(・・・?やけに長い路地だな・・・?)
近衛は女性を追って走っていた。
しかし、この道を抜けると出てくるはずの通りに一向に着かない。
それどころか辺りは街灯の光も人の気配も無く、より一層もやが立ち込めて無気味になっていく。
そんな辺りの様子に訝しみながら走っていると、前方で女性がこちらに背を向けて佇んでいるのが見えた。
速度を落として、彼女のすぐ後ろで止まる。
そこは誰かが住んでいると思われるアパートなどの前ではなく、子会社が使うような古い雑居ビルの前だった。
「お嬢さん、急に走るなんて危ないじゃないか?一体、どうしたんだい?」
近衛が息を整えながら女性の背中に語りかけた。
女性は近衛に背を向けたまま答える。
「・・・ねぇ、知ってる?ニ年前、ここで何が起きたのか。」
「2年前?・・・すまない、俺がこの街に来たのはつい最近のことなんだ。だからわからない。」
と、近衛は素直に答えた。
女性は近衛に背を向けたまま話を続ける。
「そう。・・・私ね、ニ年前、このビルの屋上から飛び降りて・・・死んだの。」
「・・・え?」
女性の言葉に近衛は眉をひそめた。
それと同時に、女性が近衛に向き直る。
「なっ・・・!」
振り返った女性の目は真っ赤に染まり、牙が生え、両手の爪が伸び鬼の手となった。
スーツ姿は消え、肩を出した黒いドレスに燃えるような赤い髪を頭の上で2つに結んでいる。
二十歳そこそこであったであろう姿は急に幼くなり、十代半ばの少女となった。
「そう言えば名前、まだ言ってなかったわね・・・。
私の名前は工藤美代子。生きてた頃はアイドルであり女優だったわ。
一度は封じられた身だけど、貴方達を足止めするためにこの忌まわしき世界に再び呼び戻された。
正直、ずっと眠ったままでいたかったけど呼ばれた以上、仕事をさせてもらうわ・・・!」
言い終わると同時に、美代子は鬼の両手を振った。
「・・・っ!」
すると辺りを覆っていたもやが近衛を包み込み、美代子の姿はあっという間に見えなくなった。
黒以外の何も見えないもやの中を見回し、近衛は舌打ちをつく。
「チッ・・・敵さんも考えたな。流石の俺でも、女優の演技を見分けるのは難しいらしい。」
工藤美代子。
彼女は、かつて“愛の伝道師”と名乗っていたほど女性経験のある近衛を騙す演技力と、
メイが触れても悟らせないほど能力の扱いに長けている。
本気で戦って負ける相手だとは思わないが、メイにも同程度の罠をしかけられている可能性がある。
もしかしたら苦戦しているかもしれない。
―― 一刻も早く、メイと合流しないと・・・!
ならばまずこのもやを脱出し、美代子を倒すしかない。
(このもやは恐らく何かの術。だったら、どこかに術を解く手がかりがあるかもしれない・・・。)
近衛は感覚を集中し、より注意深く辺りを見回す。
「・・・!」
すると、背筋に冷たい何かが流れるのを感じた。
振り向くとそこには・・・、
「・・・シ、シオネ・・・。」
近衛がかつて愛した女性、先代のシオネ=アラダが立っていた。
シオネは何かを言おうと口を開きかける。
・・・が、
「はぁっ!」
近衛は迷わずシオネに青い剣―剣鈴を振り下ろした。
斬られたシオネは怨霊の姿となり、もやと一体化するように消える。
「気配が違いすぎるんだよ、お馬鹿さん。」
近衛は怨霊が消えるのを見送る。
すると、背後から、
『童子・・・祇園童子。』
再び背後にシオネの姿が現れた。
近衛はシオネの呼びかけに答えず、無言でシオネに剣鈴を突きたてる。
このシオネも先ほどのシオネと同様、怨霊の姿となり、消えた。
しかし、
『祇園童子・・・。私の大切な、』
また背後にシオネが現れた。
このシオネも、近衛は迷わず切り捨てた。
そのままの姿勢でしばらく待ってみる。
だが、シオネの姿は現れなかった。
「やれやれ・・・。これで俺を騙せるとでも思っているのかね?」
近衛はため息を漏らした。
しかしその刹那、
「・・・っ!」
左右から同時に二本の刀が振り下ろされた。
「・・・マジで?」
左右を見ると、そのどちらからも刀を構えたシオネがこちらを睨んでいる。
そしてさらに、
「おっと!」
背後から矢が飛んできた。
飛んできた方向を見ると、弓を構えたシオネがこちらに狙いを定める。
まさかと思い、辺りを見回すとそこには、
『童子・・・私の大切な子。』
刀や弓、薙刀を構えた何人ものシオネがこちらを見ている。
姿は複数だが、聞こえてくる声は一人分だった。
「・・・冗談きついぜ、これ。」
『童子、私の童子・・・お覚悟を!!』
近衛のぼやきを無視し、何人もいるシオネが同時に襲い掛かってきた。
「ちぃっ!」
シオネの姿をしていても、正体は怨霊。
そうわかりきっているので迷わず襲い掛かってくるシオネ達に剣鈴を振り下ろす。
しかし、シオネは何人斬っても次から次に復活し襲い掛かってくる。
『童子。私のこと・・・覚えていますか?』
「はあっ!」
『私・・・本当は千年前のあの時、貴方にあの洞窟から連れ出して欲しかったの・・・。』
「せいっ!」
『・・・童子、気が付いてた?』
「・・・っ・・・たあっ!」
『でも、もういいわ・・・千年前のことだし。それより、ごめんなさいね童子。私のせいであ、』
「・・・っ!」
『・・・なたを千年も苦しませてきた。』
「・・・ぐっ・・・!」
『だからね、もう終わりにしましょう。私と一緒に、』
「はぁっ・・・やっ!」
『おいで。』
「うっさい!!はああぁっ!!!」
近衛は語りかけてくるシオネの声を振り払うように、剣鈴を大きく振り切った。
近くにいたシオネは一掃されたが、また遠くから何人ものシオネが歩いてくる。
このシオネは全て偽者、正体は怨霊。
そんなことはわかりきっている。
わかりきっているが、
「・・・ったく、趣味の悪い・・・!」
戦っていて、とても気分が悪い。
それに、シオネを斬る度に心に針が一本ずつ刺さっていくような痛みが走る。
『童子・・・童子・・・。』
「くっ・・・畜生が・・・。」
すっかり汗だくになってしまった近衛は、その場に膝を落とした。
しゃがみこむ近衛の背を、シオネが優しく抱きしめた。
その腕には遥か昔に確かに感じたあの温かさは微塵もない。
『愛しい子・・・ようやく捕まえた。』
「はぁっ・・・はぁっ・・・。」
近衛はすっかり戦う気力をなくし、シオネの腕を振り払うことさえできなくなってしまった。
(畜生・・・どうしろってんだよ・・・!何で俺が、偽者とはいえあの人を斬らなきゃならないんだ・・・。)
『大丈夫・・・。何も心配いらないわ。』
(どうすれば・・・どうすれば・・・。)
頭を垂れ、うな垂れる近衛。
その時ふと、己の左の手首に目が行った。
『だって・・・、』
(・・・そうだ、そういえば・・・。)
近衛は左手首にしていたブレスレットを外した。
そこには、
“浮気なんて許しません。
だから、もし心変わりをしそうになった時は、これを見てわたくしのことを思い出して。”
彼がこの世界に来る直前に、愛する女に巻かれた赤いリボンがあった。
風呂や薬の調合時など、どうしても外さなければならない時以外はずっと彼と共にあったのだ。
『だって・・・私が、』
「・・・プッ・・・アッハハハハ。」
その愛する人との繋がりを主張するかのような赤いリボンを見ているうちに、
近衛の心から影は去り、光が生まれた。
恐れと痛みが去り、勇気と温もりが溢れ出る。
『貴方を連れて行くから!』
別のシオネが近衛を引き裂こうと、刀を振り下ろす!
「全く。本っ当にいい女だよ、お前さんは!」
近衛は左手首のリボンに向かってそう言うと、
抱きしめているシオネの腕を振り解き、斬りかかってきたシオネの鳩尾に拳を叩き込んだ。
『ぐ・・・がっ!!』
その拳には青い光が宿る。
近衛の拳に砕かれたシオネは二度と甦らなかった。
『お・・・おのれえっっっ!!!』
一体のシオネが砕かれたことに動揺した他のシオネは先ほどまでの優しげな女神の顔を捨て、
鬼女のような醜い顔となって一斉に近衛に襲い掛かる。
「あの人の優しい顔を、これ以上醜く歪めたさせりなんかさせない!!」
近衛はシオネ達の攻撃を避け、背後に回ると目を閉じ、絶技の詠唱を始める。
その心は決して折れない気高き刃。その瞳はただ真実を映す美しき海。
青にしてすみれの我は青の青ではなく、最強乙女に恋い、願う。
我等の未来は金色に輝く希望の光。我等の明日は永遠に続く幸福と愛。
それらを掴むため、闇を消し去る必殺の一撃を放つ力を我だけに貸し与えたまえ。
(愛してるよ、未央。)
完成せよ、真愛の一撃!!
唱え終えると同時に、近衛は剣鈴を地面に突き刺した!
突き刺した剣鈴を中心に青い光が円状に果てなく広がり、そして天へと伸び柱となった。
『ぐがあああああああ!!』
その柱に無数に存在したシオネが押しつぶされ、消し飛ぶ。
一体たりとも漏らさず、全てのシオネが消滅した。
・・・ただ、最後の一体だけはかつての女神と同じように優しく微笑んでいったような気がした。