「瀬戸口君!!」
「はぁ・・・。」
放課後、夕暮れ時の尚敬高校校門前で。
突然背後から大声で呼ばれた瀬戸口は深いため息を吐くと、面倒くさそうに振り返った。
「なんですか?壬生屋のお嬢さん。」
口調は丁寧だが、あきらかに不真面目な態度で返事をした瀬戸口に、
壬生屋は話し掛ける前から持っていた苛立ちをさらに濃くしていった。
「“なんですか?”ではありません!
貴方、わたくしの機体の装備を勝手に換装したそうですね。」
「あー・・・そういやぁ、そんなこともしたっけかなぁ・・・。」
壬生屋の追及に、瀬戸口はあさっての方向を見ながら人差し指で頬を掻くという、さらに不真面目な態度で答えた。
「ちゃんとこちらを見て言ってください!
何故そのようなことをするのですか!?
貴方が余計なことをしてくださったお蔭で、換装し直すのに時間がかかったのですよ?
わたくし、とても困りました!!」
どこまでも不真面目で不誠実な態度を取り続ける瀬戸口に対して怒りを強めた壬生屋は、
瀬戸口に言い募るように、距離を詰めてきた。
こちらの怒りが収まるまで、逃がす気はないとでも言うかのように。
「はっ・・・!“余計なこと”だってぇ・・・?
幻獣相手に突撃ばっか食らわす猪突猛進女がこれ以上機体を壊さんように
わざわざ盾を付けてやったっていうのに、一体何が不満なんだよ?」
壬生屋の苛立ちに乗せられていくかのように、瀬戸口の心にも苛立ちが浮かび上がってきた。
「あんなに重いものを2つも付けられたら、ろくに動けないでしょう!
敵に奇襲を仕掛け、翻弄するのがわたくしの役目なのですよ?
それには、いかに素早く動くかが重要なのです。
何度も皆で確認し合った戦術なのに、貴方は未だに理解していただけていないということなのですか?」
「お前さんみたいに物覚えが悪くないから、ちゃんと理解してるよ!
奇襲だの翻弄だのとか言うがな、毎度毎度1人で馬鹿みたいに突っ走って機体を壊しまくってちゃあ、
そのうち予備の機体が無くなっちまうだろ?整備の連中も大変だし。
盾でも付けときゃ、いくらお前さんでも盾を使って防ぐなりやり過ごすなりやってみようとするだろうと思ったけど、
・・・はぁ、俺の買いかぶり過ぎだったみたいだなぁ・・・。
壬生屋の流派には盾を使う技術すらないとはねぇ・・・。」
「なんですってぇ・・・!!
わたくしだけならまだしも、壬生屋の家まで侮辱するとは!!」
「悔しかったら、盾の使い方でも覚えてみたらどうなんだい!」
瀬戸口と壬生屋は口論をエスカレートさせていく。
その怒鳴り合う声に、通行人のいくらかが野次馬に変わっていった。
ふとその時、
「・・・おっ。」
相手を睨みつけながら壬生屋の怒鳴り声を聞いていた瀬戸口の視界の隅に、新たに何かが現れた。
瀬戸口は壬生屋から目を逸らし、その正体に気付くと、
「お〜い!今行くから待っててくれ〜〜!!」
壬生屋に対して怒る口調とは別に、明るい口調で呼び掛けた。
「えっ?」
突然ケンカの腰を折ったものが何かを知ろうとして、振り向くと、
「あっ・・・。」
そこには尚敬高校の制服でも5121小隊の制服でもない、スーツ姿の大人の女性がこちらを見て手を振っていた。
「有意義な議論の最中で申し訳ないが、俺はこれからデートなんでね。
おいとまさせていただきますよ。
盾をどうしても使いたくないんなら、なんかもう、勝手にどーぞ。
ただし、その所為で機体を無駄に壊さんように気を付けるんだな。」
瀬戸口はそう言いながら壬生屋の肩をポンと軽く叩くように一瞬だけ手を置くと、
振り返らずにそのまま女性の元へと歩いていった。
捨て台詞を吐かれた壬生屋が、さらに何かを怒鳴ろうとして急いで振り向くが、
「・・・っ!」
瀬戸口は、すでに女性の肩に手を回して歩き始めていた。
自分との口論から女性とのデートに切り替えた瀬戸口にまた何か叫んでも、逆にこちらが大人げないし惨めである。
瀬戸口と女性の後姿を見て、何だか腹の底から噴き上がるようなものがあるが、
壬生屋はただ、ぐっと堪えて地面を見るに留めた。
その日の夕食後、
(それは、機体を壊さないように戦うことは大事だということはわかっています!
だからって、一方的に装備を換装だなんて、何様のつもりですか・・・!)
壬生屋はこんな風にむくれながら実家の台所で皿洗いをしていると、
「・・・あら?」
勝手口のドアを何かが擦る音と共に、
『にー・・・にー・・・。』
小さな子猫の鳴き声がした。
その音と鳴き声に気持ちが一変し、困ったように微笑みながら手を止めると、
「はいはい。今行きますからね。」
テーブルの上にすでに用意してあったご飯や焼き魚の残りなどが盛られた皿を手にし、
勝手口のドアを開けた。
そこには紫の瞳に茶色のトラ模様で少し毛が長めな子猫が、きちんと座って待っていた。
「さっ、どうぞ。」
壬生屋が屈んで子猫の前に皿を置くと、子猫はすぐさま餌に飛びついた。
よほど腹が減っていたのか、それとも育ち盛りなのか、
きちんと噛んでから飲み込んでるのかどうか疑うくらいに旺盛な食欲である。
そんな子猫の様子に、壬生屋は笑みをこぼす。
「フフッ。そんなに慌てて食べなくても大丈夫ですよ。」
そして微笑みながら子猫の背を撫でてやる。
すると子猫は顔を皿から離し壬生屋の顔を見上げると、
『にゃあ!』
と言って、壬生屋の手の平に頭を擦りつけてきた。
「まあ・・・。」
壬生屋はそんな子猫の仕草が可愛くて仕方がない。
思わず感嘆の声が漏れる。
壬生屋にすっかり懐いてはいるが、この子猫は壬生屋家の飼い猫ではない。
半月前、壬生屋が庭でたまたま見かけた子猫に残り物の魚肉ソーセージをあげて以来、
餌場にされてしまったのである。
しかし、壬生屋にはちっとも困った様子は見られない。
何でもよく食べるので、むしろ残り物を処分してくれて助かっているくらいだ。
最近では来る時間も大体わかってきたので、前もって餌の準備をしてしまっているくらいである。
「なんだかもう、あなたはうちの飼い猫みたいね。」
そう言いながら壬生屋は子猫を抱き上げる。
皿はすでに空になっていた。
(あの人とは違って、この子は私に笑顔をくれるのね。)
「いっそのこと、うちの子になっちゃいますか?」
少し寂しげに微笑んでそう言いながら、子猫の顔を自らの鼻先に近づけた。
この戦時中では瓦礫と化した建物も多く、雨露を防げるような寝床を探すのも大変だ。
そして疎開していった人間も少なくないから、餌をねだるのも一苦労。
近所に母猫らしき猫の姿もないし、まだまだこんな小さな子猫ではネズミを取るのも難しいだろう。
だったらもう、こんなに懐いてしまっているのだから飼ってしまおう。
戦争の真っ只中であるこのご時世に放り出して、どこかで死なれたら嫌だと思うくらいに愛着が沸いてしまったのだ。
父が賛成してくれるかはわからないが、それでも説得してみよう。
すると子猫は、まるで壬生屋の誘いに同意するかのように、
『にゃん♪』
一声機嫌良さそうに鳴くと、伸び上がって壬生屋の唇をなめた。
「・・・っ!!」
突然の不意打ちに壬生屋は茫然としたが、次の瞬間には、声に出して笑い始めた。
「もう♪本当にいたずらっ子なんですから!」
そんないたずら好きの子猫の顔に頬をすり寄せ、胸に抱き寄せ片手で抱えると、
開いた方の手で皿を持ち上げ、子猫と一緒に勝手口へと入っていった。
子猫はすっかり壬生屋に懐いてしまったし、壬生屋も子猫が愛しくてたまらない。
どんなに父が反対しても、絶対に押し切ってしまおう。
そして父の部屋へと歩きながら、あることに気付いた。
「そうだ、お名前をまだ付けていませんでしたね。
そうですね・・・、あなたのお名前は、」
大体同じ頃の時間。
瀬戸口は不意に小学校の校庭にどこからともなく降り立った。
女性とデートしていたにしては、不釣合いな場所である。
だが近くに女性の姿は見当たらず、完全に瀬戸口ただ1人だけ。
デートしていたという余韻は微塵も感じられず、瀬戸口は険しい表情で少し荒い息を吐き、顔には疲労の色が見えた。
いつもは紫色の瞳が、何故か血のように赤く見える。
「・・・まったく、人遣いの荒い・・・。」
(あいつはあいつで俺の気も知らずに好き勝手言いやがって・・・。)
苛立ちながらそう呟くと、瀬戸口は重い足取りで校門へ向かって歩く。
すると、
「・・・ん?」
微かだが、どこかで動物の鳴き声が聞こえた。
聞こえてはくるが、とても珍しい鳴き声なので何の動物が鳴いているのか見当がつかない。
鳴き声をたどっていくと、校庭の隅にある飼育小屋が見えてきた。
しかし、その飼育小屋は潰れ、倒壊してしまっている。
改めて瀬戸口が周りを窺うと、この小学校の校舎は戦争ために所々が破損してしまっている。
この様子では授業にならないだろうから、教育委員会はこの小学校を放棄し、
生徒達を他所に移してしまったのだろう。
瀬戸口は、気を取り直して鳴き声を頼りに瓦礫をどかしていくと、
「・・・あっ。」
そこには小さなウサギがいた。
とても小さくて、瀬戸口の手より少し小さいくらい。
生まれてから何ヶ月も経っていないのだろう。
青い瞳をして耳の先と口元の毛は黒い。
それ以外の全身を包む白い毛は少し汚れていて、最近ようやく乳離れしたばかりかと思われる。
そして、その子ウサギの側には、
「・・・・・・。」
親ウサギと思われる大きなウサギが、静かに横たわっていた。
毛は血に染まっていて、元の色がわからない。
恐らくは子供と同じ、白色だったはず。
きっとこの親子は小学校の飼育小屋で飼われていたのだが、置いてけぼりにされてしまったのだろう。
そして幻獣によってか人間によってかはわからないが、飼育小屋に攻撃が当たり、崩れた。
親ウサギは身を呈して自らの子を守ったのだろう。
そして残された子ウサギは助けを求めるように、必死に鳴き続けた。
滅多に声を発しないウサギが、懸命に声を張り上げて。
(こんなに小さいのに、1人で戦っていたのか・・・?)
「・・・よくがんばったな。偉いぞ。」
子ウサギを労うようにそう言って、瀬戸口は子ウサギを抱き上げた。
未知なるものへの怯えからか、子ウサギは体中を震わせている。
瀬戸口は優しく囁くように、
「・・・お母さんは一緒に連れて行けないけど、これからは俺がついててやるからな。」
そして安心させるように胸に抱き寄せた。
この子ウサギは、これから先誰かが守ってやらなければ野犬か何かに襲われて、明日にでも死んでしまうだろう。
だが、瀬戸口はこの子ウサギを放っておくことが出来なかった。
瓦礫の下からたった独りで必死に叫んでいたのだと思うと、何だか他人とは思えない。
瀬戸口の温かさに安心したのか、子ウサギは徐々に震えを止め、瀬戸口の胸に体を預けた。
(あいつも、このくらい素直だったらいいんだが。)
その様子に苦笑すると、瀬戸口は子ウサギを片手で胸に抱き、開いた方の手で親ウサギを抱きかかえた。
道具もなしでどこまで深く掘れるかはわからないが、きちんと葬ってやろうと思う。
制服の上着が血で汚れてしまったが、別に構わなかった。
瀬戸口は飼育小屋の後ろにある木の根元にやって来ると、
一旦親子ウサギを降ろして上着を脱ぐ。
子ウサギが凍えないよう上着で包んでやると、
「ちょっと大人しくしててくれな。」
といい、木の根元に穴を掘り始めた。
シャベルやスコップはないし、あるとしたら飼育小屋の壁になっていた木材の切れ端ぐらいだったので苦戦したが、
どうにかウサギ1羽分くらいが入れる穴が出来た。
そこに親ウサギを横たえ、その上にハンカチをかけてやり、軽く包んだ。
目を閉じ黙祷を捧げると、親ウサギの体に土をかける。
それらの作業が終わるまで、子ウサギは黙ってじっと見ていた。
瀬戸口は全ての作業を終えると、額の汗を拭いながら上着ごと子ウサギを抱き上げた。
「今日からお前さんはうちの子だからな。」
そしてそのまま真っ直ぐ帰路に着く。
その道中で、瀬戸口はあることに気付く。
「そうだ。まずは名前をつけないとな。お前さんの名前は・・・、」
その翌日、プレハブ校舎2階の1組側教室はいつもより騒がしくなっていた。
「うわ〜・・・壬生屋さん、その猫どうしたの?すっごい可愛い〜!!」
「昨日飼い始めたのですけど、風呂敷の中にいつのまにか潜り込んでいて・・・。」
新井木が目を輝かせながら訊ねると、壬生屋が困った顔をしながら答えた。
そしてそことは別の少し離れた場所では、
「いいの?瀬戸口君。学校にウサギなんか連れてきて・・・。」
「しょうがないじゃないか。まだ生まれたばっかりなんだから、ずっと付いててやらないと心配だろ?」
先生が怒るのではと心配した速水が訊ねたが、瀬戸口はウサギを抱きしめながら首を横に振った。
「いいではないか、厚志よ。
私はこんな身近にふわふわした可愛い・・・もとい、良き観察対象が出来て嬉しく思うぞ。
ちなみにその大きさだと生後約1ヵ月、生まれたのは3月の下旬辺りだな。」
舞は壬生屋と瀬戸口の中間地点辺りで、猫とウサギを交互に見つめながら言った。
そんなにやつくのを我慢した顔で“良き観察対象”とか言っても、説得力は皆無である。
壬生屋と瀬戸口の周りに出来た人だかりを、少し離れたところで若宮と善行が見ていた。
「いいのですか、司令?こんな動物園のような状況では、隊として示しが付きませんよ。」
「ふむ・・・別に良いのではないですか?
猫ならすでに大きいのが1匹いますし、多少増えても問題はないでしょう。
居てよかったと思う局面にも出くわすかもしれませんし。」
「居てよかったと思う局面・・・ああ!!
大事に育てて大きくすれば、貴重な食糧になりますね!!」
「猫は中国人でも驚くほど不味いそうです。
なので、食糧になるとしたらウサギのみですよ・・・おっと。」
若宮と善行の会話が耳に入った生徒達は、ほぼ全員怖い顔をして睨んでいた。
善行は眼鏡を押し上げると、
「嫌ですねぇ、冗談ですよ。
可愛らしい動物に手を出さなければならないような状態だったら、人類はとっくにこの戦争に負けてますよ。
若宮君、そういったブラックジョークは慎みましょうね?」
とても胡散臭い誤魔化し方だし、
若宮は若宮で“ブラックジョークはおめぇもだろうが!”とでも言いたげな顔をしていたが、
「はっ!失礼致しました!」
戦闘用年齢固定型クローンとした生まれた若宮は、司令である善行に逆らう事は出来なかった。
そんなブラックジョークが流れた所為か、瀬戸口はそのまま苦い表情を浮かべたまま壬生屋の方へ向き直ると、
「・・・おい。その猫がうちの子を噛み殺さんよう、しっかり管理してくれよな。」
と、釘を刺した。
すると壬生屋は目尻を上げ、
「何ですかその失礼な言い方は!
うちの子がそんなことするわけがないでしょう?」
「どうだかな。いちおう猫も肉食なんだぜ?
絶対食わないって保証はどこにもないなぁ。」
「この子はとても礼儀正しくて良い子なのです!
他人のうちのウサギを勝手に食べたりなんてしません!」
「礼儀正しい良い子ねぇ・・・。
風呂敷に勝手に潜り込んでるようなガキに当てはまるような言葉かねぇ・・・。」
「そちらだって生まれたばかりで心配なら、動物病院に預けてはいかがですか?
貴方のような軽薄な方に、動物を育てるなんて無理です!」
「・・・っの!お前さんみたいな堅物に言われたくないよ!」
「なんですってぇ・・・!!」
最初は自分の席で言い合っていた2人が口喧嘩をヒートアップさせ、
徐々に距離を縮めていき、今は教室の中央で罵り合っている。
ちなみに猫とウサギは互いの主人に抱かれたままである。
段々口論の激しさを増していく2人を見て、ののみが目を潤ませ始めたので、
来須がそろそろ止めようと立ち上がったその時、
「いかん!皆伏せろ!!」
突然舞が教室にいる全員に向かって叫んだ。
その声に反応して伏せられた者、反応できなかった者や誰かに引きずり倒された者もいたが、
教室に届いた衝撃は、等しく全員に伝わった。
“伏せろ!”という声に反応した瀬戸口と壬生屋は、とっさに腕の中にいた小さな命を庇うようにして倒れ込んだ。
衝撃と音に一瞬気が途切れたが、まもなく五感が戻り、体に痛みが全くないことを悟る。
問題があるとすれば、辺りが白い煙に包まれている事だが、
誰か窓際にいた者が窓を開けたらしく、煙は間もなく晴れるだろう。
隊員達の声が淀み聞こえてくるので、特に負傷者らしい者もいないとわかる。
とりあえず安全であるとわかった2人は身を起こし、腕の中の小さな命の安否を確かめようと声をかける。
「平気か?」「大丈夫ですか?」
とはいえ、相手は動物なのだから声をかけても無駄なのだ。
だが、
「「うん!」」
・・・声が返ってきた。
しかもそれは、聞いたことがない子供の声2つ分。
よくよく考えてみれば、今抱きしめている小さな生命体のサイズが、なんか違う!!
まさかなー・・・とか、そんな漫画じゃあるまいし・・・とか思い、
サイズが違うのは気のせいか何かだと思おうとしたが、
白い煙が晴れるとそこには・・・、
「「え、ええええええええええっっっっ!!!」」
驚きのあまり2人の声が被って、大音量を発するが仕方がない。
瀬戸口の腕の中にはウサギの耳をした女の子が、壬生屋の腕の中には猫の耳をした男の子がいたのだ!!