昼食を取った後、壬生屋と一輝は喫茶店前の雑貨屋に来ていた。
その雑貨屋には洋服もたくさん置いてある。
「胴着ばっかりじゃなくて、他の服も着てみようよ。俺が見立ててあげるから!」
という一輝の提案に壬生屋が了承したからだ。
見立ててあげる、というからにはもっとちゃんとしたブティックに行くべきなのだが、
学兵としての一輝の給料ではとても手が出ない。
壬生屋は一輝が見立てた服を試着室で着替えて一輝に見てもらった。
「うん!とってもかわいいよ。胴着姿よりずっといいって!!」
「そう…ですか?」
壬生屋は膝丈の黄色いスカートに白のキャミソール、ピンク色のデニムジャケットというカジュアルな姿だ。
その格好は確かに壬生屋に似合っていた。
「似合ってるって。未央さんは美人なんだから胴着ばっかり着ないで、他の服にもチャレンジしてみるべきだよ。」
その一輝の言葉を聞き、壬生屋は少し寂しい思いをしたがそれを出さずに微笑んで受け止める。
だが、一輝が選んだ服は自分の色に合わない気がした。
「そうですね。ありがとうございます。」
「お礼言われるほどじゃないって。っと、俺ちょっとトイレ行ってくるよ。」
「はい。ではその間に着替えておきます。」
一輝が店の奥へと向かうと、壬生屋は試着室のカーテンを閉め、ワンピースに着替え直す。
着替えて鏡に映った自分を見つめる。
普段の胴着姿とは違う姿、顔。
そこには確かに自分が映っているはずなのに、なんだか別人みたいだ。
今日のファッションは原のコーディネートだが、借り物ではなく壬生屋が密かに集めていたものから選んでもらった。
自分で気に入って買った服とアクセサリーのはずなのに、そんな感じがしない。
舞台に上がったことのない人間が、無理矢理衣装を着せられ舞台上に出されたような、そんな感覚がする。
(どうしてでしょう……さっきから調子が悪いです。)
鏡に映った自分から目を離すとカーテンを開け、試着室から出た。
試着していた服を両手で抱える。
一輝はまだ戻ってきていないようだ。
試着室の前で待ちながらぼんやりとする。
ふと、いつもの自分の胴着姿が頭に浮かんだ。
それは、武道の家に生まれた自分が武術を学ぶ際に身につけてきた服だ。
父や兄と共に武術を学んできたときの思い出が詰まっている。
胴着姿になると父や兄の思い出が自分を守っていてくれるような気がして、とても安心できるのだ。
でも、自分を変えるためにはその愛着がある姿ともさよならしなければいけない。
「………っ!」
辛くて不覚にも泣きたくなった。
(だめよ、未央。一輝さんがわたくしのために言ってくれているんだから、悲しくなるのはおかしいわ。)
そう自分に言い聞かせて、悲しみの心を抑えた。
泣きそうな顔になったのは一瞬だけ。
それからは微笑を浮かべ、一輝が戻るのを待つ。
と、そこに突然、
「壬生屋!」
瀬戸口が雑貨屋に滑り込んできた。
乱暴に開け放ったドアが大きな音を立てて閉まる。
「瀬戸口君…!どうしてこんなところに?」
壬生屋は突然の瀬戸口の―想いを断とうとしていた者の登場に困惑する。
嬉しいような後ろめたいようなそんな感覚だ。
「いいから行くぞ。」
「え、ちょっと待ってください。一輝さんを待たないと……。」
「いいから!」
何がなにやらわからなくて慌てふためく壬生屋の手首を取り、
それとは逆の手で壬生屋が試着した服をひったくり、何事かと寄ってきた店員に押し付けると壬生屋を店の外へと引っ張る。
「ちょっ…!瀬戸口君!?」
壬生屋は抵抗する間もなく、瀬戸口に引っ張られ店の外へと出されてしまった。
引っ張り出される瞬間に、戻ってきた一輝と目が合ったが……。
「………………。」
突然の事態に反応できなかった一輝は、動くことすらできなかった。

 瀬戸口は壬生屋の手首を掴んだまま早足で歩いた。
壬生屋は歩いていては追いつけないため、小走りになる。
彼の行動の意味がわからず、足がもつれそうになりながらも転ばないように必死についていく。
途中、何度も彼の真意を尋ねたがずっと無言のままで何も応えてはくれなかった。
今町公園に着く頃には日が暮れかかり、空は暗くなっていた。
わずかに残った夕日が夜の闇を食い止めていたが、それももう時間の問題だ。
公園に入り足を止めると、瀬戸口はようやく壬生屋の手首を離した。
あまりに急に離したのでよろめき倒れそうになるが、壬生屋はなんとか体勢を立て直した。
掴まれていた手首が痛い。
夕闇で確認できないが、手首は赤くなっていることだろう。
小走りで走ってきたために上がった息を落ち着かせてから、壬生屋は瀬戸口に再度問い掛けた。
瀬戸口は前を向いたままで、壬生屋の方を振り返るようなことはしていない。
その瀬戸口の背中に問い掛けた。
「……瀬戸口君、何で………」
こんなことを?
と言い終わる前に瀬戸口が、
「何であんな男と付き合った?」
うめくように言った。
「えっ………?」
壬生屋は質問の意味がよくわからなかった。
何でって……自分が一輝と付き合うのを喜んで見送っていたではないか。
返事が出せない壬生屋に苛立ちを覚えて、瀬戸口は振り返り壬生屋を睨んだ。
「何であんな男と付き合ったのかと聞いている!」
その顔と声は普段の軽薄さなど微塵にも感じさせない。
「………おっしゃっている意味がよくわかりません。どうして貴方はそんなに怒っているのですか?」
壬生屋は瀬戸口の迫力を跳ね返すでもなく、逃げるでもなくただ真っ直ぐに受け止めて尋ねた。
普段の甲高い怒り声ではなく、優しい響きをしていた。
その響きに瀬戸口の怒りが少し落ち着く。
顔を壬生屋から背けて小声でぼそぼそと言う。
「お前さんが雑貨屋で泣きそうな顔になってるのを見た。」
「えっ…?」
その表情を浮かべたのはほんの一瞬だったのに。
彼はその一瞬を目に留めてしまったのだ。
「女性を泣かす男は最低だ。だから我慢ならなかった。」
留めてしまったからにはもう駄目だった。
自分でも何故ここまでしたのか今でもわからない。
ただ、しようとしたわけではなく頭と体が勝手に動いた。
「あんな男が女性といる資格はないんだよ。そばにいる相手の顔に気づけないやつなんて。
 そんな顔をさせるようなやつなんていい男じゃない。」
言っているうちに落ち着いてきた瀬戸口は壬生屋の再び見つめた。
壬生屋は泣きそうになっているのか目に涙を浮かべて聞いていた。
この涙は悲しみの涙では決してない。
自分が一輝とデートしているときに感じていた想いを察してくれたことに対する感動の涙だ。
「瀬戸口君……。」
その涙は綺麗だった。
理屈でもなんでもなくただ、綺麗だった。
綺麗な涙を一筋、目元から流しながら壬生屋は改めて思った。
やはりわたくしは、瀬戸口君のことが好きです……。
その涙を見ながら瀬戸口は先ほど自分が言ったことを思い出した。
女性を泣かす男は最低。
それだけだろうか?
本当にそれだけのことでこんな行動に至ったのか。
違う、そんな格好つけた言い方じゃなくてもっと別の、もっと単純なことだ。
瀬戸口は頭からひねり出した難しい言葉ではなく、ぼんやりとだが確かに深いところから浮かんでくる言葉で伝える。
「お前さんは俺の前では怒ってばかりだ。他のやつには微笑みかけても俺にだけは…。
 でも、お前さんがどんなに俺の前で怒っても、泣き顔だけは見たくなかったらしい。
 ………それに、無理して笑っているお前さんの顔を見ても俺はちっとも嬉しくなんかなかった。」
自分の頭から正直に浮かんでくる言葉を伝えてるうちに、瀬戸口はだんだん自分の心に気づいてくる。
そうか、俺はずっとこいつが気になってしょうがなかったんだ………。
あえて壬生屋に他の女と同じような甘い言葉を囁かなかったのは、それに気づかないようにするためだったのだろう。
千年の想いがこんなところで急な様変わりをしてしまうのが怖くて。
自分の中のあの人が消されてしまいそうだったから。
でも、今はそれが怖いとは思わない。
あの人への想いに負けないくらい、自分の心に壬生屋未央という女性が存在しているのがわかったからだ。
長い間歩き続けた迷子の行く着く先が例え目的の場所でなくても、
そこが暖かい場所で、そこに居続けたいと思えるならそれでもいいのかもしれない。
それに気づかせてくれた彼女を、自分は偉大だと思う。
瀬戸口は壬生屋を優しく見つめる。
いつもの人をからかったような目ではなく、相手の心を受け入れるような優しい目だ。
壬生屋は瀬戸口の言葉と瞳が嬉しかった。
「わたくし、今日は一体何をしていたのでしょうね。無理に自分を変えようとしてらしくないことをして。
 自分の気持ちを殺してまでしてどうするつもりだったのでしょうか?
 でも……そのことに気づいて、わたくしを助けに来てくれたのが貴方で本当に良かった…。
 ……本当に、本当によかった………。」
本当に自分は瀬戸口には敵わない。
どんなに他の人を好きになろうとがんばっても、結局は想いの方向を変えることを許されない。
武術しか取り得がなくても、胴着姿ばかりでも、
今日あんな失態をしてしまったにも関わらずただ優しく自分を見つめていてくれる。
この優しい人が自分を見つめていてくれるのなら、どんな自分でも胸を張って歩いてゆける。
無理に自分を変えようとして、この人の瞳を曇らせてはならない。
この瞳をずっと守っていこう。
壬生屋は涙に濡れた瞳を明るく輝かせて瀬戸口を見つめ返す。
2人は日が暮れすっかり暗くなった公園で見つめ合っていた。


    でもわたくしは、まだ胸を張ってこの方に想いを告げられるほどの女ではありません。
    でも俺はまだこいつにこの気持ちを言っていい男じゃない。

    
だって、想いが伝わらないからって簡単に己を曲げようとしてしまったのですから。
だって、あの人への想いだけに囚われて、自分の心が何を映していたか気づきもしなかったのだから。


想いを告げるのは、本当の「わたくし」を貴方に見せ続ける勇気を持ってからです。
気持ちを伝えるのは、ただ真っ直ぐにお前さんだけを想い続ける「俺」になれたとき。

                    
              だから自分の想いを今は心に留め、未来のために自分を見つめよう。
              そしてただ1人の愛する人に、迷わず真っ直ぐに想いを伝えられる自分になろう。
              それでどんな結果になろうとも、自分は後悔などせず自分を誇れるだろう。


 星が2人の決意を祝福するように瞬く。
こぼれんばかりの数の星々よる実に見事な星空だが、2人は夜空を見上げずに互いを見つめていた。
先にその状態に終止符を打ったのは瀬戸口だった。
「さっ、もう夜も遅いから帰るか。送ってくよ。」
「そうですね、お願い致します。」
2人は公園の出口へと向きを変える。
瀬戸口が一歩前を歩き、壬生屋がその後をついていく形になった。
もうあと数歩で公園から出るその時、
「待ってください、瀬戸口君。」
壬生屋は瀬戸口を呼び止めた。
「ん?どうした?」
瀬戸口が振り返るより先に、壬生屋は瀬戸口の背中に寄りかかった。
うつむくように額を瀬戸口の背中につけ、両手がゆっくりと瀬戸口の上着を掴む。
(わたくしはまだ貴方には敵わないけど、せめて今だけは……。)
「ちょっとだけ……こうさせてください。」
「ああ……。」
(俺にはまだお前さんを抱きしめる資格はない。でも今だけは……。)
背中を壬生屋に預け、なんとなく上を向いた瀬戸口の目に満天の星空が映った。




             2人は帰宅した後、仮初の恋人同士となっていた相手に連絡を取り、別れを告げた。
                  全ては自分の心に逆らわず自分の想いを守り続けるために。



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