しんあいなる君へ 〜wish a woman great happiness in her marriage〜
2007年、7月。
二度も式神の城の脅威にさらされたこの東京市に、三度城が落ちようとしていた。
光太郎が城に侵入し城の落下を止めるまで、彼の仲間達は東京市に出没した怨霊を鎮めて回る。
それぞれが思い思いの方向に散り、いつ減るとも知れない怨霊達と休む間もなく戦う。
「きゃああああ!」
辺りに暗いもやが立ち込める中、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえた。
狭い路地を何かから逃れる様に角を曲がると、
赤い目をした女子高生姿の怨霊が地面を滑るように後を追ってきた。
『酷いわ・・・。なんであの時、私を見捨てたのよ・・・。
あんたがあの時助けてくれたら・・・受験に失敗しなかったのに・・・。』
「ひっ・・・!」
怨霊に壁際へと追い詰められ、恐怖のあまり女性は腰を抜かし、座り込む。
そんな女性に怨霊は容赦なく迫り、すぐ側で女性を見下ろしてくる。
「しょ、しょうがないじゃない!・・・あ、あの時電車に乗れなかったら、
私だって・・・試験に遅れてたもの・・・!!
あああ、あんたがあんなところで転ぶから・・・!」
『寝坊して待ち合わせに遅れたの、そっちでしょう・・・?
私の家、お父さんがリストラされて余裕がなかったから、
大学受けられるの、最後のチャンスだったのに・・・。』
「謝ろうと思ったわよ!!
でもあんた、すぐにどこかに引越しってったから・・・!」
『・・・嘘。それまでに時間、あったはずよ。
なのにあんたは合格に浮かれて遊んでた。
だから私のことを、今まで忘れてた・・・違う?』
怨霊は膝を折り、女性と同じ目線の高さになって女性の目を見つめる。
怨霊の目は血のように赤く、地獄の業火のようにどぎつく、眩しい。
眩しいはずなのに、女性は恐怖に濡れた目を怨霊の目から反らすことはできなかった。
怨霊は右手首から先を鋭く大きいナイフに変え、震えて何も言えなくなった女性の喉元に当てる。
女性は許しを乞おうと、必死になって喉を振り絞るが、
「ゆ、ゆる・・・し・・・、」
『ダメよ。もう遅い・・・アッハハハハハハハ!!』
女性の懇願を無視し、怨霊は巨大なナイフとなった右手首を女性の心臓目指して振り上げた。
「あああああっ!」
その動作を見てしまった女性は、絶望の悲鳴を上げ、目を閉じる。
ナイフは女性の体を何の躊躇もなく引き裂く!
・・・そうなるはずだった。
――リィィィン。
その時、どこからか鈴の音が聞こえた。
そして、ナイフが女性の体の触れる直前、何の前触れもなくナイフ・・・怨霊の右手首が落ちた。
『ぎゃああああ!!』
一拍遅れて、怨霊が苦痛の声を上げる。
あまりにも右手首の切り口が綺麗で真っ直ぐだったため、切り落とされたことに気づくのが遅れたのである。
「・・・いけないな。怨霊とはいえ、女性がそんな怖い顔するもんじゃない。」
不意に、鈴の音が聞こえてきた方向、女性が背にしているビルの屋上から、若い男の声が聞こえた。
『き、貴様は・・・!』
怨霊が無くなってしまった右手首を抑えながら、屋上を睨み付けた。
「フッ・・・。」
怨霊の威嚇を鼻で笑うと、若い男は屋上から降り立ち、女性をかばうように怨霊に対峙する。
「あしきゆめ相手に名乗る名は持っていないのだがね。
まっ、ローゼン・キャバリエとでも呼んでくれ。
・・・さて、自己紹介も済んだことだし、大人しく斬られてもらおうか。」
若い男が怨霊を睨み返す。
伝わってくる殺気に、怨霊は戦意を無くし、怯え、
『・・・!うわぁぁぁぁぁっ!!』
踵を返して、路地の奥へと逃げ去っていく。
それを見て若い男は追わず、呆れたように呟く。
「あらら。そう来るわけ?ほんっとに随分と感情豊かな怨霊だねぇ。
でも・・・逃がしはしない!!」
若い男は鈴の音とともにどこからともなく現れた青い剣を、怨霊に向かって投げつける。
『があああああ!!』
剣は迷わず怨霊の背中に突き刺さり、怨霊は絶叫を上げると跡形も無く消え去った。
「やれやれ・・・。大丈夫ですか、お嬢さん?」
若い男は怨霊の消滅を確認すると、座り込んだままの女性に呼びかけた。
「・・・っ!は、はい・・・っ!」
「それはよかった。ここは危ない、すぐに身を隠せるところへご案内しますよ。さぁ。」
「・・・っ!」
女性は若い男が差し出した手を取らず、後ずさりした。
怨霊による恐怖からは脱したものの、今度は目の前にいる若い男に恐怖の対象が移ったのだ。
怨霊という、訳のわからないものから恐れられ、さらにそれをいとも簡単に消し去ってしまったのだ。
怖がるのも無理は無い。
「あちゃあ・・・。」
女性のその様子を見て、若い男はどうしたものかと困り、頬を掻いた。
すると、先ほど若い男が降りてきたビルの屋上から、
「たかちゃん!」
高く幼いの声とともに、何かが降りてきた。
それは一人の少女だった。
「そっちはどう?終わった?」
少女の質問に、“たかちゃん”と呼ばれた男――近衛貴之が苦笑いを浮かべながら答える。
「終わったよ、メイ。でも、このお嬢さんに嫌われちゃってねぇ・・・。エスコートを拒否されちゃって。」
近衛からの答えを聞き、少女――七城メイは“仕方ない”という表情を浮かべた。
「これだけ非常識なことが起きているのですから、色んなことに恐怖してしまうのは無理もないです。
お姉ちゃん、ちょっと手を貸してくださいね。」
「ひっ・・・!」
メイに手を握られた女性は一瞬たじろぐが、メイから伝わってきた青い光に包まれると落ち着きを取り戻していく。
「もう大丈夫だよ。だから早く、安全なところへ行こうね。私も一緒に行くから。」
「うん・・・ありがとう。」
そう言って女性はメイが差し出した手を取り、立ち上がろうとしたが、
「・・・あ、あれ?」
腰が抜けたままで立てなかった。
「ご、ごめんなさい・・・。」
「大丈夫、問題ないですよ。
お嬢さんさえ嫌でなかったら、俺が責任持ってお連れしますよ。
失礼します。」
そう言うなり近衛は、女性の膝下と背を支え、抱き上げた。
「きゃあ!」
突然体勢が変わったことに驚き、女性は近衛の首に抱きついた。
「おっと、これは失礼を。」
近衛はいちおうは謝ったが、顔に全然反省の色が浮かばない。
「・・・たかちゃん。知らない女の人にお姫様抱っこをすると、みおちゃんに怒られるよ。」
メイは、近衛の背を軽くつねり、注意した。
「いたた!大丈夫、これは仕方なくだから。浮気とかじゃないからさ。」
「ホントに?」
「ホント、ホント!それよりも早くお嬢さんを安全なところへ。」
「そうですね。お姉ちゃん、ここから少し歩きます。
すぐに安全なところに着くから、ちょっとだけガマンしてね?」
「は、はい!」
女性は近衛の腕の中で、戸惑い居心地が悪そうに返事をした。
3人が路地から出ると、そこには辺りを埋め尽くさんばかりの数の怨霊が待ち構えていた。
近衛とメイがビルの屋上から路地へ降り立ったのを察知し、出てくるのを待っていたのだろう。
一体一体は弱いが、女性を守りながら戦うことを考えると、少々厄介だ。
「きゃあああっ!」
怨霊達に怯え、女性は近衛にしがみ付く。
「大丈夫!俺達が絶対に守るから。・・・さて、どうする、メイ?」
近衛は女性をなだめ、メイに訪ねる。
メイは悩まず、すぐに答えを返した。
「路地に追い詰められると大変です。一旦散開して、怨霊達を撒きましょう。そして一体ずつ各個撃破です。」
「了解。お嬢さんは俺の方で面倒見るよ。手が空いたら、こちらに合流してくれ。」
「わかりました。気をつけてね、たかちゃん。お姉ちゃんをよろしくね。」
「もちろん。メイも怪我しないようにな?お前さんに何かあったら、俺があいつらに怒られる・・・。」
「大丈夫。私には猫さんがついてますから。ねぇ〜、猫さん♪」
「ぶにゃああ!」
メイはいつの間にか自らの足元に寄り添っていたデブ猫に向かって笑いかけた。
「フフッ、頼んだぜ、猫様?・・・よし、スリーカウントで行くぞ。」
「ラジャー。3・・・、」
「2・・・、1・・・、」
「・・・0!スタート!」
3つ数えた後、近衛と女性、メイは二手に別れて走り出した。
攻撃対象が二つに別れ、怨霊達はしばし戸惑ったが、やはりこちらも二手に別れて相手を追い始めた。
「大丈夫かい、お嬢さん?乗り心地は悪いだろうが、しばらく我慢してくれ。」
「は、はい!」
近衛は女性を抱きかかえながら瓦礫だらけの街を走る。
時折追いついてくる怨霊を一体ずつ、確実に仕留めていった。
この辺りはビル街だから視界が狭く、物陰に隠れた怨霊の姿を察知するのは難しい。
しかも辺りに立ち込めたもやの濃さから考えると、この辺りには相当な数がいる。
どうやら、追い込まれてしまったらしい。
(まいったな・・・。罠にかかっちまったか・・・。)
近衛は東京市にやってきて日が浅い。
なので、この辺の土地には詳しくない。
長い間戦場に身をやつしてきたのだから、そのくらいではハンデにはならないが、
今は戦う力を持たない女性を連れているのだ。
下手に動いて守りきれなくなるわけにはいかない。
近衛はこれ以上先に進むのはのはやめにし、すぐそばの路地に入り込み、
近くにあった段ボール箱の山の陰に隠れた。
一旦ここで様子を見ることにする。
息を潜め、気配を断つ。
「あ、あの・・・。」
段ボール箱の陰から通りの様子を窺っていると、女性が控えめに声をかけてきた。
「ああ、ごめん。怖い目に遭わせてしまって・・・。」
近衛は通りから目を離さずに女性を気遣う。
女性は首を横に振る。
「いいえ、いいんです。助けてもらって、感謝しています。
あの・・・、これから私達、どうなるんですか?」
女性の不安げな声を聞き、近衛の胸は申し訳なさで痛んだ。
「・・・わからない。どうやらあいつらは俺とメイに目をつけたらしい。
あいつらの仲間を何体も消してきたからな。
とりあえず、下手に動かずここは一旦様子を見よう。」
「そんな!どうしよう・・・!
ここの近くに私の家があって、そこで寝たきりの母が私の帰りを待ってるんです!!
どうしよう、助けに行かないと・・・!!」
「なんだって・・・!」
女性の言葉に、近衛は思わず振り向いた。
「ご、ごめんなさい、急に!
さっきまでは自分のことで精一杯で・・・。
でも、家の近くに来たら、急に母のことを思い出して・・・。」
と言うと、女性はすすり泣き始めた。
女性を泣かせてしまった近衛は、慌てて女性をなだめる。
「い、いや、いいんだよ。俺も大きな声を出して悪かった。
今から君のお母さんを迎えに行こう。
君の家はどっちだい・・・?」
女性を顔を上げると、路地の先を指差した。
「この路地、ちょっとした抜け道になってて、そこを抜けると隣りの通りに出るんです。
その通りに私の家があります。・・・こっちです!」
すると、女性は路地の奥へと走り出した。
よっぽど母親のことが気になったのだろう。
路地裏へと姿を消した女性を、近衛は慌てて追いかける。
「ちょっ!まっ、待ってくれよ!!危ないから!!」
「こっちです!早く!!」
近衛の静止を無視し、女性は走り続ける。
前を見ると、口元を歪め、笑う。
(フフッ・・・狙い通り。)
口の端を吊り上げて笑う女性の目は、血のような赤になった。