全部、全部俺が弱いから・・・俺のせいで。
俺、あの頃からずっとお前にひどいことしてばっかりだな・・・。
本当に、わがままで悪い奴だよ、俺は・・・。」
『・・・ううん。でも・・・。』
未央は首を振り、瀬戸口の頬に顔を寄せる。
そして目を閉じ、静かに言う。
『貴方のわがままのお蔭で、今こうしていられるのでしょう?
わたくし、とても嬉しいですよ。
・・・貴方は?』
瀬戸口は耳元で聞こえた小さな声に微笑み、目を閉じる。
「・・・ああ。俺も嬉しいよ。」
『そう・・・よかった。』
そうしてそのまま、2人は互いを抱きしめ合った。
その時間は1分にも満たない短い間ではあったが、
2人はそれでとても満足した。
やがてどちらともなく体を離し、互いを見つめる。
「・・・もう逝くのか?」
そう尋ねた瀬戸口の目に、僅かではあるが寂しげなものがあった。
未央に謝ることが出来た瀬戸口には、もう未央が成仏しようとするのを止める気はないだろう。
しかし未央は、
『いいえ。逝きません。』
またもや首を左右に振り、何の迷いもなく言った。
そして言う。
『このまま自縛霊にでもなって、ずっと貴方の側にいます。
貴方に寂しい想いはさせたくないから、離れたくないんです。
それに・・・、』
「それに?」
『また同じ時代に生まれ変わって、貴方に恋をしたいから。
そしたらね、今度こそ生きている時に2人で幸せになるんです。
わたくし、今度は絶対に先に死にません。
だから・・・瀬戸口君、貴方の命が尽きるまで、貴方の側に居させて。』
未央は真っ直ぐに瀬戸口の目を見る。
何か大切なことを尋ねるときに相手の目を逸らさずに見つめるところ。
そこは生きていたときと変わりない。
フッ・・・と小さく微笑んで、瀬戸口は言う。
「・・・俺、長生きするよ?」
『はい。』
「死ぬまで結構かかるよ。人間じゃないから。」
『知っています。』
「途中で嫌になるかもよ?」
『なりません、絶対に。』
「俺に好きな人が出来ちゃったらどうする?」
『その人が貴方の寂しさを消してくださるのなら構いません。
それこそ、貴方がわたくしの存在を忘れられるくらいなら。』
「それはかなりあり得ないな。」
『貴方こそ・・・よろしいのですか?
姿が見えないのに・・・触れられないのに、その・・・側に居ても。』
未央は不安そうに瀬戸口を見る。
側に居られても、居るとわかっててもらえても、結局何も出来ないのに変わりはない。
それでこの人の孤独を祓えるのか。
未央の不安そうな顔を見て、瀬戸口はちょっと意地悪そうな顔をして言う。
「そーだなー・・・触れてもらえないのは辛いよな〜。
その度に明日花に頼むわけにはいかないし・・・。
だから1個条件がある。
それを呑んでくれるなら。」
『はい!何でもおっしゃってください!!』
すると未央は不安そうな表情から一変。
きりっとした目になる。
やはり変わらないその行動パターンに、瀬戸口は心底嬉しくなる。
「じゃあ、これからは俺のことを苗字で呼ばないこと。
名前で呼んで?ね?」
瀬戸口は瞳を輝かせてお願いした。
12年も経って大人になったはずの彼なのに、そんな子供のような表情で言われて未央は思わず笑みを漏らす。
『もう、仕方のない人!
わかりました・・・た、隆之さん・・・。』
「うん。それで良し。」
『ふふっ・・・本当はずっとそう言いたかったのですよ?』
「本当に?いつから?」
『学兵の頃から。』
「あらら。それは嬉しいねぇ〜。」
(・・・あのー、すみませーん。)
幸せいっぱいな未央の耳に明日花の声が響く。
(ラブラブなのは結構ですけど、そろそろ時間だよ?)
『え?あら、もうそんな時間ですか・・・。』
(もうって・・・。)
「どうかしたか?」
瀬戸口は、残念そうにしている未央に訊ねた。
未央はその残念そうな顔のまま、困ったように微笑みながら返す。
『そろそろ体を明日花さんに返さなくてはならないようです。』
「あちゃ〜。そうだよな〜、明日花の体だからこのままにしとくわけにはいかないもんな〜。」
未央の言葉を聞いて、瀬戸口も心底残念そうな表情になる。
(・・・むぅ、体の持ち主は私なのに・・・。)
明日花はむくれた。
しかし、その声は未央でさえも聞こえなかった。
瀬戸口と見つめあうのに夢中なのである。
「じゃあな、未央また今度な?」
『今度って・・・ずっと側にいるって言ったじゃないですか。』
「だって、しょっちゅう触れ合えるわけじゃないだろ?」
『そうですね。そう言う意味では“また今度”ですね・・・。』
(まさか2人が触れ合いたいと思うたびに、私が仲介しなきゃならないのかな・・・。)
2人の世界の会話を聞きながら、明日花はポツリと言った。
『なら、霊能力の修行でもなさったらどうですか?
そうしたら、いつでも触れ合えるようになるのかも・・・?』
「ははっ、そうだな!
すぐにでも恐山に弟子入りしに行こうかなっ♪」
(はいはい、勝手に行ってください・・・おっ?)
悪態をついている中、明日花は能力の行使に乱れが生じるのを感じた。
限界が近い。
同時に未央もそのことに気づく。
『修行、がんばってくださいね。では、そろそろ・・・。』
瀬戸口は未央の声音でこの幸福な時間の終わりがやってきたことを知る。
それでも別れではなく、常に側にいるということがわかっているから止めようとはしない。
「ああ。そろそろ、な・・・。」
しかし、側にいるとわかってはいるが、
相手の姿を見えなくなることや触れ合うことが出来なくなることに対して、何の抵抗がないわけではない。
なんというか・・・寂しくて、切ない。
瀬戸口はそれを口にすることはないが、それでも目は口ほどにものを言う。
未央の姿を映す瞳が熱くなる。
そんな瀬戸口の表情を見て、未央は明るく微笑むと、
『隆之さん・・・。』
瀬戸口の名前を呼んで、伸び上がった。
さらに瀬戸口の唇に口付ける。
「・・・!」
(ちょっ・・・!)
不意をつかれて瀬戸口は顔を赤らめ、
明日花は目を丸くする。
『ふふっ・・・♪
大好きですよ、隆之さん。』
唇を離して、未央はいたずらが成功した子供のように笑った。
そして瀬戸口から離れたと同時に、明日花の髪と目の色が戻り始める。
戻りきると、今度は顔の色を真っ赤に変える。
「ひ・・・他人の体で・・・。」
わなわな震えながら、なんとかそれだけを言った。