魔王の部屋で。
ベッドの上でぼおっとしながら明日花は、
遠坂の話と未央の声を思い出していた。
遠坂の話はひどく暗いもので、聞こえてきた未央の声はとても必死だった。
そして瀬戸口は切実な想いを持ってそれを行っていることも。
そのどれもが悲しくてやるせないものだった。
叶うなら、未央を生き返らせて瀬戸口に会わせてやりたい。
しかし、そんなことは、
(どう願ったって、何回祈ったって無理なんだよ、絶対・・・。)
そう。
それはわかりきっていることだった。
でも未央を宿してその想いを知ってしまった今、それはもう無視できる話ではなくなってしまった。
どうにかしてやりたい、と思う。
自分に何がどこまで出来るのか、果たしてそれは正しいのかわからないけれど、
とりあえず、やれることをやるのがいいだろう。
そしてそれは、恐らく自分にしかできない。
(でも・・・本当にうまく行くかな?
失敗したら・・・もしかしたら私、死ぬよ?)
ちょっと怖気づくが、結局はそれしかない。
意を決して、明日花は舞になり、言った。
「あ、厚志。お前に聞きたい事がある・・・。」
舞は自分を抱きしめたままうっとりしている厚志に問いかけた。
舞の声を聞き、厚志はしばらく目を見張ったまま動かなかったが、
(やばっ・・・なんかやっぱりまずかった?)
厚志を見つめる舞の表情は変えないまま明日花は内心で冷や汗をかいたが、
「何なに?舞の方から僕に質問なんて珍しいね♪
何かな、何でも言って!
あ、でも・・・僕にわからないことだったらどうしよう。」
すぐに満面の笑顔になった。
(こいつ・・・芝村舞ならなんでいいのかよ・・・。)
と、心の中で明日花は悪態をついたが、そんな舞らしからぬ表情は絶対に見せなかった。
「いや、絶対に厚志にしかわからないことだ。
それはだな、その・・・。
み、」
(芝村舞なら未央さんのこと、何て呼ぶんだろう?未央?壬生屋?)
言いかけた矢先にその究極の2択にぶち当たる。
不正解ならとんでもないことになるのかも。
「み、壬生屋のことなんだが・・・。」
芝村舞の性格なら、未央と呼べるようになるまで多大な時間がかかるのだろう。
だから、苗字の方にしてみたのだが、
「壬生屋さんがどうかしたの?」
当たりだった。良かった。
「お前が壬生屋にかけた術、あれを解くことは出来ぬのか?」
「壬生屋さんにかけた術を?何で?それに何で舞がそのことを知ってるの?」
(何でって聞かれるとちょっと辛いんだけど!)
それでも明日花は思考を凝らし、舞になり切る。
(確か、伝説のハッカーだよね!?)
「・・・私に隠し事が出来ると思ったか?
そして、壬生屋が不憫でならんのだ。
死んだ後でも、あのように骸をさらして・・・。
家族のもとへ帰りたいのであろうに、無念に違いない・・・。」
「瀬戸口のことは?」
「・・・戦争とは、どうしても人が死ぬものだ。
それは万人が受け入れなければならない事実。
その摂理を歪めたがために、壬生屋が無念な想いをし続けているのだ。
瀬戸口が本当に壬生屋のことを想うのならば、解放するべきだ。
だから瀬戸口には、本来あるべき悲しみを受けてもらう。」
「そう。本来あるべき悲しみ、か・・・。」
舞の口で言ってしまってから、明日花はとてつもない後悔に襲われた。
(しまったぁ!こいつだって、そうだったんだ!ヤバイ、絶対にキレる・・・!!)
しかし厚志は、
「そっか・・・。
でも、僕には舞がいるから大丈夫だけど、瀬戸口が壬生屋さんを無くした気持ち、
なんとなくわかるんだよね・・・。」
気づかなかった。
(良かった・・・こいつが底抜けに盲目で・・・!)
明日花は心の中で涙を流した。
それでも舞の言葉を続ける。
「それでも、私は壬生屋の無念を払ってやりたい。
それに、こういったことは対応が遅くなれば遅くなるほど収拾がつかなくなると思う。
瀬戸口には済まないと思うが、それは厚志、お前のほうで何か声を掛けてやれ。
それはお前の仕事だ。」
と命じてやった。
ちょっとやりすぎたと思うが・・・、
「わかった。
舞に出来ないことを僕がする。それが僕の仕事だものね!」
かえって好評だったらしい。
「済まないな。」
「いいよ、それくらい。
でも・・・、術を解いても多分無駄だよ?」
「は・・・?」
(はい?こいつが術で縛り付けてるんじゃないの?)
「初めは確かに、僕の術で繋げていたんだけど、
そのうち僕が何もしなくても留まるようになっていた。
今は、何かあって繋がりが弱まった時の補強をするくらい。
だから、もし壬生屋さんを解放するんだったら、それをどうにかしないとね。」
「そ、それは何だ?」
(ええっ!?じゃあ、どうすりゃいいのよ?)
舞(と明日花)の困惑を、厚志は優しく受け止めた。
「心配しなくていいよ、いい事教えちゃう。
瀬戸口と壬生屋さん。2人とも左薬指に指輪をしているでしょう?
瀬戸口は結婚指輪だって言ってたけど、結婚指輪は伴侶を繋ぎとめるための証。
それって、僕の術なんかよりもよっぽど効果があると思わない?」
「あ・・・!」
(そうだ・・・!
だから未央さんは指輪を外すよう言ってきたんだ!)
それを聞いて、明日花は次にやるべきこと決めた。
「そうか、わかった。
有益な情報に、感謝を。」
舞としても言っているが、明日花の想いも少なからず入っている。
その気持ちが入った演技に、厚志は大変満足したらしい。
「いいって、お礼なんて。
それより僕は、舞が友達想いでいてくれて嬉しい♪
いつの間に仲良くなってたの?ちょっと嫉妬しちゃうかも・・・。
だから舞〜・・・、また・・・お願い、ね?」
「は・・・?って、ちょっ!!」
舞の肌の上で、厚志の手が大忙しで動き始める。
・・・舞が、いや明日花が情報のために厚志に払ったものは、意外に大きかったようだ。
そして朝が来て、昼になり・・・。
「はぁ〜・・・魔王の奴、久しぶりだからってあそこまでやるか普通・・・。」
ぐったりした様子の明日花は、自室からどんよりとした顔で出てきた。
髪も結わく気にもなれなかったから下ろしたまま。
髪飾りはどこかで落としてしまったらしいから仕方がないし。
だが、いつまでも沈んでいるわけにはいかない。
やるべきことがあるのだ。
明日花は瀬戸口の部屋の前に着くと、そこへ入るための扉を睨みつける。
(とりあえず、まずは様子見。
そして、隙があるようなら指輪を取る・・・!)
明日花は作戦内容を復習すると、意を決して扉を叩いた。
「瀬戸口さん!明日花です。いる〜?」
ノックしながら声をかけるが、返事は無い。
「瀬戸口さん?お〜い!」
再度同じ事をするが、結果は同じ。
「・・・いないのかな?」
ならば逆に好都合。
未央の指輪だけでも外せるかもしれない。
明日花は音を立てないよう、ゆっくりドアノブを回す。
ドアノブは回った。鍵は開いている。
「・・・無用心。」
そう明日花は一人ごちると、瀬戸口の部屋に潜入した。
廊下を歩く誰かにバレない様、素早くそして静かに扉を閉めた。
ドアノブを回し終わった明日花が部屋の奥を見ると、返事が聞こえなかった理由がよくわかった。
(寝てる・・・。)
そう。
仕事疲れのためか、瀬戸口は執務机に突っ伏して眠っていた。
溜め込んでいた仕事でもあったのだろう。
机の上では資料が塔を築いている。
近付きながら数度呼びかけて、それでも起きなかったということは、よほど深く寝入っているのだろう。
「チャ〜ンス・・・。」
明日花は誰にとも無く呟くと、まず瀬戸口の傍らへ忍び寄った。
幸運なことに、瀬戸口は左手をだらりと垂らしながら寝ている。
(途中で起こしたらまずい。
だから瀬戸口さんの指輪は未央さんのを取った後だ。)
だからまず、明日花は寝室の先の未央がいる部屋へと続く鍵を探した。
この前は未央が明日花に力を貸したために、扉が開いた。
しかし、
“そういえば壬生屋さんの封印。僕が出張でいなかったときに少し弱まってたみたい。
だからさっき、僕の術で回復させといた。”
と、術をかけていた本人が言っていた。
その身に縛られて動けない霊が明日花に力を貸せたのは、僅かだが封印の力が弱まっていたから。
術により封印の力が回復した以上、今度はそうはいかない。
どうしても鍵が必要になる。
明日花はなるべく音を立てないように急ぎながら机を探る。
(机の上にはないな・・・。
鍵がついてる引き出しもあるけど、その鍵がないことには・・・。
でも、待てよ。
大事な鍵ならむしろ・・・。)
明日花は瀬戸口の服の、ポケットがついている部分を触れてみる。
すると軍服のズボンのポケットに、何か硬くて小さいものが入っている。
(まさか・・・。)
瀬戸口を起こさないように細心の注意を払いながらそれを取り出す。
取り出されたそれは、
(鍵・・・当たりね。
大事な鍵なら、ずっと肌身離さず持っているんだろうし。)
上着の内ポケットの中に入っていなかったのが幸運だった。
恐らく鍵を使用した後、どうせ自室の中だからと、
つい出し入れがしやすい方のポケットに入れてしまったのだろう。
手に入れた鍵が扉を開けるための鍵なのかはわからないが、試す価値はある。
明日花は寝室の奥の扉に向かう前に、瀬戸口の様子を確認する。
――完全に寝入っている。しばらくは起きそうにない。
その様子に安心し、奥の部屋へと向かった。
扉の鍵穴に鍵を刺し込み、回す。
すると、カチリ、と音がした。
(ラッキィ、ツイてる・・・。)
明日花は口元だけで小さく笑うと、奥の部屋に入る。
そこは以前来たときと同様の光景だった。
豪華かつ質素な部屋と、美しい少女。
明日花は少女―未央のもとへ即座に駆け寄った。
そして、未央の左手を持ち上げる。
「・・・未央さん。すぐにそこから解放してあげるからね。」
声をかけ、指輪を外す。
指輪は何にも引っかからず、すぐに外れた。
まず1つ目の目的が完了し、ほっと一息を吐く明日花の背中に、
「おいたはめーだよ、明日花ちゃん?」
声をかける者があった。
「!!」
明日花は驚き、振り返る。
振り返る前から声の主がわかっていた。
瀬戸口である。
「あ、あの・・・、」
何か言い訳をしようと明日花は口を動かすが、それを言葉にする前に、
「痛ぁっ・・・!」
つかつかと歩み寄ってきた瀬戸口に両肩を掴まれ、そのまま壁に押さえつけられる。
掌に収まったままの指輪を落としそうになるが、なんとか堪えて握り締めた。
瀬戸口は至近距離で明日花を睨みつける。
「・・・ここで何をしていた?」
普段明日花に接する態度と全然違う。
瀬戸口は完全に頭に血が上っていた。
紫色だった瞳が、なんだか赤く見える。
犬歯が牙のように見え、鬼のような表情になった気がする。
その異質な顔に睨まれると明日花は恐ろしくなり、
聞くもの全てを威圧するような声で言われると逆らうことが出来なくなる。
「み、未央さんを・・・解放しに。」
「解放、だと・・・?厚志から聞いたのか?」
「う、うん・・・。」
「それでお前は何を知っている、何をした!」
「ま、まだ何もしてないよ!とりあえず様子を見に来ただけ、信じてよ!!」
恐怖を感じながらも、すでに未央の指輪を外した事実、
それだけは明日花が無事にこの部屋から出て、指輪を処分するまでに隠し通さなければならない事実だった。
もしここでバレてしまったら、未央の指輪を外すチャンスなどもう2度とやってこないであろう。
瀬戸口は明日花が嘘を言っていないのか、無言で睨みつけ観察している。
明るく気さくな瀬戸口がここまで豹変するほど、未央にかけた封印がこの男にとって大切なのだ。
そのことを感じ、明日花は悲しくなり、訊ねる。
「ねぇ、瀬戸口さん。
未央さんを12年もあそこに縛り付けて、それで正しいと思ってる?」
「何?」
睨みつけながらもその問いが出たことを瀬戸口は不思議に思った。
自分の姿を見て、てっきり怯え続けるものかと思ったのに。
予想とは逆に、今度はきっ、とこちらを睨みつけてきた。
「未央さんはね、私に“助けて、解放して”って言ってきたのよ!」
「なんだと!」
明日花は思い切って真実を言ってやった。
それは一昨日、自分が未央に呼ばれた時に聞こえた声。
明日花にだけに聞こえる、壬生屋未央の本心。
「嘘だっ!嘘だ嘘だ、嘘だ!
未央はまだ生きているんだぞっ!」
瀬戸口は明日花の霊調技能がどんなものか知っている。
その霊調技能持ちの明日花が未央の声を聞いたと認めるということは・・・、
愛しい人の死を認めるということ。
絶対に、永遠に認めたくないそれを、瀬戸口は必死に否定する。
明日花の肩を掴む手の力が強まるが、明日花はそれにも負けずに言葉を続ける。
「嘘じゃない!
あんた私の能力のこと知ってるんでしょう、その目で見たでしょう!
それに・・・あんたは大事なことに気づいてない・・・。
生きてるなら・・・本当に生きているんなら、未央さんをあそこに封印する必要なんてない。
封印を解いたら未央さんの魂はこの世から離れる。
それがわかっているから縛り付けているんでしょう?
矛盾してるんだよ、あんたの言ってることは!!」
「うるさいっ!!」
「わあぁぁっ!!」
瀬戸口は明日花の言葉を否定しようと、彼女の両肩に込める力をさらに強くした。
明日花はたまらず叫び声を上げる。
しかし、明日花は負けずに、むしろ逆にニヤリと笑ってみせた。
「いいよ、別に。そのまま殺せば?
そうしたらあんた、厚志に怒られて封印解かれちゃうんじゃないの?
それでもいいの、ええっ!!」
力では絶対的に敵わない分、明日花は気迫で返した。
「・・・!!」
弱い所を突かれた瀬戸口は両手の力を抜き、腕をだらんと降ろした。
「っはぁっ・・・はぁ・・・はっ。」
痛みから解放された明日花はたまらず座り込んだ。
瀬戸口は明日花を力ない瞳で見下ろす。
目の色も牙も顔つきも変わらないままだったが、今度は人間のものだと思える。
彼は明日花が告げた言葉を否定することしか出来ない。
かといってその言葉を力ずくで封じてしまうようなことをしたら、自分は愛しい人と引き離される。
突きつけられた事実を受け入れられない瀬戸口には、
自分が何をすればいいのかわからなかった。
だから、言わずにはいられない。
「お前に・・・お前なんかに俺の気持ちなんてわかるのかよ。
大切な人間を失った気持ちが・・・。」
「わかるよ。」
瀬戸口のつぶやきに、明日花は即答して返した。
「わかるよ、大切な人を失った気持ちは。寂しいのは。辛いのも。
でも、それでも大切なのは、その大切な人に心配かけないよう、
真っ直ぐに前を見て生きていくことでしょう。
私の代わりに死んだ人、私に命をくれた人・・・父さんは、それを望んでいるんだから!」
ぼんやりとした頭で瀬戸口は遠坂が明日花の“母親”については話していたが、
“父親”のことに関しては何も言っていなかったのを思い出した。
その理由が、今わかった。
詳しい経緯は知らないが、明日花は父親を亡くしている。
どうやら何か複雑な事情があるらしい。
何も言ってこない瀬戸口に構わず、明日花は立ち上がり、扉へと歩く。
瀬戸口は追うことは愚か、視線を上げることすらしない。
扉のところで一度立ち止まり、振り向かずに明日花は言う。
「未央さんは・・・あんたがここで腐っていることを望む人?
違うでしょ、そんなことは。
未央さんが解放を望む理由は、あんたに伝えたい事があるからなの。
でも、縛り付けられたままの霊を宿せるほど、私は優秀じゃない。
・・・あんたがそんなんじゃ、未央さんはいつまで経っても何も出来ないよ・・・。」
そして再び歩き出し、そのまま瀬戸口の部屋から出て行った。
未央の指輪は握り締めたままだが、瀬戸口の指輪はそのままである。
しかし、明日花はそのことに対してはもう、大した興味は持っていなかった。
瀬戸口が未央に執着していること、封印を解かれかけた時のあの豹変ぶり。
そして未央の想いに、思い出してしまった父親との思い出・・・。
それらの想いで心はいっぱいだった。
それに・・・、
(封印を解いたとしても、あんたにそれを受け止める心がないと結局は意味がないよ。
未央さん・・・ごめんね。
解放するの、しばらくかかりそう・・・。)
この件に関しては、指輪を外すことよりもっと大切なことが欠けているのだ。
明日花は心の中で未央に謝ると、重い足取りで自室へと帰っていった。
今夜も魔王から呼び出しがかかるのだろう。
それまでの時間だけでもいい。
明日花は何も考えず、部屋で寝ていたかった・・・。