「ぅ・・・ん?」
明日花が目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。
ただ、様々な機器に取り囲まれているこの状況は、
嫌でも研究所のことを思い出してしまう。
辺りを探ろうと起き上がる前に、
「良かった。気がつきましたか。」
隣りの部屋から遠坂の声が聞こえてきた。
その声の主はそのままこちらへやってくる。
「瀬戸口から事情は聞きました。・・・大丈夫ですか?」
訊ねられた明日花は身を起こし、答える。
「はい。大丈夫。なんともないです。」
それを聞いた遠坂は安堵の息を漏らす。
「そうですか・・・。
こういったことはよくあるのですか?」
明日花は首を振る。
「ううん。
あまり長く宿していると私が霊から離れられなくなっちゃうから、
さすがに何時間も、っていうわけにはいかないけどあの程度なら大丈夫。
あ、私の能力って言うのは・・・、」
「それには及びません。
こちらですでに調べさせていただきました。」
霊調技能について説明しようとする明日花を、遠坂は遮った。
「そう・・・。
すみません、話していなくて。
だって、言ったら雇ってもらえないかと思ったから・・・。」
明日花が言いながら肩を落とす。
そんな明日花に遠坂は優しく微笑んで言う。
「心配いりませんよ。
貴女は今のところ、厚志様に気に入れられておいでですから。
厚志様が手放さない限りは、貴女はここで働けます。」
「そうですか・・・良かった。」
それを聞いて、明日花は顔を上げる。
だがその時見た遠坂の顔は、もう真面目なものにすり替わっていた。
「問題ないのなら良かった。
・・・厚志様が先ほど、お帰りになりました。
自室で貴女を待っておいでです。
すぐにでも行って差し上げてください・・・舞様。」
遠坂は明日花の無事を確認すると、すぐに“厚志の側近としての”遠坂に戻ってしまった。
そのことを明日花は無性に寂しく思った。
そして、聞きたいこともある。
だから今はまだ、“芝村舞”になるわけにはいかなかった。
「その前に聞きたい事があります、遠坂さん。」
明日花は“斉藤明日花”のままで遠坂を真っ直ぐ見据えた。
「・・・。」
遠坂はしばらくは無視を決め込もうとしたが、
それでも視線を逸らさない明日花に折れ、苦々しそうな表情で言う。
「・・・。
自分の部屋以外ではずっと“芝村舞”でいるように、と言ってあるはずですが?」
そんな遠坂の表情に負けずに、明日花は真っ直ぐ見据えたまま答える。
「私は“斉藤明日花”。“芝村舞”じゃない。
だから私は、私の言葉で話します。
安心して、仕事の時にはちゃんと芝村舞になるから。
それに・・・まだ私の代わり、見つかっていないんでしょう?」
そう。
“今のところ気に入れられている”ということは、“他に魔王が欲する生け贄がいない”ということ。
ならば、明日花が少々決まりを破ったくらいではお払い箱することはできない。
そんなことをすれば、大目玉を食らうのは遠坂自身であろう。
明日花はそこまで見抜いている。
それを悟り、遠坂は観念し、ため息を吐く。
「はぁ・・・。
わかりましたよ。何ですか?お尋ねしたいこととは?」
(やった!)
明日花は“斉藤明日花として”話すをことを認められ、心の中で喜びの声を上げた。
そして真剣な眼差しで問う。
「未央さん。
あの人に一体、何があったんですか?
あの人、本当なら死んでいるはずなのに、無理矢理体に縛られている。」
「・・・!
・・・何故、そのことを・・・?」
未央の存在について。
瀬戸口が明日花に語ったが、あれが嘘なのは明白だ。
そして本当のそれは、トップシークレットの1つなのである。
総統官邸内でも、厚志、瀬戸口、遠坂しか知らない。
ならば、何故そのうちの誰も話していないことを明日花が知っているのか。
「霊調技能は霊と話をする力もある。
・・・まぁ、唯一の成功例って言っても、私のは厳密には違うんです。
能力には制限があって、本来得るはずだったものに比べて格段に劣る。
私が話し、宿せるのは成仏していなくてこの世に留まっている霊のみ。
しかも、その霊の承諾なしに宿すことは出来ない。
研究は途中から無くなってしまったけど、続いていたら私も失敗例の仲間入りだったかもしれません。
・・・その私が宿せた、ということはですよ。
未央さんは霊。それも、成仏していない霊ってことになるでしょう?」
「そこまでわかっているのなら、私も聞かずとも彼女に聞けたのではないですか?」
遠坂は明日花の話を聞いていて浮かんだ疑問を、素直に口にした。
「・・・未央さんをあの体に縛りつける力が強すぎる。
私に話し掛けて、あの部屋に連れて行くのだけで手一杯でした。
だから私にあれ以上宿ることは出来なかった。
あの部屋でああいった形で留まっている理由なんて、聞く暇もありませんでした。
普段はもっと長い時間宿っていても大丈夫なのに・・・。
一体どういうことですか?」
明日花に再度問われ、遠坂は話してよいものかと迷う。
しかし、ここではぐらかしたとしても、彼女は退きはしないだろう。
また、必ず聞いてくる。
納得のいく説明がされなければ、どんな無茶をしてでも聞き出そうとしかねない。
だったら、今のうちに話しておく方が、彼女にとっても誰にとっても安全なのだろう。
・・・話されて、怒る人物がいそうだが。
「・・・壬生屋未央。
それが彼女のフルネームです。
壬生屋さんは私達と同じ小隊に所属・・・学友だったのですが、
戦場で孤立し、敵に打ち抜かれ、戦死しました。
舞様が亡くなってしばらくのことです。
あの時の瀬戸口の狂い様は、今でも目に焼き付いています・・・。」
瀬戸口が未央を失って狂う様。
それは明日花にでも容易に想像できる。
「そこまでだったらただの悲劇です。
しかし、話はそこで終わらなかった。
彼は厚志様にあることを懇願します。
壬生屋さんから離れようとしていた彼女の魂を、
自分の身が朽ち果てるまで、そこに、彼女の体に留めて欲しいと。
それが出来るなら、自分はどんな目に遭ってもいい。
どう扱ってくれても構わない、と・・・。」
「そんな!離れようとしている魂を死体に留めるなんて、そんなこと出来るはずが、」
「彼女がそこにいる。
それが何よりも明白な答えです。」
「あ・・・。」
遠坂に即座に返され、明日花は黙るしかなかった。
「といっても、厚志様とて実際に上手くいくかは賭けであったそうです。
術をかけるのが厚志様で、かけられるのが壬生屋さんだからこそなのだそうですよ。
その後、他の者に同じことをしようとしましたが、全て失敗でした。
成功した壬生屋さんは歳を取らず、動くことも出来ずにずっと瀬戸口の傍らに在ることになるのでしょう。
死に掛けているのに、時間を止めたまま、あの姿で。
瀬戸口が死ぬまで。
・・・さっ、これで知りたかったことは知れたでしょう?
厚志様を待たせておいでです。
早く行きましょう。」
「はい・・・。」
確かに、明日花が知りたかったことは知れた。
だが、それはあまりにも衝撃的過ぎた。
あんなに明るくて、気さくな瀬戸口がそんな暗いものを抱えているとは信じられなかった。
厚志のもとに着くまで、明日花の頭の中ではそのことだけが回っていた。
だからずっと気づかなかった事がある。
それは明日花と遠坂を送り出した人物について。
明日花を総統官邸まで送って帰ってきた遠坂を門のところで出迎えたのも、その人物。
「お帰りなさい。遠坂さん。」
「ただいま帰りました。」
その人物の真正面に立って、遠坂は力の抜けた安らかな笑顔になる。
その人物は、おさげ髪を揺らすと、遠坂を中へと招き入れる。
「外は寒かったでしょう?お風呂、沸いていますよ。
お食事も出来てます。どうしますか?」
そんな新婚夫婦のような台詞を、問われた遠坂は照れたように笑いながら返す。
「そうですね・・・、先に食事を。
真紀さんもご一緒にどうですか?」
遠坂に誘われ、真紀の顔が見る見るうちに赤らんでいく。
口ごもりながらなんとか答える。
「そ、そんな・・・私、しがないメイドなのに・・・いいんですか?」
「いいですよ。それに、貴女は私の側にいるためにここにいるのでしょう?
給仕なんて、やらなくてもいいのですよ?」
「い、いえ!遠坂さんにはお世話になっているのに、そんなことできません!
い、いいい、今、お食事の用意をするんで、ちょっと待っていてください!」
温かい笑顔で答えてやれば、真紀はさらに真っ赤になって厨房へと駆けていった。
(慌てなくていいのになぁ・・・。)
と苦笑しながらその背中を見送る。
そうしているうちに、
「きゃあ!」
廊下には何もないのに、どういうわけか真紀が転んだ。
しかし、
「痛っ・・・。って違う、急がなきゃ!」
その頭上に、タライは落ちてこなかった。
そんな明日花曰く“非科学的な現象”が起こらなかったことを
遠坂は寂しそうな瞳で見ていた。