明日花が倒れた日の深夜。
ここは総統官邸ではなく遠坂家の別宅。
貿易商として名高い遠坂家は本宅の他にいくつも別宅を持っていて、ここはその1つ。
大臣を務める遠坂圭吾が本人曰く“官邸暮らしは空気が合わない”とのことでわざわざ立てた邸宅で、
総統官邸までは車で約30分。
総統官邸の分厚いコンクリートとレンガの重々しい雰囲気とは違い、
磨きあげられた白い石が美しいエレガントな西洋館だ。
花壇には季節に合った花々が咲いており、庭園もよく整備されている。
中の部屋ももちろん豪華なのだが、驚くべきはこれだけではない。
この屋敷では研究所顔負けの最新の設備が備わっているのだ。
主が本気になれば、本物の巨大ロボットの製作も夢ではないだろう。
当然医療設備も充実している。
明日花が倒れた原因、そして彼女の身に起きている特殊現象についてわからない以上、
ヘタに病院へ搬送して、それからよくわからない組織に連れ攫われてしまうわけにはいかない。
だから瀬戸口は遠坂へ連絡した後、明日花をこの屋敷まで運んだ。
家令達とは顔見知りであるので、何も聞いてこないのに甘えてこの研究室まで連れてきてもらった。
明日花は今、研究室中央の患者用ペットの上に寝かされている。
「どうだ?彼女は?」
瀬戸口はベッドの向かい側に立っている遠坂に尋ねた。
出張で次の日の昼に帰ってくる予定だった遠坂は、
瀬戸口からの緊急事態を告げる電話を聞き、
予定を無理矢理繰り上げて大急ぎで帰ってきた。
遠坂は検査結果が書かれたファイルに軽く目を通してから注意深く明日花を観察する。
「特に異常は見られません。健康体です。
あとしばらくすれば目が覚めるでしょう。」
それを聞いた瀬戸口から安堵のため息が漏れる。
「あんなの初めて見たよ。驚いた。
一体、彼女は何者なんだ?
この娘を連れてきたお前さんなら知ってるんだろう?」
「ええ。それでなくとも“芝村舞”候補の素性を調べるのは私の仕事ですから。」
遠坂はここで話を一度切り、ガラス窓一枚向こうにあるモニタールームへと瀬戸口を促す。
そこにはガラス窓のすぐ横にテーブルと椅子があり、
休憩中でも研究室内の様子を見ることができる。
相手が自分の向かいに腰を下ろしたのを確認すると、遠坂は話の続きを始めた。
「彼女・・・斉藤明日花は第7世代で研究所出身です。」
「研究所の!?」
遠坂の言葉を聞き、瀬戸口が目を見張る。
研究所。
幻獣との戦いに勝利するため、人間は神の領域をも侵し続ける。
瀬戸口達第6世代から2つ前、
第4世代以降全ての人間は戦える力を持つクローン体にし、特殊能力の研究を重ねてきた。
特に第7世代は能力開発の研究がエスカレートし、
その被験者の殆どが研究所で毎日非人道的な実験を受けていた。
あまりにも過酷な実験のため、精神に異常をきたした者や死亡した者が多く、
こうして健康な第7世代の被験者は数えるほどしかいない。
例え健康であっても厄介な能力や障害を抱えながら残りの人生を生きなくてはならないが。
なお、途中、魔王“芝村厚志”の活躍により戦争は終了、
研究所は完全閉鎖となったため、クローン体は第7世代の途中まで。
それ以降は親世代の狂わされていた人体を元に戻し、
子供を作れる体にしたため、クローン体ですらない。
だから明日花は稀少な存在であると言える。
「じゃあ、俺が見たのは何かの技能?」
「ええ。“霊調”という技能だそうです。」
「れいちょう?」
聞きなれない名前に、瀬戸口は首を捻る。
遠坂もそんなには詳しくないらしく、ファイルを見ながらの説明になる。
「簡単に言えばこの世のものではないもの、“霊”と呼ばれるものとの間限定での同調能力ですね。
そこにいる霊と会話をしたり、時にはその身に宿し、我々生者と対話させる能力です。」
「イタコさんみたいなもんだな?」
「まあ、そのようなものですね。
戦場で仲間を亡くし、感傷に浸っているうちは冷静な判断ができなくなる。
よって、死者と対話させることによって気持ちを切り替えさせ、早期での戦場復帰を促す。
髪と目の色が変わるのは、生者に今話している者はこの世の人間ではないと自覚させるためですね。
変に入れ込まれては大変ですから。
なので、霊をその身に宿しているときだけ、髪と目の色、そして声が変わるそうです。
そういえば・・・、
貴方は斉藤明日花の髪と目の色が変わるのを見たと言いましたが、何が起こったのですか?」
(昼間の現象がその技能のせいなら、彼女に宿った霊はきっと・・・。)
訊ねられた瀬戸口の頭に、ある1つの結論がよぎったが、
「いや。何もねぇよ?」
(そうだ、そんなはずはない・・・。)
すぐさまその可能性を否定した。
「それより、お前さんですら知らない技能があったとは・・・。
そうとう極秘裏に研究されてた技能なんだな。」
不道徳な科学者の手に渡らないよう、研究所の資料は全て遠坂が管理している。
その遠坂が知らないとは、極まれなことなのだ。
「極秘・・・というより、あまりにも犠牲者が多く、
残されている記録が少ないのです。
同調とは違い、霊調はこの世に無いものをその身に宿すのですから、
精神に異常をきたしたり、体を乗っ取られてしまった者ばかり。
いずれにしてもすぐに死んでしまったそうですよ。」
遠坂の説明を聞き、瀬戸口は1つの矛盾に気づく。
「え・・・なら明日花は?」
「唯一の成功例です。
霊調技能被験者で、生きているのは彼女だけです。
今日の1件があるまで、私も知りませんでしたよ。
第7世代なのに、研究所出身でクローンだとは思わなかったのですから。」
遠坂はため息を吐き、苦笑いを浮かべる。
「何でまた?」
「研究所出身者はその大半が国の施設で暮らしている・・・。
その理由はご存知ですよね?」
答えを知っている瀬戸口は、その答えをすぐに提示する。
「ああ。
第4世代に第6世代・・・親世代にあたる奴らは皆、子供を作れる体になっている。
だから昔みたくわざわざクローンを工場から引き取って育てるなんてやつは今時いないからな。
それに加え、研究所出身者はいずれも厄介な能力を持っている。
だから気味悪がって、進んで引き取ろうなんて奴はまずいない。」
「そう。
しかし、斉藤明日花には母親がいるのです。」
「え・・・、ってことは、引き取ったのか?」
「そうなりますね。
斉藤明日花の母親は子供が作れない体なのだそうです。
なので、引き取った。
能力をことを知った上で引き取っただそうですよ。
斉藤明日花の様子を見ると、普通の子供と同じようにとても大切に育てたのでしょうね。」
「へぇ・・・。良い人間がいたもんだな。」
瀬戸口はそのことを大変嬉しく思い、笑みがこぼれる。
しかし、そのことが新たな疑問を彼の中に生みつける。
「あれ?そんなに大事にされている娘が、何でこんな所にいるんだ?」
明日花が魔王のもとで行っていることを考えれば、当然のように湧いてくる疑問である。
「その母親が原因なのですよ。
そして、私が彼女を見つけるきっかけでもあります。」
「・・・というと?」
「斉藤明日香の母親は遠坂の本宅で働いている家政婦でした。
私がたまたま立ち寄っているときに彼女が急な病で倒れ、
その報せを受けて駆けつけたのが・・・娘の斉藤明日花です。」
「へぇ・・・。世間は狭いもんだな。」
遠坂と明日花の関係を聞き、瀬戸口はその言葉の意味に共感する。
遠坂は特に返さず、そのまま話を続ける。
「母親の病状は重く、意識は戻らないままでした。
そして、治すためには大掛かりな手術をする必要がある。
ですが、まだ中学生の斉藤明日花にその費用を出す術はありませんでした。
その話を聞き、私はここでの仕事を勧めました。
彼女はその話に飛びつき、ここで働く代わりに、
国と遠坂の方で母親の面倒を見ることを条件にここにやってきました。」
長い説明を終えた遠坂は、長いため息を吐いた。
聞いた瀬戸口は、2〜3度頷き、言う。
「なるほど・・・。
明日花について疑問だったこと、一気にスッキリしたよ。
それにしても・・・、」
「何か?」
「・・・随分とヒドい足長おじさんだね、お前さん。」
「・・・五月蝿いですよ、瀬戸口。」
瀬戸口は口元に笑みを浮かべて言い、
遠坂は睨んで返した。
「誤解するなよ。お前さんが大変だなぁと思っただけさ。」
遠坂に睨まれて、瀬戸口は困り笑いになる。
それを見た遠坂は、
「別に。厚志様に仕える。それが私の使命ですから。」
と、当然のことだと言わんばかりに返した。
「・・・というか、貴方もそうでしょう?」
「ああ。そのとおりで。」
瀬戸口も当然だと返し、時計を見てから立ち上がった。
「それじゃあ、俺は明日早いからそろそろ戻るわ。
明日花のこと、よろしく。
厚志が帰るまでに明日花が目を覚まさなかったら、
きっと怖いことになるぞ〜。」
瀬戸口はからかうように脅しをかけた。
遠坂はそれを苦笑で返す。
「その時は、“かの方はひどい風邪をひいて部屋から出られません”とでも言って、
どうにか対処しますよ。
・・・それより瀬戸口?」
「あん?」
扉を開け、モニタールームから出ようとした瀬戸口は、そのままの姿勢で首だけを遠坂に向ける。
「・・・あまり彼女に入れ込まないように。
この方は、“芝村舞”なのですから。
それ以下でもそれ以上でもあってはならないのです。」
真剣な目で遠坂が睨む。
瀬戸口が明日花を名前で呼ぶことが引っかかったらしい。
(・・・つっても、それが本人の希望なんだけどね。)
そう内心でため息を吐き、
「はいはい、りょーかい♪」
瀬戸口は明るく返事をすると、モニタールームを後にした。