「たぁゆきっ!」
「・・・あ?・・・ああ、どうした、みお?」
大分前に太陽が遠くのお山に沈み、そろそろ寝付く者が現れ始める時間。
その一員であるみおはパジャマに着替え、ベッドの上で枕を抱きかかえたまま瀬戸口を見上げていた。
「たぁゆき、いちゅまでてんきよほーみてるの?」
頬を膨らませて、お怒りのご様子。
みおに指摘されてテレビ画面を見ると、番組の合間にやっている天気予報はもうとっくに終わっていて、
その後に毎週やっているバラエティー番組が始まっていた。
お笑い芸人が大勢出て騒いでいる。
「えっ?ああ、そうだったな。」
瀬戸口は笑いを取るためにがんばっている芸人さん達に興味を持たず、
ちょっと白状に思えるくらいあっさりとテレビを消した。
消したのだが、
「・・・・・・。」
リモコンを持っているくせに、まるで一時停止を押されたかのように動きを止めている。
「たーゆきっ!!」
「・・・あっ?なんだ、みお?」
「たぁゆき、へん!!ずーっと、ぼーっとしてる!!」
「えっ、あっ・・・と、・・・ごめん。」
すっかりご立腹のみおに叱られて、瀬戸口は素直に頭を下げた。
「もお!たぁゆき、たぁとみーやとバイバイしてから、ずっとへん〜!!」
そう。
みおの言うとおり、瀬戸口はたかゆきと壬生屋に素っ気無く背中を向けてからずっと、
何かにつけてぼーっとしていた。
帰り道に看板に当たるし、料理は焦がすし、醤油はかけ過ぎるし・・・。
どこかしょんぼりした表情で何かを考えては時が止まるので、
その度にみおが呼びかけて瀬戸口を現実に戻していた。
だが当の本人は、
「バイバイしてからって・・・いや、そんなことはないよ。」
と言って、認めようとしない。
「うそ!たーゆき、ぼぉっとしてたもん!たぁゆきのうしょつき!!」
認めようとしないから、みおも簡単に引き下がってはくれなかった。
「嘘つきって・・・あーその・・・まいったな・・・。」
すっかり聞かん坊モードになって頬をさらに膨らませているみおに、
何と言っていいのか瀬戸口は困り果てていた。
そんな瀬戸口の表情を見て、みおもまた困ってバツの悪そうな顔になって訊ねる。
「たぁゆき、きょうみーやとはなしてるときへんだった。
みーやのことすきなのに、なんでケンカするようなこというの?」
「それは・・・。」
瀬戸口は昨日も答えられなかった質問にどう言ったらいいのかわからずに口を噤む。
今日のみおは、笑って誤魔化せそうにない。
黙ったままの瀬戸口にみおはさらに言葉を放つ。
「たぁゆき、ほんとうはあんなこといってわるいっておもってるから、
なんどもぼーっとしたり、げんきがなかったりするの?」
「いや、俺は・・・。」
「そーだ!あした、みおがいっしょにみーやにあやまってあげりゅ♪そうしたらなかなおりできるよ!」
「でも・・・。」
「そえでね!みおとたぁとたぁゆきとみーやの4にんで、いっしょにあそびにいくの♪
そーしたらね、みんなもっとなかよくなって、たぁゆきももっとみーやをすきになれるよ。
みんな、みーんないっしょで、なかよ、」
「いいんだ!そんなのは!!」
楽しそうに話すみおの言葉に何を思ったか、俯いた姿勢で瀬戸口は怒鳴り声を出して否定した。
「はっ・・・!」
無意識に出てしまった言葉に我に帰ると、瀬戸口は弾かれたようにみおを見上げる。
みおは数秒間、ぼうっとしていたがやがて、
「うっ・・・ひっく・・・。」
大きな両目から涙の雫を流し始めた。
「ご、ごめんな、みお・・・!」
わざとではないとはいえ泣かせてしまった瀬戸口は、慌ててみおを抱きしめた。
「ふ・・・ぇえ〜ん・・・!」
泣き声を上げ始めたみおは瀬戸口の首にしがみ付かないで、
両手をグーにして目に当てて泣いている。
「ごめんな、急に怒鳴ったりしてごめんな〜・・・。みおが悪いんじゃないから、な?」
そう言って何度もみおの髪を撫でたり背中を優しく叩いてなだめようとするが、
「あ〜〜ん!!」
大好きなヒーローに怒鳴られたショックがよほど大きかったらしく、みおはちっとも泣き止む気配を見せない。
それどころか、瀬戸口に対抗するようにますます泣き声を大きくしていく。
「みお〜・・・。」
すっかり途方に暮れてしまった瀬戸口は、みおを抱きしめながら苦しげなため息を吐いた。
「んにゅ・・・?」
気がつくとみおは、真っ暗な部屋の中にいた。天井が見える。
ぼ〜っとしながら身を起こすと、そこは見慣れた瀬戸口の部屋の瀬戸口のベッドの上だった。
いつの間にか泣き疲れて眠ってしまったらしい。
一体何が起きたのか把握しようとして、みおは部屋のあちこちに視線を飛ばす。
すると、ある重要な異変に気がついた。
「・・・たぁゆき?」
いつも自分の隣で眠っている瀬戸口の姿がない。
「たぁゆき?」
みおはベッドから降りて瀬戸口の姿を探し始めた。
だが、
「たぁゆき・・・たぁゆきっ!」
どこを探しても見つからない。
照明のスイッチにまでは手が届かないのでよくは見えないが、
トイレにも、風呂にも、台所にも、玄関にもいなかった。
ただし、
「たぁゆきのおくつがない・・・。」
玄関から瀬戸口の靴が消えていた。
それ即ち、瀬戸口がみおを置いて外へ出たということになる。
「なんで、どうして?たぁゆき、みおをおいてどこにいっちゃったの・・・!?」
言っているうちにみおはパニックに陥ってきた。
あのウサギ小屋から助けてくれて以来ずっと側にいてくれた瀬戸口の姿がない。
ママがいなくなったから、たぁゆきが側にいてくれないと怖いのに。
近くにいてくれないと、寂しいのに・・・!
それなのに、何でみおの側にいないの!?
「たぁゆきーーー!!」
一気に不安と寂しさに囚われたみおは、ウサギ特有のジャンプ力で鍵を開け、
大声で瀬戸口の名を呼ぶと泣きながら外に出て、瀬戸口の姿を捜し求めた。
時計の針はとっくに天辺を回っていて、
「!!」
壬生屋の布団の中で一緒に眠っていたたかゆきは、大きく耳をピクンと動かすと勢いよく身を起こした。
「ん・・・どうしたんですか、たかゆき・・・?」
突然布団が剥ぎ取られたため、壬生屋も目覚めて声をかける。
たかゆきはしばらくの間、壬生屋の質問に答えず茫然としていたが、
「未央、あいつが危ない!!」
必死にそう壬生屋に叫ぶ。
「えっ・・・あいつって、誰ですか?」
たかゆきの剣幕に驚き、壬生屋の頭は一気に覚醒した。
「みぃだよ!とにかく、危ないんだ!!」
たかゆきは説明するのもじれったいとでもいう様子で一気に早口でまくし立てると、
立ち上がって、外へと繋がるガラス戸を開けた。
「ちょっ・・・!ちょっと待ってください、たかゆき!!」
壬生屋は慌てて起き上がると部屋にかけてあった上着を掴んで、
制止も聞かずに飛び出していったたかゆきの後を追い始めた。
一方その頃、
「ふえぇぇぇぇぇ・・・。」
誰もいない真っ暗な路地裏で、みぃは上を見ながら震えていた。
その先には、電線に止まっているたくさんのカラスがいる。
ここら一帯は元は住宅街であったが、住民の多くは戦争を避けるために疎開してしまった。
人間がいないのでこんな住宅街であるにも関わらず
カラス達が町を支配しているかのように堂々と電線に止まって夜を過ごせているのだ。
とはいえ、昼はどこかに出かけていて夜はゆっくり休んでいるはずのカラス達だが、
どういうわけがしきりに鳴いて騒いでいる。
「やーぁぁ!!」
みおはその鳴き声に怯んで、長い耳を抱きかかえながらしゃがみ込んでしまった。
カラスの鳴き声は人間にとっては、ただ“カー、カー。”と鳴いているだけだが、
元々ウサギであるみおの耳には、
『あれー?なんだか美味そうなウサギの匂いがするぞー?』
『あらら、誰かと思えば飼育小屋にいた子ウサギちゃんじゃないかよ〜!』
『そんな小さい子が、勝手に夜道を出歩いたらダメじゃないかぁ。』
『そっか、ようやく俺達に食べられるために出てきてくれたんだね〜。』
と言っているように聞こえるのだ。
そう、このカラス達はみおが閉じ込められていた飼育小屋に
ちょくちょくちょっかいを出しに来ていたカラス達なのだ。
カラス達は飼育小屋にちゃんと世話をしに来る子供達がいた間はただ遠くから眺めているだけだったくせに、
子供達がいなくなったあとは、みお達親子を嬉々としてからかいにやってきていた。
その飼育小屋が崩れてからはようやく餌に出来ると歓喜していたのだが、
『っんだよ、これは!こんな瓦礫、俺達の力じゃ動かせねぇよ!!』
『おいコラこのクソウサギ!とっとと俺達の餌になるために出てきやがれっ!!』
と言って、ずっとみおを外界から遮断している瓦礫の上で騒いでいたのだ。
その後、瀬戸口によって助け出されて、このカラス達とも会うことはなかったのだが、
それでもみおの中にはカラスに対する恐怖心が残っていたのだ。
「たぁゆき、たぁゆきーーー!!」
恐怖心を植え付けた当人達に再会してしまい、みおの足は逃げる事も出来ずに震えていた。
必死になって大好きな瀬戸口の名を呼ぶが、全然来てくれない。
カラス達はみおをさらに追い詰めようと、羽をバサバサと震えさせている。
『誰を呼んでるのか知らないけどな、この辺りには人間なんか住んでないから無駄だよっ!』
『あーでもよ〜、どうする?俺達、夜中は目が見えないんだぜ?』
そう、カラスは鳥目なので夜は何も見えない。
それ故に未だにみおが人間の姿をしていることに気づいていないのだ。
匂いだけでしか判断出来ないから、このまま動けまいと思いたいのだが・・・、
『馬鹿野郎!こんな久々のご馳走、逃すわけにはいかないだろが!』
『そうだ!さっさととっ捕まえねぇと、野良犬どもに持ってかれちまう!』
『別に、この先の道は行き止まりだし匂いでわかるからいいじゃねぇか・・・。
さぁ、手前ら!!ご馳走にありつくぜぇっ!!』
『『『おおーーーっっ!!』』』
リーダー格のカラスの鳴き声を合図に、カラス達が一斉にみおに向かって飛び出した。
「いやあああああ!!」
足がすくんで立てないみおは、逃げることも出来ずに腕で頭を庇うようにしてうずくまる。
絶対絶命かと思われたその時、
「みぃぃぃぃぃっっ!!」
突然塀の上から飛び出したたかゆきが、カラス目掛けて飛び掛った!
横からの奇襲を食らったカラスが1羽、生垣に叩きつけられて目を回す。
「大丈夫か、みぃ!」
地面に着地したたかゆきはみおを庇うようにカラスに対峙する。
「たぁ!!」
たかゆきの登場にみおは泣き顔から一変、笑顔になる。
『なんだよチキショウ!!この匂い・・・猫か!?』
『だけど、まだ乳臭いガキだぜこいつ!!』
『構うことねぇ、やっちまえ!!』
カラス達は狙いをたかゆきに変更し、襲い掛かる。
たかゆきは猫本来の姿のように、高く鳴いて威嚇すると、
「来るなら来いよ・・・!みぃには、羽毛1本さわらせないからなっ!!」
全く怯むことなくカラス達に対峙する。
しかし、今は人間の姿とはいえ、元はただの子猫。
同じくまだ子供であるみおを守りながら獰猛なカラス達と戦うのは、あまりにも不利である。
それでもたかゆきは逃げることなくカラス達を見据えている。
先鋒のカラスがたかゆきの額に爪をかけようとしたそのとき!
「たかゆき!!」
そこでようやく、壬生屋がたかゆきに追いついた。