「心が見つめる先へ」

 ある金曜の放課後、壬生屋は気力の訓練のために尚敬高校玄関までやってきた。
いちおう、19:00まで仕事時間ということになっているのだが、
壬生屋の1番機は特に問題がなく好調なのでこれといってやることがない。
そんなときは訓練し、己を高めている。
流石は壬生屋未央、いつ何時でも自らを高めることを忘れてはならないという、
武芸を嗜む者としては実に模範的な精神の持ち主だ。
目を閉じ、心を落ち着かせようと気を集中させる。
雑念が消え、心が澄んでいこうとした時、不意にどうしても聞き捨てならない会話が聞こえてきた。
「どうかな、今度の日曜日。一緒に遊びに行かないかい?」
あのいつも聞き慣れた軽薄男―瀬戸口隆之の声だ。
壬生屋の静めていた心は一気に覚醒し、目をかなりの速さで開け、首…いや、体全体を勢いよく声のほうへ向ける。
その先にはなんと、瀬戸口が尚敬高校の制服を着たこれまた軽薄そうな小柄の少女と一緒に歩いている光景だった。
少女は制服は一応規定どおりに着ているが、髪は金に近い茶色に染め、濃くはないが化粧をしている。
肩に下げた鞄にぬいぐるみをたくさんつけていて、どちらかと言えばかわいい系で自分より年下と思われる。
「一緒にぃ?それってまさか大勢でなんて言わないよねぇ?」
「ははは、まさか?……君と2人っきりに決まっているだろう、お嬢さん。」
普通に言えばいいのに、瀬戸口は最後の一言はわざと小声で、しかも少女の耳元で言った。
しかし、その小声でさえも聴覚を集中しまくって聞いている壬生屋の耳にははっきりと聞こえる。
(あ…あの方という人はぁ〜〜!!)
今にも瀬戸口に必殺の一撃をお見舞いして差し上げようかと言わんばかりに拳をブルブルさせながら、
どうにかぎりぎりのところで我慢しその光景を見ていた。
壬生屋はどういうわけかいつも瀬戸口の行動にいちいち反応を示さずにはいられないのである。
しかし今すぐに飛んでいき、大衆の前で瀬戸口に鉄拳制裁を加えるというのはいくらなんでも、はしたない。
だからあの少女がどこかに行くまで我慢することにしたのだ。
……それより、気力の訓練はもういいのだろうか?
瀬戸口と少女はしばしの間談笑し、デートの詳細を決定した。
「じゃあ、あさっての日曜日に〜、新市街の入り口の所でねぇ。遅刻したら承知しないからねぇ♪」
「OK、OK。少しでも早く会いたいから遅刻なんて絶対しないさ。」
「や〜んもう、たかゆきったらぁ♪」
瀬戸口の口説き文句を満面の笑顔で受け止め、少女は人目もはばからず瀬戸口に抱きつく。
抱きつかれた瀬戸口は
「ははは。困ったお嬢さんだなぁ、皆が見てるぞ?」
と、笑って少女の肩に手を置き優しく受け入れた。
(なっ・・・・!!!)
それを見ていた壬生屋の怒りのボルテージがさらに上がった。
(こっ、こんなところで異性と抱き合うなんて……不潔です!!!!)
壬生屋の限界が近くなっていく。
特攻乙女出動までもう間がない。
「じゃあねぇ!バイバ〜イ♪」
なんとか壬生屋の怒りが制御不可に陥るより先に、少女は元気に手を振り校門から出て行った。
瀬戸口はにこやかに笑いながら手を頭の高さまで上げて振り返している。
よし、今こそ裁きの時間だ。
壬生屋は足を踏み鳴らして力強く立ち上がり瀬戸口の方へ走り寄ろうとする。
と、その時、
「ねぇ、彼女。5121の壬生屋さんだよね?」
壬生屋の背後で声をかける者がいた。

 「じゃあねぇ!バイバ〜イ♪」
瀬戸口は自分に向かって元気に手を振る少女に優しく手を振り返した。
「ふぅ・・・。」
いなくなって寂しいな、というよりも、やっと行ったか、という感じのため息をつく。
(明るくて元気がいいのは結構だが、お兄さんにはちょっとハードかな?)
「さぁて。これからどうしたもんかなぁ…」
デートの約束を取り付けてしまうと、これから特にやることはない。
オペレーターの仕事でもやっていればいいのだろうが、特に急ぎの仕事はないからあまりやろうって気にもならない。
とりあえずプレハブ校舎の方に行けば誰かしらいるだろうから、からかって時間でも潰そう。
そう考えをまとめると瀬戸口はゆっくり尚敬高校校舎の方を振り返る。
すると噴水のところで見知らぬ誰かと話す壬生屋の姿が目に映った。
相手は自分達とは違う制服を着た少年、他の学校の生徒だ。
歳は同い年かその下だろう。
髪を濃い目の茶色に染め、少し長めの短髪にしている。
不良っぽく見えるのはそこだけで他はキチッとしていた。
ちなみに身長は自分よりは低いが、女の目から見れば十分高いと認識できるくらいの高さだ。
(なんだぁ、あいつは?)
特に隠れる必要もないが、近くにあった木の蔭に隠れて様子を見る。
ついでに言うならば、様子を見る必要も彼にはないはずだが…?
「俺、町中で君の事見かけてさ。一目惚れってやつかな?君に会いたくて来たんだ。」
「わ、わたくしをですか?」
少年の言葉を聞いて、壬生屋は思わず顔を赤らめてしまう。
このお嬢さんは恋愛にとことん弱い。
こういった言葉を言われたら動揺しないわけがない。
(おいおい………!)
どうやら瀬戸口にはお気に召さない光景らしい。
瀬戸口はどういうわけか壬生屋にちょっかいを出さずにはいられない体質のようなのだ。
いつもからかって怒った顔ばかりさせている。
そんな瀬戸口には見せないかわいらしく照れた表情を浮かべているのを見て、思わず奥歯を噛み締めてしまった。
「今度の日曜、予定空いてないかな?一緒に遊び行こうよ、楽しいからさ!」
少年が壬生屋にデートを提案する。
(なにぃっ!!)
瀬戸口は自分が言われたわけでもないのに、過剰に反応する。
木の幹に触れている手に力が入る。
「そ、そんな!わたくしなどと一緒に出かけてもつまらないですよ、きっと!!」
「そんなことは絶対無いよ。……それとも壬生屋さん、誰か付き合ってる人いるとか…?」
「い、いえ……おりませんけど…。」
「じゃあ、何か用事?」
「い、いいえ…。」
「なら問題ないよ。大丈夫、きっと楽しいはずだからさ。行こうよ!」
「そう、ですね…。はい、わたくしでよいのなら。どうぞお願い致します。」
壬生屋は照れながらも少年の提案に応じた。
(そこで受けるのかよ、おいっ!!)
恋愛経験がまるでない壬生屋のことだ、どうせ断ると思っていた。
だが、なんだかんだ言いつつ承諾したではないか!!
予想とは180度違う展開になって、瀬戸口の頭は機能低下に陥る。
ただ何も頭に浮かばずその光景を見るだけになってしまう。
その間に少年と壬生屋はデートの詳細を決定した。
「じゃあ、新市街内のゲーセンの前で待ってるから。楽しみにしてるよ!」
「はい、お気をつけて!!」
手を頭の上で振りながら少年は元気に校門をくぐっていった。
壬生屋は顔を真っ赤にしながら90度近くまでのお辞儀をして見送るのであった。

 思いもかけず、壬生屋の初デートの日が決まった。
いまいち勢いに乗せられてしまった面があるがいちおう、自分が納得した上でだ。
「…………はぁ……。」
壬生屋の口から寂しげなため息が漏れた。
確かに壬生屋には付き合っている男はいない。
しかし、どうしても気になってしまう人物はいるのだ。
だが現実は厳しい。
相手は自分のことなど全く見向きもしない。
大の女好きでついさっきまで女子高生と往来で抱き合ってみせたりするくせに、
自分の気持ちには全く気付かないばかりか、他の女と同じような優しい目で見てもくれないし甘い言葉を囁いてもくれない。
本当に、冗談でもそんなことはないのだ。
何が愛の伝道師だ。
こんなに近くで想っているわたくしの気持ちにも気付くこともできないくせに。
……いいかげんそんな男ばかり想っていても意味がないのかもしれない、振り返ってはもらえないのだから。
もしかしたらこれは自分の気持ちを変える良いチャンスなのかもしれない。
そんな気がしたから少年の申し入れを受けることにしたのだ。
別に間違っていることなど何もない。
何もないはずなのだが心にしっくり来ないものがあった。
(これで……いいのですよね。うん、きっとこれでいいのよ。)
思考で頭がロックされたのか、傍から見ればぼんやりと立ち尽くしているようにしか見えない壬生屋に、
木の蔭から歩いてきた瀬戸口が声をかけた。
「よっ、壬生屋。」
「せ、瀬戸口君っ!!」
まさか今このタイミングで瀬戸口から声をかけられるとは!
跳ね上がるように驚いた壬生屋は数歩後ずさってしまう。
驚きのせいか少年との突然の出会いのせいか、壬生屋の顔は赤い。
その壬生屋の赤い顔を見て、瀬戸口は少年と話していた時の壬生屋を思い出した。
いつも自分に不潔だの不真面目だのと言って注意してくる姿とは違う、年頃の少女らしい姿だ。
自分にはあんな姿、絶対に見せない。
普段からあれならまだかわいげがあるのに。
どんな女と、どれだけの人数と付き合おうが人の勝手だ。
この長い時間を俺がどんな想いであの人とは違う女の隣で笑ってきたか知りもしないくせに。
言いたいことをずけずけとぶつけてくる様にはいらいらする。
他の女のように馬鹿みたく笑っていてくれるのならば、こんなに心を乱されることもない。
しかし紳士の姿勢を貫いている自分としては、力ずくでそれを分からせてやろうとはしない。
だから壬生屋が先程の少年と結ばれてくれるのならば万々歳だ。
そうだ、そうに違いない。
違いないはずなのだが心にしっくり来ないものがあった。
(これでいいんだ。これで静かになる……。)
自分の行動を鈍らせようとする何かを制して、瀬戸口は壬生屋に話し掛ける。
「見てたぞ〜?お前さん、口説かれたみたいだな?」
「く、くど…!?あ、貴方じゃあるまいし、一輝(かずき)さんはそんな不真面目な方ではありませんよ!」
(………!!!いきなり下の名前かよっ!!!!)
壬生屋は今目の前にいる相手を名字で呼ぶ。
「ほぅ…さいですか?まぁ、ひなた……あ、今俺が付き合ってる娘なんだが、お前さんみたく口うるさくないから
 一緒にいて落ち着くよ。」
(そ、そんなっ!!……下の名前で呼ばれてる!!!)
瀬戸口も今目の前にいる相手を名字で呼ぶ。
2人とも、せっかく時間をかけてまとめた考えにはあまり関係がないことでショックを受けている。
相手の異性関係に介入する必要がないなら、交際相手をどう呼んでいるかなんて自分にはどうでもいいはずなのだが。
「あら、それはよかったですね。わたくしが近くにいてはお邪魔になってしまいますわね。」
チクリ。
自分の口から出た言葉に壬生屋は自分の胸を痛めた。
「そうだな。お前さんのことを気に入ってくれる男なんてもう現れんだろうから、さっきの彼を大切にな?」
チクリ。
自分の口から出た言葉に瀬戸口は自分の胸を痛めた。
2人は自身の胸の痛みに気付かないようにする。
「そんなこと、貴方に言われるまでもありません。」
「そうかそうか。しっかし、あれだな。男と付き合ったことのないお前さんに男を喜ばすことができるのかな?」
「ご心配なく。女性の心を真面目に受け取めることができない方に言われたくありませんから。」
「ふ〜ん…どうやら大きなお世話だったみたいだな。……まぁいいけどな。じゃ、俺は仕事があるから。」
「あら、そんなことないですよ?ご忠告、ありがとうございます。では、わたくしも仕事がありますので。」
―2人とも、特にやるべき仕事がなかったはずでは?
そんな誰かのツッコミを無視して、瀬戸口は尚敬高校の玄関から、壬生屋は尚敬高校校舎裏から仕事場へと向かった。

“男と付き合ったことのないお前さんに男を喜ばすことができるのかな?”
壬生屋は先程瀬戸口に言われた言葉を反芻していた。
そうだ、確かにその通りだ。
実に悔しいが彼の言うことは的を得ていた。
(でーと、って……何をすればいいのでしょう?)
殿方とデートなど、小さい頃から武術の稽古に明け暮れてきた壬生屋にとっては未知の世界でしかない。
どんな話し方をすれば、どんな顔でいれば相手が自分のことを世間知らずな女だと呆れないでくれるのか。
どうすれば相手が、自分の中のあの男に対しての想いを変えてくれるのか。
考えても考えても具体案が出てこない。
考えに熱中するあまり、壬生屋は無意識に足を止めた。
「フッフッフッフッ………見てたわよ?何もかも……。」
その人物は壬生屋の背後から壬生屋の両肩を掴むと小声で話し掛けた。
その不気味さに壬生屋は全力で驚く。
「きゃあぁぁぁぁっっっ!!!」
掴まれていた手を振り払い、何メートルか走って一気に距離を開け、そこでようやく敵の姿を確かめるように振り向いた。
「あらぁ、おどかしすぎちゃったみたいね?ごめんなさいねぇ。」
その人物は整備班主任の原素子だった。
「は…原さんですか。おどかさないでくださいまし。」
壬生屋はそこでようやく安堵の息をついた。
心臓の鼓動はまだ大きいままだが。
「それより見てたわよ〜。あなたも隅に置けないわねっ。」
「見てたって……何を?」
「あなたが噴水前で何をやってたのか。一部始終全部。」
ようは瀬戸口と少女のやりとりに対して拳を震わせていたことから瀬戸口との言い合いまでだ。
その原の一言で、ようやく自分と瀬戸口は大声で騒ぎ立てていたことを理解した。
「そ、そんな……。」
壬生屋は顔を赤らめ俯いた。
往来で声を張り上げて男を言い合うなど、はしたない。
「あぁっ、ごめんなさい!あなたを落ち込ませに来たんじゃないんだから!
 初めてのデートなんでしょ?だからあなたを応援しようと思って声をかけたのよ。」
「おう……えん?」
壬生屋はその言葉を聞いて落ち込み状態から少し上がってきた。
顔は下に向けたままだが視線は上がって、真っ直ぐに原の顔を見た。
「そうよ。相手は真面目そうな子でよかったじゃない。子供っぽい感じだけど背もあるし、ルックスも悪くないし。
 思いっきりイイ仲になって、瀬戸口なんかギャフンと言わせちゃいなさい!!」
原に言われて思い出した。
そうだ、確かに瀬戸口の言うとおり自分は相手を喜ばすことができないかもしれない。
だがこのまま言われっぱなしで終わってなるものか。
乙女の意地を見せてくれる!!
今自分の目の前にいる人物はきっと自分の助けになってくれることであろう。
「原さん!!!」
壬生屋は俯き顔から一転して、決意に燃える目で原を正面から見据えた。
原はその勢いに押されて思わず半歩後ろへ下がる。
「な、なにかしら?」
「あんな女ったらしを負けさせるくらいの女性になるよう、稽古をつけてくださいませんか!!」
壬生屋の勢いにびっくりしてしまったが、これはおもしろいことになりそうだ。
心に小悪魔的な笑いを秘め、原はにっこりといかにも『恋の先輩』というような頼もしい笑みで壬生屋の願いを受け入れた。 「いいわよ。お姉さんがたっぷりレクチャーしてあ・げ・る♪」

“一輝さんはそんな不真面目な方ではありませんよ!”
へっ、勝手に言ってろ。
好きにすればいいさ、あいつと俺は関係ない。
そんなことは百も承知だがなんだかすっきりしない。
足早に廊下を歩いている瀬戸口の横からぼそりと声がした。
「いやぁ、若いっていいですねぇ……。」
瀬戸口はその人物から数歩ずれた所で足を止めた。
振り返る前から声の主はわかっていた。
5121小隊司令の善行忠孝である。
「見てたんですか?相変わらず趣味の悪いことで。」
瀬戸口は心の荒波を隠しながら善行に向き直った。
善行は眼鏡を鼻の上で抑えるいつものポーズで応える。
「別に見ていたわけではありませんよ?外を見ていたらたまたま貴方達の姿が目に入ったんですよ。」
(同じことだろ、このキツネ親父!)
瀬戸口は心の中で悪態をついた。
「そうでしたか。そりゃあ、見苦しい様をお見せしましたね。」
「いえ別に。今は戦時中、明日も無事でいられる保障がない時代です。恋でもなんでも、できるときにやっておくべきですよ。   貴方達若者の特権です。命短し恋せよ乙女、とはよく言ったものですね。」
「そりゃあ、壬生屋に言ってやってくださいよ。俺は乙女じゃありませんから。」
善行の言葉になんだかピクリと来た。
「嫌ですねぇ、当たり前じゃないですか。もちろん壬生屋さんのことですよ。
しかし、貴方の今の彼女さんにも当てはまる言葉ですね。
たしか……ひなたさんとおっしゃってましたっけ?」
善行の眼鏡の奥の眼光が不敵に輝いている。
この男、自分をからかって遊んでいる?
だったら早くこの場を立ち去るのが得策だ。
「そうっすね、俺もそう思います。じゃ、俺はこの辺で。」
一方的に別れを告げると、瀬戸口は善行に背を向け歩き出した。
その遠ざかっていく背中に善行は最後にもう一言付け加えた。
「はい。引き止めてしまって申し訳ありませんでした。貴方も良い恋をしてくださいね。」


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