“ぎゃふんと言わせてやる!!”
・・・とは言ったものの。
あれから毎夜魔王の部屋に呼ばれ、夜が明けるまで相手をさせられていた。
くたくたになって眠りに落ちると、起きた頃にはすでに時計の針はてっぺんを通り過ぎている。
ある意味“3食昼寝付き”の仕事なのだが、体力的にはとてもハードだ。
だからどうしてもどうすればぎゃふんと言わせられるのか考える隙がなかった。
だが、今日は魔王が遠方へ出張に行っているため、今夜の仕事は無い。
よって明日花は久々に外が暗いうちに寝床に着くことができたのである。
それどころか自分の部屋のベッドにゆっくり身を沈めるのも随分久しぶりに感じる。
昼寝に使うのとは同じベッドなので“久しぶり”という表現は本当は正しくないのだが、
短い時間の昼寝に使うのと夜ぐっすり眠る時に使うのとでは全然違う。
魔王の城に来た時には慣れなかったこのベッドも、
すっかり自分の匂いで染み付いている。
明日花はベッドに入り、ゴロゴロと転がって布団や枕の感触を楽しむと、
空気に溶け込むように眠りに入っていった。
その夜。
明日花は暗闇の中で目を覚ました。
辺りには何も無く、ただ闇が続く。
どこだろう?と訝っていると、突然目の前に3人の少女が現れた。
1人は長い黒髪に白い着物と赤い袴の巫女のような少女。
1人は青い髪に眼鏡で学兵の制服を着た大人しそうな少女。
1人は黒い髪に学兵の制服で・・・明日花によく似た少女。
少女達は皆、悲しそうな表情をしている。
「誰・・・?」
明日花が少女達に問いかけた。
少女達は何かを言おうと口を開きかけたが、
「・・・んにゃ?」
明日花は目を覚ました。
がしがしと頭を掻きながら時計を見る。
よっしゃ、まだ午前中だ。
明日花は洗面所へ向かい、身支度を整えながら先ほどまで見ていた夢を反芻していた。
“夢”というのは不思議なもので、見ているときはよく覚えていても、
起きた後まで覚えているものとそうでないものがある。
今回は前者、鮮明に覚えている。
3人の少女が現れ、悲しげにこちらを見ている夢。
彼女達に声をかけ、あちらが何かを話し掛けた途端に目が覚めた。
実に中途半端なところで覚めた。
もうちょっと、せめて何がどうしたのか聞くまでは保って欲しかった。
だから気になって覚えているのかも。
そういえば・・・、
「あ、もしかしてあれって・・・芝村舞?」
そう、彼女が見た3人目の少女。
夢の中では気づかなかったが、彼女の顔だったらよく知っている。
自分がここに来ることになった原因。
そして自分に瓜二つという、魔王の恋人の顔だった。
それから数時間後。
私服姿、魔王の城にやってきたときと同じピンクのパーカーにゴールドのミニスカート、
その下に黒のデニムパンツという格好の明日花はある部屋の扉を睨みつけている。
ちなみに髪は髪飾りで上げている。
手は今にもノックをしようと構えているのだが、
なかなか次の動作に進まない。
(仕方ないよね・・・。
だって遠坂さん出張でどっかに行っちゃったんだから。)
明日花は観念して扉をノックする。
すると、
「は〜い。どうぞ〜。」
陽気な男の声が中から聞こえてきた。
「・・・失礼します。」
明日花はどう返事をしたらいいものか少し迷ったが、
いちおう相手は年上なことだからちゃんと敬語で返す。
部屋の主は入ってきた明日花の姿を認めると、意外だと言うように目を見張った。
「あれぇ、明日花ちゃんじゃない?」
「・・・ども。」
この部屋の主は瀬戸口隆之。
魔王の腹心の1人。
何日か前に衝撃の事実を知り、ぶち切れてしまった手前、
今までずっと顔を合わせるのがどうにも気まずかった。
それに相手のこともいまいちまだよくわからない。
根っからの悪人ではなさそうだがまだまだ腹に一物を持っていそうである。
敵か味方かはっきりしない。胡散臭い。
だが、それでも明日花には知りたいことがあったのだ。
だからここに来た。
そんな明日花のギクシャクした感じを気にするでもなく、
瀬戸口は以前と同じく親しげな顔で明日花に笑いかける。
「まさか明日花ちゃんから来てくれるとは思わなかったよ。
どうしたの?」
「ちょっと、聞きたい事があって・・・。
遠坂さんがいないから、代わりに瀬戸口さんに聞けばわかるかなって。」
「あっら〜、嬉しい♪
俺を頼ってくれたのね〜。
ちょっと待って。この書類達に一通り目を通したら休憩するところだったから。
そこにかけて待ってて。」
「はい。」
瀬戸口に促されて、明日花は以前腰かけたと同じ席に座った。
奥にある執務机で瀬戸口は大量の書類に囲まれて戦っている。
「そんなにマジメに敬語使わなくっていいよ?
前、お茶した時に啖呵切ったときみたく、気軽にタメ口聞いてくれちゃっていいから。」
書類から目を逸らさないままにも関わらず、瀬戸口は明日花に明るく話し掛けてきた。
そんな状態でもちゃんと内容が頭に入るのだからやはりこの男、軽いだけではない。
「え!?・・・いや、でも・・・。」
流石に明日花も遠慮する。
相手は10歳以上年上なのだから無理もない。
「いやいや、いいのいいの。
ここの女性方は皆俺達に対して畏まってばかりだからさ。
ちょっと堅っ苦しくてね。
だから気軽に接してくれると嬉しい。
君もずっと敬語ばっかり使ってると、肩が凝るだろ?
“頼りになる兄貴分”だと思って接してくれればいいよ。」
と、笑顔で提案する。
「兄貴分〜?そっちは30近いのに?」
「うるさいよ。」
「あはは、ごめんなさい。」
明日花はその提案を受けることにした。
「うん。そうだね、確かに肩が凝るね。
じゃあ、その案に乗らせてもらうよ。
瀬戸口さん、あんまりマジメじゃなさそうだし。」
そう笑顔で答えつつ、先ほどまで感じていた気まずさが消えていくのを感じる。
「ひっどいな〜。こう見えても好きな子には一途だったりするんですよ?
・・・そういえば俺か遠坂に聞きたいことって、他の役人さんや女中さんじゃ無理なの?」
「無理・・・というか、会話してくれない。
どうも“芝村舞として接するように”っていうのが、行き渡っちゃってるみたいで、
この格好と口調で話し掛けたら無視された。」
「あらら、皆さんマジメなことで。
だったら、制服着て芝村口調で聞いたら?」
「嫌だ。私は明日花なの。
仕事以外では何があっても芝村舞にはなりません。」
「あら、さいですか〜・・・っと、よし、これで終わり。」
書類を読み終えた瀬戸口は書類の束を机にトントンと叩いて揃えると、
キッチンに入っていってティーセットにお湯の入ったポット、
茶菓子を持って明日花の向かいの席に座った。
「で、俺に聞きたいことって何?」
「うん、それはね・・・。」
明日花が聞きたい事。
それは今朝見た夢について。
少女達の悲しげな表情が何だか引っかかるのだ。
あの芝村舞が出てきたのにも、何か意味があるのかもしれない。
「・・・で、出てきたのは芝村舞と、
青い髪の眼鏡の子と、巫女さんの格好をした子なんだけど・・・。」
「ふ〜ん・・・アイツ等がねぇ・・・。」
瀬戸口は思うところがあるのか、顎に手を当てて唸った。
「アイツ等・・・ってことは、知り合い?」
「まぁ・・・ね。
ちょっと待って、今写真持ってくる。」
瀬戸口は席を立ち、執務机の上に置いてあった写真立てを手にし、こちらへ戻ってくる。
「コイツ等でしょ?」
瀬戸口が持ってきた写真には学兵達が大勢写っている。
集合写真のようだが、整列はされておらず、皆思い思いの位置に楽しそうに写る。
芝村舞も、青い髪の少女も、巫女さんの格好をした少女もそこにちゃんと写っている。
明日花はその写真を瀬戸口に見せてもらう。
「あ、そうそう、この人達。
あ・・・、瀬戸口さんも遠坂さんも若っ〜い。
魔王は・・・あれ?どこ?」
「これ。」
「ええっ!?髪が黒い・・・。てか、今と全然違う!!」
そこに写る瀬戸口と遠坂は、背格好こそは今とそんなに変わりないが、
やはり学生の頃だから顔つきは大分違う。
魔王など、全くの別人だ。
芝村舞は・・・変わりない。
明日花がひとしきり騒ぎ終わるのを待つと、
瀬戸口は青い髪の少女と巫女さんの格好をした少女を交互に指し、
「ちなみに、青い髪の方が遠坂の彼女で、
巫女さんの方は俺の奥さん。」
と、当然のことのように言った。
「へぇ・・・。
・・・。
・・・え、ええっ!!」
明日花は大分時間が経ってから驚いた。
瀬戸口があまりにも当然のように言うからである。
「にしし・・・驚いた?」
瀬戸口がおかしそうに笑いながら尋ねる。
「と、遠坂さんは置いといて、瀬戸口さん結婚してたのーー!?」
明日花が両頬を両手で挟んで派手に驚く。
「そういうこと。
だから俺は、明日花ちゃんの“お兄さん”くらいまでにしかなれません。
ごめんね♪」
「いや、それはいい。」
明日花はきっぱりとお断りした。
「やん♪ひどい・・・。」
瀬戸口は本心からではなく、ふざけてそう言った。
「あれ?」
そうして写真を眺めているうちに、明日花の頭にとある疑問が浮かんだ。
それを遠慮なく瀬戸口に訊ねる。
「瀬戸口さんは総統官邸・・・ここに住んでるんだよね?」
「ああ、そうだよ。」
「じゃあ、奥さんも一緒に住んでるんだよね?
会ってみたいな〜。
写真見た感じだと今すっごい美人になってそうだし♪」
明日花は夢で見た少女の1人が瀬戸口の妻だと知り、興味が強くなった。
そして会ってみたいし、話し相手になってくれたらいいなという期待を抱く。
「あ〜・・・それは、あー・・・と。」
明日花の気体に満ちた目に対して、よほど説明しにくい事情があるのか。
瀬戸口はどう説明したものかを頬を掻き、天を仰ぐ。
「未央は・・・ああ、俺の奥さんの名前ね。
戦争が元でちょっと厄介な病気にかかっててね。
あんまり外に出られる状態じゃないから、普段は奥の部屋で休んでるんだ。」
瀬戸口は複雑な事情を明日花にもわかるように、ゆっくりと説明した。
「へぇ―・・・たいへ・・・ん!?」
“大変だね”と言おうとした瞬間、急に明日花の頭に痛みが走った。
カップを落として、頭を抑える。
「おい、大丈夫か?」
「・・・くっ・・・!まさか、いつもの・・・でも、痛みなんて今まで・・・。」
頭を抑える明日花の耳に、金属音にも似た高い音が入ってくる。
「音・・・。」
「音?何も聞こえないぞ?」
どうやら瀬戸口には聞こえないらしい。
その音は少しずつ質を変え、何か人の声のようになってきた。
【チガウ・・・。チガウ・・・わた・・・しは・・・。】
「違う・・・声。」
聞こえてきた音が声だと認識した瞬間、明日花の頭から痛みが消え去った。
そしてかけていた椅子が倒れるのも気にせず、すっくと立ち上がる。
「あ、明日花ちゃん・・・?」
傍らへとやってきた瀬戸口が明日花の名を呼ぶが、今の明日花には聞こえていないらしい。
明日花にだけ聞こえる声は、今も明日花の頭の中で何かを話す。
「わかった・・・そっちだね?」
明日花は頭の中の声に返事をしゆっくりと、だが迷わずに歩き出した。
向かう先は部屋の奥にある寝室。
扉を開けっ放しにしたまま入っていってしまった。
「明日花ちゃん・・・?どこへ・・・はっ!?」
茫然としている瀬戸口が明日花の背中を見ると、
黒かった髪の生え際から少しずつ別の色に変わってきているではないか。
それに合わせるように髪が浮き上がり、髪飾りが外れて下に落ちる。
その髪の色は白・・・いや、星のごとく輝く銀色。
辛うじて毛先から十数センチ上までは黒のままになっている。
(髪が・・・何であんな色に?)
髪の色を何の前触れも無く自然に変えるなんてこと、普通の人間である彼女には出来ない。
まさか自分と同じ・・・いや、それにしては纏う空気が自分とは違う。
瀬戸口が考えを巡らせているうちに明日花は寝室の奥、
寝室からさらに奥の場所へと繋がるもう1つの扉の前に立った。
(まずい、あの部屋は・・・!)
瀬戸口は思考を止め、明日花に駆け寄り止めようとするが、
すぐにその部屋には鍵がかかっていることを思い出し、歩を緩めた。
「駄目だよ、明日花ちゃん。その部屋には入っちゃ、」
「ここ・・・だね。」
瀬戸口が近付くよりも早く、明日花はドアノブを回した。
その部屋には確かに鍵はかかっていた。
瀬戸口が朝閉めたときには、ちゃんとそれを確認した。
だが、開いた。
どういうわけだか扉は開いた。
開くはずの無い扉が開き、瀬戸口は思わず立ち止まる。
そんな瀬戸口には目もくれずに、明日花はその部屋へ入り込んだ。
その部屋はシンプルでありながらも上品な家具が並び、
土壁や檜の柱など良い素材を使っているというのが素人目でもよくわかる。
窓は防弾性の分厚いガラスだが、大きく作られているため、
室内なのにとても開放的な気分になる。
手の入った立派な書斎といった感じの部屋で、
この部屋に初めてやってきた者なら立ち止まってため息をつかずにはいられないだろう。
だが、明日花はそうはせず、部屋の中央にあるものへと近付く。
まるで、それが目的のものであるとでも言うように。
だが、正確には“ある”ではない。
“いる”だ。
目的のものは部屋の中央に置かれている大き目の椅子に腰掛けている。
そこには・・・、
「・・・貴女が・・・未央、さん?」
明日花の夢に出てきた少女であり、瀬戸口の写真に写っていた少女。
そして、瀬戸口隆之の妻である人。
その人物が目を閉じ、静かな笑みを浮かべてそこに、確かにいる。
だが、未央は12年前と姿が・・・変わらない。
夢で見たとおりの、写真と全く変わらない彼女が、全く動かずにそこにいた。
しかし、そんな気味が悪いとさえ思える状況にも明日花は全く動じず、未央に静かに話し始めた。
「貴女が呼んだんだよね・・・来たよ、私・・・。
ん・・・わかった。・・・この、指輪、だね・・・。」
明日花はぶつぶつと独り言のように言い、頷くと未央の左手を持ち上げた。
意志の通っていない未央の左手は、明日花の力に逆らわずに、上がる。
そして明日花は未央の左手の薬指にはまっている指輪触れると、ゆっくりと外し始めた。
指輪が完全に未央の指から離れた瞬間、毛先だけ残っていた明日花の黒髪が完全に銀色に変わった。
しかしその時、
「明日花ちゃん!!」
瀬戸口が追いつき、明日花の腕を掴んだ。
「どうしたんだ・・・指輪?」
瀬戸口は明日花が持っている指輪に気づくと、その指輪を取り上げた。
そしてその指輪をすぐに元にあった場所に戻す。
「明日花ちゃん・・・一体何を・・・?」
瀬戸口が明日花に向き直り、肩を掴んで顔を覗き込む。
明日花はここでようやく瀬戸口の姿をその目に映す。
しかし、その目は・・・、
「え・・・?」
瀬戸口はその目を見て言葉を失う。
茶色かった明日花の瞳は、薄い蒼に変わっていた。
水で薄められてしまったような、そんな蒼に。
明日花は目を見張っている瀬戸口の顔を両手で包むと、
悲しげに顔を歪めながら口を開いた。
『瀬戸口君・・・わたくしは・・・。』
その声は明日花の声ではなかった。
遠い昔に確かに聞いたあの懐かしい声に良く似ている。
しかし、それだけ言うと、突然糸が切れた操り人形のように力が抜けた。
そのまま瀬戸口の胸に倒れこむ。
瀬戸口が見下ろすと、明日花の髪の色は黒に戻っていた。
「明日花ちゃん・・・?」
瀬戸口が呼びかけるが返事も、起き上がる様子もない。
明日花は気を失っていた。
「明日花ちゃん・・・明日花ちゃん!!」
肩を揺すって起こそうとするが、明日花は目を覚まさなかった。
明日花の目の色も元の茶色に戻ったのか。
この時の瀬戸口には確かめようも無かった。