そして翌日。みおとたかゆきが人間になって2日目の朝。
壬生屋とたかゆきは皆より一足先に学校に来ていた。
みおもたかゆきもまだ子供なので、特別に許可をもらって連れてきている。
1人暮らしの瀬戸口はともかくとして、壬生屋の実家には父親がいるから彼に預ければいいのだが、
まずはたかゆきが壬生屋の側を離れることを全力で嫌がったのもあるし、
こんなにやんちゃな子供が、大人しく家で待てるわけがないので仕方がない。
その辺にフラフラ出歩かれて、“頭に耳が生えた新種の人間!?”とか思われて、
研究所に送られるわけにはいかないし。
そんな訳で壬生屋は日課である教室の掃除を、今日は手伝いを志願したたかゆきと一緒にやった。
掃除が終わってしばらく経つと、クラスメイトがポツポツと現れ始め、もう間もなくホームルームが始まる。
その間からずっと、
「どうしたんですか、たかゆき?」
たかゆきはずっとそわそわしていて、何だか落ち着かない。
普段から落ち着きはないが、今日はそれ以上だ。
時間が経つごとに落ち着かなさが増していくので、壬生屋は思い切って訊ねてみた。
するとたかゆきは教室の出入り口に目を向けたまま、
「うん・・・あのな〜。」
と言って、理由を説明しようとする。
するとその時、
「おはようさ〜ん・・・ふぁぁ。」
瀬戸口が欠伸をしながら教室に入ってきた。
瀬戸口の姿を認めると今度はたかゆきが、
「ああっ!来た〜〜〜っ♪」
と言って、瀬戸口の方へとダッシュした。
否、正確には“瀬戸口の方へ”ではない。
「な、なんだぁ、急に・・・?」
「みぃ〜〜♪遊ぼうぜ〜〜♪♪」
たかゆきの急な突撃に目を瞬かせる瀬戸口をあっさりとスルーして、
たかゆきはその背に負ぶさっているみおに声をかける。
どうやらたかゆきは、みおのことを“みぃ”と呼ぶことにしたらしい。
確かに、彼の飼い主の名前が“未央”で、子ウサギの名前は“みお”だから、
どちらかの呼び方を工夫しないと、ややこしくて仕方がない。
しかし、みおは、
「すー・・・。」
瀬戸口の背中で眠っていた。
「みおは今はこんな姿だけど、本来なら生まれたばかりなんだ。
だから、まだ眠くて起きられないんだよ。
寝かせといてやれ。」
と、言いつつも瀬戸口自身も朝は弱いタイプである。
普段は遅刻常習者で、午後から学校に顔を出すことも珍しくない。
だが、みおを学校に連れてくる条件として、
“無断欠席や遅刻はしないように!”と言われているので、
ちゃんと定時の時間に学校に来ないといけない。
それはきちんとわかっていて、ちゃんと時間通りに来られたのだが、
普段の生活習慣がそう簡単に切り替わるわけがないので、
未だ眠気が抜けきれず、普段の飄々とした感じではまだない。
しばらく経って頭が覚醒しきるまで、“面倒事はちょっと待って”といった感じである。
しかし、朝っぱらから元気なたかゆきはそれにも構わず、
「え〜〜っ、なんでだよ〜!みぃといっぱい遊びたいのに〜!」
横できゃあきゃあとうるさい。
そんなたかゆきに、最初はちゃんと対応していた瀬戸口だが次第に何だかイライラし、
「あ〜、うるさいよ、この馬鹿ガキ!
朝っぱらくらい大人しくしてろ!!」
と言って、ついつい怒鳴りつけてしまった。
そんな間近で怒鳴り声がしたものだから、
「ふ・・・えぇぇぇ・・・。」
みおが起きてしまった。
大好きな飼い主の怒鳴り声にビックリしたのか、泣き出してしまう。
「ああ、ごめんな、ビックリさせて!」
半ば寝ぼけていた瀬戸口は一気に覚醒し、みおを懸命にあやす。
「ご、ごめんなさい、瀬戸口君!みおちゃんも!」
慌ててやってきた壬生屋が、たかゆきの頭を押して下げさせて、一緒に謝る。
「ああ、全くだよ。
あんたも飼い主なら自分とこのガキの躾くらい、ちゃんとしろよな!
他人のこと不潔呼ばわりする以前の問題だぞ!」
なおも泣いたままのみおをあやしながら、瀬戸口が苛立ちながら言った。
それを聞いて壬生屋は、
「はい・・・申し訳ございません。」
一切の反論もせず、ただ謝り続ける。
しかし、元はといえば最初から機嫌が優れてなくて一方的に怒鳴ったのは瀬戸口だ。
少なくとも、壬生屋がここまで一方的に責められることはないと思う。
そしてそもそも、その原因を作ったのは自分であって、壬生屋は何も悪くない。
そう考えたたかゆきは、段々怒りが込み上げてきた。
「こら、お前!」
頭を下げさせている壬生屋の手を振り払って、瀬戸口に食ってかかる。
「未央をいじめるな!あやまれよ!!」
「何だと〜・・・!
元は、お前がちょろちょろうるさいからだろ、このくそガキ!!」
「だからって、ここまですることないだろ!お前こそ未央にあやまれ!!」
「ちょっ・・・!ちょっと、たかゆき!!わたくしのことは構いませんから!!」
「よくない!!」
「ふえぇぇぇぇぇぇ!!」
教室で、瀬戸口とたかゆきが言い争いを始め、壬生屋はそれを止めるために必死だし、
それに怯えたみおの泣き声は大きくなる一方だ。
教室中の他の生徒はとにかく止めなければと割って入るタイミングを探していたが、
しかし、
ウィィィィィィィィィ・・・・・!
その喧騒を止めたのは、出撃を報せるサイレンだった。
『201V1、201V1。戦闘員は、現時点を持って作業を放棄。速やかに現場に集合せよ!
繰り返す、201V1、速やかに現場に集合せよ!』
そしてすぐさま集合を命じる放送が流れた。
「皆さん、行きますよ!」
善行の号令に従って、教室にいた他の生徒は戦闘準備をすべく駆け出していった。
「ちっ・・・!」
「そんな!・・・どうしましょう。」
だが、瀬戸口と壬生屋はまだ動けずにいた。
みおとたかゆきをこのまま残していくには不安だったからだ。
すると、
「授業中と有事の際は、芳野先生に預ける。
そういう約束で許可したんだろうが、瀬戸口、壬生屋。」
教室に本田が入ってきた。
後から桃色のスーツ姿の教師、芳野が続いた。
芳野は瀬戸口の背後にやってくると、ゆったりとした手つきでみおを瀬戸口の背から引き離し、抱き上げた。
「よしよし・・・みおちゃん、良い子だから泣いちゃダメよ〜。」
瀬戸口に代わって、芳野がみおをあやし始める。
みおは芳野の首にしがみ付くが、まだ涙は収まらなかった。
そして本田はたかゆきの頭にポンと手を置くと、
「こいつらの面倒は、俺達が見とくから・・・行け!」
鋭い目でそう命じた。
瀬戸口と壬生屋は、その目と自分のペットを見て躊躇する。
瀬戸口が芳野の方を見ると、みおは泣き続けている。
壬生屋が本田の方を見ると、たかゆきは不安げにこちらを見上げていた。
しかし、瀬戸口と壬生屋は、
「先生、こいつらを頼みます。」
「2人とも、良い子にして待っているんですよ。」
と、それだけ言い残すと教室から駆け出していった。
「未央・・・っ!」
たかゆきが壬生屋の後を追うようにその場から一歩踏み出すが、本田に肩を抑えられて止められる。
「心配いらねぇよ。あいつらは必ず帰ってくる。」
そう言われてたかゆきが本田の方を振り向くと、本田はたかゆきを安心させるように頼もしく微笑んでいた。
「そうですよ。あの子達、とっても強いんだから!」
芳野も、優しく微笑んでそう言った。
芳野がずっとあやしていたためか、
「っく・・・ひっく・・・。」
みおの目から涙は収まり、今はしゃっくり上げているだけであった。
たかゆきと目が合うと芳野は微笑みながら膝を折り、たかゆきと同じ目線になって言う。
「たかゆき君もみおちゃんも、いっぱい大きな声出したからお腹空いちゃったでしょう?
先生がホットケーキ作ってあげるから、それを食べながら待っていようね。
食べ終わるころには、きっと皆帰ってくるよ。」
「ほっとけーき?」
聞いたことのない名前であるが、きっと食べ物だ。
そう認識した途端、たかゆきのお腹から音が鳴った。
「そ、それって、うまいのか?」
お腹が減ったことに気付いたたかゆきは、そわそわしながら芳野に訊ねた。
すると芳野は、そんなたかゆきの行動に思わず笑みを漏らすと、
「先生、ホットケーキ作りには自信があるの。気に入ってくれると嬉しいな。」
と言って、みおを降ろして、立ち上がった。
そして左右それぞれの手にたかゆきの手とみおの手を取り、繋ぐ。
そのまま2人を食堂兼調理場に連れて行こうとして止まり、本田の方を振り向くと、
「あ、本田先生も一緒に作りますか?きっと楽しいですよ♪」
と、満面の笑顔で誘った。
その笑顔に本田は苦笑いを浮かべ、
「いや、俺が料理下手なの知ってんでしょう?
俺は食べる方専門でいいっすよ。」
と、手をヒラヒラ振りながらお断りした。
屋上には、春の暖かくて爽やかな風が吹いている。
空はスッキリと晴れていて、昼寝には持ってこいだ。
みおとたかゆきは芳野作のホットケーキを食べて、鬼ごっこなどをして目一杯遊んだ後、
遊び疲れと天候の良さが相まって、2人で寄り添いながら昼寝をしていた。
その様子を芳野が、いつも屋上に置いてある空のビールケースに腰掛けて本を読みながら見守っていた。
穏やかな春の日差しと風が、その場にいる者を和ませている。
不意に強い風が一陣なびき、みおの長い耳をくすぐった。
するとみおは、
「あ!たぁゆき、かえってきた!!」
突然、ガバッと身を起こした。
起きていたにも関わらず芳野には瀬戸口―5121小隊が帰ってきたのかどうかまだわからないが、みおはウサギなのだ。
その長い耳で、人間には聞こえない遥か遠くの音が聞こえたに違いない。
「いてっ!・・・なんだよ、急に!!」
みおが突然身を起こしたので、みおに抱きつくような形で眠っていたたかゆきは、顎に頭突きを食らう形となってしまった。
顎を擦りながらみおを睨みつける。
しかし、みおは全く意に返さずに、
「たぁゆき〜〜〜〜♪」
瀬戸口のもとへ行こうと、屋上から降りる階段へと走り出した。
それをすかさず芳野が、手を引いて止める。
「みおちゃん、屋上で走ったら危ないでしょう?先生とお手て繋いで行こうね。」
「はぁい♪」
芳野に優しく諭されたみおは、元気いっぱいに両手を上げて返事をした。
その様が、芳野には可愛らしくて仕方がない。
「よし♪みおちゃんはいい子ね〜。
たかゆき君も行きましょう?壬生屋さんが待ってるわよ。」
「うんっ♪」
振り向いた芳野に笑顔で手を差し出されたたかゆきは、みおと同様に元気いっぱいの返事をしながら、
差し出された手に飛びついた。
芳野が2人の手を取って階段へと向いたとき、そこでようやく5121小隊の車両がやってくる音が聞こえた。
5121小隊の車両が、次々とハンガーに収められていく。
人型戦車が荷台の上に寝かせられながら入り口をくぐっていくのを、みおは首を限界まで反りながら見上げていた。
(たぁゆき、はやくこないかな〜。
たぁゆきがきたら、まずはぎゅーってしてもらって、
そしたら、せんせーのほっとけーきがおいしかったっていって、
たぁとおにごっこしたら、つかまってばっかりでいやだったけど、たのしかったっていって、
そぇから、たぁゆきとたぁとみーやとみおの4にんでいっぱいあそんで・・・。)
みおは人型戦車を見上げながら、たぁゆきに会ったらまず何をしたいか考えていた。
朝離れてからずっと会っていないのだ。
まずはひたすら甘えたい。
ちなみにみおは、壬生屋のことを“みーや”と呼ぶことにしたらしい。
恐らく、瀬戸口が壬生屋のことを“壬生屋”と呼ぶから、
それを真似しているつもりだが上手く発音出来なくて“みーや”になってしまったのだろう。
ふと気になって、みおがたかゆきの方に首を巡らせると、
たかゆきもみおと同様に、ワクワクそわそわしながら見上げていた。
やはりたかゆきも、壬生屋に会って甘えたくて仕方がないのだ。
(みおとたぁ、おそろいだ♪)
やっぱり、ペットはご主人が1番いいのだ。
たかゆきも自分と同じだということがわかって、みおはなんだか楽しくなる。
全ての人型戦車がハンガーに収められ、一番最後に戦闘指揮車がハンガーの前で止まる。
すると間もなく、戦闘指揮車から瀬戸口が出てきた。
「たぁゆき〜〜〜〜♪」
瀬戸口の姿を見つけた途端、握っていた芳野の手を離してみおは駆け出した。
芳野は今度はみおを止めるような真似はしなかった。
懸命に駆けるみおの後姿を見送っていると、
「未央〜〜〜〜♪」
もう片方の手からたかゆきの手が離れた。
瀬戸口が戦闘指揮車から出てきたのに少し遅れて、壬生屋がハンガーから出てきた。
「たぁゆきー、おかーりなさい!!」
みおは瀬戸口のもとへたどり着くと、元気いっぱいにジャンプして瀬戸口に抱きついた。
「未央ー、おかえり〜〜♪♪」
たかゆきも壬生屋に抱きついた。
しかし、
「ああ、ただいま・・・。」
「ただいま、たかゆき・・・。」
ペットを抱きとめた飼い主達ではあったが、その様子は消沈としていて元気がなかった。
みおとたかゆきが首を傾げながら飼い主の顔を見上げていると、
不意に飼い主同士の目線が合い、
「「・・・フン!」」
すぐさま不機嫌な表情で首ごと目を逸らした。
「みお、今日は俺疲れちゃったから、もう帰ろうか。」
「たかゆき、わたくしはこれから機体の整備をしますので、中で少し待ってていただけませんか?」
そして互いに避け合うように、完全に相手に背中を向けて歩き出した。
瀬戸口はプレハブ校舎へ、壬生屋はハンガーへと向かう。
みおとたかゆきは、いつもこちらへ向かって微笑んでくる感じが見られない飼い主達に何も言えず、
戸惑いながら飼い主達の顔を一瞥した後、
(たぁ・・・。)
(みぃ・・・。)
自分を抱き上げている飼い主の肩越しに、お互いの不安げな表情を見ていた。