翌日。
「むー・・・。」
時計の針が2本とも天辺に到達する少し前に明日花は目覚めた。
今日は厚志が視察に出るため、帰還は夜中になる。
呼び出されるのがいつもより遅いので、その分自由時間も増えるのだが・・・、
「はぁ・・・憂鬱だ・・・。」
時間があっても元気がない。
明日花は昨日の件をまだ引きずっていた。
言ったことに関しては間違っているとは思わないし、悪気はない。
しかし、
「このタイミングで父さんのこと、思い出したくなかったな・・・。」
昨日瀬戸口に言われたこと。
その言葉のせいで今まで明日花が封印していた亡き父への思い出が甦ってしまったのだ。
そのことが明日花の心に影を落とす。
こんな時には、瀬戸口と世間話でもして気分転換を図りたいところだが、
あんなことがあった後じゃそんなことは不可能に近い。
以前のように笑い合って話すには、しばらく時間が必要だろう。
ならば、せめて誰でもいいから会話をしたいと思っても、
「他の人は、私と口聞いてくれないしなぁ・・・。」
ならば後は思いつく人物は・・・。
探ろうにも、他に顔が浮かばなかった。
「遠坂さん・・・。官邸内にいるよね・・・。」
遠坂は就業時間中に私用で話し掛けられるのを嫌う。
そのことは知っているが、明日花は今誰かと話したいのだ。
「・・・行ってみよう。」
明日花はそれだけ呟くと、身支度を整えて遠坂の執務室へと向かった。
シンプルなシャツとジーンズ姿の明日花が遠坂の執務室の扉を叩く。
ちなみにこれらの服は部屋に置いてあったもので、どうやら芝村舞の趣味らしい。
髪は自前のヘアピンで上げている。
「・・・あれ?遠坂さん・・・?」
中から遠坂の返事は来なかった。
数度ノックしても誰も応えなかったので、思い切って扉を開けてみる。
しかし、誰もいない。
遠坂の執務室は主の性格をよく映しており、
きちんと整理されて無駄なものがない。
そんな部屋をよく見回してからどうするか考えあぐねていると、
「遠坂さんなら、厚志様の視察に付いていかれましたよ?」
後ろから突然声をかけられた。
「うわぁ!」
声をかけられるなんて思ってもいなかった明日花が振り向く。
そしてその人物の姿を見て再度驚きの声をあげる。
「あ、貴女は・・・田辺真紀さん!」
「はい・・・。そうですが、何か・・・?」
そこには田辺真紀がいた。
芝村舞、壬生屋未央と一緒に夢に出てきた少女。
その本人が今、明日花の目の前にいた。
手に茶封筒を持って、長いワンピースにフリフリのエプロンとカチューシャの、
メイドのような格好をしている。
「あの、貴女は・・・?
何故私のことを知っているんですか?」
驚いて固まっているままの明日花に、田辺真紀は再度訊ねた。
「そうですか・・・。貴女が芝村さんの・・・。」
「うん。でも、私のことは“明日花”って、名前で呼んでね。」
「はい。なら、私のことも、“真紀”でお願いします♪」
あの後。
立ち話もなんだから、と明日花と真紀は明日花の部屋にやってきた。
ソファーに腰をかけて話す。
明日花は同性の友達が出来たようで嬉しかった。
「真紀さんは遠坂さんの家でメイドをやってるんでしょ?
何でわざわざこんなところに?」
「さっき遠坂さんから連絡があって、書類を執務室へ置いておいて欲しいって。」
「あー、さっきの茶封筒ね。」
「明日花さんはどうされたのですか?
遠坂さんがいらっしゃらなくて随分お困りのようでしたけど・・・。」
「うん・・・。
ちょっと愚痴聞いてもらいたくて・・・。
代わりみたいで悪いんだけど、真紀さんに話しても構わない?」
明日花が遠慮がちに目を向けると、真紀は優しい笑顔でそれを受け止めた。
「いいですよ。
私に話して気持ちが晴れるなら何でも!」
「本当に?ありがと!」
明日花は真紀の承諾に嬉しくなり、ほんの少しだけ笑顔を浮かべる。
そしてちょっとずつ、言葉を選びながらのように話し始める。
「それがね、死んだ父さんのこと、思い出して・・・。」
「お父さん?」
「うん・・・。
私の父さん・・・って言っても、義理の父さん。
それでも私にとってもよくしてくれた。
なのに私が12の時、トラックに跳ねられそうになった私をかばって、死んじゃった・・・。」
「そうですか・・・、すみません。」
真紀は明日花に辛いことを話させてしまったと思い、謝罪した。
その様子に明日花は、慌ててフォローを入れる。
「いや、いいんだって!
私が勝手に話したんだし・・・。ね?」
「は、はい!すみません。」
再度謝ってきた真紀に対して“何だかなー”とは思ったが、
気を取り直して話を元に戻す。
「で、うちの両親仲がよかったから、母さんとても悲しんでた。
だから私、成仏してない霊に体を貸す技能を持ってるから、
その技能でもう一度父さんを会わせてあげたいと思った。
だって、私のせいなんだから・・・。
でも、父さんはそれを拒否したの。
“もし母さんに会ったら、離れるのが辛くなるから”って。
そして最後に、
“父さんはいつでも母さんと明日花を見守っているから。
父さんのことを好きでいてくれるなら、幸せになれるよう、前を向いて生きてほしい”
って言って、成仏しちゃった。」
「・・・いいお父さん、だったんですね・・・。」
「うん・・・大好き。」
明日花は何の迷いもなく、そう呟いた。
「なのにね、私は一体何をやってるのかなって。
母さんを助ける為だとはいえ、魔王相手にあんなことを・・・。
父さんが知ったら、すっごく悲しむと思う。
せっかく育ててもらったのに、私、親不孝なことしてる・・・。」
そして俯き、膝を抱える。
「そ、そんな!元気を出してください!!」
すると真紀は慌てて、明日花を元気付けようとする。
「親不孝なんてこと、ないですよ。
明日花さんはお母さんを助けるために、ここに来て働いているのでしょう?
だったらそれは、親不孝なんかじゃないです。
それに、お父さんもきっとわかってくれます。
明日花さんはお父さんの言葉、ちゃんと覚えているんですから・・・。」
「真紀さん・・・。」
真紀の言葉に、明日花は顔を上げた。
「明日花さんはがんばっています。
必ず報われますよ、大丈夫。
だから元気出しましょう?
見守ってくれているお父さんが心配しないように。」
そう言う真紀の陽だまりのような笑顔を見て、明日花の心は明るくなっていく。
明かりを照らされた心で、
「うん!・・・ありがとう、真紀さん!」
心からの笑みで感謝を伝える。
「いえ、いいんです。
人はやっぱり、元気でいるのが1番ですから。」
「いやいや。
大分気持ちが軽くなったよ。話聞いてもらってよかった。」
「そんな!私なんて!!」
真紀は大きく手を振って謙遜する。
「ううん。
話し相手が見つかっただけでも十分嬉しいのに、
いいこと言ってもらっちゃったから・・・。
だからお返しに、真紀さんに何か悩みがあったら、私が愚痴を聞いてあげる!
ほら、何でも言って?」
「ええっ!?
そんな、いきなりですか?」
急な明日花の提案に、真紀は慌てて返す。
「うん。
ほら、真紀さんって遠坂さんの恋人でしょう?
それ関連で、何かあるんじゃないかなぁって♪」
明日花は楽しそうに真紀から話を聞きだそうとするが、
「そんな、恋人なんて・・・!
私は遠坂さん・・・いえ、圭吾様に造っていただいた成体クローンなんですから・・・。」
真紀の言葉を聞いて、思わず動きを止める。
「成体・・・クローン・・・?
遠坂さんに造ってもらったって・・・。」
田辺真紀は遠坂圭吾の恋人である。
確かに、瀬戸口はそう言っていたのだが・・・。
「私は田辺真紀の成体クローンです。
本物の田辺真紀は終戦前に病気で亡くなりました。
物資が不足して、お薬が手に入らなかったんだそうです。
田辺真紀を失い、悲しんだ圭吾様は田辺真紀の成体クローンを作りました。
私で14代目です。」
「そ、そんな・・・。」
真紀の言葉を聞いても、明日花はまだ信じられなかった。
しかし、言われてみれば目の前にいる真紀も写真に写っていた12年前の姿から
着ているもの以外何の変わりもない。
「田辺真紀の成体クローンに田辺真紀の記憶を流す。
しかしなかなかうまく行かずに私で14代になりました。
現に私には田辺真紀という人物になりきれず、“私”という別の意志を持ってしまいました。
だから私は、失敗作・・・欠陥品なんです。」
「そんな!欠陥品なんて!!」
欠陥品。
研究所で嫌になるくらい耳にした言葉だ。
欠陥品と決め付けられた者達は、すぐに汚い大人達の手によって捨てられてしまった。
その中に、明日花が気に入っていた人も何人かいたのに・・・。
でも、それよりもいつか自分が同じ目に遭うんじゃないかという恐怖の方が勝っていた。
他人の命よりも自分の身のほうが可愛かった。
そんな吐き気がするような日々がどうしても思い出される。
「それでも貴女は貴女でしょう。
1つの立派な命でしょう?
なのに・・・欠陥品なんて言うのは悲しいよ・・・。」
明日花は自分のことのように真紀に訴える。
しかし真紀はそれを笑顔で、何でもないことのように受け止める。
「いいんです。それが事実だから。
私は田辺真紀として振舞うことが生きる理由の、しがないクローン。
だからもし私が田辺真紀でない別の意思であることに圭吾様がお気づきになったら、、
私は処分されねばなりません。」
「そんな、処分なんて・・・。
まだ平気?とりあえず、今はまだバレてない・・・の?」
あの遠坂なら、そのくらいの欠陥、すぐに見抜きそうである。
それでももしまだバレていないなら、まだ何か手の打ちようがあるかもしれない。
そんな明日花の胸中には触れずに、真紀は先ほどとは変わらない笑顔で答える。
「はい。
最初は確かに田辺真紀の記憶が無事に流れていたのかもしれませんが、いつしか薄れていって。
今は本当に“私”の意志しかありません。」
「なら逃げちゃおうよ!
バレたら処分・・・殺されちゃうんでしょう!?
なのになんでまだ遠坂さんのところにいるの?」
「愛しているからです、圭吾様を。
“田辺真紀”としてではなく“私”として。
私がいなくなったら、誰が圭吾様の寂しさを癒すのですか。
成体クローンは、すぐに出来るわけではないのです。
・・・いえ、その前に圭吾様は、
成体クローンがもう“田辺真紀”の記憶を継がないと知り、絶望なされます。」
真紀は何の迷いもなく、きっぱりと言った。
嘘も迷いもないその瞳に、明日花は何も言えなくなる。
「だから私は、“私”ではなく“田辺真紀”としてあの人のお側にいます。
私の身が朽ちるまで、あの方が求める限り。
本物の田辺真紀になることが出来ないのが悔しくて仕方ないですけど、
それが私の望みだから。」
そして晴れやかに笑ってみせた。
自分はこれでいい。
この道を選んで、何の後悔もない。
そう言いたげな、誇らしいような笑顔で。
しかし、それを見ても明日花は訊ねずにはいられない。
「・・・本当にそれでいいの?
自分として愛してもらえないのに、それで貴女は幸せなの・・・?」
「圭吾様の幸せこそが私の幸せなのです。他に望むものなどありません。」
それでも真紀の決意は変わらなかった。
真紀の揺るがない決意に、明日花は悲しげに目を伏せる。
「私だったら・・・嫌、かな。
恋人なんていないからわからないのかもしれないけど、私は“私”を見てもらいたいよ。
“実験体”だから、“霊調技能持ち”だからじゃなくて、
“斉藤明日花”だから大切にしてもらいたい・・・。」
その言葉を真紀を微笑みながら受け取る。
「それでいいと思います。
それは間違いではないですよ。
でも、私が取るべき道は・・・1つだけだから。
・・・すみません、私そろそろ帰らないと。
圭吾様・・・いいえ、遠坂さんのご夕食の準備しないと。
お茶、ごちそうさまでした。美味しかったです。」
そう言って真紀は丁寧にお辞儀をすると立ち上がる。
そして歩き出す前に、明日花がもう一度だけ真紀に訊ねる。
「私は貴女のこと、何て呼べばいいの・・・?」
目の前の少女の意志は田辺真紀ではない。
自分でも確かにそう言っている。
ならば、目の前の少女は・・・誰?
「“真紀”でお願いします。
そうじゃないと・・・困りますから。」
そして再び真紀は笑っていった。
しかし、その笑顔は少しだけ、泣きそうだった気がする。
「それでは、失礼します。」
明日花の部屋から出る際に、再び丁寧なお辞儀をして真紀は去っていった。