翌日の放課後。
みおとたかゆきはプレハブ校舎屋上にやって来ていた。
本当は、危ないので幼い2人だけで屋上に上がることは禁止されているのだが、
2人は秘密の作戦決行中なので、誰にも邪魔されずにこっそり話せる場所が欲しかった。
“行っちゃいけない”とされている所に、まさかこっそり忍び込んでいるとは思うまい。
「じゃあ、みーやはたぁゆきのことがすきなんだよね?」
「ああ。仲良くしたいって言ってた。あいつも、未央のことが好きなんだよな?」
「うん、そういってたよ。」
みおとたかゆきは昨夜飼い主達から仕入れた情報を交換していた。
しかし、
「でも、あいつは未央が好きだけどケンカしたままのがいいって言うんだろ?
好きなら仲良くすればいいのに、変じゃないか?」
「ね〜。でもたぁゆき、なんでってきいてもおしえてくれなかった。」
2人はその不思議な答えの意味がわからなくて、頭を捻っていた。
「う〜ん・・・おれは未央もみぃも好きだから仲良しでいたいぞ?」
「みおも、たぁゆきもたぁもだいすきだよ?だからいっしょにあそびたいの。」
「だ、大好き!?おれのことも?」
「ふぇ?そうだよ〜。」
みおから発せられた言葉に感激し、たかゆきは眉間にしわを寄せて考え込んでいた表情から一変、
照れ臭そうににやけている。
みおはたかゆきのそんな様子には一切目もくれず、俯きながら真剣に考えていた。
ふと、たかゆきがそんなみおの様子に目が止まり、
「あれ?みお、頭のリボン、取れそうになってるぞ?」
と言って、みおの髪を留めているリボンに手を伸ばす。
ちなみに、壬生屋と同じ赤いリボンである。
「やーぁ。かみ、ひっぱらないで〜。」
初めて会った日、たかゆきに髪を引っ張られた。
そのことを思い出して、みおは髪を抑えながら身を退いた。
「ち、違うって!リボンなおしてやろうとしただけだって!」
たかゆきはたかゆきでムキになり、意地でもみおのリボンを直そうと手を伸ばす。
「やーなのはやーなの〜!たぁゆきになおしてもらうからいいの!」
みおはたかゆきに髪を引っ張られまいとして走り出した。
「リボンなおすだけだってば!
あっ・・・!そっち行くとあぶないぞ!!」
みおは前を見ずに走っている。
その足元が屋上の縁へと向かっていた。
しかしみおは、
「あぶなくないもん!!」
と言って止まらない。
「だからあぶないって!!」
言っても聞かないみおを止めようとして、たかゆきが必死に追いすがるが、
「きゃあっ!」
みおがバランスを崩して倒れ始める。
「みおっ!」
「・・・んっ!」
だが、寸でのところで追いついたたかゆきがみおの手を取り、転倒は免れた。
みおがあと一歩縁に近付いていたのなら、落下してもおかしくはなかった。
「あ、あぃがと、たぁ・・・。」
ただし、その代償として、
「あーー!!」
リボンがみおの髪からはらりと落ちて、そのまま風に流されていってしまった。
「みおのリボン〜〜!!たぁゆきからもらったのにーーー!!」
みおが必死になって手を伸ばすが、無論届くはずはない。
勢いに乗って屋上から飛び出そうとするみおを、たかゆきが反対方向に手を引っ張って食い止める。
「あぶないって!1度下におりてからおっかけるぞ!」
「う〜〜・・・うん!」
“したにおりてるじかんなんてないのに”とでも言いたげな目でたかゆきを見たみおだったが、
やがて納得すると、大きく首を縦に振った。
仕事の合間になって、情けないことになんだか小腹が空いてしまったので、
何かお菓子でもと思い、壬生屋はハンガーから出てきた。
いつもみおとたかゆきがハンガーの入り口辺りで遊んでいるのだが、今日は姿が見られない。
おそらく、小隊の誰かもしくは芳野辺りが散歩にでも連れ出しているのだろう。
昨日はちゃんと原さんのところで大人しく待っていたし。
しかし壬生屋の予想は、プロハブ校舎前へとやって来たときに崩れることになる。
「きゃああ!たかゆき、何をやっているんですか!!」
「あ、未央〜〜♪」
「みーやぁ。」
壬生屋はたかゆきの姿に目を留めるなり、悲鳴を上げた。
無理もない、たかゆきはなんと、同調の木の天辺近くにいるのだ。
みおはその根元でたかゆきの方を見上げている。
この同調の木というのは小隊司令室脇に生えているとても高い木のことで、
同調技能の訓練の際に使われることから、小隊員の間ではそう呼ばれているのだ。
壬生屋の悲鳴を他所に、たかゆきは元気に手を振っている。
「みおのリボンが木のてっぺんにひっかかっちゃってさ〜。今取るとこ〜。」
そう言われて目を凝らすと、枝の先に赤いリボンが引っ掛かっていた。
あと少し体をずらして手を伸ばせばなんとか届きそうだ。
だが、地上とは相当距離がある。
「危ないですよー!すぐに降りてきなさ〜い!!」
確かにあと少しなのだろうが、落ちたらただでは済まないだろう。
壬生屋が真剣な表情で降りてくるように促すが、
「大丈夫だよ〜、おれ、猫だもん〜〜。」
と言って、聞かない。
壬生屋の忠告をスルーしてたかゆきはそのまま枝の先へと移動すると、みおのリボンを掴んだ。
「みお〜〜!取ったぞ〜〜!!」
「ありがと〜、たぁ〜〜!!」
たかゆきがみおを見下ろし、無事にリボンを取ったことを知らせる。
みおはそれに対して、ちゃんと礼を返した。
しかし、
「・・・ううっ・・・。」
そのとき初めて、たかゆきは自分がどれほど高い所まで登ったのかを自覚した。
地上までかなりの距離があるし、なんだか風が出てきた。
木の表面は足を掛けたら滑りそうで、どう動いていいのかわからない。
「み、未央〜〜。おりれな〜〜い!」
「はぁ!?」
たかゆきは急に高い所が怖くなって、情けない声で壬生屋に助けを求めた。
いきなり出てきた衝撃的な一言に、壬生屋は素っ頓狂な声を上げるしか出来なかった。
瀬戸口はその頃、戦闘指揮車の横で計器類のチェックをしていた。
昨日まではこちらから見える範囲でのみ遊んでいたみおの姿が、今日は見られない。
あのクソガキと仲良くなって、どこかに遊びに行ったのかな〜と思うとちょっと寂しくなる。
しかし、
「たぁゆき〜〜〜〜!!」
そうこう考えているうちに、当の本人が大泣きしながらこちらへと駆けて来た。
「どうしたんだ、みお!?」
“クソガキにいじめられたのか!?”と思わず言いそうになるが、
抱っこしてとりあえず話を聞くことにする。
「たぁがっ、たぁがみおのリボンとろうとしてきからおりれなくなったの!
おねがいたぁゆき、たしゅけてあげて!!」
「下りれなくなったぁ!?・・・わかった、助けるよ。どこに行けばいいんだ?」
「あっち!!」
瀬戸口がみおが指し示した方を向くと、数十メートル離れた同調の木の天辺に自分と同じ色をした頭が見えた。
「おいおい、相当高いぞ・・・とにかく行こう!」
「うん!」
瀬戸口はみおを抱きかかえたまま走った。
たどり着いてみると、そこには小隊員の何人かが心配そうに同調の木の天辺を見守っていた。
そのうち何人かは学校の倉庫からマットを取りに走り出したり、
小隊内の体力仕事担当である若宮か来須を呼びに行った。
しかし、それらを待たずに、
「たかゆき〜!今参りますからね〜!!」
一刻も早くたかゆきを助けようというのか、壬生屋が同調の木によじ登ろうとしていた。
草履では滑って登れないので、足袋まで脱いで裸足になっている。
気合十分だ。
だが、
「ちょっと待てよ。お前さんみたいなどんくさい奴が登ったって、時間の無駄だ。」
「なっ!?」
片手にみおを抱き上げたままの瀬戸口に後ろから肩を掴まれて止められる。
「そんなこと言ったって、あの子が助けを求めているのですよ!その手をどけてください!」
止められた壬生屋は瀬戸口の手を振りほどこうとするが、
「嫌だね。稀少なパイロットに、こんなことで怪我してもらうわけにはいかないんでね!」
瀬戸口は壬生屋の肩から手を離さない。
「こんなことですって!!
貴方、こんなのんびりしている間にたかゆきが落ちたりしたらどうするのですか!!」
対して壬生屋は、愛猫のピンチをこんなこと扱いされて怒りに頬を染める。
「ひっ!」
壬生屋の怒鳴り声を聞き、みおは大きな両耳を抱きこむようにして押さえ、
至近距離で怒鳴られた瀬戸口はうんざりそうな表情になったが、
「あー、はいはいわかってますよ。代わりに俺が行けば文句ないだろ?」
と言って、壬生屋の代わりに木に登ると言い出した。
「なっ・・・!」
想定外の返事に、壬生屋が絶句する。
「はいよ。全くもって不本意だが、俺があのガキを助けに行く間、みおの面倒はお前さんが見ててくれ。」
壬生屋が何も言い出せないうちに、瀬戸口はみおを壬生屋の腕の中に押し付けてきた。
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
「みお?あの坊主を助けに行く間、壬生屋と一緒に待っててくれな。」
「うん!たぁゆき、たぁをたしゅけてあげてね。」
壬生屋の腕の中へと移されたみおは、素直に壬生屋の体に体重を預けた。
「おう!任せとけ!」
瀬戸口は頼もしげな笑顔でみおの頭を撫でると、壬生屋に反論の余地も与えないまま木に足をかけ登り始めた。
「ちょっ・・・ちょっと、瀬戸口君!危ないですよ!!」
ようやく言葉を発した壬生屋だったが、瀬戸口はその言葉を無視して軽々と登り続ける。
猫かお前は、といった感じである。
「だいじょうぶだよ、みーや。
だって、たぁゆき、みおのヒーローだもん。」
心配そうに見上げる壬生屋とは対照的に、みおは全く心配していない様子で言った。
(みーやって・・・。)
「ヒーロー?」
みおから出た言葉に、壬生屋は意外だというような目を向ける。
「うん!たぁゆきはね、みおをこわれたおうちのなかからたしゅけてくれたの!
だからね、みおのヒーローはたぁゆきなんだぁ〜〜♪」
そう言ったみおの眼差しは、瀬戸口に対する憧れと尊敬で溢れていた。
「ヒーロー・・・。」
壬生屋は瀬戸口を見上げるみおにならって、同じように瀬戸口を見上げた。
背が高くて高い位置にある枝にも手が届きやすいからか、瀬戸口はもうすでにたかゆきのすぐ近くへとやってきていた。
その姿はいつも自分と言い争っているときとは違い、随分頼もしく見えたので、
(ヒーロー・・・なんて、わたくしと話しているときとはまるで別人ですね。)
そうは思ったが、彼がたかゆきと共に地上に降りてきたときには、ちゃんと礼を言おうと思った。
たかゆきは震えながらも、必死になって枝にしがみ付いていた。
怖くて目が開けられないし、地上から誰かが呼びかける声が聞こえていたがよくわからなかった。
「おい・・・おい、このクソガキ!!」
すると、急に近くで男の声がした。
その声には聞き覚えがあり、どちらかというと嫌いな声なのだが、
「あう〜〜〜〜!」
この際そんなことには構ってられないので、どうにか目を開いて声のした方を向く。
すると、やや低いのところから瀬戸口がこちらへ向かって声をかけていた。
瀬戸口の頭とたかゆきの足元がちょうど同じくらいの高さである。
瀬戸口がたかゆきに向かって片手を伸ばすと、
「これ以上は枝が細くて登れないんだ。この手に掴まって、こっちに飛び込んで来い!」
と言ってきた。
「・・・・・!」
瀬戸口に促されてたかゆきは恐る恐る手を伸ばし、どうにか瀬戸口の手を掴んだ。
「よし。引っ張るから、そのままこっちに飛んで来いよ!」
「う・・・うん!」
たかゆきは泣きそうな顔になりながらも、なんとか勇気を出して頷いた。
「よし、いい子だ・・・行くぞ!1、2の・・・3!!」
「!!!!」
合図と共に瀬戸口がたかゆきの手を引っ張ると、
それ同時にたかゆきがそれまでしがみ付いていた枝を蹴って瀬戸口の方へ飛んだ。
「・・・っとぉ!!」
たかゆきは瀬戸口の誘導どおり、無事に瀬戸口の腕の中へと飛び込んだ。
「ぜどぉぐ〜ぢ〜〜〜〜!!」
瀬戸口の胸に飛び込んだことで安堵したのか、たかゆきは涙腺から涙を爆発的に流し出した。
そのまま瀬戸口の首にしがみ付く。
「・・・俺と同じ顔して、みっともない泣き方するなよ・・・。」
本当は“周りに心配かけるな!!”と言って、脳天に直下型のゲンコツをお見舞いする予定だったが、
こんな涙どころか鼻水まで流しまくりの泣き方をされている状態では出来そうにもない。
(まぁ、無理もないか・・・。)
そう思って呆れたようにため息を吐くと、たかゆきが握り締めているみおのリボンに目を留めた。
そうだ、コイツはみおのためにこんな怖い思いをしてくれたのだった。
「みおのリボンを取ってくれて、ありがとな。
・・・この調子でどんどん強くなって、俺の代わりに壬生屋のことを守ってやってくれな。」
瀬戸口はたかゆきの耳にだけ届くように小声でそう呟くと、
たかゆきの背中をなだめるように軽く叩いてから地上へと下り始めた。
その間もずっと泣きじゃくってばかりのたかゆきから先程の願いに対する返事は返ってこなかった。
瀬戸口は小隊員が地面に敷いたマットの上に降り立つと、たかゆきを降ろした。
「未央〜〜〜〜!!」
たかゆきは腰が抜けて立てず、座り込んだままで両腕を壬生屋の方へと伸ばして呼んでいる。
「たかゆきっ!!」
呼ばれた壬生屋は抱きかかえていたみおを降ろすと、駆け出してたかゆきを抱きしめた。
「もうっ!この子は心配掛けて!!」
「未央〜〜!怖かったあぁぁぁぁ!!」
壬生屋にしがみ付いたたかゆきは大声を上げて泣き続ける。
とても怖い思いをしたのだろう。
壬生屋はたかゆきが落ち着くまで抱きしめて、背中を擦ってやる。
「たぁゆき〜〜。」
「ん?」
その様子を見守っている瀬戸口の足元にみおがやってきて、両腕を伸ばして抱っこをせがむ。
ふっと顔を綻ばせると、瀬戸口はみおを抱き上げた。
「たぁゆきっ、たぁをたしゅけてくれて、ありあとー!」
みおは大好きなヒーローに礼を言うと、首に腕を回してきた。
「なんのなんの。可愛いみおのためなら、このくらい朝飯前さ♪」
甘えてくるみおに瀬戸口は抱く手に力を込めることで返した。
「あの、みおちゃん・・・。」
すると壬生屋がたかゆきを抱っこしたまま、こちらへとやってきた。
「・・・うっ。」
壬生屋の腕の中のたかゆきが、涙でしゃっくり上げながらみおへと片腕を伸ばす。
その手にはみおのリボンが握られていた。
「ありがと、たぁ♪」
リボンを受け取るとみおは、たかゆきへと手を伸ばし、
「・・・ちゅっ♪」
なんと、たかゆきの頬にキスをした。
「えへへ♪たぁ、かっこよかったよ。」
みおにキスされてたかゆきはしゃっくり上げるのを忘れ、茫然とする。
実際の所、たかゆきは涙どころか鼻水まみれで、髪もボサボサなのでかっこ良くはない。
「・・・ありがと、みぃ。」
それでも、そう言ってもらえてたかゆきは嬉しかった。
その目はまだ赤く腫れぼったいままだが、口元に小さく笑みを作れた。
「瀬戸口君。」
「なんだ?」
たかゆきがみおにリボンを渡し終わるところを見届けると、壬生屋は瀬戸口に向き直った。
瀬戸口は先程までとは違う渋い表情を作って返事をする。
「たかゆきを助けていただいて、ありがとうございました。」
愛猫が無事に助かってよほど嬉しかったのだろう。
壬生屋が目元に涙を浮かべて、感謝の眼差しで瀬戸口を見つめる。
「・・・別に。みおに頼まれただけだよ。」
いつもの闘争心剥き出しの表情とは違う温かそうな眼差しを避けるように、
瀬戸口は顔を背けてツレナイ返事をする。
それでも壬生屋は、瀬戸口に感謝の眼差しを向けることを止めない。
「いいえ。瀬戸口君がすぐに登ってくださらなかったら、たかゆきが落ちていたかもしれなかったです。
それに、誰かに頼まれたからといって、あんなに高い所に簡単に登れるものではないのですから。
ですから・・・その、わたくしは・・・貴方のことを、」
「ストップ!」
お礼より先のこと、お礼とは違う何かを言おうとした壬生屋を、
瀬戸口はその口の前に人差し指を突き立てることで止めた。
「他人に礼を言うより先に、ちゃんと自分とこのガキに躾する方が先じゃないのか?」
「で、でも、わたくしは・・・。」
「はっきり言って、自分とこのガキの面倒もろくに見れん奴に褒められても嬉しくも何ともない。」
そう言い捨てると瀬戸口は、壬生屋に背を向けて歩き出した。
「「「あっ・・・。」」」
壬生屋とみおとたかゆきの口から、思わず声が漏れる。
(わたくしはただ、“かっこ良かった”って伝えたかっただけなのに・・・。)
壬生屋は心の中でそう呟くと、泣き出しそうな顔になって俯いた。
(あいつ、なんだよ・・・!おれには未央を守れって言っといて・・・!)
たかゆきは涙の残る目で、命の恩人だった男を睨みつけた。
(たぁゆき?なんでそんなつらそうなおかおするの・・・?)
みおは瀬戸口の顔を心細げに見上げると、不意に胸が痛くなって瀬戸口の胸に額を寄せた。
(そっから先は言うなよ、壬生屋・・・。戻れなくなる。)
瀬戸口は名残惜しそうに1度だけ振り向くと、あとはただ前だけを見て歩き続けた。